異変とは
リヒャンデルたち軍人は胴丸を付けた上に外套を着込んだ。外套が隠すのは胴丸だけではない。腰に下げた剣と兜、やや不格好になるがバイガスラ王宮正門までの短距離、人ごみを掻き分けて疾走する四人をすれ違う人々は『なんだろう?』と思いはしても、どうせ見送るだけだ。
リオネンデとサシーニャはそれぞれ王族と魔術師の正装、スイテアも王族の正装だが女性向けではなく、足捌きを邪魔しないよう下履きは筒状、裾を紐で結んで捲れを止めた。
三人とも甲冑は着けていない。動き易さを優先した。どうせ狙う相手も甲冑など着けていないはずだ。腰には剣、スイテアは針のように細い刀身のもの、サシーニャは魔術師の宝剣、さらにサシーニャは背に弓と矢筒を背負った。
砂除けを着けないどころか、フードも被っていないサシーニャをリヒャンデルが危ぶむ。
「おまえの髪は実戦ではすこぶる不利だ。狙い撃ちされるぞ」
「おや? わたしを狙い撃ちするような輩は、リヒャンデルが遠ざけてくれるのでしょう?」
「そりゃあ、おまえ、そうだが……」
「ご心配なく。魔法を使わないのはここまでです。向こうにこちらの存在が知られてしまえば隠す必要もない。魔法を使って、どうとでもしますよ」
ビピリエンツに入ってからサシーニャは魔法を使っていない。魔力の行使を敵の魔術師に検知させないためだ。使ったのはフェニカリデにいるチュジャンエラとの交信のみ。それもごく短時間で終わらせている。
さらに魔力の放出を抑え、魔術師だと検知されないようにしている。その方法を習得するのにサシーニャはかなり苦労し、何も知らないチュジャンエラから『魔力を感じません。どこか体調が悪いのでは?』と青白い顔で訊かれた時には小躍りして喜んだ。
身支度を終えてから、軽い食事を摂った。決着がつくまでどれほどの時間を有するだろう? 即座に終わるか、それとも?――即座に終わらせるつもりでいるが、不測の事態がないとは限らない。
リオネンデが大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そして徐に立ち上がった。
「行くぞ、サシーニャ。ついて来い、スイテア――ワダ、案内を頼む」
部屋の隅に控えていたワダが頷いて扉を開ける。
「リオネンデ!」
思いつめたようにリヒャンデルが叫ぶ。それに答えず扉に消えるリオネンデ、言いたいことは判っていた。俺も一緒に行く……その申し出はやはり許可できない。
ジョジシアスは何を語る? 我が母を辱める言葉を吐くかもしれない。弟を凌辱したと面白可笑しく言いはしないか? そんな話を、例えリヒャンデルにも聞かせられるものではない。
追跡させないため、そこからどんなルートで王宮・ジョジシアスの館に潜入するのか、リヒャンデルには明かされていない。しかも、扉の向こうは覗くことさえ禁じられた。どんなに心配が募ろうと、王命には逆らえないリヒャンデルだ。
最後に部屋を出たのはサシーニャ、軽く振り返ってリヒャンデルに微笑んだ。
「頼りにしていますよ、リヒャンデル」
そして扉は閉められた――
ジッチモンデ王宮では国王ジロチーノモが三人の神官を呼び出していた。
「坑道はすべて点検させた。崩落の危険はどこにもなかった。雪崩、土砂崩れなどの予兆かと考え、そちらも念入りに調べさせた。だが、それもなかった。残るは名もなき山の異変――どうだ? おまえたちの見解を聞かせて貰おう。この、ジリジリするような、気を張らなければ判らない僅かな振動、これはなんだ?」
三人の神官はジロチーノモの顔色を窺いつつ神官仲間の様子を盗み見し、なかなか口を開こうとしない。が、最高位の神官が意を決したように、ジロチーノモにこう言った。
「死者の蘇りが起こる予兆と考えられます」
「死者の蘇り? それは死んだ者が生き返ると言う事か?」
「それが……確かとは判らないのですが、厳密には少し違うようです」
「判っていることだけでいい。また、間違いであっても咎めはしない。詳しく話せ」
「はぁ……」
戸惑いの中、神官が話し始める。
「我ら神官が守るものの中に、始祖の王の代より伝わる詩篇――伝説を収めた書物がございます。内容は不可解なことも多うございますし、非現実的なことも多く書かれております」
前置きは要らないと、ジロチーノモは内心イラついているが、ここは黙ったまま神官の話に耳を傾ける。
「中でも〝イニャの言葉〟と呼ばれる一群は極めて難解、使われている文字すら日常我らが使うものとは違っています」
「イニャ?」
「はい、イニャは始祖の王の妻と言われる女性……伝説では始祖の王がグランデジアを建国したのち、どこからともなく現れ、始祖の王の心を虜にしたとあります。この大地ではなく、始祖の王の故郷でもない……別の大地で生まれたと伝えられております」
「始祖の王の妻は白き鳳凰……輝く白い身体、黄金の冠羽、空の色の瞳、ではなかったか?」
「始祖の王の時代、身分高きおかたの名を口にするのは禁忌、始祖の王の名がどこにも録されていないのもそのためです。便宜上、イニャを始祖の王の妻、あるいは白き鳳凰と呼んだのでしょう」
「始祖の王の妻は鳳凰ではなく、間違いなく人であったと言うことだな?」
「しかし、我らとは……始祖の王とは違う体色だったようです」
「それは白い肌、青い瞳、黄金の髪ではないか?」
「そのようです」
「ふむ……」
ジロチーノモがジロリと神官たちを見渡す。
