ガラスと金山
深夜の脱出が露見した翌日、ジャルスジャズナの診立て通り回復したサシーニャは通常の執務に戻っている。いつも通りの時刻に出仕し、決められた執務のほか、空き時間には下級魔術師の指導など、精力的に動いている。
王との打ち合わせでは、チュジャンエラに責っ付かれたリオネンデが一応説教したが、飽き足らないチュジャンエラは緊急以外の夜間外出禁止を言い出す。
『女の子に会いに行けないじゃないか』
サシーニャの冗談は、リオネンデには受けたもののチュジャンエラは
『そんな時はどの辺りで会って、いつ頃帰るか、言ってからにしてください』
と真面目に言い放ち、サシーニャを苦笑させた。
『まさか、今でも継続魔法を使って、眠ってる間もフェニカリデに気を張り巡らせてたりしませんよね?』
確認するチュジャンエラ、ムッとして答えるサシーニャ、
『夜警を増やした時、やめました。今も続けていたら増やした意味がありません』
と不貞腐れる。数人ずつを組みにし、交代で魔術師たちに夜の街を巡回させた。もっと部下を信頼しろと言われてから、自分が担当していたことを少しずつ分担し始めている。
チュジャンエラにしたらサシーニャに本当の意味で休める時間を持って欲しいだけだが、サシーニャにしたら万が一の時、混乱しないための措置だ。
サシーニャが蔵書庫で居眠りした日、テーブルの上から消えた絵本は書架の定位置に戻っていた。だが、ジャルスジャズナが模写した絵は行方不明になった。塔のどこかにあるだろうとあちらこちら探したが見つけられない。消されてしまったのだろうか?
仕方ないからもう一度描くよ、とジャルスジャズナは言ったが、サシーニャは生返事しかしない。今となってはサシーニャにも見えるのだから意味がないと思っているが、せっかくのジャルスジャズナの申し出を無下にするようで言えなかった。そうこうしているうちに行方不明の模写絵が見つかった。見つけたのはエリザマリだ。
蔵書庫の書架、書籍の天と棚板の隙間にあったと言う。見習い魔術師総出で、書架と本の隙間、書架の奥、書架と書架の隙間、書架の裏側など徹底的に蔵書庫を捜索した結果、すべて発見された。
蔵書庫で居眠りなんかするからこんな大掛かりなことになったんだ、チュジャンエラの厭味に一緒にいたジャルスジャズナが苦笑する。
『それにしたって最近、チュジャンエラは随分と機嫌が悪いね』
無反応のチュジャンエラ、こっそりサシーニャが
『このところ、忙しくって彼女と会えてないみたいですよ』
とジャルスジャズナに耳打ちする。なるほどね、ジャルスジャズナがチュジャンエラを盗み見て笑った――
グランデジア一の豪商ワダが従者を伴って魔術師の塔に来たのは、泉水広場の南側花壇が色とりどりのプリムジュに埋め尽くされた頃だ。用件は特注品の納品、注文したのはサシーニャ、従者はその品を運んできた。役目を終えた従者は控室で待つことになる。
「次席にお出で願いたいと伝えて欲しい」
従者とともに退出する案内係にサシーニャが声を掛けた。
「最近はチュジャンと一緒じゃないんだ?」
ワダが不思議そうな顔をする。
「彼に軍部との調整役を任せましたから、さらに忙しくなったようです。この時刻なら自分の執務室にいるでしょう」
「へぇ……それじゃ、滅多に顔も合わせないとか?」
「そんな事はないですよ。執務中は別行動も多いけれど、王との打ち合わせ、閣議とか、王の謁見に付き合ったり、そのほか二人での打ち合わせ、半分くらいは一緒にいるのかな?」
「そう言えば、アイツ、サシーニャさまの街館に住まわせて貰ってるんだっけ?」
「住んで貰ってるが正しいけれど、まぁ、そうですよ。彼はわたしを管理するのに好都合と考えているみたいですが、わたしは変わらず自由気ままに過ごしてます」
「さては小言を受け流してますね? 変わらないのはチュジャンの苦労だ」
ちょっとムッとしたサシーニャ、ワダが楽しそうに笑った。
扉の向こうからチュジャンエラの声が聞こえる。茶菓を持ってきた魔術師と鉢合わせたようで『僕に任せて』と言っている。サシーニャが魔法で扉を開けた――
濃紫に蔦模様を透かした布の結びを解くと現れたのは木箱だ。サシーニャの注文品が納められている。
「その布は? 見たところ絹だけど、いい色に染まっていますね」
「おおや、さすが洒落男、この布に気が付いたか。染料は普通の紫根だが、ちょっと染め方を工夫した。こんなに濃い紫は見たことないだろ?」
「蔦模様も刺繍ではありませんね。一段明るい色の糸を使い、模様が出るように織り込んでいる……相当高価になりそうですが?」
「そうなんだよね。モスリムの発案で一着分ほど作ってみたけど、原価がどうにも高くつく。だから売り物にするのはやめた」
「しかし、染めの技術も織の技術も使わないのは惜しく感じます」
「なぁに、捨てるわけじゃない。時を待つつもりさ。いずれ人々がもっと豊かになれば高価だった物だってそうじゃなくなる。原価も低くなり購買力も高まる。そしたら大々的に売り出すさ――サシーニャさま、その日を待ってますからね」
「えっ? わたし?」
「リオネンデ王とお二人で、人々の生活を豊かにしていくのでしょう?」
