相談事
サシーニャの親書を受け取った時、ララミリュースはルリシアレヤが消沈している理由をバーストラテに尋ねている。その返事が『お答えできることはない』だった。その場で突っ込むことをせず、再び持ち出したララミリュースだ。他に誰もいないバーストラテの部屋でなら、あるいは話してくれるんじゃないか?
バーストラテがララミリュースを見ずに言う。声音は穏やかだ。
「ルリシアレヤさまがご心配なのですね」
「そうよ、なんとかしてやりたいの。でもどうしていいか、判らない。お願いよ、何か知っているなら教えてちょうだい」
「……王妃さまともあろうかたが、わたしなぞに『お願い』などと仰ってよろしいのですか?」
「それは皮肉なの? 王妃と言ったところでただの母親よ。子を思う母の心に違いないの」
「羨ましい……」
「えっ?」
思わぬ反応にバーストラテを見ると、そっと顔を逸らされた。
「わたしは母と言うものを知りません――それはともかく、何かにつけてルリシアレヤさまが羨ましくて仕方ないのです。快活で物怖じしないルリシアレヤさま……あんなふうになれたらと、よく思いました。王女さまはわたしの憧れなんです」
「それは、どう受け止めたら?」
ひょっとしたらこの女はルリシアレヤの敵なのか? とんでもない相手に話を聞き出そうとした? ララミリュースが冷や汗を掻く。でも、憧れ?
「わたしは自分の思っていることを巧く言えません。今、こうしてお話しできているのはルリシアレヤさまのお陰です。あのかたは不愛想なわたしに懲りることなく話しかけ、会話と言うものを教えてくださいました」
「そう……それはあの娘があなたに迷惑をかけたってこと?」
「とんでもない! 感謝しているんです」
とっさにララミリュースを見たバーストラテ、だが目が合うと視線を逸らしてしまう。
「お答えできることがないと申したのは、思い浮かべた事柄が、すべてわたしの想像でしかないからです。いつもルリシアレヤさまに同行していましたが、その……わたしにも立ち入れないときがあって、そこで何があったかは判らないのです」
少なくともバーストラテは敵ではない。皮肉を言っているわけでもない。ララミリュースがほっとする。この魔術師はルリシアレヤに好意を持ってくれている。気真面目なうえ、自分でも言っているように、感情を表現するのが下手なだけだ。ララミリュースの見立てとも合っている。
「そうよね、不確かなことを他人に話すのは気が引けるわよね」
ララミリュースの悲しげな声、バーストラテがチラリと盗み見る。
「でもね、藁にも縋る思いなの。あなたの想像の話でもいいのよ。もし、間違っていたとしても責めたりしない。だから話して。参考になるかもしれないわ。お願いよ、どうしてもダメかしら?」
「でも……お聞かせしても、何かがどうにかなるようなことは何もないかと」
「だったらなおさら聞かせて欲しいわ。わたしが聞いても何の問題もないということでしょう? 何もできないのだから」
「王妃さま……」
バーストラテの声に怯えを感じララミリュースがハッとする。強引過ぎたかもしれない。口調も強過ぎはしなかったか?
「ごめんなさい、あなたを困らせたいわけじゃないのよ。でも、他の誰にも話せないし、相談もできないの」
「……王妃さまなら幾らでもご友人がいらっしゃるのではないですか?」
「ううん、この話は誰ともできないの。もしも誰かに知られたら、ルリシアレヤがどんな誹りを受けることか……」
「いったいどうしたのですか? ルリシアレヤさまは、臣民から慕われていると聞き及んでおります」
「バーストラテ、あなた、心当たりはない?」
「心当たり?」
このままではバーストラテは何も教えてくれないだろう。考えてみれば、貴国の王女は婚約者であるリオネンデ王以外と恋をしていたなどと言えるはずもない。だったらこちらから言うしかない。
「あの娘、リオネンデさま以外のかたに心を寄せてはいなかった?」
「な……なんてことを仰るのです?」
バーストラテの声は震えている。
「そうよね、許されない事よね。だけどリオネンデさまは亡くなられた。だったらあの娘の思いが叶えられてもいいんじゃないの?」
「なんで王妃さまはそうお思いになられたのですか? なにか噂でもお耳に入りましたか?」
「フェニカリデでは噂になっているの?」
「いいえ、そんな噂は聞いたことがございません。ですが、バチルデアにいらした王妃さまが、なぜそのようにお考えになるのだろうと思いました。ルリシアレヤさまがお手紙にでも書いていらしたのでしょうか?」
「ううん、書いてないのよ。毎日楽しい、フェニカリデに残ってよかった、そんなことしか書いて来ないの。でもね……バラを見た日だけ、幸せだって、わたし幸せよって書いてくるの」
「幸せ……」
「バラって、サシーニャさまのバラ園――そうよね?」
縋るような目でバーストラテを見詰めるララミリュース、この時ばかりはバーストラテも真っ直ぐにララミリュースを見詰めた――
フェニカリデ・グランデジア――朝食の用意ができたと呼びに来たチュジャンエラにサシーニャが苦笑する。
「わたしの分は厨房に置いてくれればいいですよ。あとは自分でしますから――二人は自分たちの部屋で食べなさい」
