齟齬
その夜、グランデジア王宮では国王と王妃、二人の王子、そして迎え入れたバイガスラ王――王妃の異母兄ジョジシアスの五人での宴が催されていた。グランデジアの流儀に則り、床に敷いた織物の上にじかに座り、低い台座に乗せられた料理を取り分けて食す形式だった。宴の始まる前に料理をすべて運びこませ、世話係たちを退出させた。家族だけで過ごすためだ。
二人の王子は立派な若者に成長していてジョジシアスを喜ばせている。この若者なら安心してバイガスラの後を託せる。しかしどうにも違和感がぬぐえない。自分に懐いていたはずのリオネンデが驚くほどに余所余所しく、人懐こく打ち解ける性質だったリューデントさえも明白に自分を避けているように感じる。それを、リオネンデは親兄弟の手前だから、リューデントも大人になったのだから、と理由をつけて納得しようとするジョジシアスだった。
グランデジアには同行したものの、この宴にモフマルドは同席していない。現グランデシア国王クラウカスナはモフマルドの名も顔も知っているはずだ。いや、もう覚えていないかもしれない。だが顔を見れば、姉王女に狼藉を働き捕らえられ、父前王の前に引き出されて国外追放を言い渡された魔法使いを思い出すかもしれない。そんな危険を冒す必要はないと思った。そもそも王家の宴に同席する謂れもない。
もちろん、ただ手を拱いて控室に引き籠るモフマルドではない。感覚を研ぎ澄まし、仕掛けた罠が発動されるのを今か今かと待っていた。
グランデジア王宮内では、護りの兵士たち、魔術師の塔の魔法使いに至るまで、今宵は酒が振舞われていた。これはモフマルドの計らいだ。バイガスラから持参した酒を王家に献上するとともに、王家を守る人々にも振舞って欲しいと、バイガスラから伴わせた配下に命じ、給仕係へ持っていかせた。グランデジアが疑うはずもない。王妃の生家からの下さり物なのだ。
行き渡った酒は酔いのためかそれとも仕込まれた薬のためか判らぬうちに、人々を深い眠りに誘った――静かに夜が更けていく。
そろそろだ……モフマルドが立ち上がる。
「今、悲鳴が聞こえなかったか?」
従う魔術師にモフマルドが声をかける。
「いえ、何も――」
従者がそう答える暇もないうちに、女の悲鳴が轟いた。
「!」
咄嗟に部屋を抜けるモフマルド、あとを追う従者、だが、モフマルドの足がすぐに止まる。
「これは――」
「モフマルドさま、いったい何が?」
廊下では、あちらこちらに横たわる人々、どれもみな意識がない。
「わ、判らぬ! おまえたち、庭に出て周囲に不審者がいないか探れ!」
判らないはずがない、モフマルドが仕込んだ薬で眠っているだけだ。だがそんなことは噯にも出さない。己の従者を体よく追っ払い、モフマルドが目指すのは王宮の奥、ジョジシアスの足音が消えた先だ。
辿り着くとそこには呆然と立ち尽くすジョジシアスがいた。足元には口から血を吹いてグランデジア王が倒れている。見開かれた瞳は光を映しているように見えない。思わずモフマルドが息を飲む。国王の暗殺など、モフマルドは考えていなかった。
「ジョジシアスさま、何が起きたのです?」
グランデジア王は絶命しているように見える。それでも遺体を検めると、実際は遺体ではなく虫の息だが生きている。しかし時間の問題だ。ならば死んだと考えていい。
モフマルドの様子を見るジョジシアスの声は震えている。
「死んだのか?」
「毒殺のようでございます」
「毒殺?」
「お料理、もしくは酒に毒が仕込んであったものかと――グランデジアの家臣によるものでしょう」
「な……なんと?」
「マレアチナさまは? マレアチナさまはどちらに? それに王子さまたちは?」
「マレアチナは……訳が判らないのだ。急にわたしを突き飛ばし、無礼者と叫んで奥へと走り去った。リオネンデは後を追った。それから急に義兄上が苦しみ始めた」
「リューデントさまは?」
「こうなる少し前、酔いを醒ますと言ってどこかに消えた――」
ここでよく舌打ちを我慢したと自分で思うモフマルドだ。二人の王子を証人にするつもりだった。だが、こうとなったら――
「とりあえずマレアチナさまを探しましょう」
立ち上がったモフマルドがジョジシアスを促して、王宮の奥へと歩を進めた。
ところがここでも齟齬が生まれる。リオネンデと出くわしたのだ。
「伯父上!」
「リオ、マレアチナはどうした?」
「それが何を錯乱なさっているのか? 触れるなと言って話もできず、逃げ惑っておいでなのです――父上はどうなさっておいでですか?」
「それが……どうもその――」
歯切れの悪いジョジシアスに変わってモフマルドが答える。
「国王陛下はどうやら毒を盛られたようです」
「なに?」
顔色を買えるリオネンデ、
「おまえは誰だ?」
モフマルドを見て誰何する。
「わたくしはジョジシアスさまの側近の魔術師モフマルドでございます――恐れながら、グランデジア国内に反抗分子の存在は?」
「魔術師……?」
リオネンデがマジマジとモフマルドの顔を眺める。口の中で『初めて聞く名だ』と呟いたようにモフマルドには思えた。
(わたしを知っているはずなのに?)
そう思ったモフマルドだが、それを確認する間もなくリオネンデが、
「父上の様子を見に行きます。伯父上、母上をお頼みします。母上はこの奥の部屋です。後宮には王以外の男は立ち入れないが、緊急事態です、母上の兄ぎみならば許されましょう」
と走り去ってしまった。
リオネンデの言葉を受ければ、モフマルドは遠慮するところだろう。だがマレアチナの動きがモフマルドの見立てと違う。どこでしくじった? 気になるモフマルドは仕来りなど構っていられないと、ジョジシアスともども後宮へと足を踏み入れた。
ヒッとマレアチナが息を飲む。入ってきたジョジシアスを恐れたのだ。
「マレアチナ、どうしたというのだ?」
ジョジシアスが異母妹に話しかける。
「無礼者、寄るな、獣!」
「マレアチナ……?」
マレアチナの身体はがくがくと震えている。
(ははん、少し薬が強すぎたか)
ジョジシアスがナナフスカヤの形見と言ってマレアチナに届けた箱に、女性に特化した媚薬を仕込んでおいた。蓋を開け、中の気を吸い込めば効き目が現れる。人前であろうが溜まらずに男を求める薬だ。モフマルドの企みでは、己の異母兄や息子たちの前で、夫に絡みつくマレアチナを演じさせるつもりだった。巧く夫と唇を重ねてくれれば薬の効き目が伝播して、グランデジア王も欲情し二人して痴態を繰り広げるはずだった。だが、マレアチナは薬物に弱い体質だったようだ。強すぎる効き目が、男として見られるはずもない異母兄や息子を拒絶させている。
「ジョジシアスさま、マレアチナさまを落ち着かして差し上げてください」
それならば、とモフマルドが方針を変える。
誰が毒を持ったかは判らない。だが、グランデジア王は死ぬ。ここは王妃の弱みを握り、リオネンデを連れて帰る算段をしたほうがいい。今はリューデントに王座を守らせ、しかるべき時に取り上げる――




