来訪
所詮、人は力に弱い。あるいは力を好む。その力は自分のものとは限らない。他者が持つ力にも惹かれ、近づいていく。
出る目がないと思われていた第三王子ジョジシアス、それが第二王子が身罷り、第一王子が不自由な身体となれば、今まで近寄りもしなかった者たちが砂糖に群がる蟻のように集り始める。ジョジシアス自身は境遇の変化に対応しきれず、戸惑うばかりだ。
そんな人々に囲まれながらもジョジシアス自身に力への執着は見られない。生来の気真面目さから与えられた役目には期待以上の働きを見せるが、決して驕ることもない。もちろん蟻たちの追従に踊らされることもない。それが却って人望を呼び、国王の信任厚いと冠されるようになるのに、そう時間はかからなかった。
その後ろに常にモフマルドがいた。寄ってくる者はすべて受け入れよ、だが入り込ませるな。疑う必要はないが信用するな、そんなモフマルドの言葉を、ジョジシアスは肝に銘じていた。
拒めば恨まれ、疑えば憎まれる。受け入れれば裏切られ、信を置けば足元を掬われる――
「今の地位を得る前のジョジシアスさまへの彼らの仕打ちは、いまさら咎める必要のないものです。表立っては忘れたふりをし、けれど忘れてはいけません。彼らはジョジシアスさまではなく、ジョジシアスさまの地位と、いずれ手にする権力に媚を売っているのです」
モフマルドの言葉は、ジョジシアスの身にも心にも染みるものだった。
ジョジシアスの評判が上がるにつれ、モフマルドの存在も無視できないものになっていく。ジョジシアスの大化けはモフマルドの助言に因るものだと評判が立つ。ジョジシアスの急成長はモフマルドを召し抱えてから――時の符合を誤魔化すこともできず、あえて否定もしないモフマルドに、ジョジシアスではなく国に仕えてみないかと声がかかる。その誘いをモフマルドはすっぱりと断った。
「ジョジシアスさまに拾われた我が身……ジョジシアスさまがこの後、どれほど素晴らしい成長をなさるのか、それを見届けるのがモフマルドの楽しみになっております」
そのうえ、
「王子が見つけた優秀な人材を横取りするのはいかがなものでしょう」
王妃が加勢すれば国王とてモフマルドに強要できない。ジョジシアスは自分を継いで王になる。ならばモフマルドを役立たせるのは、その時でも遅くないと思い直した。
王妃の言葉に嘘はなかっただろう。だが国王が思いつきもしない狙いもある。モフマルドにはジョジシアスの屋敷にいて貰いたい。そのほうが秘密の逢瀬には都合がよかった。モフマルドからもそう吹き込まれていた。
「散策の折りにお立ち寄りになれらるのは空き部屋、ジョジシアスさまもモフマルドもいない部屋。だから安心して過ごせるのです――もしあの屋敷を出されることになれば、モフマルドはもう、王妃さまとの夜は望めません」
だから、どうかモフマルドがジョジシアスさまから離れることのないようお諮りください――熱い息の混ざる声でそう囁かれ、潤む瞳で見つめられれば、ナナフスカヤが頷かないはずもない。
国王がジョジシアスにつけた側近ネデントスが暇乞いに来たのは、ジョジシアスが近衛隊長の任にも慣れてきた、その年の晩夏のことだった。
「突然目が見えなくなる流行病にて……父も兄も光を失ってしまいました」
そこそこの領地を所有する貴族の次男で、長兄が全てを受け継ぐ慣習から王宮に仕える道を選んだネデントスだ。
病により父も、それを継承するはずの兄も、領主の務めを満足に果たせなくなった。すでに流行は終息し、ネデントスが同じ病に罹る見込みは低い。帰ってきて欲しいと懇願されたという。
「ジョジシアスさまがこれからというときに――お傍を離れるのは身を切るほどに辛うございます」
ネデントスの言葉は本音だろう。心を開かない王子に仕え、幾度も尻拭いをし、それでも自分がいなければ王子を気に掛ける者がいなくなると傍にいた。その王子がやっと本来の自分を取り戻し輝き始めた。しかも、頼りにしているよと言ってくれる。この先も傍にいてお仕えしたいとネデントスは思っていただろう。
