友の名は
レナリムに命じ食事を運び込ませ、やっと夕餉が始まった。
「これはイノシシの肉の塩漬け、こっちはシカの肉を干したもの。で、こっちはクルミだ。木の実だが殻が随分と硬い。殻を割って中身を食べる――どれもベルグの名産品だ」
いちいち説明しながらスイテアの皿に放り込む。リオネンデの機嫌は良さそうだ。
黙って話を聞いていたスイテア、後宮に戻ってきたときのリオネンデの不機嫌の理由は、バイガスラ王からの書簡だという事くらい察している。だが、スイテアに向けたあの殺気、それがどう関係するのかはさっぱり判らない。
「どうだ、ジャッシフ。片割れは剣の使い手になれそうか?」
シカの干し肉をふやかして豆と煮込んだものを椀に装っていたジャッシフが、ニヤリと笑う。
「なかなかのものですよ、やはり筋が良いようで――そろそろ刃を落とした剣を使った練習にしたらどうかと思っています」
するとリオネンデ、少し不安げな顔をする。
「刃を落としてあると言っても、当たればかなり痛む。大丈夫なのか?」
「俺が相手をするんだ。身体に当てたりなんかするもんか」
リオネンデの心配をジャッシフが笑い飛ばす。口元に持って行こうとしていた干しイチジクを降ろし、サシーニャも笑う。
「リオネンデは、どうにもスイテアさまが心配でならないらしい。そんなところを見られたら、どんなに噂を流したって誰も信じちゃくれませんよ――これでわたしを愛人にしようというのだから、大したものです」
鼻白んだリオネンデ、キッとサシーニャを睨みつけ、
「そこをうまくやるのが魔術師の仕事だ」
と、決めつける。
様子を窺っていたスイテアが遠慮がちに問う。
「あの……サシーニャさまとの噂の件、わたしはどうしたら?」
うん、とリオネンデがスイテアを見る。
「おまえは後宮でいつも通りしていればいい。なに、サシーニャが俺の愛人だとしても、後宮には入れないから安心しろ」
リオネンデの言葉にサシーニャが、
「いっそ、女装でもして忍び込みますか?」
と言えば、男三人は声をあげて笑う。けれどスイテアは、ひとしきり笑った後にリオネンデが暗い顔をしたのを見逃さなかった。それはサシーニャも同じだったが何も言わず、気が付かないフリをした。能天気に笑っていたのはジャッシフだけだ。
「こうなると判っていれば、執務室から寝台を片付けたりしなかったのにな」
今宵は王のおそばに、サシーニャのそんな冗談にリオネンデがそう答えた。今夜から暫く、夜は王の執務室にて宿直いたしましょう、とサシーニャが笑う。すでに食事を終え、片付けも済んでいる。ジャッシフは一足先に退出した後だ。
「お気遣いは無用でございます。長椅子に寝台になって貰いましょう」
サシーニャが触れれば、長椅子は瞬時に寝心地のよさそうな寝台に変わった。それを見ていたスイテアが息を飲む。
「なんだ、魔法を見たのは初めてか?」
リオネンデが笑う。
魔法など見たこともない、魔法の存在も知らない、そんな人が大半です、というサシーニャに、
「そういえばワダの村でイノシシの親子を眠らせたと言ったな。あれはどういうことだ?」
とリオネンデが問う。あぁ、あれね、とサシーニャが少しだけ困り顔を見せた。
「最近習得した遠隔で操る術です。今はまだ、人間のようにしっかりと意思のある者には使えませんし、あまり遠いところにも無理です。それに――」
離れた場所にいる人物の心の臓も止められるような力を持つ術かもしれず、これ以上は躊躇しているところです。サシーニャの言葉にリオネンデが顔色を変える。
「そんなことができるようになったら無敵だな」
「出来るようになれば、の話でございます。王がお望みなら精進は致しますが……きっと、せいぜい僅かな時間、眠らせられるようになるのがやっとでしょう」
古い書物で見つけた術、呪いの類かもしれません。
「呪いであれば己への跳ね返りも考慮しなくてはなりません。もう少し深く理解してから先へ進みたいと考えております」
