慰めを必要とする人
グランデジア魔術師の塔・鳥獣飼育地域――数人の一級魔術師が伝令鳥使役の鍛錬をしている。指導しているのは筆頭魔術師サシーニャ、筆頭自ら鍛錬の指導に当たるのは珍しい。優秀な者を集めて伝令に特化した部隊の編成を考えての事だ。想定している戦に備え、戦場に連れて行ける伝令鳥を欲していた。
空を行く鳥は本来地上が苦手、しかも慎重で臆病な個体が多い。騒乱の中、目指す相手を素早く見付け、躊躇なく舞い降りる、それが可能な伝令鳥とその使い手が必要だった。
予定より少し早い時間にサシーニャが鍛錬の終了を告げた。軽く屈んで、足に纏わりついてきた黒猫を抱き上げる。
近づく気配があると、とっくに気付いていた。仕方ないなと心の中で舌打ちし、鍛錬の終了を告げた。ヌバタムはルリシアレヤを連れて来ていた。
「こんなところになんの用です?」
サシーニャが冷たく問う。
「サシーニャは何をしているのかしらって呟いたら、ヌバタムがここに案内してくれたの」
嬉しそうにルリシアレヤが答えた。
「ヌバタムって凄いのね。尻尾がビュビューンって延びて、わたしの手を引っ張ったのよ。それで案内してくれるんだって判ったの。あれは魔法?」
「ヌバタムの能力です……でも、だからと言ってこんなところに来たら迷惑が掛かるとは思わなかった?」
「あら、それはヘンね。行っちゃいけない時にはヌバタムだって、案内しないって言ったじゃない。しらばっくれちゃうんだったっけ?」
言った覚えが確かにある。サシーニャがウンザリと溜息をついた。
「ヌバタムにあなたの依頼に答えるよう言ったのは間違いでした――折角来たのだからお茶くらい差し上げましょう。ちょうど休憩しようと思っていたところです」
塔に向かって歩き出したサシーニャをルリシアレヤが追う。
「鳥を飛ばしたり腕に止まらせたり……何をしていたの?」
「主に書簡を運ぶのに役立って貰います」
「へぇ、それも魔法?」
「鍛錬ですべきことを鳥に覚え込ませます」
「魔術師が飼育すると、猫だけじゃなく鳥も賢くなるのね」
「もともと鳥は賢い生き物です」
「そう言えば、『おしゃべりな鸚哥』ってゲッコーじゃないの? 一言も話してくれないんだけど……」
「なんの話ですか?――蔵書庫に行きましょう」
惚けるサシーニャ、魔術師の塔の入り口に到着している。ヌバタムがサシーニャの腕から擦り抜けるように飛び降りると、さっさと階段を上って行った。
「ところでエリザは? 一緒じゃないんですね」
「えぇ、ちょっと体調が悪くって……今日は一日寝てるんじゃないかな?」
「月の障りですね。痛み止めはもうなくなったのかな?」
「まっ!」
ルリシアレヤが階段の途中で足を止める。それに合わせてサシーニャも止まり、ルリシアレヤを振り返る。
「違いましたか?」
「いや、女の子が具合悪いからって、サシーニャがそんな発想をするとは思わなかったわ」
真っ赤な顔のルリシアレヤ、サシーニャは首を傾げると
「違いましたか……ではなんだろう? バーストラテ、エリザの様子はどうなのですか?」
ルリシアレヤの後ろにいるバーストラテに話しを振った。
「サシーニャさまのご推察通りです――ルリシアレヤさまは恥じらったのです」
「ふむ……」
ルリシアレヤが赤くなった理由にやっと気づいたサシーニャが、何事もなかったかのように止めていた足を進めた。
「エリザは以前から相談に来ていたんです。このままでは将来、子どもを授からないんじゃないか、それが心配だったようですね。でも大丈夫、少し、身体が冷えやすい傾向にあるので、それを治せば月の障りも軽くなり、ちゃんと子どもも授かるでしょう……体質改善の処方を続けています。そろそろ相談に来る頃なので、そうなのかなと思っただけです」
サシーニャの弁解に、
「そうだったのね。誤解して御免なさい」
慌てるルリシアレヤ、足も慌てて後を追う。
「でもよかったの? 国王の主治医がエリザを診察なさって」
サシーニャが軽く笑う。
「食べ過ぎの診察をさせたあなたが言いますか?」
「うわっ! サシーニャって根に持つのね」
「記憶力がいいだけだと思います――チュジャン、蔵書庫で休憩しましょう」
執務階でチュジャンエラに声を掛けて、さらに階段を上っていく。声は掛けたがチュジャンエラの姿が見えていたわけではない。
「チュジャンは気が付いたかしら?」
「遅くとも、塔に入った時点で気が付いています。でも声をかけなければ来ずらいでしょう?」
「チュジャンには優しいのね」
「ルリシアレヤにも優しくしてますよ?」
「意地悪されてばかりな気がする」
「面倒なヤツだってよく言われませんか?」
「ほら、また意地悪言ってる」
「嫌いになりましたか?」
クスッと笑うサシーニャにルリシアレヤが頬を膨らませる。
「さぁね、答えたくないわ」
「おや、以前より賢くなりましたね」
「それって褒めてるの?」
「さぁね、答えたくありません――チュジャン、お茶の用意をお願いしても?」
蔵書庫の入り口あたりでチュジャンエラが追い付いてきた。
「そのために僕を呼んだんでしょ?――四人分でいいですね?」
サシーニャの返事を待たずに水屋へ向かう。蔵書庫にヌバタムの姿はない。気紛れな猫は何かに興味を惹かれて、そちらに行ってしまったのだろう。
