恋文
第二王子キャリムナルにはひそかに文の遣り取りをする相手がいたらしい。調べてみると夏の終わりころ、女のほうから最初の文が届いたようだ。
「お慕いしております」
ただそれだけ、それだけ書かれた文は高価な紙に美しい文字、封には蝋が使われ紋章の型押しがあった。貴族の娘に間違いない。だが不可解なのはその紋章に見覚えがなかったことだ。
最初はただの悪戯と相手にしなかったキャリムナルだが二通三通と続けば呆れ、七通八通ともなれば苛立つ。いったいいつまで俺を揶揄うのだ?
しかもそのころから封を開けると甘い香りが漂うようになる。中に投げ入れられた一輪の可憐な花が放つ香りなのだが、悪戯にしては手が込み過ぎている。
十五通目を受け取るころには呆れたことも苛立ったことも忘れ、文の送り主が自分を心底好いているのだと信じて疑わなくなった。しかしそうなると別の苛立ちを覚えるようになる。この娘に会ってみたい――だが文は常にいつの間にかキャリムナムの寝室の、庭に面した窓の隙間に差し込まれていた。使いの者を捕まえて、突き止めようとしたが叶わなかった。使いの姿を見ることすらできない。では、触れを出して名乗り出よと命じるか?
いいや、それはできない。王子ともあろうものが、どこの誰とも判らない娘の文に惑わされているなんて、誰にも知られてはならない。だいたい、有力貴族の娘を婚約者としているのだ。なんと理由をつけて探せばいい?
それにもし、会ってみて思っているような娘ではなかったら? 美しい文字、可憐な花、甘い香りはそのまま娘のイメージに繋がっている。王子の期待を膨らませている。期待を裏切られるのもどこか悔しい。
考え抜いた末、文を認め、向こうからの文を見つける窓に差し込んだ。おまえは誰なのだ? 会って話がしたい。その声が聞きたい――
キャリムナルが書いた文はいつの間にか消え、そして娘からの文が途絶えた。胸が潰されそうな苦痛に苛まれ、やはり悪戯だったのだとキャリムナルが思おうとし始めた頃、再び窓に文を見つける。初雪が降った翌朝のことだった。
お会いしとうございます――相変わらずの美しい文字、添えられた花は熨して干したもの、それでも奥ゆかしい香りは消えていない。ときめきが押さえられないキャリムナム、だが文には続いて『会えない』と書いてある。『喜びに心が震え気が遠くなる、恐れ多さに眩暈がする、だから会えない……』
それからというもの、キャリムナルは夕刻になると文を窓に差し込み、翌朝には届いている向こうからの文を心待ちにするようになった。会いたいが会えない、手が届きそうで届かない……じれったさは否が応にも恋情を煽る。キャリムナルの文の内容も呼応して、命令調だったものが柔和になり、やがて懇願に変わっていく。そして熱を増していく。
娘からの文も、『慕っている』が、毎夜夢に見る、そしてその腕に抱かれるのが待ち遠しい、身も心も全て捧げたいと大胆になっていく。そうなると恋情だけでなく欲情さえも刺激され、若いキャリムナルは是が非でも娘を我が物にと願うようになった。婚約者の存在も、この際どうでもよくなっていく。この文の娘こそ、わが生涯を賭けるべき相手と思い込む。
あなたさえよければ妻に迎えたい。いいや、ぜひとも我が妻に――まだ顔も見ていないのに、とうとうキャリムナルがそう文に綴るころには大地は雪で覆われて、昼も夜も雪が降り続いた。
それでも朝には文が届き、雪面に足跡も残さずどうやって届けるのだろうと不審に思いながらも、文が届く喜びに深く追求しなかった。むしろ雪に阻まれて文が来ないことのほうが怖い。そこへやっと来た『お会いしましょう』と書かれた文にキャリムナムの心が躍る。
今宵、王妃さまのお屋敷裏手の庭、雪洞の中にてお待ちいたします。どうぞ哀れとお思いならば、凍える前にお出でください。キャリムナルさまの温もりで朝まで暖めてくださいませ――
夏場であれば庭の茂みで睦みあう男女も多い。しかし、この雪ではそれは無理、だからこその雪洞か。雪洞の中ならば、なるほど抱き合うこともできない話ではない。
今日こそ想いが遂げられる……気もそぞろのキャリムナルを従者たちは訝るが、当の本人は『なんでもない、気のせいだ』としか言わない。娘からの文のことは誰にも打ち明けていない。
