執心
ジョジシアスが帰ってきたのは予測通り深夜だった。疲れたと呟いて、暖炉の前の長椅子に凭れるジョジシアス、労うのはモフマルド、ゆったりと微笑んでいる。
「国王はお喜びでしたでしょう?」
「まぁ、機嫌はよかった。何かというと『ジョジシアス』と名をお呼びになる。あれを食えだの、この酒は旨いぞ、だの、他愛のないことばかり仰る」
「王としてとか王子としてとかではなく、親子を味わわれたかったのでしょう」
「親子を?」
「王妃さまはおられず、お二人だったのもあるのでは?」
ジョジシアスが怪訝な顔をする。
「モフマルド、なぜ王妃さまが居なかったと知っている?」
「こちらにいらしたのです。しかもお一人で――ジョジシアスさまが国王とお食事とはご存じなかったようです」
「こちらにいらした? 供も連れずに? 何のご用で?」
「それはその……申し上げなくてもジョジシアスさまはご存知かと」
モフマルドの答えにジョジシアスは神妙な面持ちで黙り込む。
「せっかくいらしたのでお茶を差し上げ、しばらく話し相手をいたしました」
「モフマルドを相手に?」
「他に誰がいるのですか?」
不思議そうに笑うモフマルド、硬い面持ちのジョジシアスは王妃の来訪目的が気になるのだろう、瞳が左右に揺れ動く。どうせ思いつくのは一つしかない、心の中でもモフマルドが笑う。
「そうそう、使っていない部屋、あそこを散策中のご休憩に使うわけにはいかないかと王妃さまが仰って――」
「王妃さまが?」
「はい、この王宮のお庭は広うございます。全体を回るには、王妃さまのお部屋からではいささか距離がある。この辺りに休憩できる場所が欲しいと思っていたとのことです。庭から入れるあの部屋は最適かと」
「うん……そうだな、たしかに――それで? なんと答えたのだ?」
「もちろんジョジシアスさまの意向を聞いてからでなければお答えできないと――いかがいたしましょう?」
「うん……」
考え込むジョジシアス、王妃の申し出を断るのは拙かろう、だが、昨夜のことが思い出され、周囲に変に勘繰られはしないかと恐れている。
迷うジョジシアスにモフマルドが微笑みかける。
「お受けなさいませ。却って誰も何も思いますまい」
「え、いや――」
見透かされたジョジシアスが慌てるのを尻目に、
「侍女を伴っていらした時はあの部屋でお茶を差し上げ、お一人でいらした時はジョジシアスさまのお部屋にお招きすればよいのです。それこそが王妃さまの願い」
モフマルドが本来の目的を口にする。ナナフスカヤには既にそう言い含めた。なんとしてもジョジシアスにウンと言わせるつもりのモフマルドだ。
驚いたジョジシアスがマジマジとモフマルドの顔を見る。だが、どう答えていいかが判断つかない。自分の寝室に招けば昨夜と同じことが繰り返される。罪に罪を重ねることになる。そんなことになっていいのか? だが、その誘惑はなんとも甘い――
「モフマルド……」
泣き出しそうな顔でジョジシアスがモフマルドに助けを求める。モフマルドに助ける気などあるはずもない。
「王妃さまはこれからも続くジョジシアスさまとのふれあいをお望みです――ジョジシアスさまもそうなのでしょう?」
「いや……それはその――」
「ご安心なさいませ。秘密が漏れないよう、モフマルドが万全を図ります――それともジョジシアスさまは、なかったことにでもしたいとお思いか?」
「そんな……そんなことは――」
絞り出すようなジョジシアスの声、言われてもいないのに、逃げるのかと責められている気分なのだ。
「ただ、父上に申し訳が――」
胸が押しつぶされそうなのだろう、頭を抱えてしまう。
「知らなければ国王も苦しまずに済むことです――王妃さまはジョジシアスさまに夢中、ジョジシアスさまに拒まれでもしたら……」
「俺が拒んだら?」
顔を上げてモフマルドを見るジョジシアスにモフマルドが真剣な目を向ける。
「思い悩んで国王に打ち明けてしまうかもしれません。あるいは心の病になられ、万が一の事があるやもしれません」
「ならぬ、そんなことになってはならぬ」
「では、王妃さまをお受け止めなさいませ。大丈夫、お二人は互いを必要としているのです。モフマルドがお二人をお守りいたします――ジョジシアスさま、もう少し欲深くおなりなさい。欲しいものが手に入る、なんの遠慮が要りましょう?」
モフマルドを見詰めるジョジシアスの瞳に暗い灯がともる。何かを飲み込むようにジョジシアスがそっと頷いた。
