開花
白い雪の中でひときわ目立つ赤い花、サンザカが咲いている。厚みのある葉は冬の寒さでも艶やかに濃緑色の柔らかな光を放っている。
「サンザカが咲きました」
「うん……?」
すでに夕食を終え、ジョジシアスは暖炉の前の長椅子に俯きに寝そべって、床に置いた本に目を落としていた。
「モフマルド、また帳を開けて……部屋が冷える、早々に閉めろ」
「そうおっしゃらずにジョジシアスさま、ご覧くださいませ。とても美しく咲いているのです。王妃さまに差し上げたら、きっとお喜びになりますよ」
サンザカなど珍しくもなかろう、そう言いながら、『どれ』と窓辺に来てジョジシアスも外を見る。すぐそこに植えられたサンザカが部屋の灯りに照らされて、凛とした佇まいを見せている。溜まっていた雪がポトリと落ちて、濃緑色の葉が微かに揺れた。
「うぅ、寒い――花の少ないこの季節、庭に出て摘むのも大変だろう。差し上げれば喜ばれる。だが、もう夜だ、明日にしよう」
「ジョジシアスさま、こんな夜だからよいのです。葉や花に雪を乗せたままお持ちください。日が昇れば葉に着いた雪はすぐに融け落ちます――『美しい花を見て王妃さまを思い出した。差し上げたくなって居ても立ってもいられなくなった』と仰れば、ますます王妃さまはお喜びになります。朝では同じ言葉でも、朝を待っていたのでしょう、と笑われるだけです」
「うん……だが、もう侍女たちも下がった後だろう」
「庭をお回りください。王妃さまの部屋の窓を叩けば、侍女たちの手を煩わせることもありません」
「いや、しかし、それは無礼に当たるんじゃないか?」
「窓から訪問するなど無礼なことです。でもジョジシアスさまなら許されます。王妃さまとジョジシアスさまの仲ではございませんか。他の者には許されなくても、ジョジシアスさまなら王妃さまも却ってお喜びのはず」
遠慮されるより、されないほうが嬉しい……王妃さまもそう仰った。それをジョジシアスも思い出す。茶会で出された菓子に、なかなか手を付けないジョジシアスを詰るようにそう言った。
「うん、他人行儀が過ぎると寂しいと仰っていた」
では、よい枝をお選びしましょう――モフマルドが寒さの中、庭に降りていく。
「雪が落ちないよう、魔法をかけました。部屋の中に入れば魔法は消えて、雪も部屋の温もりで徐々に融けていきます」
「ふぅん、雪が肝心なのだな」
「赤に緑、そして雪の白、これが美しさを引き立てているのです――もし、雪が融けたと王妃さまが残念そうな顔をしたら、『王妃さまの温かさに触れれば、どんなに凍てついていても融けてしまいます』とでもお答えなさい」
「モフマルド、いつもながら、芝居の本を書かせてみたくなる言葉だな」
ジョジシアスがクスリと笑った。
それにモフマルドも照れ笑いをし、さらに
「長持ちするよう開ききっていない花を選んでおります。もし『蕾ばかり』と言われたら、『王妃さまの美しさの前に、花も咲くのを躊躇っている』とでも言いなさい。部屋の暖かさに花が開らき、王妃さまが美しいとお喜びになったら『王妃さまほどではありません』と言うのがよろしいかと。それとサンザカの花はよい香りがします。是非、お楽しみください」
モフマルドが教えてくれる言葉は口にするのが恥ずかしくなるものばかりだな。笑いながらそう言うとジョジシアスは、建屋に沿った除雪済みの歩道を王妃の屋敷に向かっていった。
ごゆっくりなさっておいでなさい……言葉にせずにモフマルドがジョジシアスを見送る。果たして王妃はジョジシアスを部屋に招くだろうか? 部屋に入れば必ず花が開く。そして匂い立つ。香りに媚薬を仕込んでおいた。湧き上がる誘惑に二人して酔うがいい。例えジョジシアスを部屋に入れずとも、媚薬で身を焦がしたナナフスカヤはジョジシアスを思い浮かべることだろう。帰さずに、部屋に入れればよかったと思いながら――モフマルドはニヤリと笑い、寒さに身を縮ませて部屋に入っていった。
