二つに分かれて
街館の門にはルリシアレヤとその連れを無条件で通すよう魔法をかけ、南裏門の門衛にも『護衛と一緒なら通せ』と通達じた。バラ見物の口実を門衛は疑わなかった。
最初の頃は遠慮からか、ただの世間話だったルリシアレヤのお喋りもいつの間にか愛の囁きに変わっていく。会いたかったと抱き締め合い、接吻を繰り返すだけになってしまう――王妃になる人だ。心の奥にしまい込み、諦めなくてはならない相手と思っていたのに、会えばサシーニャはルリシアレヤを拒めない。そのうちに、どうしてもこの人が欲しい、なんとか出来ないものかと思うようになった。
愛しているのはあなた一人、そう言ってくれる。その人も自分にとってたった一人の人……そんな相手がいる、それで充分だと思っていたのに、そうでなくなっていく自分に困惑する。言葉だけではなく、心だけではなく、相手の全てが欲しくなる――どうしたら、リオネンデとルリシアレヤの婚約を解消できるだろうか?
いろいろ考えるがいい案が浮かばないうち、思いがけないことで婚約は無効になった。これでなんの支障もなくルリシアレヤと一緒になれる……いろいろと蟠りが残る復讐の結末、それでもその事だけは素直に嬉しかった。
だがそれも束の間、すぐ足元を掬われる。掬ったのは自分自身、己の行いの報いを受けた。浅はかな考えが、一番大切に思っているルリシアレヤを傷つけてしまった。結果、何も聞き入れて貰えず、大嫌い、二度と顔も見たくないと宣言された。
それでも、ひょっとしたら思い直してくれるかもしれない。エリザマリの本当の相手を知って、大嫌いだと言ったことや、何も聞かずに行ってしまったことを後悔しているかもしれない。そう思ってルリシアレヤがフェニカリデを出立する前夜、バラ園で待った。誤解させるほうが悪いと泣いてから、今度こんな思いをさせたら許さないと言って許してくれる……そう期待して、仕事さえ放りだして待った。
待ちながら考えるのはルリシアレヤのこと、自分のこと……『ルリシアレヤはこう言っていた、だからきっと来てくれる』と思うのに、『別の日にはこう言っていた、だからきっと来ないだろう』と打ち消してしまう。そして関連するように、今までいろんな人に言われた言葉も思い出す。
アイケンクスが言った。
『黄金の髪では苦労する』
アイケンクスはルリシアレヤの兄だ。同じ髪になりたいと言ってくれたルリシアレヤも、兄に諭されれば心変わりするかもしれない。そんな不安を感じてたが、リューデントの前では言わせておけばいいと強がった。
空が白み始める頃には期待よりも諦めのほうが強くなる。そしてレナリムが言った言葉を思い出す。
『嘘も上手だけど言い訳も上手』
嘘なんか言わない。全てを話さないだけだ。いや、これこそ言い訳、つまり嘘を口にしていると言うことか?
そう考えれば、嘘で塗り固めて生きてきたような気がする。感情を押し殺し、自分を抑えつけ、己を偽って生きてきた。そうしなければ生きて来られなかった。
魔法は感情に簡単に作用される。思い描いたことを魔力で具現化させるのが魔法だ。大事なのはどう具現化させるかの意思だ。意思が無ければ感情の動きが、思ってもいない魔力の放出を招く。普通の魔術師ならば微風を吹かせる程度、チュジャンエラほど強力でも部屋の中を揺らしたり食器を次々に割るくらいだ。が、サシーニャの場合は簡単に建物一棟くらい崩壊させてしまう。だから常に冷静でいられるように気を付けた。
魔術師の塔の執務室と居室には多くの鉢植えを置いた。サシーニャの感情の動きで放出された魔力は草花に影響する。子どもの頃に気付いたことだ。悲しめば萎れていき、喜べば成長が促進される。だから身近に置いて観察し、平常心を保てているかの目安にした。あの火事以降は意識しなくても、草花は季節ごとに変化するだけになっていたのに……
チュジャンエラと街館に帰ると決めて、鉢植えをすべて館に移した。季節ではない花が蕾を持ち始めていた。魔術師には植物に詳しい者が多い。不審がられる前に他人の目の届かないところに隠した。
ルリシアレヤをバチルデアに連れ帰る馬車が出立したと、チュジャンエラが迎えに来た時には、サシーニャの周囲のバラはすべて散ってしまっていた。それをチュジャンエラに気づかれないよう、すぐに魔術師の塔へ向かった。
(あの時、思いを捨てると決めたのに……)
寝具の闇の中でサシーニャが宙を見据える。壁が立てる音はキシキシと、強弱はあるもののずっと続いている。自分はほかの人とは違うのだと強く感じた。体色ではなく、能力膨張の性質を持った特殊な魔力の事だ。これがある限り人並みの幸せは望めないと思った。
そんな自分の運命に誰かを巻き込んではいけない。危うくルリシアレヤを巻き込んでしまうところだった。もう二度と誰かを求めたりしない。
居室の扉が開く気配にサシーニャが身動ぐ。近寄るのに気が付かなかった。しかも自分で扉を開けた……ヌバタムだ。
すぐに寝室の扉も開き、続いて寝台に飛び乗るのが判った。
「えっ!?」
ヒョンと頭の上に着地され、サシーニャが小さな悲鳴を上げる。寝具の上でチクチクと爪を立てている。
「判った、判ったからやめろって!」
ヌバタムを包み込むように寝具を払う。丸め込んだ中から出てきたヌバタムが、胸をよじ登りサシーニャの頬を舐めた。
