ドラゴンと死神
部屋に入ってきたサシーニャが中に居た二人を見てギョッとする。権利者の居ない部屋には誰も入れないはずなのに、と思ったのだろう。だがすぐに、自分が二人を置いて退室したのが原因だと気づいて、何も言わずムッとした顔で執務机に向かった。
チュジャンエラも話を蒸し返すほど愚かではない。ジャルスジャズナも何も言わない。数刻後には王の婚儀が控えている。準備を進めるのが先だ。
後宮にリューデントとスイテアの衣装を取りに行かせるため呼び出した一等魔術師に、サシーニャが細かい指示を出す。特にスイテアの衣装は清楚だが華やかさも備えたもの、髪飾りか額飾りはどちらか一つでいいができる限り豪華で、ただし紋章入りの装飾品はなるべく控えめで、と、一つ一つに注文を付けていった。後宮でサシーニャがこう言ったと言えば、中の誰かが用意してくれるから心配ない……不安そうな部下を安心させるのも忘れてはいない。
部下を送り出してからサシーニャが
「こうなると、紋章が死神というのは難し過ぎます。晴れの場に死神はどうにも不似合いです」
と顔を顰める。
「反対したのにリオネンデが決めてしまいました……花嫁に死神なんてどうしたらいいのやら」
チュジャンエラが苦笑しながら質問する。
「なんで死神に?」
「それは……リオネンデがスイテアに殺されてもいいくらい惚れちゃったから?」
正確とは言えないが、間違ってもいない。他にもいろいろあったが細かい説明は必要ない。チュジャンエラがなんとも言えない複雑な表情をしたのは、リオネンデの命を奪った剣の所有者が誰か、を思い出したからだろう。だが、何も言わない。ことがことだけに冗談にはできないし、そうでなくても言葉を思いつけなかった。
「それほど惚れ込んだ女が双子の兄の妃になるって……リオネンデが知ったら複雑な心境だろうね」
呟いたジャルスジャズナをチラリと見たが、サシーニャは何も言わなかった――
厨房からひっきりなしに問い合わせが来るものだから、落ち着かないのはチュジャンエラだ。婚儀の祝膳は前々王クラウカスナとマレアチナ以来、ざっと三十年近くも前になる。その時は貴族たちも王宮本館大広間に集まっての祝宴だった。今回は貸与館で身内のみ、小ぢんまりしたものでいいと言われても国王の婚儀だ、粗末なものでいいはずがない。しかも急なこと、食材選びにさえ迷う。
「リューデントさまって話に聞く通り、リオネンデさまよりずっと我儘だよね。いきなり今日結婚するなんて、普通は言えない。周囲の迷惑をまったく考えてないよね」
チュジャンエラのボヤキに、理由が判っているサシーニャとジャルスジャズナが苦笑する。
「まぁさ、艶やかな顔立ち、豊満な体つき、スイテアさまが魅力的で待ちきれないってのも判らないでもないけど」
「色っぽい女ですよね。リューデントが夢中になるのも頷けます」
「まったくこれだから男は……」
呆れるジャルスジャズナに、二人の男はニヤッとしただけだ。
婚儀の進行や決められた言い回しを頭に入れようと苦労しているのはジャルスジャズナ、古い書籍を持ち出して熱心に読んでいる。
「ねぇ、サシーニャ。トチったらどうしよう?」
「心配しなくても、誰も正式な儀式を知らないから適当に誤魔化せばいいですよ」
サシーニャの助言はかなりいい加減だ。
「あんた、それでよく守り人が勤まったね?」
「調べたことは全部すんなり頭に入るので、トチったことなんかありません――くれぐれも守り人の職杖を忘れないで持っていってくださいね」
「くっ……あんたを頼ったわたしが馬鹿だった」