王妃の部屋の前に着いたはいいものの、躊躇いが消せぬジョジシアスだ。窓には厚い帳が降ろされ、中の様子を窺うことは難しい。そっと叩けばいいのですとモフマルドには言われたが、なかなかその踏ん切りがつかない。やはり自分の部屋に戻ろうかとウロウロと迷ううち、気取られてしまったようだ。
「誰かいるのですか?」
窓の中からナナフスカヤの声がする。
「あ……王妃さま。こんな夜中にご無礼、申し訳ありません」
「ジョジシアス? その声はジョジシアス?」
やや乱暴に感じたのはナナフスカヤの心が急いていたからなのか、バッと帳が払われる。
「どうしたのです? なにかありましたか?」
「いえ……サンザカの花が美しく、王妃さまにもお見せしたいと」
「まぁ!」
帳だけでなく出入窓も慌てて開けて、ナナフスカヤがジョジシアスの腕を引く。
「早くお入りなさい。肩に雪が――こんなに寒い中、わたしのために?」
「はい、サンザカが雪の帽子をかぶった姿は日が出るとお見せできないかもしれないと思いました」
ジョジシアスが差し出す一枝の花、ナナフスカヤが嬉しさのあまり目を潤ませる。するとサンザカの雪が静かに消えていった。
「融けてしまいました」
名残惜しそうにナナフスカヤが溜息を吐く。
「王妃さま?」
ナナフスカヤの頬を濡らすものにジョジシアスが狼狽える。
「雪解け水でしょうか? 誤って、雪を王妃さまにお掛けしてしまった?」
ジョジシアスの手がナナフスカヤの頬に触れる。その手にナナフスカヤの手が重なる。
「こんなに冷たくなって――」
「王妃さまの温もりがあれば、手の冷たさなどすぐに癒えます」
「ジョジシアス……」
ナナフスカヤがジョジシアスを見上げる。ジョジシアスがナナフスカヤを真直ぐに見詰める。ジョジシアスの手に重ねられていたナナフスカヤの手がジョジシアスの首に回され……サンザカが開く。媚薬を含んだ香りが部屋に満たされていく――
あなたのことを考えていました……ナナフスカヤがぽつりと言った。
「そこへあなたが来たのです。嬉しくて。そう、嬉しくて……あなたの顔が見られればいいと、そう思っていただけなのに――ジョジシアス、わたしはなんて愚かなのだろうと自分を思わずにはいられません」
胸にナナフスカヤを包み込んだジョジシアスは答えずにいる。寝台に、二人して横たわっていた。
「あなたはわたしのような女がいいと言った。その時、『それはわたしではだめなのか?』と思ってしまったのです。あなたの心を自分の物にできる、そう感じてしまったのです」
ジョジシアスの腕に力が籠められて、ナナフスカヤを引き寄せる。そして唇が重ねられた。
「王妃さま、それは間違いではありません。その時は気が付きませんでしたが、ジョジシアスは王妃さまをずっとずっとお慕いしておりました」
「ジョジシアス――」
「こうしたかったのだと、今、しみじみと感じているのです。ジョジシアスが王妃さまに求めていたのはこういう事だったのだと、やっと思い知りました」
「でも、こんな、許されることでは――」
「ジョジシアスはもともと罪の子、もし誰かに知られ咎められることになれば、すべてジョジシアスの責と仰ってください。ジョジシアスが王妃さまに乱暴を働いたのだと」
「なにを言うのです?」
「農民の娘を凌辱したことがあるジョジシアスです。疑われはしないでしょう。王妃さまが咎められることはありません」
「ダメよ、ジョジシアス――その時はわたしも一緒に……」
再び絡み合う欲情を冷ますことなく、雪は深々と降り募る。




