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残虐王は 死神さえも 凌辱す  作者: 寄賀あける
第7章 報復の目的

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背反と別離

 やがてサシーニャの執務室に、甘い香りが漂い始める。暫くすると紙箱を持ってチュジャンエラが水屋から戻ってきた。

「プディングは夕食の時、食べましょう」

紙箱の中身は焼菓子だった。大きめの箱にたっぷりと入っている。

「随分と作ったのですね」

「思いのほかいっぱいできました。ジャジャにもおすそ分けしようかな? どうせなら押し掛けて、お茶をご馳走になるのも悪くないですね。サシーニャさまもそろそろ休憩したほうがよさそうです」


 チラリとチュジャンエラを見るサシーニャ、

「ジャジャは今、バチルデアのお嬢さんがたの部屋です」

と呟く。塔内の気配を探ったのだ。チュジャンエラもジャルスジャズナの動きに気が付いていて、だからこそ『ジャジャの部屋で』と言った。ジャルスジャズナの部屋にはすでにお茶の用意が整っている。ルリシアレヤたちを招待しようと考えているのだろう。


 ルリシアレヤたちは貸与館のほうは召使に任せ、居室の荷物の整理を始めていた。塔に置いてある細々した私物は自分で片付ける気でいる。

「チュジャンは遠慮なくバチルデアのお嬢さんがたの部屋に行ってください。あいにくお嬢さんは部屋から出る気がないらしい。ジャジャの部屋でなく、向こうでお茶にするみたいです」

ジャルスジャズナの思惑は受け入れらなかったようだ。


 そんなことはチュジャンエラにも判っていた。自分の寝室から出て来ないルリシアレヤ、わけも判らず無視されて涙ぐむエリザマリ、エリザマリを慰めながらジャルスジャズナがお茶の用意を始めている。


「サシーニャさまも一緒に行きましょう」

「遠慮しておきます――折角だから、菓子はいただきます。少しでいいので皿に盛っておいてください」


 そんなに簡単にはいかないか……顔を合わせれば、ひょっとして仲直りするんじゃないか? サシーニャが行かないと言うのは予測していた。それをどう説得するかだ。だが、肝心のルリシアレヤが部屋に籠ってしまっていては説得も無意味になる。サシーニャを窺いながら、皿を出して箱の菓子を盛り付ける。

「何があったんですか? ルリシアレヤも朝から酷く機嫌が悪いし……庭で会ったのでしょう? バーストラテに聞きました」


 無視されるかと思ったが、つい尋ねると意外にも返事があった。

「わたしにも判らないんです」

「判らない? サシーニャさまが何か余計なことを言ったんじゃなくて?」

「わたしが? わたしには何も言わせてくれませんでした――最初から怒っていて、生国(くに)に返されることが気に入らないのかと思ったんですが、違っていました」

「それじゃあルリシアレヤは何を怒ってるんですか?」

「それは……」

サシーニャが言い淀む。ルリシアレヤはエリザマリとの仲を疑っていた。そのことを話せば、チュジャンエラが責任を感じてしまうのではないか?


 それに、ルリシアレヤは『疑い』ではなく、既成事実と認識していたように思える。噂を聞いただけで、あれほどまでに思い込むだろうか? きっと他にも何かがあったんだろう。だけど、その何かが判らない。

「判らないんです……何かを誤解しているようでしたが、何をどう誤解したんでしょうね?」

「だったらサシーニャさま、ルリシアレヤに話を聞きに行きましょう。誤解されたままじゃいけません」

「うーーん」


 チュジャンエラを盗み見てから、言い難そうにサシーニャが答える。

「もういいんです。あの人との縁はここまでだったのだと思います」

「ここまでの縁? なにそれ?……ルリシアレヤを幸せにしたいって言ったじゃないですか、約束したって」

「幸せにするとは約束していません。幸せを考えると約束はしましたが」

「その違い、僕には判りません」

「わたしには判るからいいんです――それより早く行ったほうがいい。エリザがとうとう泣き出した。行って慰めてあげなさい」

「サシーニャさま!」


 サシーニャは答えない。代わりに執務室の扉が開く。

「明日の閣議の申し送り書配布の手配をするので、わたしも部屋を出ます。先に出なさい」

今はこれ以上、何を言っても無駄だろう……菓子の箱を持ち、チュジャンエラが部屋を出る。


 チュジャンエラが退出するとすぐに扉は閉められた。落ち着かず、部屋の中をウロウロするサシーニャ、ふとテーブルの焼菓子が目に止まり、立ったまま一つ取って口に入れる。


 卵白を泡立てて焼いた菓子は甘く、口の中で蕩けていく。その切ない優しさはサシーニャには毒だったようだ。(しか)めた顔を(てのひら)(おお)うと(うずくま)ってしまった。


 ルリシアレヤの居室では、どんなに慰めても泣き止まないエリザマリにジャルスジャズナが手を焼いていた。お(なか)の子に(さわ)るから言えば、泣くのをやめようとするが涙は止まらない。さめざめと泣き続ける。


