トパーズの髪飾り
「なるほどね」
リオネンデの提案にサシーニャが苦笑いする。
自分を殺せというリオネンデ、呆れるサシーニャにリオネンデは
「バイガスラでの復讐を終えたら、の話だぞ、サシーニャ」
とニヤニヤした。
ジョジシアスとモフマルドを討ったのち、戦場の混乱に紛れて二の腕の鳳凰の印を蘇らせ、リオネンデではなくリューデントとしてグランデジアに帰ればいいとリオネンデは言った。リオネンデは討死したことにしろと言うのだ。
「けれどリオネンデ、それだと死んだはずのリューデントがバイガスラで生き返ったことになる。どう辻褄を合わせるのです?」
「そうだな、そこまで考えなかった」
「素直に、リオネンデはリューデントだったってほうが単純で良さそうです」
「王廟は許すかな? それに人々は、よくも騙してくれたと言うだろう」
「王廟へのお伺いは守り人がいなければできません。復讐を果たすまで、双子の入れ替わりは誰にも知られず秘密にするのが王廟との約束ですから、ジャジャには頼めません」
「おまえが守り人のうちに訊いておけばよかったな」
「騙していたのは事実だから、非難は甘んじて受けるしかない。どちらにしろ復讐を終えたら明かす予定の秘密ですし……ただ、明かし方を間違えると大変なことになると覚悟しておいてください。罪人として葬られるかもしれません。どちらにしろ、まずは復讐を終えることです――まぁ、何か考えますよ。わたしだって処刑なんかされたくないし、リオネンデには早くリューデントに戻って欲しい」
「うん? 俺がリオネンデでは嫌なのか?」
「いや、そう言う事じゃなくて……それより、なんでそんなことを思いついたのですか?」
「蔵書庫の絵本だよ。王子の物語? 二人だったり一人だったり」
「チュジャンエラが絵本を気にし始めた切っ掛けになったものですね」
「そうなんだ? あの中に、最初は二人だったのに、一人いなくなって一人が残される物語がある。文字はないから、俺はそう感じるってだけだ。で、そのうち、いなくなった一人が帰ってくる。すると残ってたほうが今度はいなくなる――二人が同時に存在するのは物語の最初のみ、みたいな?」
「なるほど、それに発想を得た? しかし、なんとなく気になります。何かを暗示しているような?――どっちにしろ魔法が掛けられているし、禁書でもある。何もないとは考えられません」
考え込むサシーニャ、難しい話になりそうなのを避けたいリオネンデが話題を変える。
「ところで衣装はできたか?」
「衣装って王族の?」
「そう、特に儀式の時に着るもの」
「明日、衣装屋が持ってくることになっています。装飾品も明日には届きます」
「宝剣も明日だ――おまえ、紋章は本当にバラでよかったのか?」
「気が変わって他のがいいと思ったって、もう間に合いません。衣装も装飾品もバラの意匠で統一しました。宝剣もでしょう?」
「まぁなぁ……守り人になる前の揚羽蝶に戻すかと思ってた」
「揚羽蝶は生まれて半年の時、リオネンデの父上が決めてくれたのですよね。庭の揚羽蝶が美しかったとかで。でも、わたしの名は『白い蕾』なのだから、蝶よりバラのほうが合いそうです――さて、これくらいにして帰りましょう。スイテアさまがお待ちですよ。ついでだから軟膏も持ってってください」
「作ってくれたんだ? そろそろなくなりそうだったから、ちょうどよかった――街館に帰るのだろう?」
「えぇ、朝、いないとチュジャンが心配しますから」
立ち上がるサシーニャ、釣られるようにリオネンデも立ち上がる。
「さては寝ないで仕事かって、血相変えて魔術師の塔に来そうだな」
「それにヌバタムとゲッコーも騒ぎそうです」
「あの真っ黒と真っ白か? ヤツらも街館に?」
「えぇ、最近あまり出歩かないんです。高齢なのかな? まだそんな高齢ではないと思うんだけど……」
不安そうな顔のサシーニャが部屋を出るべく扉を開けた――
グランデジア王宮本館大広間で、楽士が奏でるのは優雅な曲ばかり……今日の主役、王子サシーニャの雰囲気に合わせているのだろう。
僅かに灰味のある白い衣装は王族の盛装、銀糸で紋章と定めた白バラがいくつも刺繍されている。そのバラは今まさに開かんとする蕾、開き切って咲き誇るバラよりも不思議と優美に見えた。
額飾りは大きな星透輝石が一粒、プラチナの細鎖で止められている。耳飾りは極小金剛石が添えられた星透輝石、襟飾りはいくつも並んだ金剛石細工のバラの蕾、黒瑪瑙がそれを取巻いている
腰を締めているのは小さな玉にした黒瑪瑙、穴を穿けて糸で繋げたものを何本も並べて幅広にした。髪には同じ玉紐を一本使いにして、ゆったりと編み込んで背中に流した。衣装や装飾品に鮮やかな色はないものの、それが却って黄金色の髪の煌めきを引き立てている。
王子の身分を授ける儀式は滞りなく終わっていた。王の片割れの時と違って咽喉を掻き切るような茶番劇はなく、王が王族の剣を王子に授け、それを王子が跪いて受け取るだけのものだ。なんのことはない。
予測通り貴族たちが次から次へとサシーニャを取り巻いて、少しでも王子の覚えを良くしようと躍起になっている。娘を着飾らせて同伴させている者もいた。サシーニャはいつも通り穏やかな微笑みで、貴族たちの祝いの言葉を卒なく聞き流している。もっとも、聞き流していると気づいているのはリオネンデだけかもしれない。
