水晶の神殿
急ぎに急ぎ、やっとのことでジッチモンデ国王都シルグワイザに到着したサシーニャ、ところが王宮に入ると婚儀への出席は不要、控室で待つよう言われてしまう。
よくよく聞いてみると婚儀は神殿にて王と王配、そして神官のみで執り行われるという。しかも祝宴は明日の予定、騙された気分のサシーニャだ。
せめてもの救いは婚儀終了後、ジロチーノモはサシーニャと会う予定になっている事だった。わざわざ時間を作って無理くりここまで来たのだ、ジロチーノモに会えもせず帰るわけには行かない。
お待ちの間、お召し上がりくださいと控室には様々な料理や酒が供されたが、レモン水以外には手を付けることなくひたすら待った。
現れたジロチーノモは薄化粧をして、くっきりと身体の線が出る白い衣装を着ていた。肩から胸元にかけて大きく開いているがその部分は極細糸で織られた絹、ほんのり透けている。自分で豊かに膨らんでいると言っていたが、『確かに』と、サシーニャは密かに納得した。
「これはジロチーノモさま、お美しい」
「相変わらず気恥ずかしくなるような世辞を平気で口にするな――なんでも祝いの品を持参したとか? そんなものは不要と言ったはずだぞ?」
「リューデントの即位と婚儀にお祝いをいただきました。こちらとしては何もなしというわけには……グランデジアの顔を立てると思ってお受け取りください」
ジロチーノモの隣ではテスクンカが、
「だから言ったでしょう? 気を使わせるだけだからやめた方がいいって」
と言えば
「ふん! 祝いたかったんだ、仕方ないだろう? サシーニャの時も贈るぞ――で、サシーニャ、祝の品とはなんだ?」
とジロチーノモ、『サシーニャの時』とはサシーニャが妻を娶った時の意味だろう。
「ジェラーテン特産の絹織物でございます。お好きな意匠でお仕立てください」
「わたしが着飾ってみたいと言ったのを覚えていたな?」
ジロチーノモが嬉しそうに笑った。
挨拶が終わるとジロチーノモが
「来て貰ったのには理由がある。婚儀というのは口実だ」
あっけらかんと言う。控室で待てと言われた時から、うすうす勘付いていたサシーニャ、
「わたしに何をさせるつもりですか?」
苦笑するしかない。
「我が国の神官どもがおまえに会いたいと言っているのだよ」
「わたしに?」
「で、この着なれない衣装を替えてくるから、今しばらく待っていて欲しい。テスクンカがお相手する」
ジロチーノモはサシーニャの困惑を気にすることなく、さっさと退出していった。
仕方なく、
「神官さまがわたしにご用とはなんでしょうか?」
テスクンカに訊ねると、
「神官が申すには会ってみない事にはなんとも言えないとの事なんです」
申し訳なさそうに答えた。
「それは……場合によってはなんの用もないという事ですか?」
呆れ気味のサシーニャに、テスクンカがますます恐縮する。
「そうなんですよね。ただでさえサシーニャさまはお忙しいはず、それをそんな曖昧なことで遠路はるばるお越しいただくのはいかがかと、ジロチーノモには言ったんです。が、ご存知の通り、なにしろあんな性格ですから……わたしの言うことなど聞いてはくれません」
「またまたご謙遜を。ジロチーノモさまを諫められるのはテスクンカさまだけでしょう? まして王配になられた」
「王配などただの名目。まぁ、女性とは御しがたいものなのではないかと――ところでサシーニャさまは? ジロチーノモが巧く行っているだろうかと気にしておりました」
「はて、なんのことでしょう?」
「思う相手がいるのだと、お話になったのでしょう?」
「あぁ、その事ですか……お気に掛けていただきありがたいのですが、あいにく思いは叶いませんでした」
「あれ? 相愛だったのでは?」
「どんなに望んでも、手が届かない時も人生にはあるものです」
テスクンカがサシーニャを見詰める。
「ジロチーノモを口説けと、わたしを嗾けたサシーニャさまのお言葉とは思えませんが?」
物憂げな顔で、少しだけ黙ったサシーニャが
「テスクンカさまはお幸せですか?」
と真面目な顔で尋ねる。
「ジロチーノモさまは? お二人は幸せだと、わたしは思っているのですが?」
「それは、思う相手と一緒になれたことを仰っている?」
「いいえ、それだけでは幸せになれるほど単純なものではないでしょう?」
「意味がよく判りません」
「お二人には障害があった。それでも手を取り合い、その障害を乗り越える決心をされた――二人でなら乗り越えられると、判断したということなのでは?」
「サシーニャさまとお相手には、乗り越えられない障害があると?」
「二人にというより〝わたしには〟です。自分の背負っているもので、あの人を苦しめたくはないのです」
テスクンカがサシーニャを見詰める。
「それはお相手とも話し合われたのですか?」
「えっ? いえ、それは……」
「サシーニャさまだけがそう判断したという事ですね? お相手もサシーニャさまを思っておられるのでしょう? それなのに打ち明けなかったのなら、わたしにはサシーニャさまが身勝手に思えてしまいます」
「……返す言葉がありません。あの人を泣かせたのも判っています。ですが、別離の苦しみは時とともに薄れます。一生続く困難よりも、そのほうがあの人のためではないでしょうか?」