「次席にお茶を淹れさせるなんてすまないとは思うのだけど、チュジャンが淹れてくれるお茶が一番美味しいから、つい頼んでしまいます――バーストラテもこちらに座りなさい」
窓際のテーブルを選んだサシーニャだ――
自分で誘っておきながら、さっさと茶を飲み終えると蔵書庫から去っていくサシーニャ、チュジャンエラも片づけをバーストラテに頼んで、執務階に向かう。
「なんで僕を呼んだんですか?」
「忙しかった? すまないね、チュジャンのお茶――」
「僕は騙されませんよ?」
気まずく黙るサシーニャだ。
「それから……バーストラテ、勘づいていませんか?」
「ん……少しわたしの執務室で、話したほうがよさそうですね」
サシーニャの執務室の前にはヌバタムがいて、二人を見ると尻尾を扉の引手に伸ばした。
「ヌバタム、出来るようになったのですね」
尻尾を使って扉を開けるのを見てサシーニャがニッコリすると、ヌバタムが『ニャオン』と一声得意そうに鳴いた――
サシーニャの話は一方的だった。
サシーニャ不在でなぜ扉が開いたのか不思議がるチュジャンエラに『ヌバタムが尻尾を使って、扉を自分で開ける練習をしていたので、前もって出入り自由にしておいたんです。この執務室、居室、そして街館の玄関とわたしの居室……いつでも自由に出入りできます』と説明してから、『約束を忘れてはいませんよね?』と本題に入った。
『ルリシアレヤの思慕を利用していると、バーストラテは承知しています』
事も無げにサシーニャが言った。
『街館での食事会の後、バーストラテにはわたしの女性関係が、噂であれルリシアレヤの耳に入るのを防ぐよう依頼しています。勘付いているのではなく知っているのです』
何か言おうとするチュジャンエラに、『おまえの意見を聞くために呼んだわけではない』と口を封じたサシーニャだ。
『特にエリザマリとの関係は知られないよう徹底的にルリシアレヤを管理するよう頼みました。これはチュジャン、おまえにも同じことをお願いたはずです』
少し間をおいてサシーニャは軽く溜息をついた。
『いつだったか、わたしが自滅するんじゃないかって心配していたようだけど、どうしてそう思ったのか……そんな事にはなりません。これが最善と考え決めたのです。だから安心なさい――時間を取らせました。話しは終わりです』
退出を促され、納得いかないまま自分の執務室に戻ったチュジャンエラだ。
心配ないから安心しろ、サシーニャはそう言うけれど、あれはチュジャンエラに言ったのではなく、自分に言い聞かせていたんじゃないのか?……チュジャンエラはそう感じていた。
権力の集中の話をしたとき、サシーニャがエリザマリを追ってバチルデアに行くという噂を流そうと言ったら、サシーニャは『関係ない人を利用したり傷つけたりしてはいけない』と言った。
エリザマリが街館に通うようになり、別の目的もあって意図的にそんな噂が流れるようにしたけれど、それだって事前にエリザマリに説明し了承を取っている。だけどルリシアレヤについては違う。
ルリシアレヤにはなんとしてでもグランデジアにいて貰わなくては困る――サシーニャはチュジャンエラにそう言った。バーストラテへの依頼と同じことを言われた時だ。
『グランデジアにいて貰うため、ルリシアレヤのわたしに向ける思いを利用しようと思います』
リオネンデがルリシアレヤに振り向くことはないと、既にルリシアレヤは察している。それでも王女の務めを果たすと覚悟している。だが、予測していない事態になったらどう動くだろう?
『グランデジアがバイガスラと開戦した時、バチルデアがバイガスラにつく可能性は否定できません。その時、軽はずみな事や、あるいはグランデジアへの裏切り行為をさせないために、ルリシアレヤの気持ちをわたしに惹きつけておく必要があります』
ルリシアレヤには相手国を明かさず近々戦になると告げた。その戦が終わったらルリシアレヤの幸せを一番に考えるからと、あの夜、バラ園で約束したとサシーニャは言った。
『その約束を信じ、わたしを信じてルリシアレヤはグランデジアで温和しくしてくれる、甘い考えですかね?』
もちろん、他にも手は打ちますよ、そう言ってサシーニャはチュジャンエラに微笑んだ。
半ばルリシアレヤを騙していることにサシーニャは苦しんでいるはずだ。だからこそ言い訳が増えた。口数の少ないバーストラテと三人では、ルリシアレヤと二人きりも同じ、その気まずさにチュジャンエラを呼んだ。そんな事お見通しなのに、チュジャンエラにさえ言い訳しようとした。
サシーニャの部屋を出るとき、チラリと見たサシーニャはヌバタムを抱き締めて頬を寄せていた。サシーニャは普段からヌバタムを大事にし可愛がっている。だからそうしていたって奇怪しな事じゃない。けれど、なんとなく、ヌバタムに縋っているようにチュジャンエラには見えた。
あの子たちはね、自分を必要とする人のところに行くようです……そう言っていたサシーニャ、そうだとしたらヌバタムは、サシーニャが自分を必要とすると判っていて執務室の前で待っていたのではないか?
このままでいいはずがない、そう思っても、どうしたらいいかチュジャンエラには答えを出せない。溜息をつくばかりだ――




