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残虐王は 死神さえも 凌辱す  作者: 寄賀あける
第2章 不遇の王子

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背徳

 モフマルドの迷いを消したのは王宮からの知らせだった。

「ジョジシアスさまは国王と夕飯をご一緒されるそうです」


 なるほど、気を使う王妃がいないとなれば、目をかけてやりたくてもなかなかそうできなかった末の息子と水入(みずい)らずで過ごせる。ジョジシアスにとっては針の(むしろ)、硬さを消さない息子と、なんとか打ち解けようと国王は簡単にはジョジシアスを離すまい。つまりジョジシアスの帰りは遅い。ならば……


 モフマルドはどこにでもあるような便せんに何やら(したた)めると庭に出、サンザカを一枝選ぶと結び付けた――


 モフマルドの想像通り、ナナフスカヤは気分が優れないと言って、その日は一日寝室で過ごしていた。


 起きては窓辺に立ち、ジョジシアスの後ろ姿を思い出し、瓶に活けたサンザカを眺めては昨夜の出来事を思い出した。そして寝台に横たわればジョジシアスの熱さを思い出し、身を焦がす。


(求め、求められる……なんと甘美な事か)


 だがそれは許されることではない――もう二度と味わう事のない美酒、きっと記憶の中で熟成され、いずれは腐敗し消えていく。それでいいのだと己に言い聞かせる。その反面、せめて今日一日だけでもと、手放すことを先延ばしにしていた。


(また雪……)

窓辺に立ったのは何度目か、とうに暗くなった空から白いものがチラチラと落ちてきていた。春はまだ遠い。暫くはこの雪を見て過ごす日が続く。うんざりして(うつむ)いたナナフスカヤの視線が止まる。出入窓のすぐそこにサンザカの花――


 急いで窓を開け、左右を見渡すが誰もいない。サンザカを手に取れば、折りたたまれた紙片が結わえ付けられている。

(ジョジシアス――)


 慌てて窓を閉め、厚帳(あつとばり)を引いて外部からの視線を(さえぎ)る。ナナフスカヤの指は外気に少しばかり触れただけで(かじか)んでしまったのか? 心ばかり焦ってしまい、結び目が巧く解けない。


『手前の部屋、帳は引かれず鍵も掛けられず』

差出人の名は書かれていない。だがしかし、ジョジシアス以外に誰がいる? それにしても『手前の部屋』とはなんだろう? でも――


(ジョジシアスがわたしに会いたがっている)

意味不明な文面を読み取ろうとすれば、都合のいいように考える。記憶の中で熟成させればいいと思っていた酒の芳香が体内を巡るように広がって、酔いに身を任せる心地よさを思い出させる。


 燃えるような眼差し、熱い息、抱き締めてくる腕の力強さ――ナナフスカヤの心と身体にジョジシアスが生々しく蘇る。

(あぁ、いけない。一夜限りの夢と忘れなくては……)


 そうよ、一夜限り、ジョジシアス、一度だけなのよ。よろよろとサンザカを生けた瓶に近寄り、新たなサンザカを差し入れたナナフスカヤ、枝についていた紙片を暖炉に放り込む。火のついた紙片は身を(よじ)るように揺れてメラメラと燃え上がり、周囲と同化してすぐに判らなくなった。これで手紙はなくなった、安心すると同時にナナフスカヤを別の不安が襲う。


(こんな手紙を寄こすところを誰かに見られたらどうするの? わたしではない誰かに拾われたらどうするの?)


