隠れていた敵
庭に立つ男はサシーニャを見詰めたまま、微動だにしない。サシーニャも睨み返したまま動こうとしない。焦れたサシーニャの部下が二人を見比べる。
先に視線を外したのはサシーニャだ。目を伏せ、フッと笑みを浮かべると元より目指していた方向に歩み始める。慌ててあとを追う部下たち、庭の男は威嚇に乗ってくるものと思っていたのか驚いた顔をして、やはり慌てて呼び止める。
「待て、サシーニャ。おまえを待っていたのだ」
歩みは止めたが、男を見もせずにサシーニャが答える。
「はて? なにゆえ、このようなところでお待ちになった? 明日にはお目通りするはずですよ、モフマルドさま」
「うぬ……なぜ、わたしの名を知っている?」
するとサシーニャ、ここでモフマルドに向き直る。
「バイガスラ国よりの国賓、魔術師カッターデラさまの従者。実はカッターデラさまよりも上位、バイガスラ王ジョジシアスを陰で操る男――明日到着の予定が、一日早いご到着、カッターデラさまにも告げず庭へのお出まし、控室で、どこに行ったと騒がれていますよ」
「な……わたしと睨み合っている間に王宮の中を見渡したか? だが、カッターデラが結界を張ったはず……」
「次からは、あなたご自身で施術するのですね。わたしと対抗するには、カッターデラさまでは荷が重すぎましょう」
荷が重いなんてもんじゃないはずだ。カッターデラからは、よく恥ずかしげもなく魔法使いを名乗っているなと、サシーニャに思わせるほどの魔力しか感じられない。そもそもバイガスラ国の使者が魔法使いと聞いた時から不思議だった。
国政に携われるほどの魔法使いが他国に存在する? あぁ、そうだった、確かにバイガスラ国の王の側近は魔法使いで、魔術師の組織を作ろうとしていると、忍び込ませたカラスが報せてきた。けれど魔術師の養成に失敗しているとも聞いた。
その報告通り、カッターデラは物の数にも入らない。だが……このモフマルドは魔術師の塔の上級魔術師に匹敵する。バイガスラ王の側近に違いない。
それにしてもモフマルド? 聞き覚えがあるような気がするのはなぜだ?
サシーニャの皮肉に、モフマルドが顔を赤く染める。怒りを抑えているようだ。
「フン、その物言い、母親そっくりだな」
「……?」
「肌と髪と瞳の色はあの異大陸の男のもの、だがその顔立ちと性格はあの女のものだ。間違いなくあの二人の間に生まれたと、一目瞭然だな――おまえの魔力をもってしても、さすがにわたしの心を読むのは無理だぞ、サシーニャ」
「そのようですね……あなたはわたしの両親をご存知らしいが二人とも故人です。わたしが幼いうちに世を去っていて、思い出らしいものすらございません。ですから、わたしには何もお答えできませんよ」
モフマルドの心を読むのに失敗しながらも、顔色一つ変えないサシーニャ、だがそれでも自分の両親が話題となれば食いついてきた。動揺しているはずだと、モフマルドがニヤリと笑う。
「あぁ、おまえの親のことはよく知っている。特に母親のほう、可愛らしい姫ぎみだったころからな……生意気な王女さまが色気づいたと思えば、いつの間にかどこの馬の骨とも判らぬ異大陸の男と乳繰り合うようになり、おまえを身籠った」
「なるほど――」
今度はサシーニャがニヤリと笑う。モフマルドの名をどこで聞いたかを思い出していた。
「その昔、母に横恋慕した挙句、グランデジアを追放された魔術師とはモフマルドさま、あなただったのですね」
「な……」
二十年以上も前の話、しかもその時、生まれてもいなかったサシーニャが知っていたとは――動揺するのはモフマルドだ。
「昔語りでもしたいのですか? それなら、グランデジアを追放されたあなたが、どうやってバイガスラ王宮に入り込んだのか、そのあたりをお聞きしたいものですね」
涼しい顔のサシーニャに、モフマルドの胸が焦げる。サシーニャが自分を蔑んでいるのが判る。だが――
「フン! 昔馴染みの息子の顔をひと目見たいと思っただけだ。明日、謁見の時、また顔をあわせるだろうが外野が多い。じっくり見るわけにはいかないからな。それだけだ」
「では、もうご用はありませんね――先を急いでおります」
意識をわずかに残すこともなく立ち去るサシーニャをモフマルドは黙って見送った。あの女から何度も聞いた言葉を、その息子からも聞いた――先を急いでおります……
話しかけたモフマルドを一瞥もせずにそう言って立ち去る王女、こっそり跡をつけてみれば、あの異大陸の男と会っていた。潤んだ瞳であいつを見つめていた――わたしはどんなに苦しんだか。
(レシニアナ、愛しくて、これ以上もないほど憎い女。あなたの息子はあなたと同じ顔で、あなたと同じように、蔑んだ目でわたしを見た)
国王、お願いです! 若い自分の声が脳裏に響く。
「レシニアナさまをわたしにいただきたいのです」
国王は自分の娘と異大陸の男が恋仲だと知っていたのだろうか?
