三度目の求愛
議場は突然の発表で騒然としていた。リューデント王の執務室での定例閣議でのことだ。申し送り書に記載のない議題が持ち出されていた。
即位して幾らも経たない国王リューデントが、前王リオネンデ王の片割れスイテアを正妃に定めたと言う。しかもスイテアを王妃にすることは既に王廟も承諾済みだと告げられる。通常、妃にするにあたり王廟の承認を得ることはない。前例のないことだ。
スイテアはリオネンデ王の片割れにして側室だった。そのスイテアをリオネンデの兄リューデントが妃にするのは倫理的にどうかと言いだす者が必ずいる――だが、王廟が許したとなれば誰も異論を口にできない。
「王が妻を娶るにあたり王廟に伺いを立てるのは異例、しかしスイテアさまは前王の側室、果たして王妃にしてよいものか? リューデント王は判断を王廟に託すことにしました。そして王廟は扉を開いた。これでスイテアさまを王妃にするにあたり支障ないことがはっきりしました」
王家の守り人ジャルスジャズナが閣議に臨席し王廟の答えを報告すれば、誰も何も言えなくなった。その静寂を破ったのはクッシャラデンジ、
「そうなるとご婚儀はいつに?」
スイテアが王妃になることを認めたのだ。
これに答えたのはサシーニャだ。
「王の婚儀は王家で執り行い、披露目の宴を催して広く国内に触れるのが仕来たりですが、やはりリオネンデ王の喪中、披露目の宴は省略いたします。王家における婚儀は用意出来次第……本日中、あるいは明日早朝となります」
「本日中? なぜそんなに急ぐ? いや、それよりも、リオネンデ王の喪が明けてからにしないのはなぜだ?」
痛いところを突いてくるのはワズナリテ、これもサシーニャが答える。
「リューデントさまが望まれているからです。その……」
口籠ったサシーニャ、リューデントをチラリと見てから咳払いする。
「リオネンデ王の中に居る間、ずっとお預けを食らっていた。もうこれ以上、待ちきれない……のだそうです」
「えっ?」
言葉の意味を察したマジェルダーナとクッシャラデンジは失笑したが、他は少々呆れたようだ。が、なんと言おうか迷っているうちにサシーニャが話を打ち切る。
「正式な婚儀が済む前に間違いが起きればそれこそ問題。ここはリューデントさまの切実な願いをお聞き入れください――チュジャン、閣議を進めてください」
間違いとはなんだと追及される面倒を回避したいサシーニャ、質疑応答の機会を大臣たちから奪うつもりだ。
「次も申し送り書に記載はないのですが……」
もちろんチュジャンエラ、さっさと次へを議題を移す。
「リオネンデ王の正妃となるかたのために新築した王妃宮、ここを王館にしたいとリューデント王がお望みです」
これもまた、大臣たちがすんなりと承諾しそうもない案件、関心が婚儀から移ると見越して、このタイミングでの発案にした。予定通りなら王妃宮は、すぐそこに迫った雨期が始まる前に完成する。
結果はサシーニャの思惑通り、すぐに大臣たちは口々に意見を言い始めた。
「あの館は王妃お一人で住まう予定で建てたもの、王館にするにはかなり手狭なのでは?」
ケーネハスルの指摘に、
「後宮の女は千に近いと聞いている。手狭どころの騒ぎじゃない」
ワズナリテも同調する。
サシーニャが、
「リューデント王は王妃さまとお二人の生活を望まれている。それには充分と思いますが?」
と言えば、
「王妃と二人? 後宮は要らないとでも?」
とケーネハスル、ここでサシーニャがニッコリ笑う。これでもっと難しい提案も通せる見通しがついてきた……
「その通りです、ケーネハスルさま――リューデント王は後宮の解体をご提案なさいました」
「なんだって?」
色めき立つ議場、涼しい顔のサシーニャ、チュジャンエラが『静粛に!』と叫ぶ。
徐に立ち上がったのは、今まで黙していたリューデントだ。さすがに議場に静寂が戻る。
