カラスの情報網
グレリアウスから、バイガスラへの商品引き渡しの一回目は万事滞りなく終わったと連絡があった。予定通りラメアリスに入港し、船上での検品、即時バイガスラ国へ車箱ごと引き渡したとのことだ。
遠からずバイガスラ国はジッチモンデ国と調整の上、車箱のままジッチモンデ国に運ぶだろう。最終検品は両国立会いのもと、ジッチモンデで行われる。車箱はジッチモンデに譲ると話しがついていた。ジロチーノモはきっと上手に役立ててくれる。将来は船便に限らず陸路でも、どこの国に行っても、何かを大量に運ぶときはこの車箱が使用されるようになるとサシーニャは見ている。
グレリアウスはラメアリス港に向かう船に車箱とともに乗船している。引き渡し終了後は船ではなく、馬でニュダンガ・ダンガシクに帰る予定だ。移動時間は断然陸路のほうが早い。
グレリアウスの報告にあった航海中の様子について、あることにサシーニャは興味を引かれている――船が進むのは、常に陸地が遠く見える位置。陸が見えなくなるほど沖に出ると、海に飲み込まれてしまうと船乗りたちは信じている……グレリアウスの報告書の、ついでのような一節だ。
器の総額はジッチモンデ金貨で三千六百枚、それを聞いてジョジシアスは『我が国の半分だな』と呟いている。なんの半分なのか、ジョジシアスは言わなかったがサシーニャは調べあげている。バイガスラの歳入の半分と言う事だ。ジッチモンデは金山を多く保有し、こと金については苦労しない国だった。
引き渡し予定商品の代価をジッチモンデがバイガスラに預けてから納品、預かった金貨は三回目の納品前までバイガスラが保管する。グランデジア・バイガスラ・ジッチモンデ、各々商品受け渡し時には徹底した検品、バイガスラが金貨を預かる時も金貨の真偽・枚数を厳しく確認する――
魔術師の塔・筆頭魔術師の執務室で不貞腐れているのは次席魔術師チュジャンエラだ。街の烏に相手にして貰えないばかりか、鸚哥に馬鹿にされっぱなしで頗る面白くない。
ゲッコーを介して烏にこちらの意図を伝えることには成功した。グランデジア国内のみならず、諸外国の烏と意思の疎通を図れることも確認済みだ。烏たちはチュジャンエラの予想より人間の事を知っていた。
サシーニャが『向こうはこちらの言葉が判るようですよ』と言っていたが、本当だったのだとチュジャンエラは大いに納得している。人間が何を話し、何をしているのか判るのか尋ね、『当リ前ノ事ヲ聞ク愚カ者メ』とゲッコーが通訳してくれた時は嬉しくて、愚か者と言われたことに腹も立たなかった。ところが――
「サシーニャさまぁ。僕、もうダメです」
チュジャンエラが涙目でサシーニャに訴える。さっきからゲッコーに笑われっぱなしで、とうとう心が折れたらしい。
「やっぱり僕には無理です。あー、ひょっとしてサシーニャさまでも無理かもしれない。烏たち、人間に協力する理由なんかないって冷たいんです。烏の情報網の利用は諦めましょうよ」
烏たちから協力しないと言われて、今日で三日目だ。
するとサシーニャが
「わたしにも無理?」
チュジャンエラを睨みつけた。
サシーニャは暫くチュジャンエラを見ていたが、フッと笑い、『そうですね』と立ち上がる。
「サシーニャさま?」
「烏の情報網活用なんて誰もやったことがないのですから、そう簡単にできるとは思ってませんよ。だからチュジャンがへこむ必要はありません」
「はぁ……」
そのまま窓辺に行くと窓を開け、
「ちょっとあっちを向いて。こっちを見ないでくれませんか?」
とサシーニャ、わけが判らないままチュジャンエラが従うと『クワァクワッ』と烏の鳴き声がすぐ近くで聞こえた。思わず聞こえたほうを見ると、次のクワックワァが聞こえ……
窓から身を乗り出すようにして烏の鳴き真似をしていたサシーニャが、ギョッとして振り返り、
「見るなって言ったのに!」
真っ赤になって口を尖らせた――
サシーニャの呼びかけに応じて窓辺に飛んできたのは五羽の烏、
「随分前にサシーニャさまが、『みんなで食べるんだよ』ってブドウをあげた烏ですか?」
とチュジャンエラが問うば
「あの子の子どもたちですよ。全部で二十羽いるはずなんだけど、五羽しか来ませんでしたね」
サシーニャが微笑む。今日もサシーニャは烏にブドウを食べさせている。
「二十羽もこの窓に呼ぶんですか?」
「いつもは鳥獣飼育地域の原っぱか、伝令鳥の鍛錬所です。この窓に二十羽で押しかけられたら困ります。まぁ、いつもせいぜい七羽程度しか来ませんけどね――さて、キミたちにお願いがあるんだ」
チュジャンエラから烏へと、サシーニャが視線を移す。ブドウはほとんど食べ尽くされていて、茎の取り合いになっていた。
サシーニャの声に二羽の烏がサシーニャを見る。
「バチルデアの軍隊がグランデジアに向かったら、すぐに教えて欲しいんだ」
すると二羽は見交わしてから、身体の大きなほうの烏が『クワァ』とサシーニャを見上げて鳴いた。
「ゲッコー、通訳」
すかさず命じるサシーニャ、
『ソノ烏、賢イ烏』
ゲッコーが答える。
「それともう一つ、わたしがいなくても、ここにいる鸚哥にそれを教えて欲しい。鸚哥に聞こえるように鳴いてくれればいいんだ。出来るかい?」