慌ただしく過ごすうち時刻は知らず知らずに迫ってくる。細かいことは下級魔術師に任せることにして自分の身支度をするためにそれぞれ居室に引き上げた。
身を清め、相応しい衣装を着こみ、定められた宝飾品を選んでいく。
サシーニャが星透輝石の額飾りに伸ばした手を止める。ほんの少し躊躇って、隣に置かれた星紋蒼玉にした。耳飾りも星紋蒼玉、襟飾りは金剛石と黒瑪瑙で拵えた白バラの紋章の細工物、衣装には紋章を使っていない分、左の人差し指に紋章の入った指輪を嵌めた。
執務室に戻って待つと、程なく魔術師の正装を着込んだチュジャンエラが顔を見せた。が、同時に厨房から来て欲しいと使いが来て一緒に行ってしまった。
チュジャンエラはすぐに戻ったがジャルスジャズナがまだ来ない。
「料理の用意は整いました。温かいほうがいいものは冷めないよう、魔法をかけてきましたから――ポッポデハトスが小豆を甘く煮潰した物を中に入れた蒸餅をくれました。お茶を淹れますね」
お茶が入り、蒸餅を食べ始めた時、ジャルスジャズナが入ってくる。
「美味しそうなモン、食べてるじゃんか」
「ジャジャの分もあるよ」
「嬉しいねぇ――おっ、サシーニャは王族の正装か?」
「リューデントの従兄として祝いたいなと思ったので」
渋めの茶で蒸餅を食べながら、三人で最終確認をした。塔の馬車がレナリムを迎えに西門へ向かう気配にサシーニャが立ちあがる。
「行きましょう」
チュジャンエラが、王と王妃の衣装を運ぶ役目の一等魔術師たちを呼びに一足先に部屋を出る。サシーニャ・ジャルスジャズナとは塔の出入り口で合流すると決めていた。貸与館に向かう三人の上級魔術師の後ろを四人の一等魔術師が続く。歩き出してすぐ、一等魔術師が抱えていた荷物がフッと軽くなった。が、誰が魔法を使ったかは判らなかった。
貸与館に着くとまずは広間に入り、主役の二人がいるはずの居室にジャルスジャズナだけが向かった。
すぐに戻ってくると、
「大丈夫、二人とも起きてた。スイテアはスイテアの居室に連れてった」
と、サシーニャに言ってから、一等魔術師たちに指示を出す。
「それぞれ担当の部屋に行くように。場所は教えたよね……くれぐれもご無礼があっちゃいけない。だけどね、今日は特別に許可を取ってある。言うべきことは遠慮なく言うんだ。さぁ、行っておいで」
広間には玄関の間から通じる扉のほか、正面の左右に扉があった。その扉の間には数段高い上座が設えてある。壇上には玉座が二つ……王が『我が妃となれ』と請い相手が承諾したら、二人揃って座る玉座だ。座した二人に守り人が訓辞を与え、列席者に『王は善き伴侶を得た』と宣すれば婚儀は終わりだ。
約束通りの時刻にレナリムが姿を見せた。もうすぐ夜明けだ。
「あら、随分バッサリ切ったのね」
髪を切ったサシーニャとは初めて会うレナリムがクスッと笑う。
「なんだか少し幼く見えるわ。意外と童顔だった?」
サシーニャは苦笑しただけだ。
「今日は王族の衣装なのね。王族の衣装のお兄さまって、初めて見るかも?」
「いつも魔術師の衣装だからね……体調はどうなんだい? 悪阻は? 馬車は揺れなかったかい? 朝早く済まなかったね」
「今日はね、凄く気分がいいの。でも、祝宴はご辞退してもいい? 朝食は毎日一緒に食べるって子どもたちと約束しちゃってるのよ」
「婚儀が終わったら案内するから、お祝いの言葉を差し上げてくれるかい? 帰るのはそれからでいいかな?」
「もちろんよ。その時は馬車まで送っていただける? お兄さまにお話ししたいことがあるの――今日の額飾りと耳飾りは瞳の色と同じね。よく似合ってるわ」