降り続く雪が間遠に変われば、溶けかかった積雪を突き抜けて芽を出す植物がちらほら見える。中には気が早く、蕾を膨らませるものもある。春は忘れず訪れる、冬はもうじき終わる――人も動植物もほっと一息つくころとなる。
その夜、モフマルドの寝室を訪れていたナナフスカヤが身支度を整えながら、ふっと笑った。
「どうかされましたか?」
先に服を着終わっていたモフマルドが、薬品棚の引き出しを覗き込みながらナナフスカヤに尋ねた。
すると、さらにナナフスカヤが笑う。
「このわたしが息子ほどの年の男を、しかも同時に二人も愛人に持とうとは。去年の今頃、そんな話をされたら、『無礼な』と怒りだしていたでしょうね」
それを聞いてモフマルドも口元に笑みを浮かべる。
「モフマルドは愛人ではございません。お仕えする者、下僕でございます――どうぞ、こちらをお持ちください。決して飲み忘れてはいけませんよ」
差し出された薬包を受け取り、隠しに忍ばせるナナフスカヤが、
「おまえに教わったあれこれを、わたしがジョジシアスに……おまえの言うとおりにすると、ジョジシアスの喜びはより深くなるようです。漲るほどに高まって、夢中でわたしを求めてくる。それがわたしの喜びを深める――モフマルド、わたしの大事な年若い教師、おまえを下僕だなどと思っていないわ」
うっとりとモフマルドを見詰める。
「そうですね、モフマルドはせいぜい教師、王妃さまが心より愛されているのはジョジシアスさま、モフマルドの思いは王妃さまには決して届かない」
「またそのようなことを……まぁ、そうね、ジョジシアスの次にはあなたを可愛く思っているわ」
モフマルドが妬いたふりをしているなど少しも気付くことのないナナフスカヤだ。教師ではなく調教師だ、などと思っているなど想像もつかない。求められる嬉しさに酔いしれている。
「そのお言葉を頼りに、次の訪れをお待ちいたしましょう」
「口の巧いこと……そう言えばモフマルド、あなた、齢は? ジャスチルムと同じくらい?」
「二十五でございます」
「そう――ジャスチルムより一つ上……ジョジシアスより六つ上ななだけなのね」
ナナフスカヤがふと考え込んだのは、自分の息子も女子とあのような夜を過ごすのだろうかという事だ。だとしたら、相手の女子が厭わしい。が、その息子は寝たきりだ。寂しい思いをしているのなら、それもまた哀れ……複雑な心境を味わっていた。
「さぁ、そろそろお帰りください。わたしとの夜をこの先も楽しみたいと思し召しいただけるのなら、ジョジシアスさまに気取られる前にご自分のお屋敷にお戻りくださいませ――そうそう、薬がなくなる前に必ず、またお越しください」
抜かりのないモフマルド、ナナフスカヤには言っていないが、ジョジシアスには睡眠薬を盛ってある。朝までぐっすり眠っているはずだ。
サロンとして使っている部屋の窓辺まで見送って、中からきっちりと鍵を掛け厚帳を閉める。暖炉の火を消してから部屋を出て自分の寝室に入れば、魔法で王妃の残り香を消した。先ほどまで繰り広げられた痴態を思い出したくもなかった。抱きたい女はほかにいる……そう思い、つくづくわたしも思い切りの悪い男だと苦笑する。軽く溜息を吐くと、いつも通り窓辺の椅子に腰かけた。
(抑制されていた者ほど解放されると貪欲になるというのは間違いないな)
少女のように身を任せているだけでは飽きられますよ……モフマルドの囁きに、どうしたらいい? 教えてくれと望んだナナフスカヤ――教えれば吸い込むように覚えていくナナフスカヤの、熟れた身体と慣れないまでも熱心な技巧に、ジョジシアスは心のみならず身体も絡めとられ、もう離れることなど考えられないはずだ。
(それはナナフスカヤも同じか――若く、飽くことのないジョジシアスの欲望に翻弄され、溺れている)
心配なのはナナフスカヤが薬を飲み忘れること――渡したのは避妊薬だ。ナナフスカヤも承知のうえで、最初の夜から渡している。
(国王との営みのない王妃がご懐妊、などあってはならぬ)
外を見ると、ひらひらと白いものが舞っている。
(忘れ雪か? もう春も近い)
春にはジョジシアスが近衛隊長に任じられる。すべてが順調に進んでいる。落とし穴があるとすれば――
(ジョジシアスと王妃の秘密に気付く可能性がある者が一人いる――この辺りで退場して貰うとするか)
立ち上がり、厚帳を引いて寒気を遮断する。心に忍び込む冷ややかなものを、遮る帳を探す気もないモフマルドが、ゆっくりとした足取りで寝台に向かった。




