王の立場
バイガスラの檄文を受け自国の立場はグランデジア支持と決定していたプリラエダ国に、グランデジア国の通達文が届いたのは意思表明の準備をしている最中だった。
「干渉不要……」
最後の一文にスザンナビテ王が唸る。夫の手から通知文をもぎ取った王妃がサラサラと文面に目を通し
「戦乱は望まない、諸国を巻き込みたくない……グランデジア国はどうやら、あなたが仰っていた通りの国のようですね」
と微笑む。
プリラエダ国スザンナビテ王の居室、王妃と二人きりのところに届けられたグランデジア国からの書簡を、さっそく開封したスザンナビテだ。
「干渉は遠慮して欲しいというのは、援軍不要という意味でしょう?」
「そうだな、グランデジア国の友好国にとってはな」
「そりゃあ、敵対する国にとってはバイガスラを援護するなということでしょうけれど、我がプリラエダがグランデジアと手を結んだとなれば、彼の国と敵対するのはバイガスラ国だけとなりますわ。バチルデアは王女をリオネンデ王に嫁がせるのでしょう?」
「まだグランデジアと手を組んだわけではない」
「では敵対なさるおつもりなの?」
「そうは言ってない……」
何を言っても否定され、王妃が頬を膨らませる。
「手を貸してくれって言われたかったの?」
「うーーん……そう言ってくると思っていたのに肩透かしを食らわされた。そんな気分ではある。だが、わたしが考えているのはそんな事じゃない」
「では、何をそんなに難しい顔をしてらっしゃる?」
スザンナビテ王が妻に向き直る。
「我が国がグランデジアに付けば、勝利が見えてくる。なのにそうは望んでいないらしい。が、負ける気もないだろう……気になるのはサーベルゴカに残ったグランデジア軍だ」
「サーベルゴカ?」
「我が国との国境、グランデジア側の街だ。そこからもニュダンガに向けて兵が動いたが、思っていたよりも少ない兵数だった」
「国境の備えは動かさなかった……まさか我が国を信用していない?」
「いや……」
「また否定なさるのね……」
「いや、ひょっとして、グランデジアはバチルデアがバイガスラに呼応して、敵対すると考えているのではないか?」
「あら、リオネンデ王と王女さまは婚約されているのでしょう?」
「しかも王女はグランデジアに滞在している」
「だったら、グランデジアの味方をするのでは?」
「が、バチルデアは水源をバイガスラに握られている」
「……板挟みということなのね? ならばどちらにも付かなければいいのよ――それで、サーベルゴカのお話はどうなったの?」
「うん? グランデジアとバチルデアはニュダンガで接しているが、もう一箇所国境がある。サーベルゴカの東、苔むす森だ」
「サーベルゴカの兵を減らさなかったのはそのため?」
「だとしたら、我が国に援軍を要請しないのは、そちらへの備えと考えているからではないか?」
「それであなた、どうなさるのです?」
「そうだなぁ……実はとても面白くない。まるでプリラエダ軍を自国の駒のひとつと考えられているようだ」
スザンナビテが苦笑する。
「だがここは、他国を戦乱に巻き込みたくないという言葉を信じて、暫く静観と行こうじゃないか」
グランデジア支持の意思表明文の作成を中断させるべく、スザンナビテが部屋を出る。見送る王妃が笑んだのは、夫がこの状況を面白がり、グランデジアがどう動くのか楽しみにしていると感じたからだ――
コッギエサ国から『グランデジア支持、ただし参戦は見送る』という通達文がジッチモンデに届いたのはバイガスラが開戦を予告した日の前日だ。
「そろそろ布陣を始める頃か?」
テスクンカの膝を枕に、長椅子に横たわるジロチーノモ王が呟いた。ジッチモンデ王宮・ジロチーノモの居室、テスクンカと二人きりで寛いでいる。
「謝罪と王子引き渡しの期限は明日の昼、応じる気のないグランデジアはそろそろ国境の干渉地帯に軍を進めるでしょう。ですが、バイガスラが国境から兵を出すのは、早くとも明日早朝になるのでは?」
「返答待ちの姿勢を見せるためにか? フン、くだらない。どうせ両国とも、初めから戦する気だ」
「それでも体面は大事ですから」
「体面が大事? それを言ったらわたしはおまえを夫に出来ないぞ?」
「虐めないでください」
テスクンカが苦笑する。
ジッチモンデ国は軍を出さないと既に決めている。グランデジアとの戦が始まればバイガスラ国内の軍備は手薄になることが見込まれる。そこへジッチモンデが攻め込めば、バイガスラは前面をグランデジア、背部をジッチモンデに挟まれる非常に苦しい立場となる。その時、バチルデアやプリラエダはどう動くだろう?
「考えてみると、グランデジアとバイガスラが手を組んでいたからこそ、この大地の平和は保たれていたのかもしれないな」
ジロチーノモが呟いた。
ジッチモンデがグランデジア支持を表明し参戦した場合、グランデジアとジッチモンデに挟まれ窮地に立たされたバイガスラに、バチルデアは味方するだろうか?
