死者の蘇り
ジッチモンデ国王宮には、名もなき山の頂から赤い鳳凰が飛び出したという目撃情報が相次いで寄せられていた。神官の進言がもう少し早ければ、こんな騒ぎにならなかっただろうと思うが、だからと言って神官に文句を言うのも違う。文官たちを宥めすかして対応に当たらせた。
幸いだったのは鳳凰出現による衝撃は想像ほどもなく、被害が思いのほか小さかったことだ。中でも死者や重傷者が出なかったことにジロチーノモが胸を撫で下ろしている。
「怪我人は王宮において手厚く看護する。壊れた建屋があれば、それも王宮が補償する」
国王の方針はすぐさま民人の隅々に届き、天災による皮肉はあるが、ジロチーノモを支持する声がさらに高まった。
国による対策を発表すると同時に、ジロチーノモは鳳凰の帰還に備えるよう触れを出している。目的を終えれば鳳凰は名もなき山に戻るはずだ。その衝撃に備えろと指示を出し、希望する民人は身分如何に関わらず王宮に受け入れている。
「王宮広間に集まった者たちの、食事の支度は間に合いそうか?」
諸所への手配を終えて居室に戻ったテスクンカに、長椅子に座っていたジロチーノモが尋ねた。疲れ切った様子のテスクンカが長椅子の空いたところに腰を降ろす。
「どの厨房も器具が入り乱れ、使えるのはまず片付けてから……食事の配給は深夜になると思います。我々は後でいいと言ってきましたからそのおつもりで」
「食糧庫の被害は?」
「穀類の袋がいくつか破れていましたが、大したことはないでしょう。すぐに入れ替えさせましたから――集まった民には水と、ホンのしのぎですが、そのまま食べられる物を配布済みです」
「そうか……鳳凰の帰還はいつごろと神官たちは見ている?」
「鳳凰の気が済んだら、だそうです」
「素直に判らないと言えばいいものを」
ジロチーノモがクスリと笑う。
「どうせ、どこに何しに行ったかも判らないのだろう?」
「それについては『白き鳳凰が助けを求め、二羽の鳳凰は求めに応じた』と言っていましたね。白の鳳凰の用事が済めば帰ってくるそうです」
「ふん! 白の鳳凰の求めが何かは不明なのだろう? 判らないと同じだ――しかし〝二羽〟の鳳凰? 青も出てきたのか? 青の鳳凰の住処はグランデジアだったな。白はどこだ? 白もグランデジアなのか?」
急激に表情を険しくしたテスクンカが
「知りませんよ」
と冷たく答える。ジロチーノモが、白の鳳凰からサシーニャを連想したと感じたのだ。
「白の鳳凰の住処について語る伝説は聞いたことがありませんね」
つんけんするテスクンカ、ジロチーノモが焼きもちをこっそり笑った。
グランデジア王家の墓地――宙に浮かんだ棺に立って、マレアチナが歌い続ける。そして時々、隣に浮かぶ棺の中を悲しげに覗き込む。
ゆっくり回転する王廟の下では、イニャが膝を抱えてマレアチナを眺めている。子守歌に耳を傾けているようにも見える。そのイニャもやはり宙に浮いている。何かに乗っているようには見えない。
「あれ?」
チュジャンエラが小声で呟く。
「クオーって音、だんだん大きくなってない?」
言い終わる頃にははっきり『クオー』と聞こえていた。
マレアチナが歌をやめ、イニャが立ち上がる。バサッと音がしたかと思うと回転する王廟の周囲を旋回する青い鳥が見えた。
「青い鳥……青き鳳凰?」
よく見ようとチュジャンエラが腰を上げ、ジャルスジャズナもそれに倣う。二人並んで見ていると、青い鳥はマレアチナの隣の棺に降り立った。
