三の大臣 倒れる
クッシャラデンジの問いに、顔色一つ変えることなくサシーニャが答える。
「片割れさまはあの火事の後、記憶を無くし彷徨っているところを、とある商人に助けられた。そしてそこで四年の間、奥方の小間使いをしていたが、やっとこのたび失われた記憶が呼び戻されたのだ」
「ほう……して、その商人とは?」
「充分な褒美を取らせた後、片割れさまのことは忘れよと命じてある。ここで名を明かすわけにはいかない」
つまりその商人は今や無関係、追及するなということだ。クッシャラデンジは顔を顰めるが、すぐに次の問いを口にする。
「その商人が片割れさまの純潔を奪った可能性があるように思えてなりませんが」
王の後宮には処女でなくては入れない事を言い出した。
サシーニャの表情が険しくなるが、それを隠しもせずに答える。
「後宮に入れるにあたり、このサシーニャが処女検めをしております。また、後宮の多くの女たちが、リオネンデさまによる破瓜の血を処理いたしました。なんでしたら、その際の寝具、お見せいたしましょうか? シミが取り切れず廃棄する予定ですが、確かこれからのはず」
いや、それは……と狼狽えるクッシャラデンジに、
「不快だ。退出せよ」
リオネンデが怒りを露わに怒鳴りつける。王の閨事に首を突っ込むな、という事だ。かくしてクッシャラデンジ、這う這うの体で王の執務室をあとにした。
その後姿を見送って、クスッとリオネンデが笑った。
再びジャッシフが廊下に出たあとは、使いが持参した祝いの品を警護兵が運び込むことが続いた。
遅いな、とリオネンデが思い始めた頃、ジャッシフが入室した。
「三の大臣ジッダセサンさまのお使いのかたがいらしたのですが……」
ジャッシフの顔色が悪い。
「ジッダセサンさまは今朝よりの急な体調不良で臥せっておられるとのことです」
思わずリオネンデが腰を浮かせる。
サシーニャも予想外の事に、顔色を変えた。
「体調不良とは具体的に?」
ジャッシフに問うが
「それは使いの者に聞いた方がよいかと。待たせております、いらしたのはジッダセサンさまのご子息ニャーシスさまです」
リオネンデが腰をおろし、サシーニャが『通せ』とジャッシフに告げた。
ニャーシスは二人の従者を従えて入室したが従者は今まで同様、すぐに退室させられた。
「ニャーシス、ジッダセサンはどんな様子だ?」
リオネンデが問うと、王直々の問いかけにニャーシスが縮こまる。まだ王の執務室への入室すら、本来ならば許されていない身分だ。
サシーニャに
「直答を許す。答えよ」
と言われ、おずおずと顔をあげた。
「父は朝食まではいつも通り、元気でおりましたが……急に眩暈を訴え、自分では立っているのも覚束なくなり、慌てて医術師さまを呼んだのですが、原因が判らないと言われました。今は横になっております」
「サシーニャ、王の魔法使いをジッダセサンの許に行かせろ」
リオネンデの言葉にニャーシスがさらに縮こまる。これは、王の気づかいを畏れ多いと感じての事だ。
「すぐにでも医術に詳しい者を行かせましょう」
サシーニャが請けあう。
「屋敷の者に、他に同じような症状が出た者はいるか?」
リオネンデのこの問いにニャーシスはハッとするが、少し考えてから答えた。
「いえ、ほかにはおりません」
「そうか……ジッダセサンを大事にしてやれ――下がってよいぞ」
ジッダセサンが来ないとなれば、王に直接目通りできる者はほかにない。ジャッシフは廊下に集まる者を護衛兵に任せて王の執務室に戻った。
「ジッダセサンは病だろうか?」
最初に口を開いたのはリオネンデだった。
「自分の館で毒を盛られたと? 無理がありそうです」
そう言ったのはサシーニャだった。
「わたしの部下がジッダセサンを看れば、はっきりするでしょう」
「ニャーシスではまだ、ジッダセサンの代わりは勤まりそうもないな――マジェルダーナとクッシャラデンジがますますのさばりそうだ」
リオネンデが苦笑する。