「話ってなんだろう? なんだか怖いな――レナリムの髪飾りはジャッシフと一緒になる時に用意したものだね」
「そうよ、初めて着けたわ。お兄さまったら高価な物ばかり用意してくれたものだから、今まで使う機会がなかったのよ」
滅多にあることではないのだから、できれば妹に付きっ切りでいたかった。が、そうもいかない。サシーニャにはジャルスジャズナに割り振られた役割があった。チュジャンエラが気を利かせて別室から椅子を運んでくる。ゆったりと座り心地の良さそうな椅子だ。チュジャンエラに礼を言い、サシーニャがレナリムに座るよう勧めた。
先に支度を終えたのはリューデントだ。手伝いに行っていた一等魔術師が戻ると『今日はもう休め』と指示して、サシーニャはリューデントの部屋に向かった。手順の説明と広間への先導を頼まれていた。
「チュジャン、後は頼みましたよ」
サシーニャがいなくなると、チュジャンエラが
「サシーニャさまの頬、治ってましたね」
ジャルスジャズナにだけ聞こえるように呟いた。
「さすがに真っ赤なほっぺで王の婚儀に列席できないさ」
ジャルスジャズナもレナリムに聞こえないように笑った。
スイテアの手伝いに行っていた魔術師が戻ると、ジャルスジャズナがスイテアの居室に向かった。サシーニャがリューデントの部屋に行ったのと同じ目的だ。
支度を手伝っていた魔術師に
「ポッポデハトスに料理を運ぶように伝えて。そのあとは休んでいいからね」
とチュジャンエラが指示を出す。広間にはチュジャンエラとレナリムの二人きりだ。
黙っているのも居た堪れなく、だからと言って何を話そうかとチュジャンエラが迷っていると、
「兄には手を焼いてるんじゃない?」
レナリムのほうから話しかけてきた。
「マレアチナさまも心配してらしたわ。あの子はほかの子と随分と違うって」
「えっ?……いや――まぁ、凡庸な僕から見ればどこか超越してるなって感じるときもありますが、よくしていただいてます」
ジャルスジャズナとの内緒話を聞かれたかと焦るチュジャンエラ、しかも相手はサシーニャの妹だ、下手なことは言えない。変な言い回しになってしまった。
「超越?」
クスッとレナリムが笑う。
「そうね、超越しているのかもね。マレアチナさまが言うには感覚が鋭くて、すぐになんでも察してしまうって。よく予知みたいなことを言って大人たちを驚かせたらしいわ」
「予知ですか? たまに予感がするっていう事があるけど?」
「そうそう、予感。大人たちが予知する力があるんじゃないかって騒いだけど、本人は予知じゃなくって予感だって言い張ったんですって。で、騒がれてからは先々に起こることは口にしなくったみたい。六つだか、七つの頃の話よ――あ、戻ってきたわね。今の話は内緒よ」
サシーニャに伴われて広間に入ってきたのは盛装のリューデント、ドラゴンを模った大ぶりな額飾り、鮮やかな紅の衣装、腰には煌びやかな宝剣を下げている。
少しの遅れで広間の反対側の扉から入ってきたのはジャルスジャズナに手を引かれたスイテア、白地に薄紅の小花を散らした衣装、額を飾るのは金鎖で吊るされた金剛石、黒髪に映えて輝く。紋章は腰を締める細帯を止める細工物で、黒瑪瑙に埋め込まれた金剛石の死神だ。紅玉の涙も、全体を見れば彩を引き締めるだけで、さして不吉さを感じることもなかった。
広間の両側で対峙した二人がそれぞれの先導役から離れて中央に向かう。そして立ち止まり、スイテアが膝を折って頭を垂れる。そこへゆったりとした足取りでジャルスジャズナが近づいていく。王の婚儀が始まった――
第七章 終了




