まだ見ぬ恋
ふうん、とサシーニャが鼻で笑った。常に礼儀正しく、しかも優雅な仕草、気取っているようにも見えるこの男にしては珍しい。
「魔法が使われた形跡は全く以ってありません」
手にした封書をニヤニヤ顔でリオネンデに返してくる。バチルデアの王女、リオネンデの婚約者ルリシアレヤからの手紙だ。
「なんだか楽しそうだな、サシーニャ。昨日と違って随分と機嫌がよさそうだ」
顔色も、と言いたいが、それは抑えた。たっぷり眠ったのか、とも訊きたいが、訊かれたサシーニャの反応を考えると気が引ける。
「えぇ、なかなか愉快な内容だったもので」
「この手紙が、か? おまえ、触れただけで中身を読めるのか?」
その問いにサシーニャは、うっすら笑むだけで答えない。
グランデジア国王の執務室、いるのはリオネンデとサシーニャの二人、ジャッシフとスイテアは、庭で剣の稽古をしていろとリオネンデに追い出された。訳知りのジャッシフは気になったようだが、あとで聞けばいいと思ったのだろう。スイテアに気取られることなく庭に降りて行った。何も知らないスイテアは、今日こそジャッシフをやり込めようと剣を手に、ほんの少しも訝ってはいなかった。
「で、何が書いてある?」
「ご自分でお読みになられたらよろしかと」
「嫌な予感しかしない」
「そんな予感はたいてい当たるものです」
「おい……何を面白がっている?」
「面白いというよりは、可愛いものだな、と」
「可愛い?」
サシーニャ、今度はクスリと目を細める。
「バチルデアの姫ぎみは確か齢十七、聡明なのは聞き及んでおりますが、そのうえ随分と大事に育てられたものとお見受けいたしました」
「どういう意味だ?」
「書かれているのは他愛のないことばかり。だが、実はよく計算されている。一番伝えたいことは、ざっと読み流せば危うく見逃しそうに書かれていますが、それは本音を伝えていいものか迷っている故のもの。巧みな言葉使いから姫ぎみの聡明さが判ります。流麗な筆致にも因るのでしょうが……バチルデアの紹介に続いてグランデジアはどんなところだろうと思いを巡らせている。書物を頼りにあれこれ想像するが、きっとこの目で見るのが一番なのだろう。と、まぁ、こんなことが書き連ねてあるのですが……」
「それで?」
「滲み出てくるのは姫の心根の優しさと穢れのなさ、きっと世の中の醜さをこれっぽっちもご存じないのでしょう。有り余る愛情を注がれてきたと思われます」
「うむ……」
「内容は、まぁ、そんな感じですが、行間に隠された思いが読み取れます」
「隠された思い?」
「えぇ、高貴な姫ぎみなのですから、自分からグランデジアに行きたいとは言い出せません。呼ばれたから行くのだと口実が必要」
「招いてくれとでも書いてあるのか?」
「何を聞いているのです? 読み流せば気が付かない、そんな書き方をしているのです」
「面倒なヤツだな」
「そう来ましたか? 奥ゆかしさと優しさから、一番は恥じらいからとわたしは感じましたが……はっきり呼べと書けば、相手は立場上断れないとご存知なのです」
「ふぅん……」
顰めっ面のリオネンデが封を開け、便箋を取り出す。小花模様を透かした白い便箋だ。文字は読めても便箋の仕様までは読み取れないのか、サシーニャが『ほう、趣味のよろしい』と呟いた。
それを聞き流し、文面にサラサラと目を通したリオネンデが、
「どこにもグランデジアに来たそうな気配はないぞ?」
とポツリと言う。サシーニャは苦笑するだけだ。
「で、サシーニャ、どう思う?」
「どう思う、とは?」
「さすがにこのままにしておいていいとは思えない」
「ならば返書をお出しになれば?」
「書いてくれるのか?」
「御冗談を」
「……ルリシアレヤはどんなつもりでこんな手紙を寄こしたんだろう?」
さあ? と惚けようとしてサシーニャが思いとどまる。リオネンデに思いつけるはずもない。少しは助けてやらねばなるまい。
「そうですね……これはわたしの想像ですが、きっとルリシアレヤさまはグランデシアには幸せが待っていると周囲から吹き込まれているのでしょう」
「幸せが待っている?」
「えぇ。先ほども言いましたが、大事に育てられた王女、幼い頃より将来は素晴らしい伴侶を得て幸せになると、夢のような話を聞かされていたのかと」
「お伽噺の世界か?」
「そんなところですね――バチルデア国としてはルリシアレヤさまが縁談を嫌がらないよう、リオネンデをかなり売り込んでいるのではないかと思いますよ」
「俺を?」
「内容までは判りませんが、ルリシアレヤさまが思いを寄せるような偶像に仕立て上げていると思います」
「ちょっと待て!」
サシーニャの言葉にリオネンデが慌てる。
「思いを寄せる? なんだ、それ?」
「そのままです。婚約者なのだから、そのほうがいいでしょう?」
「いいもんか!」
「まさか今さら破談に持ち込むつもりで?」
「うーーーん。できればそうしたいところだが……」