「ここ何十年も後宮の女は王の子を産んでいない。それは王が後宮の女を必要としなかったからだ――後宮とは名ばかり、実質、身寄りのない女たちを集め、保護する場所に変わっている。それなのに『後宮の女』という制約を求め、自由を剥奪する意味はあるのか? あるはずがない。因って後宮を廃し、今後は女子の保護施設とする。また、同じように身寄りのない男子の保護施設も計画する。サシーニャ、すでに草案はあるのだろう?」
リューデントが席に着き、代わりにサシーニャが立ちあがる。
「王宮内に新たに大規模な建屋の建設は無理と判断いたしました――保護施設には幼児・男子・女子、それに指導係・調理係・給仕係などの職員用、四つ以上の建屋が必要、国内調査を踏まえると、ボポトリスが最適であると判断しております。この件の協議は後日に送り、事業計画書を作成の上、改めて議題にあげます」
「いや、しかし……今まで後宮の女たちがしてきた、王の身の回りの世話は誰がするんだ?」
「召使を雇い入れます……もともと王妃宮では召使を配置する予定でした。同じことです」
「スイテアさまがご懐妊されなかったら?」
「スイテアさまに限らずこの先、王妃が身籠らず、側室が必要となった場合は後宮を復活させます。が、それは側室一人一人に館と召使を用意し、王がそこに通うようにしたいと考えています――ほかにご質問は?」
議場をサシーニャが見渡せば、何か言いたいが、なんと言っていいか判らない者たちが口籠る。
「ないようですね……では、王妃宮の完成を待って、王にお移りいただきます」
幾分強引だが決定され、閣議はサシーニャの思惑通りその日も終わった――
大臣たちが退出し、残ったのはリューデント・サシーニャ・ジャルスジャズナの三人、チュジャンエラは至急案件の進捗具合を確認しに行くようサシーニャに言われ、ここにはいない。サシーニャが厳重に外聞防止術を掛けた。
胸を撫で下ろすのはジャルスジャズナだ。
「もし王廟が開かなかったらどうしようって、冷や冷やしたよ」
「開かないはずはないって知っていたでしょう?」
サシーニャがニヤッと笑う。
「そりゃあね。でもさ、『リューデントに妃を迎えてもいいか?』って訊いて、万が一開かなかったら、もう目も当てられないじゃん」
ジャルスジャズナは泣き笑いだ。
万が一、スイテアの名を出して王廟が開かなければリューデントはスイテアを王妃に出来なくなる。それを避けるため、単に王妃を迎えてもいいかと訊いた。
「馬鹿な質問をするなって、怒られるんじゃないかとは思いましたけどね」
サシーニャがクスッと笑った。
さて、これからが本番です……サシーニャの言葉にリューデントが唸る。
「どうしたらいいかな?」
「リューデント、我らが手助けできるのはここまでです。あとは自分でなんとかするしかありません」
冷たく言い放つサシーニャ、ジャルスジャズナも声色は優しいが言うことはサシーニャと変わらない。
「なんとかスイテアを貸与館に連れて行くから……あとはリューデント次第だよ」
さらにサシーニャが念を押す。
「いいですか? もう閣議で公言しちゃったんです。失敗は許されません――ジャジャ、お衣装の確認をしておいていただけますか?」
リューデントだけに言いたい言葉があった。ジャルスジャズナに聞かれてはまずい言葉だ。体よく追い出されたとも知らず、ジャルスジャズナは部屋を出て行く。
実のところスイテアにはまだ何も言っていない。だが、腹の子の父親はリューデントだと主張するには時間が残されていない。今ならまだ、早産で生まれたと言える時期だ。
地下牢をあとにし、ジャジャに確認し、一人でリューデントに会いに行ったサシーニャはスイテアの妊娠を告げたうえで進言している。
「自分の子を、幾ら双子の弟とは言え別の男の種だと認めてはダメです。なんとしてでもリューデントとの間に出来たとしなくてはなりません」
「俺は事実を知っている。別にリオネンデ王が父親でもいいぞ」
「いいえ、ダメです。先々まで考えを及ぼしなさい。この先、二人目、三人目とスイテアさまは出産なさるかもしれない。そうなると、今、スイテアさまのお腹にいるお子は、現王の子ではないという理由から王位継承権の下位になる。あるいは王宮内にリオネンデ派とリューデント派、二つの勢力を作りかねない」
