絹の織物
フェニカリデ・グランデジアの南門を出ると、暫く周囲は雑木林、緩やかな昇り傾斜が続く。それを抜けるとあたり一面見渡すばかりの耕作地、それはグランデジアの最南端ハプリクスまで広がる。南門からハプリクスに至るまでがハプリクス街道で、途中東西に分岐し、東に向かうのは裏グリニデ街道、ぐるりと周回するがグリニデへと続く。
西に向かうのはモリジナル街道、スカンポ山脈にぶつかるあたりから北上し、山脈に添うようにモリジナルに向かう。モリジナル街道にはリッチエンジェに至る脇道もある。
グランデジアの南は国境がない。東はプリラエダ、西はコッギエサ、北は一部バチルデアだがほぼバイガスラと接している。が、南は切り立った崖のみ、崖の下には海が広がる。岸壁は、西へ行けばガッシネの少し手前まで、東はバチルデアのフェルシナスをぐるりと取り囲み北上、バチルデアとバイガスラの国境付近まで続いている。が、バチルデアのあたりと違って溶岩流が固まったようには見えない。
伝説では始祖の王がこの大地に初めて降り立ったのはハプリクス、ならば地殻変動による隆起・沈降が起きたのではないか。崖下までは近づけないが、船上から粘土層や砂礫層の重なる地層が海面近くまで確認できる。
ハプリクスから崖沿いに西へ少し行くと養蚕の地ジェラーテンがある。以前は王領だったがサシーニャの祖父が拝領し、以降シャルレニ・サシーニャと受け継がれている。養蚕が盛んなわけだが、そのため桑の木が多く植えられている。
桑の木は養蚕以外にも、果実をジャムや酒、葉・木皮を茶や化粧水・薬剤、そして材木としてなど、様々に利用されている。もちろん、優れた紡織・紡績・染色技術も有していて、蚕の繭から採れる絹糸・絹織物はジェラーテンの特産品だ。
甘く煮て乾燥させた蚕の蛹に飴を絡めて固めた菓子は他では手に入らず、ジェラーテン土産として喜ぶ人も多い。ただ見た目で嫌悪されることも多々ある。
橄欖・実芭蕉・鳳梨などの果実も多く作られ、特に橄欖油は高級品とされた。甘蔗の砂糖も有名だ。
そのほか麦や芋類などグランデジアの他の地域でもよく作られる農産物もあり、年貢はもっぱらこれらで納められた。私領の中では裕福な地だ。
シャルレニはサシーニャ誕生のさい、祝事だからと翌年の年貢を免除したが、なぜか翌々年以降も免除は続いた。シャルレニが没し、マジェルダーナに管理が移ると周辺地域と同率の徴収を始め、領地管理に必要な経費を除き金銭にして蓄えた。蓄えはシャルレニが残した遺産とともに、サシーニャ成人の際、本人に継承させている。
サシーニャが実質的な領主になってからも年貢の徴収は続いたが、その方法は違っていた。物納は変わらないものの、飢饉などに備えた食料庫から、治めた物と同等の食糧を排出し、新たな物と入れ替える形にしている。排出した物は領民に無償で与えるのだから、新物が貯蔵品に変わっただけで実質的には年貢の徴収はないと同じだった。
養蚕の地ジェラーテン、サシーニャの衣装はここで作られた絹織物であり、サシーニャが衣装に拘るのはジェラーテンの絹織物の素晴らしさを自ら着用することで、広く世間に知らしめる意味も多分にあった――
縮こまるチュジャンエラをリオネンデが不機嫌な顔で睨みつける。王の執務室、サシーニャの遅参理由を聞いて怒り出したリオネンデだ。
「それでサシーニャは?」
「ですから、街館でワダと会う約束があ――」
「いつ、ここに来るかを訊いているんだ」
「ですから、ワダとの話が終わ――」
「いつ終わるんだ?」
そんなの知るか、と言いたいが言えないチュジャンエラ、リオネンデの八つ当たりは今に始まったことではない。ウンザリしている。
黙ってしまったチュジャンエラに気が付き、少しリオネンデが口調を抑える。
「だいたいなんで街館に? ワダは王宮本館への出入りも許したはずだ。そもそもなぜ魔術師の塔ではダメなんだ?」
「ワダの希望だそうです。サシーニャさまへの個人的な贈物を持参しているとか」
「贈物?」
「衣装だと思います。先日、塔に来た時そんなことを言ってましたから」
「なぜワダがサシーニャに衣装を贈る?」
「王子になったお祝いだそうです」
「それをサシーニャが受け取った? いや、今、受け取ってるのか」
「ワダはこないだ、生地の見本を持って来てたんです。それがとても素晴らしいもので……サシーニャさまの着道楽はリオネンデ王もご存知でしょう?」
「着道楽? アイツが凝った衣装を着るのは、自領の産業を振興するためだ」
「そうだったんですか? なにしろその布はかなり高価なものでサシーニャさまも遠慮したんだけど、ワダの顔を立てるってことで受け取ることにしました」
「ふふん」
急激に機嫌が直ったリオネンデが、チュジャンエラを馬鹿にしたように笑う。
「顔を立てるねぇ……その布、染めか織が特殊なんじゃないのか?」
「え……えぇ、染めも織も新開発された技術だとかで原価が高くなり過ぎるから売り物にできないってワダが言ってました」
「その時のサシーニャの反応は?」
「その技術を使わないのは惜しいって」
「そうか……ワダが今日、来ることは前から決まっていたのか?」
「えぇ、三日ほど前に連絡がありました」
「では、サシーニャのヤツ、ジェラーテンから誰かを呼び寄せただろう?」