 もう寄越してはいけないと伝えなければ。でもどうやって? ナナフスカヤは閉めたばかりの厚帳を見詰めた――


 暗い歩道を灯りもなしに急ぎ足で行く。迷った末、やはり会って諭すのが一番と部屋を抜け出してきた。雪の中だと思ったよりも、ジョジシアスの屋敷を遠く感じる。時おり雪に足を取られ、それでもやっと辿り着けば『手前の部屋』はすぐ判った。


 今まで気にもしていなかったジョジシアスの屋敷、庭に面した部屋は三つ。そのうち一番王妃の屋敷に近い部屋の出入窓から明かりが漏れていた。覗いてみると人影はないものの、暖炉は赤々と燃えている。そっと開ければ窓は難なく開いた。


「ジョジシアス?」

中に入り、声を殺して呼んでみる。すると――


「寒いので閉めましょう」

「ひっ!」


 突然後ろに現れた誰か、驚いて振り向けば、ジョジシアスの側近モフマルド、ナナフスカヤに続いて庭から入ってきたようだ。窓を閉め、厚帳を引いた。


「王妃さま、こんな時間になんのご用でしょう?」

「え……」


 ジョジシアスに呼ばれてきたとは言えないナナフスカヤ、答えに窮してしまう。

「お一人でお庭の散策でもなさっておいででしたか? 王妃さまのお屋敷からだと、ちょうどこの辺りで休憩なさりたくなっても不思議ありません」

「えぇ……まぁ、そうですね」


「どうぞお掛けくださいませ。熱いお茶でも差し上げましょう」

「あ……えぇ、ありがとう」


 逃げ帰りたい心境だが、それも不自然と勧められるままに暖炉の前の長椅子に座った。それにジョジシアスが気にかかる。だいたいどうしてここにジョジシアスがおらずにモフマルドがいる?


 テーブルに湯気を立てたティーカップが置かれる。バラの花を象った砂糖菓子が受け皿に添えられていた。


「この部屋は予備室なのです。隣はわたくしの部屋、その隣がジョジシアスさまのお部屋です」

恐る恐る部屋を見渡すナナフスカヤにモフマルドが訊かれもしないのに語った。それがナナフスカヤに、自分の落ち着きのなさを自覚させる。


 だめよ、落ち着かなくては、変に思われてしまう……ジョジシアスがここにいない理由は判った。わたしを待つつもりが、モフマルドが来たから自室に戻ってしまったんだわ。迷っていないで早く来ればよかった――


 モフマルドがこの部屋にいる限り、ジョジシアスが来ることはない。ならばさっさとお茶を飲んで帰ってしまおう。ジョジシアスに、もうこんなことはするなというチャンスはまたあるはず――砂糖菓子を口に含み、まだ熱いお茶を(すす)った。菓子には香りのよい酒を染み込めせてあったようだ。カッと体が熱くなるのを感じる。


「王妃さま?」

モフマルドの声がすぐ後ろで聞こえた。


「お寒いのですか? こんなに震えて……」

たしかに、身体の震えが止まらない。


「王妃さま?」

耳元で聞こえる男の声……耳朶が熱くなるのを感じた。何か言えば、きっと声は(かす)れるだろう。身体の芯が熱を帯びていくのに、身体の震えが止められない。


 あぁ、お願い抱き締めて。この震えを止めて――


 気が付けば、すでに身支度を終えた男がすぐそこで(ひざまず)いている。

「畏れ多いことでございます」

項垂(うなだ)れて声を震わせている。

「こんなことがジョジシアスさまに知られたら……」


 ナナフスカヤがグッと息を飲む。ジョジシアスに知られたら?

「いくら王妃さまのお求めとあれど、モフマルドはジョジシアスさまの臣下、お応えするべきではありませんでした」


 そうね、わたしが求めた。なぜ? 判らない。気が付いたらこの男に抱き着いて口づけを強請(ねだ)り、男の手を(いざな)っていた。


「ジョジシアスさまもいけないのです。あんなことをおっしゃるから……」

ふとナナフスカヤの意識がモフマルドに戻る。


「ジョジシアスが? なんと言ったのです?」

「いや……」

ナナフスカヤの耳には入れたくないことなのか、モフマルドが口籠る。


「モフマルド、ジョジシアスはなんと言ったの?」

「いや、その――ナナフスカヤさまは少女のようだ、と。何もご存じないと仰いました」

「なん……なんと? モフマルド、それはどんな意味を持つ?」


 掛布団で裸体を隠したナナフスカヤが寝台に上体を起こし、答えを求めてモフマルドを睨みつける。ナナフスカヤからは見えないのをいいことに、俯いたモフマルドがニヤリと笑った。

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