「お気持ちは判らないでもありません――わたしはサシーニャさまが何を背負っているのか存じません。だから無責任なことを言います。生きていれば次から次に困難は舞い込みます。それを乗り越えていくのが生きるということだと思えます。背負っているとサシーニャさまが仰るのも、その困難のひとつ。その困難、お相手の手を借りて乗り越えてみたらいかがでしょう?」
「相手の手を借りて?」
「ジロチーノモがわたしを王配にすると言い出した時、わたしも同じようなことを考えました。わたしは貴族ですらない、ジロチーノモには相応しくない……それを聞いてジロチーノモは怒りましたよ。自分に相応しいかどうかは自分で決める。ジロチーノモはテスクンカが自分に相応しいと判断した、それを否定するのか? これから先、ジロチーノモが生きていく手助けをするのは嫌だと言うのか、と詰られました。一緒に苦労する気はないなら愛しているという言葉は嘘なのだな、ってね――わたしは自分が彼女に苦労させることしか考えていませんでした。サシーニャさま、苦労させるのはお互いさまなんです。サシーニャさまがお相手に苦労を背負わせてしまうのならば、サシーニャさまもお相手の苦労を背負えばいい。困難に直面したら互いに頼り頼られ、二人で乗り越えればいいのです。そうではありませんか?」
「……そうですね、そうできたらどんなに良かったか」
サシーニャが溜息を吐く。
「わたしが抱えているのは乗り越えられるようなものではないのです。付き纏っているというか……運命とでも言えばいいでしょうか?」
「またも無責任なことを言いますが、そう思っているのはサシーニャさまだけということも有り得ますよ。お相手に限らず、誰かに相談されたことはおありですか?――いろいろと差し出がましいことを申し上げました。お気を悪くなさったならお詫び申し上げます。サシーニャさまは幸せを諦めているように感じました。サシーニャさまに幸せになって欲しくてこんなことを申しました」
「テスクンカさま……幸せとは何でしょうか?」
「えっ?」
「お二人は幸せかと尋ねたのは、幸せとはどんなものかお聞きしたいと思ったからです……それすら判らなくなりました。あの人の幸せを願っているのは間違いありません。だからわたしは幸せを望むまい。でもね、それじゃあわたしは不幸なのかと考えた時、それも違うと思いました。そもそも幸せとは何か?」
「幸せじゃなければ不幸……うーーん、確かに簡単には言い切れなさそうです――こうは考えられませんか? 幸せは通過点でしかない。辛い時間と幸福な時間、そしてそれを考えることもなく過ぎていく時間、人生はその繰り返し。きっと、その幸せな時間を、より多くこの人と過ごしたいと願う相手、そんな人を配偶者に選ぶのではないでしょうか?」
「幸せな時をより多く……なるほど」
「だいたい何を幸せと感じるかは人それぞれですしね――ジロチーノモが戻ってきたようです」
男の衣装に替えてきたジロチーノモは入室するなり、
「うん? 二人して何を深刻な顔をしている?」
と笑う。
「話題に困ったのか? そんなときはな、いないヤツの悪口を言うに限るぞ?」
「つまりジロチーノモさまの悪口ですか? 困りましたね、悪く言える点が見つかりません」
と茶化すサシーニャ、
「惚気たらサシーニャさまに妬かれてしまい、どう繕ったらいいか考えていたところです」
テスクンカも茶化す。
「ふぅん……」
ジロチーノモは怪しんだようだが、あとでテスクンカに訊けばいいとでも思ったのだろう、
「神官の支度もできたそうだ。サシーニャ、ついて来い」
座りもせずにそう言った。
王宮の奥、地下へと続く階段を進む。やがて壁の装飾が無くなり剥き出しの岩肌へと変わった。薄暗い照明の中、階段を降り切ってさらに進めば、先は赤々と明るくなっているのが判った。その頃には岩肌だと思っていた両壁がキラキラと煌めき始めていた。透明な柱が何本も入り組むように立ち並び、目指す先の灯りを受けて輝いている。
不思議そうな顔でサシーニャが眺めているのに気が付いたジロチーノモが
「神殿は石英の結晶で出来た洞窟の中に作られている。その柱一つ一つが石英の結晶だ」
「どうやって作ったのですか?」
「人造物ではないよ。自然が作り上げたものだ。名もなき山の火山活動と関係があるらしい」
「そうなのですね……」
石英の結晶から、魔力とは違う力を感じていたサシーニャだ。が、それを言うのは憚られた。神殿なのだから、そんな不思議な力が働いても不思議ではないし、触れてはいけないことかもしれないと思った。
明るく照らされた場所への入り口で出迎えたのは三人、
「我が国の神官たちだ」
ジロチーノモがサシーニャに言った。
「〝我が国の〟と言っても、我が国にしか神官はいないらしい――ほれ、連れて来たぞ。グランデジア国王子サシーニャさまだ」
神官たちがじろじろとサシーニャを見る。
「確かに黄金の髪」
「肌の色も我々よりずっと薄い」
「瞳は? 夜明け前の空の色か?」
ぼそぼそと内緒話を始めた神官たち、人を呼び出しておいてなんのつもりだ? サシーニャの顔が明白に不快を示した――