「レシニアナの相手は本人に決めさせようと思っている」
可愛い娘を政治の犠牲にしたくはないのだ……その言葉は、レシニアナがすでにあの男と通じていると知ってのことだったのか?
モフマルドがグランデジア王宮の庭を眺める。昔と変わらぬこの庭でレシニアナを忍んでいるときに、その息子サシーニャが通りかかったのは偶然なのか?
サシーニャの冷たい態度を恨むのはわたしの逆恨みというものだ。だがわたしは見たい。
レシニアナと同じあの顔が、異大陸の男と同じあの瞳が、苦痛に歪み泣き叫び、許しを請うのを見てみたい。
レシニアナはもういない。わたしが仕掛けた罠で命を落とした。それで気が晴れるかと思ったが、思いは今でも強まるばかり、憤りの火が消えることはない。
自分で手を下し、この目で苦しむさまを見なければ、決して逃れることのできない痛みだと漸く知った。サシーニャ、おまえの顔がそれをわたしに知らしめた。グランデジアを追い出された屈辱、それから続いた苦しみの日々。それをサシーニャ、おまえがわたしに思い出させ、おまえに復讐すると決意させた。
そうだサシーニャ、わたしはおまえに復讐しよう。おまえには身に覚えのない、わたしの恨み。おまえの容姿こそがわたしの怒りを買ったのだと、命の灯が消える間際に教えてやろう。理不尽さに絶望する顔をわたしに見せろ。
真直ぐに前を向き、少しの迷いもなくモフマルドが庭の奥へと進んでいく。王宮の建物からは隠れた茂み、そこに立つ一本の木を見上げ、歩を止める。
無礼者! 想いを訴えるモフマルドに投げられた拒絶の声、なぜ判らない、なぜ聞きもしない? 気が付けば、レシニアナの細い身体を抱き締めて、力尽くで愛を伝えようとしていた。知っているんだ、あの男には許したのだろう? わたしにだって許してくれてもいいはずだ。
不意に感じた殺気に、振り返る間もなく頬に弾ける痛み、よろけた勢いでぶち当たったのはこの木だった。わたしの血反吐を吸ったのは、間違いなくこの木だ。
わたしの腕を逃れた女が男の後ろに逃げ込み、あの男がわたしを罵り、二人して蔑みの眼をわたしに向けた、この木はその一部始終を見ていた。
ふ……とモフマルドが苦笑いを漏らす。サシーニャがいる限り、木に呪いを仕掛けるのは諦めたほうがいいようだ。それよりも――
グランデジアを亡ぼすために、苦労して手に入れたあの男を利用しよう。あの男は既にグランデジアのリオネンデ王を手に入れている。幼き日、心と身体に刻みつけられた服従と蹂躙は、未だリオネンデを捕らえて放しはしないはずだ。
モフマルドは控室に向かいながら、バイガスラ現国王ジョジシアスと出会った二十数年前のあの日のことを思い出していた――
第一章 終了
第二章は、モフマルドがグランデジア国を追放された直後から、第一章の終盤までとなります。