ヌバタムの背中を撫でながらふと思いつく。他人との交流は感情の起伏を招く要因になる。だから必要以上は関わりたくない――濃厚な関わりになる家族は要らないとリューデントに言おう。もちろん妻帯しない。
理由もちゃんと説明すれば、判ったと言って許してくれる気がした。心がすっと落ちついて、続いていた壁の軋みがピタリとやんだ――
バチルデアでは王妃ララミリュースがバーストラテの居室に押し掛けていた。国王エネシクルから昨日、婚約が決まったと言い渡されて以来、ルリシアレヤが部屋に閉じこもって出て来ない。
結婚自体をも拒否したルリシアレヤにエネシクルは王女の勤めと心せよと聞く耳を持たなかった。ララミリュースが懇願しても効果はなかった。ルリシアレヤは気を失い、自室に運ばれ、寝込んでしまった。
「夕食も摂らなかったのに、今朝も食べてくれないのよ」
ララミリュースが溜息を吐く。
バーストラテだってルリシアレヤが心配だし、ララミリュースを力づけたい。だけどどうすればいいのかまったく判らない。自分に一因があると責任を感じ、泣きたい気分だ。救いなのは婚儀の日程が保留にされたことくらいだろうか。
エネシクルは自分の退位と王太子の即位、同時に王女の結婚と考えたようだが、それには反対の声も上がった。
退位の儀に引き続き即位の儀を行うのはよく判る。当然と言えば当然だ。王位を空白にしないほうがいい。が、王女の結婚は全く別のもの、日を置くべきだ。まして王女は婚約者を亡くしたばかり、婚約は良いとして成婚は先送りにしろ。反対派は常識的な意見を言う。
対する賛成派、敗戦で国内は沈みがち、しかも今回の代替わりは予定されていたものではなく、祝ってよいのかさえ迷うものだ。ここに王女の結婚という慶事が加われば、一気に祝賀の意味合いが強まり、民の心も引き立つだろう。
そんな折、リューデント王成婚の報が到着し一気に賛成派の旗色が良くなる。婚約者の兄が成婚したのだ。他人同然の王女が結婚して何が悪い?
王位交代は十日後と昨日決まった。つまり九日後だ。式次第は明日には決まる。その式次第に婚儀を入れるか入れないかも明日決まる。
ララミリュースがバーストラテの部屋で嘆いている時、ルリシアレヤを訪ねてきた者がいる。ハルヒムンドだ。
寝室から出て来ないルリシアレヤに、扉の外から声を掛けた。フェニカリデにお戻りになりたいのではないのですか? もしそうならばお力になりましょう。
そっと扉が開き、ルリシアレヤが顔を見せた――
リューデントの手紙を預かって塔に戻ってきたジャルスジャズナとチュジャンエラを扉番が呼び止めた。
「お二人がどこに行かれたかサシーニャさまがお訊ねになりました。ご用がおありなのではないでしょうか?」
「それでサシーニャは?」
「伝令鳥のところに行くと仰って階段を上って行かれました。係が探していたとお伝えしたので……それからお出でになっていません。塔の中にいらっしゃいます」
ジャルスジャズナがチュジャンエラの顔を見る。
「それじゃ執務室かな?」
「伝令鳥のところにまだいる、なんてことはないよね?」
リューデントの手紙をサシーニャに知られることなく、早くバチルデアに送りたい二人だ。
とにかく行ってみようと階段に向かう。すると、またも扉番に呼び止められた。
「もう止んだのですが、暫く塔がミシミシ軋んでいたんです。時おりグラッと揺れるようなこともありました。でもすぐ壁が音を立てる程度になるって感じで。サシーニャさまが戻られてからだったんで、何かあれば指示が出ると思って静観していたんですが、何が起こっているのでしょうか?」
「サシーニャさまからの指示はないってことだね?」
頷く扉番に、
「だったら心配ないよ。安心していいからね」
とチュジャンエラが微笑んで答える。それからジャルスジャズナと頷き合って塔を上って行った。
扉番に聞こえないところまで来ると
「魔力の暴走かな?」
と呟くジャルスジャズナに、チュジャンエラが、
「コペンニアテツが報せてきたのかもね……どうせこれからリューデントさまの手紙を出しに行くんだ。伝令鳥係にそれとなく聞いてみるよ」
と答えた。
塔の伝令鳥係に頼んで、手紙をバチルデアに送る。個人所有の伝令鳥を使わなかったのは受取人に『なんでチュジャンエラが送ってきた?』と思わせないためだ。書簡にはリューデントが書いたコペンニアテツあての指示書とバチルデア王エネシクルに向けた親書を同封している。通常ならサシーニャの伝令鳥を使うところだ。
北に向かう伝令鳥を見送りながらチュジャンエラが
「今日は暇そうだね」
と笑う。戦中と終戦直後の慌ただしさを思い出したのだろうと伝令鳥係も『そうですね』とニッコリする。
「今日はバチルデアからの二通しか来ていません。チュジャンエラさまにお渡ししたものと、先ほどサシーニャさまにも届いたんです」
魔術師になったばかりの一等魔術師が、チュジャンエラに頬を染める。可愛い顔立ちで人懐こく、親しみやすいチュジャンエラは若い女魔術師の憧れだ。近寄りがたいサシーニャよりもチュジャンエラを慕う者も多い。
「そうなんだ? たまにはそんな日もあるよね……何かあったらすぐに知らせて」
聞きたいことを首尾よく聞き出したチュジャンエラがジャルスジャズナと目混ぜした。