 そこへチュジャンエラが来て『そんなに悲しそうに泣かないで』と(なだ)めただけで、エリザマリは落ち着きを取り戻し、ジャルスジャズナを感心させ、呆れさせた。


「でもね、チュジュ、今日でお別れなのよ? なのに口を利いてくれないの、目も合わせてくれないの」

チュジュと呼ばれた気恥ずかしさに、ジャルスジャズナとまともに向き合えないチュジャンエラ、それでもジャルスジャズナに訊かずにはいられない。

「なんでルリシアレヤが怒っているか判らないんだ?」


「わたしのことも無視してる……サシーニャから何か聞けた?」

「それが、なんで怒っているのか判らないって。たぶん誤解だろうって言うから、誤解なんか解かなきゃって言ったら、もういいって」

「うん? どういうこと?」

「どうでもいいってことだと思う。ルリシアレヤとの縁はここまでだって言った」

「って、チュジャン。チュジャンにはルリシアレヤとの仲を話してた?」

「えっ? あぁ、うん……エリザとのことを相談した時に打ち明けてくれたんだ。世間に隠さなきゃいけない恋なんてダメかなって、僕が言ったからだと思う」


「ははん、わたしはサシーニャとチュジャンに騙されていたって?」

そう言いながらジャルスジャズナはどこか嬉しそうだ。自分の目が狂っていなかったことと、可愛い義弟が恋をしていることが、ジャルスジャズナの心を軽くしていた。


 サシーニャは拗ねているだけだ、とジャルスジャズナが決めつける。

「チュジャンがリューデントのところに署名を貰いに行ったあとサシーニャから聞いたんだけど、ルリシアレヤに大嫌いって言われたらしいよ」

「だったら、リューデントさまが言うように放っておいても大丈夫なのかな? だけどさ、明日の朝にはルリシアレヤがフェニカリデを出ちゃうことを考えると、今日中に修復したほうがいいと思うよ?」


「ルリシアレヤがあれじゃ無理じゃないか?――ねぇ、エリザ、あんな風にルリシアレヤが怒るのは珍しい事なんだろ?」

「うん、そうなの……」

泣き腫らした目でエリザマリが答える。

「ルリシアレヤさまははっきりしてて言いたいことをスパッと言うけど、怒っても少しツンケンする程度、すぐに機嫌を直すのよ。こんなふうにずっと怒って口も利かないって初めて……それに、怒っている相手はサシーニャさまだけ? わたしのことも怒ってない?」


 不安げなエリザマリに、

「最後に話したのは昨夜、就寝の挨拶だって言ってたよね。その時はいつも通りなんだから、エリザを怒っているはずないよ」

とチュジャンエラが言う。それならいいのだけど、と答えるが、エリザマリの不安は消えないようだ。


 それから暫くあれこれと相談するが、誰もいい考えが浮かばない。そろそろ執務に戻らきゃとチュジャンエラ、すると

「わたし、今日中にサシーニャさまのお館に移るように言われているけど、ルリシアレヤさまを一人にしていいのかしら?」

とエリザマリが不安げにチュジャンエラを見る。

「それじゃあわたしがここにいるから。心配ないよ」

ジャルスジャズナの申し出に、チュジャンエラがほっとする。


「悪いね、ジャジャ。サシーニャさまにもそう言っておく。それからこの箱、忘れてた。サシーニャさまが好きな焼き菓子が入ってるんだけど――サシーニャさまが留守の時、ルリシアレヤが食べたいって言ってたんだ。話を聞きだすきっかけに出来るかもしれない」

仕事が終われば僕も今日は館に帰るからねとエリザマリに言って、チュジャンエラが部屋を出た。


 王宮内伝令の担当魔術師に申し送り書の配布を頼んで自分の執務室に戻ってきたサシーニャを、待っていたのはバーストラテ、暗い顔で扉の前に(たたず)んでいた。

「ちょうどよかった……お茶にしようと思っていたところです。淹れて貰っていいですか?」

部屋に招き入れながらサシーニャが微笑む。


 水屋に行ったバーストラテが用意した茶は一人分、

「あなたの分は? 一緒にと思っていたのですが?」

サシーニャが言っても、

「いいえ、わたしはすぐに退出いたします」

と取り合わない。じっとバーストラテを見たサシーニャが、

「バチルデアに行くのは嫌なのかな?」

探るように尋ねた。ルリシアレヤを警護してバチルデアまで送り届けるよう、バーストラテに(めい)じてある。もちろん、他に警護の兵もつける。

「いいえ、ルリシアレヤさまのお供は勤めさせていただきます」

「……まさか、その任務が終わったら魔術師を辞めたいとか?」


 答えずに(うつむ)くバーストラテ、少し見詰めてから目を()らすとサシーニャは、椀を手にして茶を(すす)った。

「辞めて、どこへ行って、何をして暮らすのです?」


 唇を噛み締めたまま答えないバーストラテに、サシーニャが溜息を吐く。

「わたしとしては、あなたには居て欲しいのですが……」

「だったら! だったらどうしてわたしを弟子にしてくれなかったのですか?」

叫ぶような訴えに、サシーニャがゆっくりとバーストラテを見る。

「そうですね。あなたを弟子にしていれば、こんなふうに余計なことで悩まなくても済んだ――あなたはわたしに似ている。あなたとならきっと穏やかに過ごせることでしょう。でもね、今さらなんですよ」


 今度はバーストラテもサシーニャを見る。

「サシーニャさまは残酷です。わたしの気持ちなど判ってらしたんでしょう? その上で、わたしなら裏切らないと考えて、ルリシアレヤさまの護衛に付けたんですよね? でも、でも!」

バーストラテの身体が小刻みに震え始める。


「わたしは、わたしは……サシーニャさまに()いて、サシーニャさまとエリザマリさまの仲を疑うよう、ルリシアレヤさまに仕向けました。エリザマリさまのご住居はサシーニャさまのお館だと、含みを込めてルリシアレヤさまに言ってしまいました」


 必死で涙を(こら)えるバーストラテに、サシーニャの眼差しはいつも通り穏やかだ。

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