体を蝕む虫
少しだけ笑んでレナリムを見詰めるリオネンデ、見開いた眼で瞬きもせずにリオネンデを見詰めるレナリム、どうなる事かと二人を見比べるジャッシフ……
「こうして改めて見るとレナリム、おまえは他人にくれてやるには惜しい女だ。美しい顔、滑らかな肌、形よく膨らんだ乳房、きゅっと腰は引き締まり、むしゃぶり付きたくような尻をしている――身近過ぎて今まで気が付かなかったぞ」
「な、なにを……」
なにを仰います、そう言いたいが言えずにいるレナリム、ジャッシフが慌てて、
「リオネンデ!」
と小さく叫ぶ。
もし本気でリオネンデがレナリムを望めば、レナリムに拒む権利はない。ジャッシフだって同じだ。なにしろレナリムは、リオネンデの後宮の女だ。
「どうした、レナリム? 俺の相手をするのは嫌か? それとも……他に思う男でもいるのか?」
ハッとレナリムアが息を飲み、ジャッシフは思わずレナリムの顔を見る。するとレナリムの瞳から涙が溢れ始める。
「リオネンデさまもお人が悪い……レナリムは、レナリムには、好いたおかたがございます。とうにご存じでございましょう?」
リオネンデがレナリムの手を放す。
「そうだったな。つい、忘れるところだった……その男を大事にしろよ――下がれ」
解放されたレナリムが後宮に向かう。その途中、口の中でそっと呟く。おおせのままに……
レナリムが姿を消すと、ジャッシフがリオネンデに声を潜めて食いついた。
「どういうつもりだ?」
気持としては怒鳴りたかったのだろう。だが相手はなんと言っても王だ。控室の護衛兵に聞かれるのも都合が悪い。
熱くなるジャッシフをリオネンデが鼻で笑う。
「他人の気持ちなど判らぬものだ。まして相手が女となれば余計だ――少しは安心しただろう?」
「え?」
「おまえは子どものころからレナリムに憧れていた。その思いが通じたのだから、それを信じればいいじゃないか。生きていれば心は常に動く。たまには不機嫌になる事もあるさ――レナリムは思う相手がいると言った。俺も知っていると言った。思い当たる男が、ジャッシフ、おまえ以外にいるか?」
「あ……」
「おまえが揺れればレナリムも揺れる。心しておくのだな」
消え入りそうな声でジャッシフが『はい』と答えた。
サシーニャが王の執務室に戻ってきたのは、リオネンデとジャッシフが地図を睨み付けているときだった。
「良いところに戻ってきた」
さっそくリオネンデが、ニュダンガに忍び込ませているネズミの事を訊いてきた。
「すでにネズミを入れているのですか?」
ジャッシフが驚く。それにリオネンデが
「サシーニャに抜かりがあるものか」
と笑う。
苦笑するのはサシーニャだ。
「リオネンデさまのご命令とあればネズミなど、何匹でも忍び込ませます」
「なんだ、リオネンデが命じたのか」
ジャッシフが面白くなさそうな顔をする。自分に調査を命じておきながら、実はほぼほぼ済んでいる、リオネンデにはよくある事だが面白くないジャッシフだ。
サシーニャも地図に目を落とす。そしてニュダンガ領内を指して、
「ニュダンガ王都に三名。領内を巡回している者は二名。これは夫婦を装わせています。今は多分この辺り――コッギエサとの国境に常駐している者が一名。プリラエダとの国境にも一名。どちらも入出国の様子を見張らせています。それと王宮内に二名……」
と言う。聞いているうちにジャッシフの表情が驚きに変わった。
「いつの間に、そんなに……」
リオネンデが顎に親指をあてる。
「王宮のネズミはそのまま……他を北部山地の山間に行かせるか――ジャッシフ、どう思う?」
「こちらからは三名ずつで五編成、マニシエ山地方面から山越えで潜り込ませるつもりでおりました。先方で落ち合えるかと」
サシーニャがニュダンガに行かせているのは魔法使いだが、ジャッシフが言っているのは軍人だ。魔法使いと軍人は命令系統が異なるが、グランデジアではたいてい共同で事に当たる。そして優位は魔法使いだ。
「うん、その五編成はすぐにでも行かせ、ひと月のちにさらに五編成行かせろ。先の者はそのまま現地に留まり工作要員に。あとは報告の内容次第だな」
「すぐに、ですか……」
口籠るジャッシフをリオネンデがクスリと笑い、
「俺がベルグから帰ってからにしろ」
命じる形で助け舟を出す。
ここでサシーニャが
「どちらにしろニュダンガを攻めるつもりなのでしょう?」
と、聞かずもがなの事を言う。それには答えず、
「コッギエサとプリラエダを黙らせる方法を考えておかねばな」
と笑う。
「コッギエサの王族の娘とニャーシスの縁組が整いそうだったのが惜しまれます」
とサシーニャが言うと
「惜しまれる? ジッダセサンはそんなに良くないのか?」
