寄り添う心
広間にはリューデントとサシーニャのテーブル、将校たちは十人そろって摂れるように大きなテーブルで夕食が供された。
「桑の葉に粉を付けて揚げたもの、潰して汁物に仕立てたもの、干した葉から煮出した茶、三品だけですが、ジェラーテン名産絹の元となる糸を吐き出してくれる蚕の気分を味わえるかと思います――召し上がっても身体から糸が出てくることはございませんのでご安心ください」
サシーニャの冗談に笑ったのはリューデントだけだった。将校たちは別建てとは言え、国王との同席に緊張している。ところが始まって幾らも経たないうちにサシーニャが止めるのも聞かず、リューデントが将校のテーブルに割り込んだ。
「サシーニャは酒がダメだからつまらない。一緒に飲もう」
護衛の将校たちは全員貴族の子弟、とは言え若手ばかりだ。ただでさえ緊張しているのにリューデントが同じテーブルではゆっくり食事どころではないだろう。少しは遠慮を覚えたらどうだとサシーニャは呆れるが、
(ベルグに行った時の事を思い出す。あの時はいつの間にかみなと親しくなっていたな)
様子を見ることにした。
リューデントだけが楽しげに話す声が聞こえる。それが一人ふたりと別の声も混じるようになり、徐々に賑やかな座へと変わっていった。若い将校たちの心をベルグに行った時と同じように、リューデントは見事に捕らえたようだ。彼らは国王への忠誠をさらに強くしたことだろう。
時間を見て立ち上がったサシーニャが、リューデントのもとへ向かう。
「申し訳ありませんが、わたしはそろそろ休ませていただきます」
「飲まないおまえと食べるよりよっぽど料理が旨くなったぞ。何も心配ない、気にせず休め」
「酒も料理もまだございます。召使にお申し付けください――皆さん、酔っ払いの相手をよろしくお願いしますね……では、ごゆっくり」
上機嫌のリューデントと将校たちの挨拶に送り出されて出口に向かうと、扉で控えていた召使に『頼みましたよ』と微笑んで、サシーニャは広間をあとにした。
厨房に寄ると頼んでおいたものを受け取って自室に急いだ。この館に着いて自室に入るのはこれが初めてだ。夕食の準備や細かな指示でずっと召使部屋や厨房にいた。
自室に入り、居間のテーブルを見ると広間で供されているのと同じ料理が、盆に乗せられ置いてある。が、手を付けた形跡がない。一つ溜息を吐くと、厨房で受け取ってきた盆をテーブルの空いている所に置いた。
寝室はひっそりとして、人がいる感じがしなかった。もっとも寝台の膨らみは規則的に上下している。ぐっすり眠っているのだろう。もちろん館に入る前から気配は検知していた。
水屋に行って水を使っていることを確認してから、寝台に近づいて寝具を剥ぐ。すると、眠っていた女が寝ぼけ眼でサシーニャを見上げた。
「サシーニャ……」
サシーニャが屈みこむと抱き着いてきた。そのまま抱き上げて居間に向かい、テーブルの横の長椅子に降ろした。目の前に厨房から貰ってきた盆を置く。
「迎えに来てくれたの?」
「……ここに来てから何も食べていないそうだな? どういうつもりだ?」
どうやら女――ルリシアレヤの期待は裏切られたようだ。
「まぁいい。ひとまず食べなさい。おまえのために作らせた」
目の前の盆には煮潰した実芭蕉が入れられたどろどろの粥、それに白湯が添えられている。
「わたしのために? わたしに死なれては困る?」
俯いて問うルリシアレヤにサシーニャは答えない。
手を付けようとしないルリシアレヤに焦れたサシーニャが、とうとう粥の椀に手を伸ばす。匙でクルクルと数回混ぜてから粥を掬うと、ルリシアレヤの口元に『さあ』と差し出した。
サシーニャを見るルリシアレヤ、怒りの籠る目でルリシアレヤを見るサシーニャ、諦めたルリシアレヤが口を開いた。その口にゆっくりと粥が流し込まれる。
ほのかに甘い粥はほんのりと温かく、スゥーッと喉を流れていく。
「魔法を使った?」
食べろと言われた時は盛んに湯気が立っていた。魔法で適度に冷ましたのだ。今度もサシーニャは答えず、黙って次の匙を口元に持ってくる……粥が無くなるまでどちらも、それきり何も言わなかった。
自分で白湯を取り、飲み始めたルリシアレヤにサシーニャが再び問いかける。
「なぜ、何も食べてくれなかった? 水だけは飲んでいたようだな。さすがに渇きには堪えられなかったか?」
白湯を飲み干したルリシアレヤがサシーニャを見、目を逸らしてから答えた。
「食べたくなかったから。食欲がなかったのよ」
「三日も?」
「生きているのがいやになったのかもしれない」
「……死にたかった?」
「死んでもいいと思った。死ねばバチルデアの王女はグランデジアに居なかったことにできる。死体を埋めちゃえば誰にも判らなくなるわ。そしたらサシーニャも悩まないでしょう?」
「なにを馬鹿な……」
サシーニャが額に手を当て溜息を吐く。死んだら嬉しい、悩まなくなると言った覚えがあった。
「こないだはわたしも言い過ぎた。謝るから、食事くらいはちゃんと摂れ」
「バチルデアに帰らなくてもいい?」
「それとこれとは別の話だ」
「サシーニャの街館に大事なものを置いてきてしまったの」
「大事なもの?」