「五十余年前のことだ。グランデジア国がそのような体色の夫婦を保護している。知っているな?」
「存じております――我らの先達が、当時のジッチモンデ王を介して譲り渡しを願い出ました。が、グランデジア国王に拒まれ実現しなかったと申し送りがございます」
「ほう……何故その夫婦を欲した?」
「呼び寄せて尋問し、イニャと同族か調べる心づもりだったのです。話してみて、イニャが使う言葉が通じれば同族、その場合、故郷のことを尋ねる計画だったとあります。イニャの謎を少しでも解明したかったのでしょう――我ら神官は名もなき山の神殿からは離れられません。そしてイニャの存在を、神官はジッチモンデ国王以外には明かしてはならないのが掟、呼び寄せるしかなかった。だが理由を明かすこともできず、グランデジア王への交渉は一度で打ち切られています」
「なるほど。だが、その夫婦にはイニャの存在を明かしてもよかったのか? 矛盾しているのでは?」
「掟とは別にイニャの言葉の中に、『いつか生まれ故郷の誰かがこの大地に来た時のため、死しても蘇り、語る魔法をかけた書を残す』とあります。それをその夫婦に伝える目的もありました。ですが……その書は所在不明になっております」
「所在不明? それに魔法?」
「イニャもまた魔術師、ですが始祖の王とは違う魔力の持ち主だったようです。書の所在については明確ではありませんが、グランデジア魔術師の塔の蔵書庫ではないかと推測されます」
「ふむ……この話、神官が呼び寄せたかった夫婦の孫、グランデジアの筆頭魔術師に話してもよいものか?」
「それはお控えいただきます。もしどうしてもと仰るなら、我らをそのおかたにお引き合わせください。イニャが使う言葉をそのかたがご存知なら、その時は我らからすべてをお話しいたしましょう」
頭の固いヤツらだ、と思ったジロチーノモだが、神官と喧嘩したところで勝ち目はない。
「イニャのことは判った。話しを元に戻せ」
サシーニャを呼び出して確認したほうがいい。だが今は、この絶え間ない微振動の正体の追求だと判断したジロチーノモだ。
バイガスラ王宮ジョジシアスの居室――
「ふふん、バチルデアからの援軍に気を良くしたかな? バイガスラ軍も動き出したぞ」
ゴリューナガが鼻で笑う。
「どう動かした?」
厳しい声で訊くのはジョジシアスだ。グランデジアがニュダンガ国王シシリーズを罠に嵌めたと聞いてから、態度が豹変している。戦に関して消極的だったものが、がぜん積極的になっている。
グランデジア軍を破り、リオネンデ王からサシーニャを引き離す、そう心に決めたようだ。ジョジシアスにとって悪いのは謀略を仕掛けるサシーニャであり、リオネンデではない。あくまでリオネンデは可愛い甥っ子だった。
「全兵をテスレムに向かわせてるね。そうか、バチルデアの国境を越えて、ザザンチャカからグランデジア軍を襲撃するつもりだな」
「ふん!」
鼻で笑ったのは、今度はモフマルドだ。
「見ていれば判る。きっとザザンチャカ門も封印されている」
「しかしモフマルド、緩衝地帯に出られなければ我がバイガスラ軍の勝利はない。むこうだってそれは同じ、このままでは勝敗がつかない。グランデジアはどうするつもりだ?」
苛立つジョジシアスに、
「グランデジアの思惑はバイガスラに諦めさせること」
モフマルドが溜息交じりに言う。
「宣戦布告しておきながら自国から軍を出すこともできない。そんな屈辱的な状態を長く続けていられはしない……謝罪も罪人の引き渡しも求めない、だが代金は勘弁して欲しい、そう我らが言いだすのを向こうは待っている。諸国に出した通達文もそれで本心にできる」
「戦を望むものではない、か」
ジョジシアスが吐き出すように言う。
「誰がグランデジアの好きにさせるものか。なんとしてもサシーニャは捕らえて断罪してやる。今までしてきた策謀の全て、悪逆の全てを洗いざらい吐き出させてみせる!」
「ジョジシアス、落ち着け。どうしたらいいか、考えているから。わたしだってグランデジアにこのまま負ける気なんぞない」
悪逆非道と言う事なら、ジョジシアス、おまえもわたしもサシーニャ以上だぞ――ジョジシアスを眺め、そう思うモフマルドだ。
グランデジア魔術師の塔、二等魔術師が血相変えてジャルスジャズナの執務室に飛び込んできた。
「守り人さま! あっ、次席はこちらに居らしたんですね!」
「ダダンアセラ、どうかしたのかい?」
「守り人さま! すぐに蔵書庫にいらしてください。大変なことになってます!」
「僕、先に行ってる!」
チュジャンエラがジャルスジャズナの執務室を飛び出した。ジャルスジャズナは息をゼイゼイさせているダダンアセラに軽い回復術を掛けてからすぐ来るだろう。
蔵書庫階では集まった魔術師たちが中には入らず、恐る恐る覗き込んで入り口を塞いでいる。
「どいて! 何があったんだ?」
「チュジャンエラさま!? 大変です、蔵書が……」
野次馬を押し退けて蔵書庫の入り口に立ったチュジャンエラが、思わず足を止め、息を飲む。
「な……なんだよ、これ!?」
狼狽えて、茫然と蔵書庫を見るチュジャンエラに周囲の魔術師が縋る。
「何が起きたのでしょう? あの変な音といい、何か起きるのでしょうか?」
僕の手には負えない……一瞬、遠隔伝心術でサシーニャに指示を仰ごうかと迷う。でもダメだ。現地では今頃バイガスラ王宮への潜入を始めているだろう。今、サシーニャの手を煩わせ、集中力を途切れさせたりしちゃいけない――