棺に立つ青い鳥はマレアチナよりずっと背が高い。マレアチナがニッコリ笑ったと二人には見えた。安心したように棺に横たわるマレアチナ、青い鳥はイニャが現れた時のような光の粒に囲まれ、一度は霧散したもののやがて人を模っていった。それは男の姿……
「……リオネンデ?」
チュジャンエラの声が掠れる。
「いや、あれはリューデントだ。王妃さまの棺の隣に安置されていたのはリューデントなんだから!」
ジャルスジャズナが怒ったように否定した。
やがて、青い鳥から成り変わって現れた男も棺に横たわった。蓋が閉じられ、棺はゆっくりと地上に下りていく。マレアチナの棺は既に地上のいつもの場所にあった。
気が付くとイニャが歌っている。棺から視線を王廟に慌てて移す。イニャの姿も消えていて、歌声だけが聞こえている。王廟の窓から漏れる光がだんだんと暗くなり、同時にゆっくりと王廟も地上に向かう。イニャの歌声も小さくなっていく。
すっかり地上に降りた王廟、元の位置だ。イニャの歌はもう聞こえない。すっと王廟の光が消え、同時に墓地の壁にぐるりと掛けられた燭台に火が灯った。
呆気に取られて動けないチュジャンエラとジャルスジャズナ、先に動いたのはチュジャンエラだ。
「チュジャン、どこに行く!?」
「今、降りてきた棺を確かめる! リューデントさまなら二の腕に鳳凰の印があるはずだ!」
「あんた、まさか!? 棺の蓋を開ける気かい?」
ジャルスジャズナが、慌ててチュジャンエラを追う。
一足先に辿り着いたチュジャンエラが力なく膝を折り、追いついたジャルスジャズナを見上げる。
「ジャジャ、棺の蓋が……」
「蓋が開かないのかい? 勝手に開けちゃダメなんだよ、王廟の許しが――」
途中でジャルスジャズナが絶句する。
青い鳥から変化した男が横たわった棺には『リオネンデ・グランデジア』と銘があった。
「そんな……ここにあった棺にはリューデントって書かれていたはずなのに」
ジャルスジャズナもまた、チュジャンエラの隣に頽れた。
バイガスラ王宮の庭――目の前で起きた出来事に誰も動けないでいる中で、横たわっていた二人が、ほぼ同時に意識を取り戻した。サシーニャとリオネンデだ。ゆっくりと身体を起こす。
サシーニャを見るとニッコリと微笑んだリオネンデ、そのリオネンデにサシーニャが抱きついて震える。
「リオネンデは……青き鳳凰だった?」
地面に尻を着けさせられたまま、グランデジア兵に剣を突き付けられていたジョジシアスが呟いた。
「リオネンデさま!」
叫んだのはスイテアだ。リヒャンデルの手を振り解き、リオネンデに駆け寄る。今度はリヒャンデルも引き止めない。自分もゆっくりリオネンデたちに向かう。
そのままリオネンデに飛び付くかと思われたスイテアの足が、僅か手前で止まってしまった。
「リューズ……」
サシーニャがリオネンデの首にしがみ付くようにして泣いている。そしてリューズと呼んでいる。
「リューズ……さま?」
スイテアの囁きに、遅れて来たリヒャンデルが笑う。
「サシーニャのヤツ、随分と混乱してるなぁ。リオネンデとリューデントを取り違えてら」
するとリオネンデがリヒャンデルに微笑んだ。
「俺だよ、リヒャンデル。リューデントだ」
「はぁ?」
悪い冗談はよせ、そう言いかけて言葉を止める。こんな時に冗談なんか言うはずもない。
リューデントから離れたサシーニャが、目をゴシゴシ擦ってから言った。
「リオネンデは落命しました。が、三羽の鳳凰がグランデジアの今後を憂えて、死者の蘇りの奇跡を起こしたんです――ここにいるのはリューデント・グランデジア、グランデジア国王太子です」
へなへなと崩れ落ちるスイテア、見守っていたそこかしこからヒソヒソと話す声がする。