「うん、魔法のことはおまえに任せている。必要とあれば習得するもよし。だが、くれぐれも外に漏らすなよ」
「もちろん。そんな魔法があると知られ、万が一にも盗まれるようなことになったらと思うとぞっと致します」
まぁ、そう簡単に扱えるようになるとは思えませんけどね、サシーニャがうっすらと笑った。
「ところで……バイガスラに魔術師が居るとは聞いてないぞ」
リオネンデがムッとサシーニャを睨みつける。バイガスラの書簡には『魔術師カッターデラ』を大使とすると書かれていた。
「うーーん……魔術師と呼べるほどの魔法使いではないんですよ。まぁ、バイガスラにはそんな感じの者が何人かいるようではあるんですけどね」
「ふふん、自称魔術師ってことか? どこぞの旅の一座の座長みたいな?」
「あぁ。ワダがそんな話をしてましたね――しかし、バイガスラの魔術師については、ちょっと引っかかるところがあって、深く探らせようとしたんですが、やめました」
「やめた? なんで?」
「勘、ですかね? これ以上、深追いしたら危険だと感じたんです。だから探らせていた部下を帰国させました――ま、予感ですね」
「なんだよ、それ……」
呆れて笑ったが、これ以上追求しても意味がない。話を打ち切ったリオネンデだ。
レナリムがサシーニャのための寝具を持ってくるのと入れ違いに、リオネンデはスイテアを伴って後宮に戻っている。
離れていた間に抑えていた情を交わした後も、寝台の上に共に座りながらスイテアの背に唇を這わせて離さないリオネンデにスイテアが苦笑する。殺気と感じたのは勘違い、きっとリオネンデはすぐにもこうしたかったのだ、と思った。激しい欲望を殺気と感じただけだと思った。
「なにが可笑しい?」
リオネンデの声に怒りの色はない。
「いいえ――あぁ、でも、女装した男はお嫌いのようですね」
クスッと笑い、そう訊いてみる。サシーニャの冗談に大笑いしたくせに暗い顔をリオネンデが見せた、それを思い出したスイテアだ。
「そんなものが好きなヤツがいるのか?」
「ガンデルゼフトは普通に女ばかりの一座でしたが、同業の中には男だけ、しかも全員女の装い、そんな一座もありました。女なのに男の装いをする、というものありましたよ」
「あぁ……しかも男娼。客は男女問わず――聞いたことがある」
不意にリオネンデがスイテアを放し、寝台に横たわる。不興を買ったかとスイテアは緊張したが、どうもそんな事ではないようだ。
軽く溜息をついてからリオネンデが語り始める。
「俺の大事な友は七歳の時、信頼していた男に弄ばれたそうだ」
「えっ?」
「昼夜を問わず三日に渡って凌辱した――友は長じて青年になっても女を抱けなかった」
恋する相手がいると泣いた。性欲もあり、生殖能力もある。だが夢の中だけだと言った。自分の意思ではどうにもならない。意識のある時、欲を感じれば、弄ばれた痛みが蘇り身体が冷めていく。愛しい女にときめきを感じるのは、己が穢れているからではないかと悩んだ。自分はまともではない、そんな考えからどうしても逃げられない。
「俺はそのことをずっと知らずに、己の恋をヤツに語っていた。『おまえには思う相手はいないのか?』と揶揄った。ヤツはいつでも微笑んで俺の話を聞いていた」
今度は大きく溜息をついたリオネンデだ。
「ヤツがこのこと俺に打ち明けたのは、ヤツが命を落とす間際の事だった」
今際の際の言葉を思い出しながら、これはスイテアであろうと言えないとリオネンデが思う――どうかレナリムを、俺の代わりに守ってやってくれ。
「相手が男だろうが女だろうが、それぞれのことだ、好きにしろと思う」
だが、権力や暴力で言うことを聞かせるのは違うだろう。まして年端もいかぬ子ども相手、怒りが止められない。
「権力でおまえを手に入れた俺が言う事ではないけどな」
リオネンデが虚ろに笑う。
「おまえは自分から俺に近づいてきた。だから、と言うのも変だが――許せよ、スイテア」