そう言いながら木箱の蓋を開けるワダをサシーニャが見詰める。そしてフッと笑う。
「そうでした……責任重大だ」
サシーニャを見ずに、ワダもニコリと笑んだ。
木箱に納められていたのはガラスの高足杯が六客だった。大鋸屑を固め、高足杯の形通りに等間隔に成形したものが箱に詰められている。蓋の内側を見ると同様に加工してあって、これなら高足杯は動かないだろう。
「この枠でガラス同士がぶつからなくなり、多少の衝撃は大鋸屑が吸収してくれますね……輸送途中の欠損を抑えられそうです」
「いつも通り、モスリムの発案さ」
「そう言えばモスリムは?」
「あいつは向こうに置いてきたよ。穢い男どもに囲まれて辟易してるだろうね」
「彼は繊細そうでしたからね……うん、こちらもかなり繊細そうだ。見ただけで薄いと判ったけれど、こうして手に取ると軽さに驚かされます」
枠から取り出した高足杯をサシーニャが光りに翳す。
「今までの半分? いや、それ以上の薄さ――しかも歪さをどこにも感じない。高足さえも美しい」
サシーニャの絶賛にワダがニンマリし、チュジャンエラもほぅッと溜息をつく。
「赤ブドウ酒の美しさを楽しめるガラス杯、でしたよね? これもかなり高価なんじゃ?」
チュジャンエラの質問にワダがニヤリと笑う。
「そう見えるだろう? が、コイツはほんのちょっと高価なだけだ。高度な技術が必要だが、原材料が少なくて済む」
「これはガラス工場の職人が作ったのですか?」
こちらはサシーニャの質問だ。
「そうさ、こんな杯を作ってくれって頼み込んだんだ。職人、そんなの無理だって最初は嫌な顔をしたけど、モスリムに言われたとおりに説得したら、やっと作ってみる気になってくれた」
「そうですか、近いうちに労いに行かなくてはなりませんね」
嬉しそうなサシーニャ、が、小さな声で『順調すぎて怖いくらいだ』と呟く。
「苦労が報われ始めたのだと思えばいいですよ」
ワダがニッコリと、やはり小さな声で言った。
ところで、と急に表情を引き締めたワダがサシーニャに向き合う。
「例の板状のガラス、アッチは巧く行ってないんだ」
「そうですか……まぁ、何もかもそう簡単には進まないものです」
「ガラスの中に格子状に糸を入れようと思ったが、中に沈まず燃えてしまう。ま、これは冷静に考えれば当たり前だな」
「繊維で強化したいと思ったわけですね。ガラスの解ける温度を考えれば確かに無理な話……金属をガラスに溶け込ませるのは?」
「そう、それを考えて、今、金属は何がいいか模索してるんだけど、ジッチモンデに相談できないかね?」
「ジッチモンデに相談ですか……判りました、ジロチーノモ王に相談に乗って貰えるよう手紙を出しておきます。でもワダ、実現できるのは計画が終わってからになることを承知しておいてください」
「判っているとも。ガラス事業が本格化するのはすべてが終わってからだ」
ワダがサシーニャを見詰めて頷き、サシーニャがそれに頷き返す。
「それから、この紫の布なんだけど」
一通りの話が終わってからワダが言った。
「一着分あるんだが、衣装を作ろうと思ってるんだ」
「素敵なものができそうですね」
木箱を包んでいた布を手に取り、羨ましそうにサシーニャが答える。
その様子を見ながらワダが懐から別の布を取り出し、木箱を包む。
「その布、サシーニャさまに差し上げますよ。何かを包むしか役に立たないだろうけど、バイガスラにくれてやるのも惜しいし、自分の衣装と同じ布をヤツらが持ってるってのも嫌でしょう?」
「なるほど、そうかもしれませんね」
「また他人事のように……出来上がった衣装はサシーニャさまにお贈りしたいと思ってるんです。受け取って貰えますよね?」
「えっ?」
「王子になられたお祝いですよ。遅くなって申し訳ない。思いのほか布を織るのに時間が掛かっちまってね。今、仕立てさせてるところです」
「いや、でも、こんな高価で貴重な……」
「俺が今やグランデジアでも指折りの金持ちだって知ってるでしょう? 恥をかかせないでくださいよ。それとも、お気に召しませんでしたか?」
「そんな……」
戸惑って迷って、それでも
「ありがたく受け取らせてください」
嬉しそうに微笑んだサシーニャだ。
ジャルスジャズナに会っていったらどうだ、とサシーニャが勧めても『そのうちにね』と笑って誤魔化したワダ、
「サシーニャさま、グランデジアの家々の窓がガラスに煌めく景色を一緒に見る、これは約束ですよ?」
と言い置いて帰っていった。
ワダが退出してからチュジャンエラがサシーニャに尋ねた。
「ガラスとジッチモンデってどう関係するのですか? ジッチモンデでガラスを作ってるって話は聞かないけれど?」
「それはジッチモンデがガラスの作り方を知らないからですよ」
「そうなんだ?」
「ジロチーノモと二人で話した時、落ち着いたらガラス職人を派遣すると約束しました。持参したガラス杯を大変気に入っていただけたので、作られたらいかがかとお勧めしたんです」
「でも、ガラス作りは大変だって聞くし、材料も入手困難だって話だよね」
「チュジャン――」
サシーニャがそっと微笑んだ。
「ジッチモンデは金山の国、それを忘れてはいけません」