見るとルリシアレヤは布に包まれている物を手に握り締めている。ヌバタムに引っ張られた時に持っていたものだ。そのままここに持ってきてしまった。
「なにを持っている?」
「これ? これはお守り。街館でサシーニャを待っている時から持ってたの。これがあったから、ここで一人にされても我慢できた」
「お守りを握り締めて寝ていたのか?」
「うん。サシーニャに貰った鋏よ。金剛石が割れない限りサシーニャは無事、だからわたしも大丈夫だと思った」
何かあれば金剛石が割れる、なんて嘘だ。そんな魔法はない。だが声に出して言えない。なぜ言えないのかは判らなかった。嘘を吐いた後ろめたさでも、信じているルリシアレヤをがっかりさせたくないからでもなかった。
「鋏なんか抱いて寝て、怪我をしたらどうするんだ? それで何を置いてきた?」
「黄玉石の髪飾りを……」
「うん……」
「プリムジュの髪飾りはつけていたから……壊しちゃいけないと思って寝室のテーブルに置いてあるわ。あれもわたしのお守り。わたしのためにサシーニャが選んでくれた――他はグランデジア風の衣装よ。やっぱりサシ――」
「もういい……おまえの荷物はここに届けさせる。その鋏はいつか返して貰う約束だったが、返す必要はない。バチルデアに持っていけ」
「バチルデアには帰れないの」
「帰れない?」
「ハルヒムンドはもう帰れない。帰ればわたしを連れだした罪で罰せられるわ。彼の父親も責任を問われる。わたしのせいなのに、わたしだけ帰るなんてできない」
「えっ? ハルヒムンド?」
「うん、彼がわたしをフェニカリデに連れて来てくれたの」
「なんだって……?」
ぽかんとルリシアレヤを見詰めるサシーニャ、見る見るうちに怒りの形相に変わっていく。そしていきなり立ち上がるとルリシアレヤの腕を掴み乱暴に立ち上がらせ、ゆらゆらと揺さぶった。
「おまえ……男と旅をしてきたのか? 何度あいつと夜を共にした? えっ? よくもわたしの傍に居たいだなんて言えたものだな? 騙していたのか!?」
「ちょ、ちょっと待って!?」
「フェニカリデに来る前からか? アイツがチュジャンに妬いたのはおまえを盗られると思ったからか? リオネンデなら我慢できても他の男では我慢できなかったからか!?」
「違う! ふたりきりじゃない! バーストラテも一緒よ!」
その言葉にハッとしてサシーニャの動きが止まった。蒼褪めた顔でマジマジとルリシアレヤを見る。
「バースト……ラテ?」
「そうよ、バーストラテとハルヒムンドの三人で、ワダの馬車に乗せて貰ったの」
「あ……」
ルリシアレヤの腕を離し、サシーニャがへたり込む。
そのサシーニャをルリシアレヤが包み込んだ。
「サシーニャ、やっぱりわたしのこと、好きよね?」
振り払う気力もなくサシーニャが目を閉じた。また取り乱してしまった……自分がこんなに嫉妬深いだなんて知らなかった――
サシーニャの街館・チュジャンエラの居室でエリザマリがニッコリ笑った。
「それじゃあジャジャ、ワダの申し込みを承諾したのね?」
「あぁ、あの姐さんが真っ赤になってた」
チュジャンエラもニコリとする。
「しかしそうなると、王家の守り人を誰にするかが問題だ」
「守り人にはどんな人が選ばれるの?」
「まずは上級魔術師、これは外せない。そして生涯に亘る絶対的な王家への忠誠を誓えること――王家の秘密を知ることになるからね」
そして王家を裏切れば命を落とす。これは怖がらせると思い言わずにいた。
「王家の秘密って?」
「それを明かせないのが守り人だ。ジャジャが僕に教えてくれるわけないじゃん」
「そっか」
クスクス笑うエリザマリ、が、急に真面目な顔になり、
「チュジュが選ばれることもあるの?」
小さな声で訊いた。
「リューデント王とサシーニャさまが決める事になると思うけど……ジャジャの時はサシーニャさまが推挙してリオネンデさまが許可して……で、王廟が承認したんだよ――そんなに不安そうな顔をしないで。もし打診があっても断るから」
「断れるのね? よかった!」
嬉しそうな顔で赤茄子を頬張るエリザマリ、取り皿には赤茄子が山盛りだ。
「赤茄子がこんなに美味しいものだなんて知らなかったわ」
「悪阻の影響だってジャジャが言ってたよ。味覚が変わる人もいるんだって」
「きっと生まれてくる子は赤茄子好きよ」
「そこまではジャジャは何も言ってなかった――話は変わるけど、ジャジャがバーストラテの様子が可怪しいって言ってた」
「へぇ……どんなふうに?」
「うん。なんだかね、ボーっとしてるって。で、どうしたんだって声を掛けたらジャジャの顔を見たんだって」
「それは珍しいわね」
「彼女、他人の顔を見ないじゃん。なのに、ジャジャの顔をしっかり見て『いいえ、なんでもありません』って、しかも微笑んだんだってさ」
「うん、確かにいつもと違う、バーストラテの笑顔って見たことない。いつも無表情だったわよね?」
「一言で言うと不愛想でぶっきら棒」
「そうよね、ジャジャが驚いても無理ないわ」
そしてクスリと笑った。
「ねぇ、チュジュ、ひょっとしたら彼女、恋してるのかもね?」
「えっ? いや、だって、誰と?」
「そんなの判んないわよ」
楽しそうなエリザマリ、チュジャンエラは啞然とするだけだった。




