散策
モフマルドの思惑通り、投獄されていた三人の自死に因って、ジョジシアスの悪行はなかったこととされる。そしてジョジシアスの懇願により、投獄された罪状及び自死について三人の若者への責めも取り下げられた。
ジョジシアスの『王の子』としての立場は回復されたわけだが、回復であって上向きになったわけではない。元に戻っただけだ。が、それでよしと思うモフマルドだった。まだ始まったばかりなのだ。
「身近な者にお心をお配りください」
モフマルドがジョジシアスの耳元で囁く。
単に自分の役目を果たしただけであっても必ず労うのです。命じたことであれば尚更、たとえどんなに身分の低い者であろうと忘れてはなりません。女給、厩番、湯殿で使う湯を運ぶ者たち、何かしらの役目を終えたらお声をおかけください。
「身分低き者に気安く声をかけてはならないと教えられている……父上も兄上たちも、よほどのことがなければ家臣を褒めたりしない」
そう言うジョジシアスをモフマルドが笑う。
「父上や兄上もなさらないことをジョジシアスさまはなさいませ。同じであれば、誰もジョジシアスさまを見直そうとは思いますまい」
「しかし……言いつけに逆らうことになりはしないか?」
「もし咎められたならこう仰い――自分のような者に仕えてくれる。ありがたいことだと、つい思ってしまうのだ」
「ありがたい……」
「忘れてならないのはついという言葉。なぁに、最初は言葉にしずらいでしょう。でもすぐに慣れます。それが普通となっていきます」
そんなものなのだろうかとジョジシアスが呟く。それは拒否ではなく、モフマルドに従う意思があるという事だ。実行できるか不安なのだ。
モフマルドの助言は続く。
「できる限り穏やかな心持でいるようお努めください」
常ににこやかに、微笑みを持って世を見渡すのです。それは人のみならず、草木や花、そこに遊ぶ小鳥、小動物、世の中に存在するすべての生き物に慈愛の眼差しをお向けください。
「にこやかか……やたらと笑んではならないと言われ――」
「この際、今まで教えられてきたことはお忘れください。わたしがお話しすることと違う事柄、それらはジョジシアスさまの良さを隠してしまうとお考えのほどを」
「俺の良さ?」
「はい、僭越ながらこのモフマルドが、ジョジシアスさまの素晴らしい面を表に引き出して差し上げます」
「俺に素晴らしい面などあるのか?」
「もちろんです。モフマルドをお信じください――母上譲りの穏やかさ、美しいお顔立ち、心根のお優しさ、父上から授かった威厳、それらを自覚し、最大限に生かすのです」
「まるで周囲を誑かせと言われている気分だ」
苦笑するジョジシアス、
「誑かしではありません。抑えているものを開放し、皆に知られるようにしていくだけです。これがジョジシアスだぞと胸をお張りください。あなたの魅力は多くの心を惹きつけましょう」
と、答えるモフマルドの言葉が本心からと疑いもしない。
誰にも認められたことのない若い王子は言葉の甘さに酔うだろう。そしてモフマルドに傾倒していく。自分を認めるモフマルドに執着を抱いていく――
他愛ない――他愛ないと思うモフマルド、だがジョジシアスに掛けた言葉は本心からだ。もしもジョジシアスが本当に平凡で取り柄がなかったなら、王子であろうと相手にしなかった。何もバイガスラでなくてもいいのだ。ジョジシアスだからこそモフマルドはすべてをかけた。
ジョジシアスがモフマルドに執着するより先に、モフマルドがジョジシアスに執着している。そしてどこかで心酔している。この王子こそ我が王、必ずジョジシアスに玉座を、必ずジョジシアスを王位に就ける、就けてみせる――モフマルドの復讐とジョジシアスの覇権は、もはや切り離しては考えられないものとなっていた。
モフマルドが見込んだとおり、ジョジシアスは素直な性質だったようだ。言われたとおり、仕える者たちへの労いを忘れず、穏やかでいることも忘れない。鷹揚な物言いが影を潜め、声音さえも優しさを帯びる。
「モフマルド……不思議なものだ。おまえの言うとおりにしていたら、なんだか最近気持ちが軽くなったぞ」
「ジョジシアスさまを押さえつけるものが、少しずつ取り払われて行くからでございましょう」
「そうか――確かにそうなのだろう。おまえに言われたこと、最初は気恥ずかしいことばかりだったが、今となっては心地よく感じている」
モフマルドがニッコリと笑む。
「それはよろしゅうございました」
「仕える者たちに親しみを持てるようになった。庭で風に揺れる木々、咲く花々や飛び交う小鳥、そんなものさえ愛しく思え、我がバイガスラが平和である証と感じるようになった――以前は気に留めたこともなかったのに不思議なものだ」
「ジョジシアスさまが成長されたという事です――庭を散策されますか? まだ陽が落ちるには数刻ございます」
「おまえと?」
「はい――失礼ですが、ジョジシアスさまは花の種類をあまりご存じないのではありませんか?」
「うむ。花の名など、知っていてもなんの役にもに立たないと思っていた」
「わたしがお教えいたします。名を知ればまた、愛でる楽しみも増えましょう」
あの華やかな花はダリア、赤く燃え立つように咲くのはサルビア、漂ってくる芳香はそこで黄金色の花を咲かせるキンモクセイのもの――モフマルドの説明を聞きながら庭の散策路をそぞろ歩く。まだ明るい庭では逢引の気配はない。同時に散策する人もない。
「あの花は?」
「エキナセアでございます。このお庭にはたくさん植えられているようですね」
「うん……」
心なしかジョジシアスが何かを懐かしがっているように見えた。母親との思い出でもあるのだろうか? モフマルドがそう感じていると不意にジョジシアスの足が止まった。
「これは――王妃さま」
ジョジシアスが跪く。モフマルドも慌てて散策路から外れて跪いた。向かう先から姿を現したのは王妃ナナフスカヤと侍女数名、ジョジシアスを認めてあちらも足を止める。
「フン――農民の息子がこんなところで何をしているのです?」
蔑んだ目をジョジシアスに向ける。モフマルドには目も向けず、そこにいるとも気が付いていない様子だ。もちろんわざとだ。
「王妃さまが起こしとは知らずご無礼仕りました――時には花を愛でたく存じ、散策していた次第でございます」
「花を愛でる? そんな心をお持ちとは。農民であれば植物に親しみをお持ちになるも道理。が、愛でているわけではありますまい」
「この王宮で養育していただけたことで花を愛でる心が育まれたのでしょう」
「なるほど、そうであるなら納得できるというもの――花を愛でていると言うなら、贔屓の花もあるかと察するが、如何に?」
「はい、エキナセアを好んでおります。上向きに咲きながら、花弁はまるで女性のドレスのように広がる可憐な姿。長い期間、庭を飾る忠義者。一番はエキナセアでございます」
「――ジョジシアス、顔をあげよ」
怒気を含んだナナフスカヤの声にジョジシアスが躊躇う。
跪いたまま動かずにいるモフマルドもじりじりと緊張している――ジョジシアスよ、なんでエキナセアなど地味な花を選んだ? ナナフスカヤは見た目から察するに、派手好きに違いない……背に冷や汗が流れるのを感じる。ナナフスカヤの不興を買ったのではないか?