サシーニャの街館、バラ園の四阿で小鳥たちに餌を与えていたサシーニャだ。
少し迷ってからチュジャンエラが尋ねる。
「一緒に食事をするのは気づまりですか?」
チラリとチュジャンエラを見てからサシーニャが答える。
「たまにならいいですが、毎日でなくてもいいでしょう? いくら同じ館に住んでいるとはいえ、チュジャンは家族を持ったのだから家族中心に考えなくてはね」
「……やっぱり、出て行かなくてはなりませんか?」
「チュジャンは出ていきたいのですか? それともエリザが?」
「いえ! 出来ることならずっと居たいです。でもマジェルダーナが、いつまでもサシーニャさまに迷惑を掛けてはいけないって」
「迷惑とは思っていませんよ。むしろチュジャンたちが肩身の狭い思いをしていないか心配です」
「僕、そのあたりは図々しくて、すっごく居心地いいんです――マジェルダーナのところだなんて、それこそ肩身が狭そう……」
「マジェルダーナは一緒に住みたいと言っているのですね? 領地を継承させる条件になっているとか?」
「いいえ、よかったら街館に来たらどうかってだけです」
「チュジャンがマジェルダーナの養子になる件は承諾したのですか?」
「それは一応父に相談してます。今日あたり、サーベルゴカから伝令鳥が来るんじゃないかと」
「反対されることはないと踏んでいるのでしょう? 領地持ちとなれば名実ともに上流貴族、悪い話ではありません」
「いや、でも、なんだか話が急って言うか、なんかついて行けない感じで……だいたい、僕なんかに領主が勤まるのでしょうか?」
「わたしは私領のことをほとんど差配に任せっぱなしにしています。案外なんとかなりますよ――いやなら断っては? マジェルダーナは三人の娘の夫の誰かをチュジャンエラの代わりに養子にすればいいだけですから。あぁ、でも、二番目の娘は無理かな。確か彼女の夫は自分の父親の領地を継ぐことになっていますね」
「領地を二つ持つことは許されていないんですか?」
「そんなことはありません。だけど隣接しているならともかく、遠隔地だと治めるのが難しくなりそうです」
餌を食べ終えた小鳥たちがバラバラと飛び去れば、サシーニャもゆっくりと立ち上がる。
「建屋に入って食事にしますよ――朝食は一緒に食べるように用意してしまったのでしょう? 今日の夕食からはわたしのことは気に掛けなくていいからね」
バラ園を出ていくサシーニャと並んで歩きながら、
「ちゃんと食べるか心配なんです……それに、お皿を落として割りませんか?」
と、チュジャンエラがサシーニャを覗き込む。
「割れたら魔法で直しますよ」
「でもね、食事の用意は僕がしますから。でないとサシーニャさま、果物しか食べないでしょう?」
「わたしに構ってばかりいるとエリザに嫌われますよ?」
「大丈夫、ちゃんとエリザのことも構うから、ほっといてください。僕はサシーニャさまと違って器用なんでご心配なく」
苦笑するしかないサシーニャだ。
定刻にチュジャンエラとともに王宮・魔術師の塔に出仕すると、塔の扉番がスイテアが来ていると言った。相談事を持ち込む貴族などを対応するための応接室に通したという。
「お一人でいらした?」
「いいえ、モスリムという従者が一緒です」
モスリムは従者ではないが、いちいち訂正する必要はないだろう。二人を執務室に案内するよう扉番に命じ、自分の執務室に向かう。
「チュジャンも一緒にいてください。必要があればモスリムの相手をお願いすることになります」
「誰にも内緒の話になりそうですか?」
「スイテアさまの用件が判らないからなんとも言えませんが、そんなこともあるかもしれません」
「それにしても、モスリムってワダの手下ですよね? 王宮への出入りは許されてないんじゃありませんか? どこの門から入ったのか知らないけど、よく門衛が通しましたね」
「あぁ……だから従者なんですね。リオネンデ王の片割れさまの従者なら、通さないわけには行きません」
「あ、なるほど」
ほどなく案内されてきたスイテアは、ワダから聞いて想像していた以上に痩せ細っていた。だが、目は澄んで輝き、なるほど、美貌は衰えていない。むしろ凄みを増して、なおさら美しくなったようにも感じる。
茶の用意をすると言うチュジャンエラ、するとスイテアは内密な話があるからサシーニャと二人になりたいと言った。サシーニャの目配せに
「モスリムさま、どうぞこちらへ」
チュジャンエラがモスリムを自分の執務室に連れて行った。
スイテアの前に魔法で用意した茶をサシーニャが置く。
「フェニカリデに帰ったと、リューデント王に知られたくないとのことでしたが、門衛に口止めはなさいましたか?」
「はい、モスリムに任せてよかったです。わたしでは門の中すら入れなかったと思います」
「そうですね、リオネンデ王の片割れさまのお顔を熟知している門衛などいませんから……宿から連絡をいただけるものだと思っておりました」
「あぁ……その手があったのですね。思いつきませんでした。次はそうしますわ」
「次? 王宮にお戻りになる気はないということでしょうか?」
探るようなサシーニャ、スイテアはキッと目に力を込めてサシーニャを見た。




