失踪の ゆくえ
バツが悪そうにノンザッテスを見ないままアイケンクスが答えた。
「そんなことしたら大騒ぎになるぞ?――ところで戦況はどうなっている? それが気になって、ここに来たんだ」
ってことは、国王の許しを得て来たってことか?……疑わしいと思いながらノンザッテスが答える。
「それが……先ほどから停滞しています。向こうの出口から出られず、かといって、向こうからこちらに攻め込んでくる気配もないようです」
「前線から報告はないのか?」
「来るには来るのですが……見えない壁に阻まれて矢も通らない。ポトリと落ちてしまうのだとか。魔術師が出張ってきて、結界を張ったのだと思われます」
「魔術師? だったらおまえが行って、その結界とやらを解いたらどうだ? それとも出来ないのか?」
「出来なくはありません……」
前線に出るのは恐ろしい……だが、そんな見っともないことは言えない。言えばこの王子は自分のことを棚に上げ、ノンザッテスを罵るだろう。
「よし、ノンザッテス。わたしと一緒に行こう」
「えっ?」
「行ってダズベル領主と交渉するんだ。ルリシアレヤを返せば兵を退くとな」
「ちょっ! ちょっとお待ちください!」
返事も聞かず砦を出ていくアイケンクス、慌ててノンザッテスが後を追った。
苔むす森のダズベル側の出口ではグランデジア兵たちが、森から出てくるバチルデア兵を待ち構えていた。だが一向に出てくる様子がない。少し奥に大勢いる気配はあるが近づいて来ようとしない。
サーベルゴカからの援軍は、魔術師ククルドュネが先行隊五百を引き連れて到着している。残り二千五百も順次到着するだろう。
ククルドュネが戦場に出ると、森の出口を取り囲んだグランデジア兵と、森に潜んだバチルデア兵が互いに矢を放ち合い、グランデジア兵にも負傷者が出ていた。
「フン! 矢を射るのをやめろ!」
ククルドュネの命令に、グランデジア兵が弓を下に向ける。だが、バチルデア軍から飛んでくる矢はどうする気だ? 不安な眼差しをククルドュネに向ける。ククルドュネはニヤリとしただけで、森の奥を見詰めている。
「あれっ!?」
誰かが驚きの声をあげる。
「バチルデアの矢が、落ちちまうぞ!?」
奥から飛んできた矢が森の出口に到達すると、そこに壁があるかのように急に止まってポトリと落ちる。
「結界を張った。これで〝矢〟は飛んでこない。が、人は通れる――結界を出てきたバチルデア兵を狙い撃て」
ククルドュネがニンマリと腕を組んだ。
森の中では暫く矢を射ていたが、どう頑張っても落ちてしまう。落ちてしまった矢が、積み重なるほどになると諦めたようだ。が、向こうも様子を窺うだけになり動きがなくなってしまった。
「ふぅむ……」
唸ってからククルドュネが苦笑する。
「ヤツら、弓が通らないのを見て、自分たちも通れないと見たか?――まぁいい。こちらはヤツらをこっちに来させたくないだけだ」
そして声を張り上げる。
「監視を怠るな! バチルデア兵が出てきたら弓を引け! 決して致命傷を与えるなよ」
ここでもリオネンデ王の『被害は最小限』という方針が生かされていた。
グランデジア魔術師の塔では、ジャルスジャズナがチュジャンエラの執務室を訪ねていた。ルリシアレヤに気付かれた事を話している。
「あの朝、ルリシアレヤがバラ園にいた?」
