放火
逃げるマレアチナ、追うジョジシアス、辿り着いたのは王妃の寝室、寝台の手前でジョジシアスがマレアチナの腕を捕らえ引き寄せる。
「放して! 放せっ!」
「落ち着きなさい、マレアチナ、どうしたって言うんだ?」
腕を引き、暴れるマレアチナを抱きとめるジョジシアスの目に、マレアチナの乱れた着衣から零れた肌が眩しく映る。慌てて目を逸らすジョジシアスの顎にマレアチナが触れる。
「お兄さま……こんなこと、いけないのに」
マレアチナの震える声、潤んだ瞳、ジョジシアスの首を巻きこむ細い腕、咄嗟のことに判断つかないジョジシアス、いとも簡単にマレアチナに抱き込まれ、妹もろとも寝台に転がった。
「なにを!?」
何が起きているのかさえ判らぬうちに押し付けられる唇と忍び込んでくる生暖かいものがジョジシアスに眩暈を呼び起こす。眩暈は意識を遠ざけて、自分が何をしているのかさえ覚束なくさせていく。腕の中にいるのは可愛い異母妹ではなく、男を弄るただの女、急激に燃え上がる欲望が快楽を求めることだけに力を使えと命じてくる。女は既に潤っている、男は既に漲っている。ならば……他にすることがあるのか?
男女と化した異母兄妹を横目で見てモフマルドが部屋を出る。暫くここには誰も入れたくない。満たされれば薬効は切れる。それを待ってマレアチナを脅し、ジョジシアスには覚悟を迫る腹積もりだ。それまで邪魔が入るのは拙い。
(そう言えばリオネンデはどこに? クラウカスナにへばりついているのか? リューデントも気になる――)
だが、今、ここを離れてそのどちらかとすれ違いになるのも巧くない。それに庭を確認しに行った我が配下の者どもも、そろそろわたしを探し始めるはずだ。モフマルドが様々に案じ始める。
(クラウカスナに毒を盛った者の存在も気になる――リューデントを王位につけたところで、安泰とはいかないだろう)
その時だった。
「何者!?」
自分に向けられる鋭い視線にモフマルドが振り返る。視線の先は後宮の庭、木立の影からこちらを窺う存在に、ついモフマルドが庭へと飛び出す。
庭の低木が揺れて、確かに誰かが存在したことを告げている。駆け寄ったが、もういない。どちらに逃げたかも判らない。
(あれは――殺気だった)
モフマルドが背中に冷たいものを感じる。できれば禍の種は摘み取っておくものだ。しかし今、殺気の主を深追いするのは危険だ。何を企んでのことなのか判らないうえ、手が離せる状況ではない。諦めたモフマルドがマレアチナの寝所に戻ろうとする。その視線を横切ったのは――
(リューデント!)
庭にいるモフマルドに気付くことなくリューデントがマレアチナの寝所に入っていく。だめだ、今のジョジシアスとマレアチナを見られるわけには――慌てて駆け出したモフマルドだ。
「何をしている!?」
向かう先から聞こえるリューデントの怒声、続いて聞こえたのは剣が討ち合わされる音……
「ジョジシアスさま!」
モフマルドが呼ぶのはジョジシアス、
「キャーーー!!!」
女の悲鳴はマレアチナか?
「な、なんと?」
マレアチナの寝室に走り込んだモフマルドの目に、若い男が背から血を流し倒れているのが飛び込んでくる。傍らに立つのはジョジシアス、握りしめた剣から滴り落ちる血、呆然と立ち尽くして――
「モフマルド……」
モフマルドを認めるとジョジシアスの緊張が一気に緩み、膝が揺れる。
「わたしは、なんと言うことを……」
えぇい! なぜ今日は、こうも思い寄らないことばかりが起きる? 焦れたモフマルドがジョジシアスを構わずに、リューデントの傷を見る。
「リューデントさま! お気をしっかり」
今あなたに死なれるのは困る。リオネンデをバイガスラに連れ帰れなくなる。むろん、そんなことを口に出しはしない。
「父上を殺めた者を取り逃がした」
絞り出すようなリューデントの声。
「は? リューデントさま、それはいったい?」
リューデントの傷は深い。きっと助からない。
「判らない……俺が行った時、父に止めを刺していた。俺に気が付いて、逃げ出した。庭を抜けたのだ――次は母上を襲う気かと、急いでここに来た」
息も絶え絶えのリューデントだ。
「判りました。お話はあとでゆっくりお聞きいたします――」
これ以上は何も引き出せまいと、モフマルドが話を打ち切る。モフマルドに、あとで話を聞く気などない。リューデントはもう持たない。
リューデントが言う相手と、モフマルドに殺気を向けたのはきっと同一人物だ。それが誰なのか知らないのなら、もはやリューデントに価値はない。
どうする? 迷いの中モフマルドが立ち上がる。するとリューデントが
「母上!」
と叫んだ。自分を覗き込むモフマルドが立ち上がったことで、その後ろのマレアチナの様子がリューデントに丸見えになったのだ。
慌てて体を起こそうとするリューデント、驚いてマレアチナを見るモフマルドとジョジシアス、
「おやめください!」
咄嗟にモフマルドが動き、茫然としたままのジョジシアスを突き飛ばしてマレアチナに走り寄る。
「母上! 母上!」
リューデントの叫び声、
「マレアチナさま!」
モフマルドの怒声、でも、間に合わない。モフマルドに突き飛ばされたジョジシアスがとうとうその場に頽れた。
「マレアチナ……」
ジョジシアスの顔をマレアチナの咽喉から吹き出す血が赤く染める。傍らではモフマルドがチッと舌打ちをする。
どうする? どうする? 咽喉を短剣で突いたとなれば、マレアチナは即死、そしてリューデントももう無理だ。いいや、こうなったらリューデントに生きていてもらっては困る。
クラウカスナの暗殺者を目撃した情報は欲しいが、ジョジシアスがマレアチナを凌辱した証人は欲しくない。下手をすれば、マレアチナ欲しさに国王を暗殺したと濡れ衣を着せられかねない。実際はマレアチナからの誘い、だがリューデントはそう思っていないはずだ。
それに、リューデントに深手を負わせたのは間違いなくジョジシアスだ。母親を襲う暴漢を引き離してみたら伯父、それに驚いたリューデントの隙をついて、ジョジシアスが自分に襲い掛かった誰かを討った、おおかたそんなところだ。討たねば殺られる、ジョジシアスはそう感じたのだろう。
「ジョジシアスさま、しっかりなさいませ」
モフマルドが決断する。
「ここに火を放ちましょう」
「モフマルド?」
尻をついたまま、ジョジシアスがモフマルドを見上げる。何を言われたか判らない、そんな顔だ。
「ジョジシアスさまがしたことを隠すには、ここを焼き払うしかありません。マレアチナさまもリューデントさまも、煙に巻かれて亡くなったことにしてしまうのです。わたくしがなんとか誤魔化します」
「いや……いや、モフマルド」
「迷っている暇はありません。早く、ほら、しっかりなさって」
「だが!」
「リューデントさまもマレアチナさまも、もう助かりません――ジョジシアスさま、あなたは二人も殺したのですよ」
「……わたしが殺したことになる、のか――」
「この状況では申し開きできません。ここに火を放ち、直ちに我らの宿舎に……あてがわれた建屋に戻りましょう。さぁ、早く!」