リオネンデが顔を曇らせる。ジッダセサンが重病となれば、政略結婚なのだ、見送られる可能性が高い。サシーニャは見送られると判断しているのだろう。
「はい、診察した者から手に負えないとの連絡があり、わたし自ら参りました――徐々に体内を蝕む毒、正しくは虫の仕業かと。一年以上は蝕まれ続けていると見ました、もう永くは持ちますまい。既に頭部に達しているようです」
「その虫とはどんなものだ?」
「そんじょそこらにいる虫ではありません。深い海の底に生息する虫で、魔法使いでも扱える者はごく一部、わたしにも扱えません――小さな虫です、よくよく見なければ判りません。なんらかの方法でジッダセサンさまの食事に紛れ込ませたのでしょうが味も匂いもないと聞いております。恐ろしいのは、虫の意思で咀嚼から免れること……」
気分が悪くなったのか頭痛がするのか、サシーニャが蒼褪める。もっとも蒼褪めたのはサシーニャだけではない。
「食わされたのが一年以上は前だって? ずいぶん気の長い事だな」
「しかも症状が出るまで虫の存在に気付けません。症状が出てからでは手遅れとなります。今まで通り、口になさるものには細心の注意をお払いくださいませ」
「海に住む虫ならば、国内の者の仕業ではない?」
グランデジアには、最近まで海がなかった。あるにはあるが、絶壁に隔てられ、海辺には行けない。
「それは、なんとも……海のある国の商人に依頼することも可能ですし。でも、そもそも我が国以外の魔術師に、あの虫が扱えるとは思えません。と言うか今のところ我が国以外、魔法使いが存在する国を確認できていません」
「うーーん……では、虫を扱う者を特定できるのでは? グランデジア魔術師の塔の魔法使いだって言いたいんだろう?」
「時間をいただければ……わが国の魔術師だった者を探すことになります。魔術師の塔を辞してから、所在不明になっていると少々厄介です。それと、あの火事騒ぎのどさくさに紛れて姿をくらませていたら、追うのは相当難しいかと」
「間違いなく元魔術師の塔の魔法使いか?」
この質問にはサシーニャが唸る。
「虫を扱う技術を、魔術師の塔以外で習得できるとは思えません。だけど、グランデジアの魔術師は国王に忠誠を誓っている。魔法契約で、背けば落命します。だから現役は考えられない」
「ふむ……」
サシーニャの説明にリオネンデが唸る。
「あの火事を企んだ者とジッダセサンに虫を食わせた人物が同一の可能性は?」
「虫を使った者があの火事で落命したのではと考えましたね? 誓いを破ったことによる落命か、火事によるものなのか見分けがつかないだろう、と?」
「まぁ、そう言うことだな」
「あいにくそれは不可能です。虫を食わされたら、生きても最長で三年、ジッダセサンが虫を食わされたのは、どんなに早くともあの火事より一年後となります――わたしが言ったのは、火事騒ぎに乗じて塔を離脱した魔術師なら可能な企みだという事です」
リオネンデが宙を見つめる。
「ジッダセサンは後どれほど?」
「……早ければ三月、長くても半年。これより苦しみは日に日に増し、頭が割れるような痛みに泣き叫び、最後はその力もなくなって果てることに」
「サシーニャ、それをジッダセサンの家族に告げてきたのか?」
「いえ、取り敢えずは王にご報告をと。いかがいたします? 三の大臣の病状が知れれば、動揺が広がるかと思いますが」
「うん、伏せておこう。で、家の者にはなんと言ってきたんだ?」
「安静を保ち、栄養を摂るようにと。痛み止めの薬を渡し、胸の病だと説明しました。呼吸にも障害が出ておりましたので」
「訳の判らぬ虫に食われているなど、惨くて言えやしないな……ジャッシフ、アナナスは手に入るか? ジッダセサンはアナナスが好きだ。見舞いに持って行ってやれ」
なんとしてでも手に入れて必ずお届けいたします……ジャッシフが俯いた。
「しかし、一年以上も前に仕込まれた事ならば、今回のベルグ行きを見越したわけではないってことか」
「それは無理というもの。偶然とお考え下さい」
リオネンデが考え込む。
「三の大臣が事実上の不在、王が都を空けてよいものか?」
するとジャッシフが
「王宮の警備は万全を期しております。四年前とは比べようもなく」
と、リオネンデを覗き込む。
「まぁ、向こうも同じ手を使ってはこないでしょう。念のため、魔法による護りも強化しておきます」
考え込むリオネンデをサシーニャも見た。
「まぁ、そうだな。心配ばかりしていても先には進めない。ベルグに連れて行く護衛を減らすのはこれで決定だな、ジャッシフ」
苦笑するリオネンデ、ジャッシフが軽く溜息を吐く。
「とうに諦めてます。言い出せばきかないのがリオネンデと心得ておりますので」
ジャッシフの言葉にリオネンデが顔を顰め、サシーニャがこっそり笑った。