「そうは言うが、スイテアはモリジナルだ。俺が迎えに行ければいいが、立場上許されない。アイツを無理やり連れてくる気か?」
「それが……リューデントには内密にと言われているのですが、スイテアさまは王宮にいらっしゃいます」
「戻ってきたのか?」
「戻るの意味がリューデントのもとにということなら、違うとお答えしなくてはなりません。別件でわたしを訪ねていらっしゃいました――リューデントに会う覚悟ができるまで魔術師の塔で過ごすようにお伝えしています」
「塔に居るのか?」
腰を浮かせるリューデントをサシーニャが窘める。
「今すぐに会ってもいい目は出ません。我慢しなさい――スイテアさまには何か理由を付けて貸与館に行っていただきます。そこで口説き落としてください。すでに二度も口説き落とした相手、お手のものでしょう?」
サシーニャの言う二度とはリューデントとして、そしてリオネンデ王としてだ。皮肉を感じたリューデントが、ムッとする。
「それで別件とはなんだ? なんでアイツがおまえと内密に会いたがる?」
が、サシーニャは相手にしない。
「焼きもちを妬いている暇はありませんよ。わたしの話をよく聞きなさい」
まずはスイテアを正式な王妃にする。それからの妊娠ならリューデントの子だと主張できる。だから少々強引でも、早く事を進めなくてはならない。早産だと誤魔化せるうちに、リューデント王の子を身籠れる状況を作らなくてはならない。
スイテアを正妃とするなら、さすがに閣議に諮る必要がある。王の個人的なことと突っぱねることもできなくないが、スイテアへの風当たりを考えれば大臣たちを納得させたほうがいい。
「それにはジャジャに協力を仰ぎましょう」
王廟の承諾を得たらこちらのもの、誰も異を唱えられない。もしだめなら、その時は王廟の話は出さず、サシーニャがなんとか反対者を言い負かすことにした。
ジャルスジャズナを呼び出し、二つのことを説得した。一つは王廟の承認を得ること、
『スイテア本人の意思はどうなのさ?』
ゴネるのを、お腹の子のためだと言って二つ目の説得を始めた。二つ目の説得、それはお腹の子の父親はリューデントと言うことにしたい……
『リオネンデの子とリューデントの子の間で争いが起きるのを防ぐためです。リューデントの希望でもあるんです』
『しかしサシーニャ……』
『それともジャジャは、王妃が生んだ王の子を〝準王子・準王女〟なんて、微妙な立場にしたいんですか?』
スイテア本人にさえ、不用心に腹の子の父親はリューデントだとは明かせない。リューデントの復活を三羽の鳳凰の軌跡としたからには、双子の王子の入れ替わりを迂闊には明かせない。そしてジャルスジャズナは鳳凰の軌跡を信じている。
ジャルスジャズナはマジマジとサシーニャの顔を見詰めた。サシーニャこそ、かつてはその〝準〟王子だ。
『判った……あの世まで持っていかなきゃならない秘密はこれで幾つ目になるんだろう?』
さりげなくサシーニャから目を逸らして、頷いたジャルスジャズナだ。
そのあとジャルスジャズナは大急ぎで王廟に向かった。一方サシーニャは、チュジャンエラにスイテア用の貸与館を用意するよう指示した。王廟は扉を開き、閣議も無事通過した。あとはスイテアに『うん』と言わせるだけだ。
「チュジャンが戻ってきました」
王館の出入口にチュジャンエラの気配を感知したサシーニャが、静かな眼差しをリューデントに向ける。リューデントとスイテアが初夜を過ごすための貸与館の準備は整った――スイテアには妊娠を知らせていない。知らせる必要などない。
「貸与館には飲食物も用意させました。明日の朝まで誰も近づかせません。婚儀は明日の朝、貸与館で行います。それまでにスイテアさまを〝陥落〟してください。説得ではなく陥落です。愛する女を手に入れなさい……これが三度目の正直、この求愛で、あなたの愛が試されるのです」
ジャルスジャズナの前では言えなかった言葉をサシーニャが告げた。
チュジャンエラが執務室に入り、支度が整ったと報せる。
「ご案内いたします」
立ち上がるサシーニャ、リューデントも頷いて腰を上げた。