ルリシアレヤが広間に姿を現した時、リオネンデがすぐそばにいたマジェルダーナに訊いた。
「ルリシアレヤの髪飾りだが、どこかで見たような気がする。判るか?」
それにマジェルダーナは『存じませんなぁ』と答えた――
一息入れようとリオネンデがこっそり露台に出ると先客がいた。
「サシーニャ、こんなところで何をしている?」
「良かった、リオネンデか……」
出てきたのがリオネンデで、サシーニャは随分と安心したようだ。
「この宴、いつまで続ける気ですか? もうクタクタです」
「おまえ、よく抜け出せたな?」
「あぁ――ダメだ、漏れそうだって言って走って逃げました」
「本当に?」
「冗談です」
「コイツっ!」
少しだけ笑った後、リオネンデが真顔に戻る。
「娘を連れて来ていた貴族も多かったな」
「そうですね。無駄なのに」
「おや、身を固めることを考えるんじゃなかったか?」
「それは計画が終わってからですよ」
「事前に相手を見つけておくといいかもしれないぞ?」
「……相手はもう決まってます」
「そうか……」
マジェルダーナは知らないと言ったが、どこでルリシアレヤの髪飾りを見たか、リオネンデは思い出していた。
サシーニャが十六歳になった時、リオネンデの父クラウカスナとマジェルダーナは、シャルレニの遺産をサシーニャに承継させることを決めた。その相談をしているところに双子の王子も居合わせている。シャルレニ亡き後、遺産を管理していたのはマジェルダーナだった。
(ルリシアレヤが着けていたのはあの時の髪飾りだ)
ほとんどの遺産は目録だけだったが、小さなものは実物を持参していたマジェルダーナ、その中で特別目を引く黄玉石の髪飾り……他とは明らかに違う変わった意匠に目を引かれた。間違いない、ルリシアレヤが着けているのはあの髪飾りだ。
レナリムではなくサシーニャに髪飾り? と不思議だったが、その疑問もシャルレニの添え書きで消えた。サシーニャの髪が金色だから敢えてシャルレニはサシーニャにあの髪飾りを遺したのだろう。
「あれ? 相手が決まっていると言ったのに、誰なのかを訊かないんですね?」
そうか、と言ったきり黙ってしまったリオネンデをサシーニャが訝る。
「あぁ、俺はとっくに知ってるからな。今さら訊くまでもないさ」
「そりゃあ凄い……本当はそんな人、いませんよ?」
愉快そうに笑うサシーニャに、騙されないぞとリオネンデも心の中で笑う。あの髪飾りは伴侶になる相手に渡せとシャルレニがサシーニャに遺したものだ。
(やっぱり相手はルリシアレヤだ。でもどこかしっくりこない。それに……)
あの髪飾りを知っているかと尋ねた時、マジェルダーナは動揺していた。なぜ、知っているはずなのに知らないと答えたのだろう? いや、違う。ルリシアレヤは国王の婚約者、マジェルダーナは髪飾りを知っているからこそ、知らないと言った。サシーニャを庇ったのだ……
リオネンデに『相手を知っている』と言われて冷汗をかいたサシーニャだ。どこでヘマをした? まさかチュジャンが裏切った? 咄嗟に冗談と切り替えて凌いだが、実は心臓が音を立てている。
結局、ルリシアレヤと二人で会う機会は見つけられなかった。そして案の定、あの髪飾りをつけて来ていた。
マジェルダーナが来て、リオネンデがルリシアレヤの髪飾りを気にしていると言った。何が言いたいのか困惑したが、『王妃になってもあんな豪華なものを求められたら、すぐ国庫が空になりそうですな』と苦虫を噛み潰したような顔をした。折を見て釘を刺しておきますと答えたら満足そうに頷いた。
どうやらマジェルダーナはあの髪飾りを見たことがないのだと安心したのに、今度はリオネンデが『判っているぞ』と言う。ただのハッタリだろうか?
俺を殺せと言われて、呆れたふりをしたものの内心ビクビクしていた。どうしたらリオネンデに死んで貰えるだろう? と、最近よく考える。それを見透かされたのかと思った。リオネンデが死んでくれれば色々な事が巧く回り始める。死んだ事になってくれさえすれば殺すまでの必要はない。
リオネンデを討死したことにするというのはサシーニャも考えたことだ。でも、どうやってリューデントを生き返らせるのか? 実際に死者を蘇らせるわけではないのだから、みなが納得する理由をでっち上げればいい。でも、でっち上げすら思いつかない。
皮肉なものだ。リューデントを守るためリオネンデに仕立て上げたのに、肝心のリューデントに戻す方法が思いつかない。行いの報いを受けろという事か?
「おっ! 星が流れたぞ」
リオネンデの声にサシーニャも空を見る。
「ジッチモンデの星空は、それは見事でした」
「空なんかどこも同じだろう?」
「名もなき山を星が取巻いて、くっきりと浮かび上がらせているんです。そしてそこから空いっぱいに星が広がって……」
「名もなき山か――どうしても鳳凰伝説を思い出してしまうな」
始祖の王には三羽の鳳凰が仕えていた。白・青・赤とそれぞれに美しく、それぞれ別の魅力があった。白い鳳凰は慈悲深さと賢さ、青の鳳凰は良く見える目と決断する勇気、そして赤の鳳凰は誇り高き武人――
獅子王リオネンデと白薔薇の魔術師サシーニャを、三羽の鳳凰は正しい答えへと導いてくれるだろうか?
第五章 終了