「本人がそう言ったんだから間違いないだろうさ。サシーニャの髪を切ってあげたって言ってたよ」
「それでサシーニャさまの髪、きれいに整ってたのか」
「なんだ、チュジャン、髪の短いサシーニャを見たんだ?」
「うん。切ったのは朝の早い時刻、食事の時にはもう短かった」
「食事はいつも一緒だったね」
あの朝はエリザマリもいた。が、それを知られるのは拙い。
「それで、ルリシアレヤには窓から顔を出すなって言ってくれた?」
「あ……そうだよね。塔にいるって知られたら大変だ」
「入れ替わりについては放っておいていいよ。ルリシアレヤはサシーニャさまに迷惑をかけないって言ったんだろう? だったら口外しない。せいぜいエリザに言うくらいだし、今、魔術師の塔は一階を除いて魔術師以外は立ち入り禁止だ。問題ない」
「そうだった、あの二人は塔に軟禁状態だ……ところで戦況はどう? 巧く行ってるって?」
「さっき、グレリアウスから万事順調って伝令鳥が来た。バイガスラ軍を門の中に追いやったってさ」
「サシーニャたちのほうは?」
「何も言ってこないところをみると順調」
「そうか……それじゃ、ルリシアレヤに窓の近くに立つなって言ってくるよ」
ジャルスジャズナが部屋を出るのを待って、チュジャンエラはサシーニャに、ルリシアレヤが入れ替わりに気が付いたと知らせようとした。遠隔伝心術を使えばいい。が、
(やっぱりいいや、今、知ったところで何もできなんだから)
と、施術を途中でやめた。
苔むす森の中ではダズベル出口に向かってどんどん歩いていくアイケンクスをノンザッテスが必死で止めていた。
森の中は前が止まったまま行き場のないバチルデア兵でごった返している。その兵たちを押し退けて、アイケンクスは先へと向かう。
「煩い、触るな!」
歩みを止めようと縋れば振り払われ、王太子に魔法を使うわけにもいかず、アイケンクスについて行くしかないノンザッテスだ。
「軽率過ぎます、あなたは王太子なのですよ?」
王太子? その声に驚いて、周囲がアイケンクスを見るが本人は気にならないようだ。『王太子がなんでここに?』そんな囁きが、森のあちこちで聞こえてくる。
「構わん! それとも何か? 王太子は親戚を訪ねてはいけないのか? 先々代、つまりは俺の曾祖父の妹はダズベル領主の妻だ――うーーん、今のダズベル領主はその何代下になるんだろう?」
そんなことも知らないで、よくも親類だなどと言える……頭痛がしそうなノンザッテス、思わず溜息をつく。
ダズベル側の出口ではククルドュネが俄かに緊張する。フェルシナス側から二人の男が足早にこちらに向かってくる気配を察知した。バチルデア兵が囁く声にも気が付いている。
(王太子がなんの用だ? それに……もう一人は魔術師だ)
魔術師の塔からの伝令鳥では、バチルデア本隊の総司令は王太子だとあった。バチルデアに限ったことじゃないが、王太子が二人いるとは聞いていないし、それが普通だ。そう言えば、バチルデア本隊が国を出てバイガスラに向かったとの報せもない。ここにいるのが本物の王太子だとしたら、どう考えればいいのだろう?
そして魔術師……グランデジア魔術師の塔に所属していないにも関わらず、あの魔力は上級魔術師のものだ。だとしたら、筆頭が探せと命じた魔術師の一人か?