単純で情に脆い、それがネデントスという男、そう見込んでモフナルドが仕組んだ罠は功を奏した。情け深さゆえ、決して親兄弟を見捨てられまい――
ネデントスの生地、グルターキンに向かう渡り鳥の足に括り付けた病の種を納めた袋、グルターキンに着くころには破れる袋、そして鳥は高いところに留まりたがる。領主の屋敷の高い塔で渡り鳥は羽を休めると見込んだ。渡りのリーダーには使役魔法も使い、間違いなく狙い通りの動きをするよう導きもした。
(流行病などではない。でも、一時に大勢が罹ればそう見える)
すべてモフマルドの狙い通りだった。
ナナフスカヤの密通を勘付く者がいるとしたらネデントスと考えて追い払った。他にジョジシアスの寝室に呼ばれもしないのに入る者はいない。屋敷を訪ねてくる者には玄関の間を使う。給仕係の女も、湯殿に湯を運ぶ男たちも、呼ばれもしないのに来ることはない。これで秘密は守られる。
ネデントスはジョジシアスの立太子を見届け、故郷へと帰っていった。
ジャスチルムの廃太子、それに続くジョジシアスの立太子――廃太子の理由が理由だけに、本来ならお祭り騒ぎの立太子も、正式な儀式が行われただけで宴さえも催されることがなかった。ただジョジシアスの裁断で、不安な思いをさせていたことへの謝罪として、心ばかりの菓子が大衆に振舞われる。祝いではなく謝罪、その奥ゆかしさにジョジシアスの人気が高まったのは言うまでもない。
だが――それだけで満足するモフマルドではなかった。ジョジシアスがバイガスラ国王になれるよう画策したのは憎いグランデジアに復讐するためだ。グランデジアへの復讐に、バイガスラを利用するためだ。
ここからが正念場、なるべく早く、だが早すぎる即位を避け、ジョジシアスを国王としたい。それに、グランデジアにも足がかりが欲しい。
チャンスが巡ってきたのはモフマルドがジョジシアスと出会って九年、王妃ナナフスカヤのジョジシアス、そしてモフマルドとの密通が始まって五年、ジョジシアスの立太子から四年目のことだった。
妹からの書簡に目を落としていたジョジシアスが嬉しそうに言う。
「マレアチナが、二人の王子を連れてバイガスラに来るそうだ。久々に雪が見たいからと、グランデジア王に強請ったそうだ」
「王子さまもご一緒に? お幾つになられたのでしたか?」
モフマルドが穏やかに笑む。
「王子か? あぁ、七つになったと書いてあるな。兄のリューデントは活発で物おじしない性格、弟のリオネンデは大人しいが案外度胸が据わっている、らしいぞ」
手紙を読みながら楽しげに笑うジョジシアスだ。
「聞き及んだところによると、双子のどちらかには鳳凰の御印があるそうですね」
「それは兄のリューデントだ――春には立太子の儀、するとそう簡単には国を離れられない、だからどうしてもこの冬しかないとグランデジア王に詰め寄ったと書いてある」
「なるほど……双子なのに、痣があったか無かったかで、処遇が変わってしまったのですね――」
「うん?」
モフマルドの意味深な物言いにジョジシアスが顔を上げる。
「不満か? モフマルド」
「滅相もない――既にグランデジアとは縁が切れております。他国の内情にとやかく言うつもりなど……ただ、ふと、出会った頃のジョジシアスさまを思い出してしまいました」
「出会った頃の俺?」
「はい、同じ王の子でありながら、兄上さまとはあまりにも待遇が違う――グランデジアの弟王子も同じ思いをなさっていはしないかと――」
「ふむ……」
ジョジシアスが遠い目をした。
「そんなこともあるかもしれないな――うん、ならば俺がリオネンデを特別扱いしてやろう。少しでも慰めになるといいな」
「よいお考えかと存じます」
さて、どう歓待したものやら――モフマルドが考えを巡らせるのは、グランデジアの幼い王子にどんな罠を仕掛けるか、だった。