「王妃宮は着工したのに? マジェルダーナを頷かせる自信がおありか?」
「サシーニャ……」
「なんともできませんよ? 第一、バイガスラのジョジシアス王に、今は逆らう時ではありません」
「うむ……政略結婚なのはルリシアレヤも判っているだろうに」
「それでも、なのですよ。姫ぎみは思ったよりも純粋。しかも、まだ顔を見たことのない相手でも恋に落ちることができるお年頃――なぁに、婚礼が終わり、グランデジアでの現実が始まれば追い追い察するでしょう。何しろ聡明なかただ。ただ、その場合はリオネンデ、巧く事を運ばなければね」
「巧く事を運ぶ?」
「えぇ、なにしろ夢を見ておいでだ。それを壊すのだから、その反動を考えて行動しないと」
「具体的にどうしたらいい?」
「必要以上に姫を傷つけて恨みを買ってはいけないという事です。何しろバチルデアとの友好関係は維持しないと――まぁ、この辺りはその時考えましょう。リオネンデの気持ちが変わらないとも限らないし」
「ふん、俺の気持ちが変わるものか――向こうの気持ちが変わる可能性だってあるだろうが」
「そうですね。実物のリオネンデを見てガッカリされるかもしれませんね」
笑うサシーニャ、リオネンデは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……で、この手紙への返事は?」
「返さぬわけにも参りますまい。しかし確かにこの文面では『グランデジアを見においでください』以外の返事となると難しい……うん、手紙ではなく、今回は何か贈り物でも差し上げたらどうでしょう? グランデジアの名産品、干しブドウなど食べ物はいかがですか? この姫ぎみなら贈り物を見て、グランデジアを知るよすがにと、こちらの意図を読むことでしょう。だから余計な言葉はいらない――品物は残らないもののほうがよろしいかと」
「残らないもの?」
「えぇ。身に着ける物などは見るたびリオネンデを思う事になり、ますます恋情を募らせる」
「恋情、って――」
「ここは好かれ過ぎず嫌われることもなく。グランデジアになど行きたくないと思われるのが一番まずい。お判りでしょう?」
リオネンデが深く溜息を吐き、苦笑したサシーニャが庭を見る。
庭ではスイテアがジャッシフ相手に剣を振っている。扱いやすいよう、特別に拵えさせた剣が陽光を受けて煌めく。ジャッシフ相手にかなり善戦しているようだ。
スイテアは、もとはと言えばリューデントの想い人、火事騒ぎで所在不明になっていた。それが仇を討とうと王宮に忍び込み、リオネンデに刃を向けた――敢え無く捕らえられたのちはリオネンデに取り込まれ、王の片割れに仕立てあげられ紋章を死神と定められた。表向き、リオネンデの役に立てるように精進を重ねている。リオネンデを支え、その復讐の手助けをするため、誰もが恐れる死神となることを目指している。
だが真の目的はほかにある。リオネンデが復讐を終えた時、スイテアが狙うのはリオネンデの命。それがため仇のリオネンデに従っているのだ。必ずリオネンデを殺める、その思いの強さが、こうも早くスイテアの剣の腕を上げさせたのか?
リオネンデには、本当は自分がリューデントなのだとスイテアに告げる気はないようだ。今、ジャッシフですら知らないその事実をスイテアに知られるわけにはいかない。知っているのはリオネンデ本人とサシーニャの二人のみ、他者には絶対漏らせぬ秘密を、復讐が成就した暁には公にしてもいいのではないか?
王家の墓廟との誓約は『復讐を成功させるためリオネンデに成り代わる』というものだった。復讐が終わらない限りリオネンデはリューデントには戻れない。それが墓廟が出した条件だ。ならば、見事成就させられたなら、リオネンデはリューデントに戻れると考えていい。リューデントの二の腕の痣、グランデジアを守護する鳳凰も、その姿を再び現すことだろう。
執務室から庭への降り口でサシーニャが物思いに耽る。剣の稽古を眺めるサシーニャの横に、杯を二つ手にしたリオネンデが立つ。何も言わずにリオネンデが杯を片方差し出せば、やはりサシーニャも何も言わずに杯を受け取る。今日のレモン水はレモンがいつもより多く入れられているようだ。
判っている、リオネンデの心にはスイテアしかいない。だが、王としての立場も捨てられない。リューデントだった時、スイテアに捧げた言葉は今もリオネンデの心の中にある。おまえ以外の女に愛を与えはしない――リオネンデとして生きると墓廟に誓ってからも、その思いを断ち切れずにいる。だから正妃を迎えたくないのだ。
リオネンデの横顔を盗み見てサシーニャが思う。リューズ、おまえはリオネンデでいたいのか? それともリューデントに戻りたいのか? それにしても……
わたしはおまえが羨ましい。わたしは……わたしは誰かを愛したことなどない。恋がどんなものなのか、実はさっぱり判らない。それほど夢中になれるものなら、一度くらいは味わってみたい――