ククルドュネが近くにいたグランデジア兵に何か耳打ちし、頷いた兵士が数人を引き連れて森の出口の脇に回った。
グランデジア魔術師の塔の入り口では、数人の将校が集まって開扉を迫っていた。
「リオネンデ王か筆頭さまにお会いしたい!」
言葉遣いは通常だが、含まれる怒気が尋常ではない。
「お戻りだと聞いている。大事な話があるんだ」
「お二人は誰ともお会いになりません。事前に通知があったはずです」
扉の中から魔術師が答える。
将校の一人がチッと舌打ちする。
「おい、おまえ、今、答えたヤツ! 名と階級を言え! 扉番なんぞ、どうせ下級魔術師なんだろう? 軍に逆らうのか? 戦場で痛い目を見るぞ!」
戦場に魔術師を同行させるのはグランデジアの慣習、臨戦時に嫌がらせするぞと脅している。
「魔術師は全員王の直属。国王以外の命令に従う義務はない! そちらこそ名乗ったらどうだ? 筆頭さまに名前ぐらい伝えてやるぞ?」
扉の中の魔術師は気が強いらしい。筆頭に告げ口するぞと、反対に将校を脅した。
舌打ちした将校がいきり立つ。 傍にいた少し年長の将校が、いきり立った将校の肩に手を置いて、やめろと言わんばかりに首を振った。そして、
「ご無礼をお許し願いたい。我らは火急の用件で、国王か筆頭さまにお会いしたいのです」
と扉に向かって語りかける。
「火急かどうかは国王が判断なさる事です――ご用件を仰ってください。お伝えします」
中の魔術師も穏やかな声で答えてくる。
「それが……バチルデア国からお預かりしている王女とその侍女の所在が判らないのです。あてがわれた貸与館の召使たちは知らないと言い、警護の魔術師たちも出て行ったとは気づかなかったと言っています」
魔術師に含みを持たせた口調は皮肉だ。おまえたちは何をしていたんだと言いたいが、おおっぴらに喧嘩を売るわけにもいかない。ここで魔術師と争えば、立場はあちらが上、軍規違反を問われるだろう。皮肉を言うのが精いっぱいだ。
扉の中が寸時沈黙し、今まで受け答えしていたのとは別の声がした。
「なぜその件で王への目通りを願う?」
なんだか随分偉そうな物言いだ。
「王と筆頭がバイガスラ対策でお忙しいのは承知のはず。お手を煩わせるのはどんな魂胆からだ?」
やけに棘のある言い方、魔術師は軍部と争うつもりなのか? が、ここでも将校はグッと堪えた。なにしろ、こちらの主張を聞き入れて貰わなければ先に進まない。
「ご存知でしょう!? バチルデア国はバイガスラ国に加担すると決め、苔むす森から我が国ダズベル領に侵攻を開始しました。そのバチルデア国の王女が失踪したのです。リオネンデ王との婚約も、フェニカリデ滞在も、この日のために情報を集めるためと考えられます――姿を晦ましてから、まだそうは経っていない。すぐに追手をかければ捕らえられます」
「そうか、国を思っておまえたちは騒いでいるのだな。その忠誠心、褒めるべきものだ。だが、王女の捜索は不要だ」
「待ってください!」
穏やかな将校も慌て、その背後では見守っていた将校たちがどよめく。
「なぜ不要なのですか? 今ならまだ間に合うのに!」
扉の中で受け答えしていた偉そうな魔術師が溜息をついた。
「バチルデア王女の処遇は終戦を待って決める。勝敗に関わらずバチルデア王女は交渉の役に立つはずだ――心配ない。王女と侍女は魔術師の塔が保護している。婚約が破棄されるまで、バチルデア王女はリオネンデ王の婚約者だということを忘れるな。何があっても軍部に引き渡すことはない。判ったら立ち去れ」
扉の外では何かを喚く声、将校たちは納得できないのだろう。それを気にも留めず偉そうな魔術師は塔の上階に向かう。
「あとは任せた――無体なことを仕出かすようならまた呼んで欲しい」
扉番にそう言い置いたのは次席魔術師チュジャンエラだ。
執務階に戻ると、ジャルスジャズナが待っていて、
「軍部の坊やたちは帰ったかい?」
とチュジャンエラを見て笑う。
「ルリシアレヤたちが塔にいるって言っちゃったみたいだけど、よかったのか?」
「サシーニャさまの指示だよ。どんなに騒いでも、ヤツ等は塔に入れない。国王が中にいるのに外から火を放つなんてこともできない。まあ、火を点けられたって、魔術師たちが消しちゃうけどね」
「このまま引っ込んでるかな?」
ジャルスジャズナが心配そうに言った。