いつのころからかキャリムナルの様子が可怪しい。家臣たちは心配するが王子としてのプライドが打ち明けることをさせなかった。どこの誰とも判らない娘を相手にしているなどと知られたくなかった。娘からの文は寝室の引き出しに仕舞い込んだ。許しなくその引き出しを開ける者などいはしない。
もし、誰かに話していれば――自身の軽薄さについてはともかく、事の奇妙さを諫める者の言葉になら、キャリムナルとて耳を傾けていたかもしれない。が、それは後から判ること。
雪は降り続く。すべてを覆い隠して雪が降る。心と身体に宿る熱が、雪の冷たさをキャリムナムに忘れさせ、降り続く雪の中を、しかも夜、若い娘が一人で外出することの不自然さを忘れさせる。
日が沈み、夕餉が終わり、家臣たちもそれぞれの寝所に戻れば、一人になったキャリムナルがひっそりと屋敷を抜ける算段を始める。誰にも知られず庭に出て、娘が待つ雪洞に辿り着きたい。
胸の高鳴りは、娘に会える喜びからか、屋敷を抜け出す緊張からか――降りしきる雪を気に留めることなく、キャリムナルは庭を進む。風も強く吹雪と変わるが、それが何を意味するかも考えられない。
目指す先にキャリムナムの腰まで届きそうな大きな雪洞を見つけ、積もる雪に足を取られそうになりながら駆けよれば、迷いもせずに屈み込んで小さな入り口から中に入った。
漂う甘い香りに、この洞で間違いないとキャリムナルは確信する。この広さなら横たわることもできそうだ。おかれた小さな竈の火が薄ぼんやりと雪壁を照らす。ほのかな光は愛を確かめ合うのに相応しい……
だが肝心の娘がいない。なに、しばらく待てば姿を見せよう。きっと俺を焦らすつもりなんだ。そんなところも可愛いじゃないか――甘い香りがいつもよりずっと強いことに気が付かないキャリムナムだった。
翌朝、姿がないことに気付いた家臣が騒ぎ、キャリムナルの寝室を調べることになった。娘からの最後の文がすぐ見つかる。文机の上に置かれていたのだ。部屋を出る際、読み返したキャリムナルがつい仕舞い忘れたのだと、のちに推測される。
その文に従い、雪洞を見つけ出したものの、中には息のないキャリムナルが眠るように横たわっていただけだった。娘が来た痕跡はない。待ち草臥れて、うっかり眠ってしまったことによる凍死と判断された。事故死だ。
すぐさま父王に知らされるとともに、キャリムナムが引き出しに仕舞った数十通に渡る文についても詳細が明かされる。王は、なんとしてでも相手を探し出せと臣下に命じた。事故を引き起こした原因……なぜ娘は来なかったのか、そのあたりをはっきりさせなければならない――
「下の兄上がお亡くなりになった?」
キャリムナルの亡骸が発見された数刻後、ネデントスを介してジョジシアスも兄の死を知ることとなる。
「はい、王宮では大騒ぎとなっております――なんでも、文を交わすお相手がいたとのこと……その相手を草の根を分けても探し出せ、と国王のご命令です」
「俺に?」
「あ、いえ、ジョジシアスさまにではなく、臣下全員にです。ジョジシアスさまはいつも通りにお過ごしください」
「そうか……」
ジョジシアスが遠い目をする。兄のことを思い出してでもいるのだろうか?
「それで……王妃さまはどうなさっておいでだ? さぞやご心痛なのでは?」
「はい、ナナフスカヤさまは臥せっておしまいになりました」
「機を見て何かお見舞いの品を届けよ」
「そうですね、そう致しましょう」
「それにしても、なぜキャリムナル王子はそんな娘に会いに行ったのだろう? 婚約者がいるというのに――」
それが恋心を言うものですよ、ジョジシアスさま――様子を見ていたモフマルドが心の中で呟く。そう遠くないうち、あなたもまた身を焦がすような恋を味わうことになることでしょう。わたしがそうし向けます。
モフマルドがいつものように窓の外を見る。せいぜい大騒ぎして娘の所在を探すといい。どうせ見つけられはしない。そんな娘など、はなから存在しはしないのだから。
魅惑の魔法をかけた文字で認めた文に媚薬の効果のある香水を染み込ませ、キャリムナルに送ったのはこのわたし……もちろん雪洞に催眠効果のある香を焚いたのも、このわたし――
さて、次は誰にしようか? 降りしきる雪を眺めて思いを巡らすモフマルドだった。