やっぱり体の大きなほうの烏がクッカァと鳴き、ゲッコーが
『向コウノ山ノ烏、大声』
と言ってクックと笑い始め、サシーニャがニッコリする。
「ありがとう、よろしく頼むよ。もう一房ブドウをあげよう――チュジャン、水屋にあるから持ってきてください」
烏たちは二房目も平らげてからクワクワ鳴いて帰っていった。
最初からサシーニャさまがやってたら、あっという間に終わったよね? チュジャンエラがブドウを食べながらサシーニャを詰る。
「何を言うのです? バチルデアの烏とも繋がっている、軍と言うものを認識している、そんなあれこれを調べてくれたのはチュジャンですよ? わたしは仕上げをしただけに過ぎません」
「そりゃあ、そのあたりを聞き出すのも結構大変だったけど……」
陽は沈んだが今日の仕事はまだ終わらない。先に夕食にしたサシーニャとチュジャンエラだ。食べ終われば仕事の続きが待っている。街館に戻れるのは、今日も深夜だ。
「そろそろジッチモンデに器が運び込まれる頃ですね」
「それなら昼間、無事受け取ったとジッチモンデ国から報せが来ました――ジロチーノモの私信も同封してあって、器は成婚祝いに配る予定だって書いてありましたよ。貴族たち向けにするのだそうです。まぁ、高価ですしね。平民向けに何かいい案はないかと相談されました」
「やはり養子に?」
「テスクンカを貴族の養子にしてって話は全部断ったとありました。身分と結婚するわけではないと宣言し、民衆の支持を勝ち取ったようです」
「ジッチモンデでは平民の意見も取り上げるのですか?」
「なんでも、『このままでは暴動を起こすぞ』とジロチーノモが貴族たちを脅したようです」
「ちょっと待って、それって国王による暴動ってこと?」
「はい、ジロチーノモらしい発想です――幸運だったのは神官がジロチーノモ支持に回ったことでしょうか。名もなき山への生贄の風習を完全に禁止したのはジロチーノモ、その功績に報いる意味もありそうです」
「神官たちも悪しき風習と受け止めていたのですね――ご成婚はいつに?」
「春を待って、とありました。バイガスラよりもジッチモンデは雪が早い。そろそろ降り始めるころです」
「それでサシーニャさま、ジロチーノモさまのご相談にはなんとお返事を?」
「三角の花をお勧めしようと思っています。今から温室で育てれば、春には間に合います。たくさん花をつけるから、そこまで広い温室でなくても必要数を揃えられますよ――乾燥させても色が変わらない花、長く飾っておけますし、お二人の愛を象徴していると思いませんか?」
「菓子とかのほうが喜ばれそうだけどなぁ」
「お振舞は別に考えているようです。ま、いい知恵があればって話だから、ジロチーノモの参考になればいいのですよ」
「それにしてもサシーニャさま。なんで器の代金を『ジッチモンデ金貨』としたのですか? 粒金のほうが良かったんじゃ?」
金貨は通常、発行した国内でしか通用しない。富裕層はともかく、庶民は外国の貨幣など見たことがないのだから偽造品でも見分けられない。そして金の含有率も国によって違いがある。そんな理由から、外国との取引は粒金が使われるのが常だった。粒金なら容積と重さで真偽が判り易い利点もある。
「いえ、ジッチモンデ国の金貨でなければダメなんです。理由はそのうち判るでしょう」
刻み野菜がたっぷり入った雑炊の鍋に差し込まれた玉杓子に手を伸ばしながらサシーニャが微笑む。
「サシーニャさま、それ、四杯目、大丈夫ですか?」
ギョッとしたサシーニャが手を引っ込める。
「食べろと言ったり食べるなと言ったり……まぁ、やめておきます、リオネンデみたいに腹が出てくるのはちょっとね」
と笑えば、
「リオネンデさま、そんなにお腹が出てきたんですか?」
チュジャンエラが驚く。
「衣装の上からでは判りにくいけど、少しね……って言っても、本人も気にしていたから、そのうち引っ込むんじゃないかな?」
「そうなんだ? 診療時にでも見たんですか?――まぁ、サシーニャさまも気を付けないと、フラれちゃいますよ」
「そんなことで嫌うなら、こっちから願い下げ……って言いたいです」
「言えそうもなさそうですね」
「チュジャンだってそうでしょう?」
「彼女は僕の言いなりですから」
「嘘っぽい……」
「バレました?」
二人してクスクス笑った――
夜明け前――背中が燃える夢を見て、サシーニャがハッと目を覚ます。直前まで愛し合う夢を見ていた。それがいきなり目の前が火の海となり、抱き締めていたはずのあの人の姿もない。驚きと戸惑いの中、気付けば燃えているのは自分の背中だ。あまりの熱さに身悶えし、そして目が覚めた。近頃よく見る夢だ。
目が覚めれば背中はヒンヤリと、当然のことながら炎があるはずもない。ただ鳳凰の居所には焼けるような熱の気配――気配だけが存在し、それが全身に広がっていくように感じた。だが、体温の上昇はない。背中を鏡に映してみるが、姿を隠したままの鳳凰を見ることはできなかった。
(父上……)
以前よく見た父親に縋る夢はいつの間にか見なくなった。暖かな日差しに包まれたあの夢が、今では遠く懐かしい――