「ジェラーテン? そこまではちょっと……」
ここで再びチュジャンエラを小馬鹿にするように、リオネンデがフフンと笑う。
「サシーニャが、いくら相手がワダだろうが個人的な贈物を受け取るものか。他人から見れば賂、いくらグランデジア一の豪商と言っても、いいや、豪商だから余計に悪い。他の商人にはしない便宜を図ると誤解されかねない」
「あ……」
「ワダとの談合、少し時間がかかるかもな……サシーニャが目を付けたのだ、よほど素晴らしい物なのだろう? いくらワダでもそう簡単にその技術、手放したくないはずだ」
「リオネンデ王は、サシーニャさまがワダから技術を買い取るつもりだと?」
「その見本品という理由で衣装を受け取る言い訳も立つという事だ」
「なるほど、そう言う事だったんですね……あっ!」
「あっ?」
小さく叫んだチュジャンエラを見ると、どうも目つきが虚ろだ。
「おい、チュジャン!?」
「……あ、いえ。サシーニャさま、今からこちらに向かうそうです。街館を出るところだって、言ってきました」
「うん? なんでそんな事が?」
「遠隔伝心術です。ほら、サシーニャさまがジッチモンデに行った時、チャキナム山脈から向こうは使えなかった……」
「あぁ、受けることはできるけど、送れないって言ってた?」
「最近やっと、僕の方からも送れるようになったんですよ。ただ、何かしながらだとできなくて」
「おまえ、今、凄く呆けた顔をしてたぞ?」
「えっ? そうなんですか!? うわぁ、人前で出来ないじゃん!」
「で、今は、サシーニャが言ってきただけ?」
「いや、『巧く行った?』って訊いたら『巧く行ったけど、なんの話かな?』って返事でした」
「相変わらずサシーニャは惚けたことを言う」
苦笑するリオネンデ、後宮の出入り口に立ち、
「もうすぐサシーニャが来る、茶菓の用意を――アナナスがあれば出してやれ」
と奥に声を掛けた。それに答えるスイテアの声が聞こえる。
そう言えば、とリオネンデが話を変える。
「今のサシーニャの相手はネフュリザクの娘だって?」
「あぁ……少し古い情報ですね。二回ほど王宮の庭で逢引したらしいけど、魔術師の食事の話をしたら向こうから撤退したって」
クスリとチュジャンエラが笑う。
「雉肉が食べられない生活なんて考えられないんだとか」
「どうせサシーニャがわざとそんな話をしたんだろう?」
「明後日、ニャーシスさまの妹御と会う約束になってるらしいですよ」
「ニャーシスの妹? 上か、下か?」
「うん、両方。どっちがいいかニャースさまに訊かれて、面倒だから両方でってサシーニャさまが」
ケラケラとチュジャンエラは笑うが、リオネンデは呆れる。
「姉妹二人と見合い? よくニャーシスがウンと言ったな……だが、ま、どちらか選べないから断るって話の運びだろうな」
「きっとそうですね――自分からイイ人がいたら紹介をって言ったものだから、断ってばかりもいられないようです」
「ふん、身から出た錆だ。アイツ、疲れ切ってるんじゃないか?」
「それがそうでもないみたいですよ……女の人と会うこと自体は苦にならないみたい。それなりに楽しんでるように見えます。でも、一緒に暮らすとなると話は別だって」
「あいつ、意外と浮気性なのか?」
「それはないんじゃない? いい気分転換ってところかな」
「気分転換ねぇ……」
そこへ茶菓を持ったスイテアが来て、
「温室物のアナナスを頼んであるのだけど、まだ届いてないんです」
申し訳なさそうに言う。菓子皿には砂糖漬けのアナナスと覆盆子が盛られ、黄色と紅色の対比が美しい。
「季節じゃないからな。無理を言った、気にするな」
「それにしてもスイテアさま、この取り合わせにするのは流石ですね」
リオネンデとチュジャンエラの言葉に、スイテアが嬉しそうな顔で笑んだ。
「今日は寒いので、お茶は生姜湯にハチミツを少し溶かしました……チュジャンはハチミツが多いほうが良かった? なんだったら持って来ますよ」
「それなら覆盆子にも……やっぱり僕って甘いもの好きに見えますよね?」
「おまえは菓子を出されればすぐ口に入れる。甘いもの好きを隠しもしないじゃないか。味覚が子どもな感じもするし」
「味覚が子どもって、それ酷くないですか?」
揶揄うリオネンデに抗議するチュジャン、スイテアはクスクス笑う。そこにサシーニャが入室してきた――
ダズベルへの兵の配置は終わったのですが、と言いながらチュジャンエラが難しい顔をする。
「烏の情報によるとジッチモンデ側でも兵の増強があったとのことです」
「うん? それはこちらに呼応してか?」
「いえ、こちらより先です」
チュジャンエラの答えに、リオネンデがサシーニャに視線を移す。
「どう見る?」
「苔むす森の前に砦を築いたものの配置した兵は少数。むしろ気になるのはフェルシナスの各農村とプリラエダ国境の山麓に散らした兵――フェルシナスへは苔むす森からの侵入以外はあり得ないし、プリラエダが山越えで侵攻してくるなんて、考えるだけバカバカしい」
「いざとなれば、なんの躊躇いもなく兵を苔むす森に集められるという事だな。それで総数は?」
「ざっと三千と言ったところかと。 烏 の言う事なので、数に関しては確かではありません」
「ダズベルの配備は五百……」
リオネンデが呟いて目を閉じた。