「問題は、三日後には王が都を離れるこのタイミングだということです」
サシーニャが憂い顔をする。
「わたしも行かなければ、今回のベルグ行きは意味がない。心配だからと都に残る事もできません」
ふむ、とリオネンデが腕を組む。
「ジャッシフ、王宮の警備を最大限に。俺とともにベルグに行く兵の数を減らしてもよい」
「いや、それは……王に従う兵が少な過ぎては王の沽券にかかわります」
ジャッシフの反応に、『フン!』とリオネンデが鼻で笑う。
「なんだったら、サシーニャと二人でもよい。そのほうが金もかからず、身動きも取りやすい。そうだ、そうしよう」
と、勝手にその気になるリオネンデに
「ダメです、ジャッシフの身にもなってください。サシーニャ、なんとか言え!」
ジャッシフが悲鳴を上げる。
するとサシーニャがジャッシフに、
「そう言えば護衛の兵を何人、ベルグに伴わせる予定でしたか?」
知っているくせにワザと聞く。
「五十だ。国内とは言え、最低限の人数だ」
「そうですね……」
サシーニャがニヤリとする。
「今回は事によってはマニシエ山地に足を延ばすかもしれません――大勢引き連れていては、マニシエに何をしに行ったと敵国の間者に勘繰られそうですね。護衛の兵は五人といたしましょう」
「サシーニャ!」
ジャッシフの叫びを無視してリオネンデが
「では、決まりだな」
と笑った。
夕刻までには再び参りますと、サシーニャが姿を消した。ジッダセサンのもとに行くよう、命じるために魔術師の塔に戻ったのだろう。
そろそろ祝いの品を届けに来る者も絶えたようで、廊下も静かになった。
ジャッシフは不満が抑えられなくて、護衛兵の数を考え直せとリオネンデに詰め寄っている。
リオネンデは王の座から降りてマントを外すと、レナリムを呼んだ。今日はもう、謁見がないことは明らかだ。装飾品を外したいのだろう。
スイテアを奥に連れて行った後、すぐに戻ったレナリムが王の装飾品を受け取って、また奥に消える。その姿をチラチラとジャッシフが目で追う。ニヤリとリオネンデが笑う。
ここにも敷物を置くかな、ポツリとリオネンデが呟く。サシーニャが行く前に、大テーブルを敷物に変えさせれば良かったと、リオネンデは思ったようだ。ジャッシフが『敷物はないか?』と、後宮に呼び掛けた。
するとレナリムが四人の女にクルクルと巻いた敷物を運ばせて再び姿を現す。大テーブルの後ろの空間に敷物を広げさせ、また後宮に帰っていく。やはりジャッシフがレナリムを目で追っていた。
「どうした、喧嘩でもしたか?」
用意された敷物に腰を下ろしながらリオネンデが笑う。
「レナリムはおまえを一瞥もしなかったな」
「それが……リオネンデがサシーニャにレナリムを返すことにしたと話してしまいました」
「ほう、それは気の早い、レナリムに言っていいとは許した覚えはないぞ」
「申し訳ありません、つい……」
「それで?」
「サシーニャは俺とレナリムの婚姻を認めた。王もご存じだと伝えました。で、それから口を利かなくなったんです」
「そうか……咽喉が乾いたな。飲み物を用意させろ」
ジャッシフが再び後宮の入り口に向かい、『飲み物を』と命じた。程なくレナリムが飲み物を持って現れる。
いつも通りのレナリムの態度だが、やはりジャッシフをチラリとも見ない。視線を向けるのを避けている。
壺と杯を乗せた盆を置いて退出しようとするレナリムを、呼び止めたのはリオネンデだ。
「この壺は何が入っている?」
「ブドウのしぼり汁をレモン水で割ったものでございます」
「そうか……」
と、リオネンデが杯を手にする。
「注げ」
レナリムが杯に注ぐのを見ながら
「ジャッシフ、おまえも杯を取れ。レナリム、ジャッシフの杯も満たせ」
慌てて杯を手にするジャッシフ、レナリムは杯だけを見て薄紫の液体を注ぐ。
注ぎ終わったレナリムが、壺を置く。するとその手をリオネンデが掴んだ。
「レナリム、おまえ、俺に抱かれてみるか?」
ジャッシフの顔が蒼褪めた――