「リューデントさま、鳳凰の印をみなにお見せください」
サシーニャの呼びかけに、頷いたリューデントが左の袖を捲り上げる。すると二の腕の、くっきりと青い鳳凰の印が露になった。
実は、泣くふりをしていたサシーニャだ。リューデントに抱きついて、二の腕の火傷のあとに治癒術を投げ続けていた。そしてこっそり耳打ちしている――リューデントに戻る好機です。二の腕の火傷を魔法で治して、印が現れるようにしました。
「リューデント……リューデントなんだな?」
リヒャンデルの声が震えている。
「でも、リオネンデはどこに消えたんだ?」
「グランデジア王家の墓地に鳳凰が連れていきました」
答えたのはサシーニャ、これはハッタリだ。王家の墓地に入ることができる人間は限られる。どうとでも誤魔化せる。
「リューデントさま、王太子の権限でご命令を!」
サシーニャが促し、頷いたリューデントが周囲を見渡して声を張り上げた。
「バイガスラ王ジョジシアスは我が手に有り。即刻バイガスラ兵は武装を解除し、我らが指示に従え――ジョジシアス王にはフェニカリデにお出でいただくが、然るべき協議のもと帰国される。それまでバイガスラ国はグランデジア国の統制下となる」
リューデントがサシーニャに頷き、サシーニャがジョジシアスを見る。
「お立ちください。そしてあなたの兵にご指示を」
リヒャンデルの部下が向けていた剣を降ろし、ジョジシアスを助け起こす。ふらふらと立ち上がったジョジシアスは大きな溜息を吐いてから
「グランデジア国王太子リューデントの指示に従え」
誰にともなく言った。
次は自分の出番とばかりリヒャンデルが大声を出す。
「バイガスラ兵は兵舎に戻れ。沙汰があるまで動くな」
それから小声でサシーニャに、
「ジョジシアスを取り返しに来ないか?」
と囁く。
「すぐさまビピリエンツを出ます。今日いっぱいは奇跡を見た衝撃で戦意喪失したままでしょう――封印術を掛けたのでモフマルドとゴリューナガは魔法を使えません。一般の罪人扱いでフェニカリデに連れて行きます。縄を打ってください」
魔法が使えるようになったのかと、訊きそうになったリューデントだったが、ボロが出そうだと思って黙っていた。術を掛けたのだから訊く必要もない――
リオネンデの棺をまじまじと見つめていたチュジャンエラがハッとする。
「サシーニャさま!」
急に立ち上がると出入口へと駆け出した。
「チュジャン?」
その様子にジャルスジャズナも
(そうか、サシーニャが無事か確かめに行ったんだ)
と思いつく。行き先はサシーニャの執務室、扉が開かなければサシーニャは無事、そして開けば……ジャルスジャズナも急いでサシーニャの執務室に向かう。
通り抜けられなかった墓地の出入口は難なく通れた。王出入口を塞いでいた廟の魔法は、もう終わったのだ。
隠し通路を走り抜け、階段を上る。今日は何かと走ってばかりだ。ヘトヘトのジャルスジャズナを気にすることなく、チュジャンエラはとっとと先に行ってしまった。やっとのことで執務階まで辿り着き、見えた扉の中に入った。
「あ、そっか。チュジャンと一緒じゃないからだ」
扉の中は自分の執務室、急いで塔の廊下に出て、サシーニャの執務室に向かう。
肩で息をしているチュジャンエラ、膝を折り床に尻を着け放心状態だ。
「チュジャン……」
恐る恐るジャルスジャズナが声を掛けた。
チラリとジャルスジャズナを見たチュジャンエラが
「ちょっと待ってて……サシーニャさまは無事だから。今、向こうから遠隔伝心術が来て話し中」
ジャルスジャズナから逸らしたチュジャンエラの目の端が、キラリと光った――