バチルデアは水源を握られ、バイガスラには逆らえない立場、だから間違ってもグランデジアに味方することはないだろう。そしてグランデジアに王女が居ることを口実に、バイガスラに援軍を送るのを避けることもできる。つまり、表面上は中立の姿勢、だが……
グランデジア・ジッチモンデ両国に依ってバイガスラが弱体化したのを見計らって新勢力として参戦する可能性は高い。バイガスラ相手にグランデジア ・ ジッチモンデとて無傷ではいられない。バチルデアはそれを狙ってくるはずだ。三国を相手にするのは冒険になるが、グランデジアとジッチモンデは退却させるだけで事は済む。バチルデアはバイガスラの領土が手に入れられればそれでいい。
そしてプリラエダはニュダンガが欲しいはずだ。バチルデア参戦で弱体化したグランデジア軍の背後を突けば、バイガスラもしくはバチルデアとプリラエダに挟まれ、しかもグランデジア本国と分断され、グランデジアはニュダンガを放棄せざるを得なくなる。もともとニュダンガはプリラエダとは親密な間柄、自国に権利があるとプリラエダが考えても可怪しくない。
そしてコッギエサ……以前よりゴルドンドを欲しがっていた。グランデジアに取られて悔しい思いをしているのではないか? やはり港は魅力的だ。グランデジアの敗戦が見えてくれば、ここぞとばかりに動くだろう。
だからジロチーノモは援軍を送らないと決めた。グランデジア・サシーニャの判断は正しい。戦乱を早期に終結させ、この大地に平和を齎すために、ジッチモンデ国は動いてはいけないのだ。
「サシーニャに会いたいなぁ」
溜息まじりのジロチーノモに、テスクンカがムッとする。
「サシーニャさまに未練がおありで?」
「接吻しかしてないからな。その先はどんなだったんだろうと、想像するだけで濡れてくる」
「わたし一人にするとの約束は?」
「想像するくらいいいだろう? 実際にわたしが身体を許す男はおまえだけだよ」
ニヤリと笑うジロチーノモ、妬心に身を焦がしたテスクンカが激しく自分を求めてくるのを知っている。そんなジロチーノモの思惑に気付かないテスクンカ、拗ねてジロチーノモから目を背けた――
バイガスラとグランデジアの戦で、他のどの国よりも揉めているのはバチルデア国だ。バイガスラに肩入れせよと言う勢力、いいやこれから先はグランデジアと手を組むべきだと主張する勢力、二手に分かれ歩み寄る兆しが見えない。
バイガスラ派は水源の問題を口にし、グランデジア派はこの機に乗じてバイガスラを亡ぼせば水源が手に入ると言った。
思惑をまったく見せない国王エネシクルが二者の論戦に拍車をかける。王が何も言わないのは迷っているからだ。ならば王が納得する理由を述べれば賛同が得られる。両者ともそう思って言い争うのだから、いつまで経っても譲歩しない。
「国王、ご意思を!」
黙したままのエネシクルに苛立って、とうとう誰かがそう叫ぶ。
「ふむ……」
徐に立ち上がったエネシクルに視線が集まる。が、エネシクルは視線の期待を裏切った。
「白熱する議論が長く続いた。この辺りで少し休憩しよう」
議場がどよめく中を、エネシクルが退場していく。
エネシクルが向かったのは自分の居室、不安げな眼差しの妻ララミリュースが出迎える。
「どうなりましたか?」
「ふむ……」
疲れ切った様子でドサリと椅子に身を投げ出す。するといきなり居室の扉が開き、入ってきたのは王太子アイケンクス、議場から父親を追ってきたのだ。
「父上!」
アイケンクスはバイガスラ派、グランデジアを亡ぼした暁には、バイガスラ国にグランデジアに移って貰い、バイガスラはバチルデアに吸収したらよいと熱弁を振るっていた。
「父上、なぜ納得してくださらない?」
「議場では黙っていたが、おまえの考え、バイガスラは承知しているのか?」
「いや、それは……」
もちろんそんな根回しはしていない。
「しかし、グランデジアに味方すれば、ドリャスコ川がどうなるか……」
「そうだな。戦時下では非人道的だと非難されようが関係ないな」
「バイガスラが倫理観から、ドリャスコ川を盾にしたりはしないとお考えでなのですか?」
「そうは思っていないよ」
「では……ルリッシュをお気に掛けておいでか?」
「帰国させるようグランデジアには要請している。本人にも伝えてある」
「では、帰国を待って我が国の立場を明らかにしようとでも?」
「いや……母と一緒に帰国せず、残ることをルリシアレヤは望んだ。リオネンデは魅力的な男なのだろう。あの子の性格ではきっと帰国しない」
「そんな……」
ララミリュースが気を失いかけ、傍らの長椅子に崩れ落ちる。そんな母親を気にもせず、アイケンクスが父親に詰め寄る。
「では父上はグランデジアに味方すると?」
「それはない」
エネシクルが息子を見詰める。
「なんのためにフェルシナスに兵を置き、苔むす森の前に砦を築いた?」
「いや、しかし、あそこから攻め入るのは卑怯ではありませんか? バイガスラの戦なのです。あそこから攻め込むのなら我が国は我が国でグランデジアに宣戦布告しなくては、それこそ人の道に反します」
苔むす森からダズベルを責めろ、ノンザッテスにもそう言われた。でもそれを潔しとしなかったアイケンクスだ。
エネシクルが息子に優しい笑みを向ける。
「アイケンクス、わたしはおまえの真っ直ぐなところを愛している。だが、これは戦だ。多くの人々の命が掛かっている。一見、卑怯と思えることが早期の終戦を導き、みなを救うことにもなる」
「父上……」
「バチルデアはどちらに付くか迷う姿勢を貫く。そして機を見て苔むす森よりグランデジア国へ侵攻を開始する――情報漏洩を防ぐため、その時まで誰にも言うな。そしてルリシアレヤは諦めろ」
ララミリュースの嗚咽が響く部屋でエネシクルが穏やかに笑む。その疲れ切った様子に、王の重責に自分は堪えられるのだろうかと考えるアイケンクスだった。




