色のない壊れ物
少し考えてから
「わたしとジロチーノモさまは似ているのだと思います」
と答えたサシーニャだ。
「似ている? どのあたりが似ている?」
「わたしも幼くして母を亡くしております。二歳の時でした。物心ついて以来、無意識に母の面影を求めていたように感じます。そしてそれ以上に……」
サシーニャが言葉を探して口籠る。待ちきれなくなったジロチーノモが預けていた身体を起こし、サシーニャを覗き込む。
「それ以上に?」
ジロチーノモを見詰めてから小さな溜息をつきサシーニャが答える。
「わたしはご覧の通り、異質な見た目をしております。この異質さは……わたしにとって、誇りでもあり引け目でもあるのです」
「その矛盾がおまえを苦しめているのか?」
複雑な笑みをうっすら浮かべたサシーニャが宙を見据える。
「自分の異質さを実感するようになったのは父が亡くなってからです。五歳で孤児となり、わたしは養い親に預けられました。養子ではなく、預けられたのです。三歳だった妹は母の弟夫婦が手元で育てることになりました」
「兄妹を別々に?」
「はい……ご存知かもしれませんがわたしの母はグランデジア前王の姉、ただ一人の家族となった妹は身内である叔父夫婦に大事にされて王宮で暮らしているのに、わたしは知らない人々に囲まれた暮らし――その理由は何か? 魔術師となるためと言い聞かされたものの、魔術師の鍛錬が始まるのは十一になってからと決まっています。将来を見据えてというのは口実だと感じていました。だから、王宮に引き取られなかったのは、見た目の異質さが理由だと思い込んだのです」
「それだけでそう思い込むのは、子どもとは言え少し短絡的に思えるが?」
「子どもは正直に物を言います。魔術師の子どもたちは化け物とわたしを揶揄い、そんな見た目だから王宮に住まわせても、養子に迎えても貰えないのだと笑いました」
「子どもらの言葉を真に受けてしまったか……五歳ではさぞや堪えたろうな」
「隠れてよく泣いたものです――わたしに生きる勇気をくれたのは王子たちです。王子たちはわたしの見た目を気にしなかった。従兄弟としての交流もあり、そんなものだと受け止めていたのでしょう。隠れて泣いていることに気が付いて手を差し伸べてくれる人もいて、乗り越えられたのだと思います。でも……今でさえ、わたしの異質さに眉を顰める人は多い。もちろん大人です。そんな事をいちいち気にしているのは馬鹿馬鹿しいと相手にしないのですが、わたしと親しい人の中にさえ、わたしに代わって憤ったり、気にするなと慰めてくる人がいるのです」
「ひょっとして、サシーニャを拒む人たちよりも、そっちの方が辛く感じる?」
「彼らはみな、わたしを好いてくれています、わたしを気遣っているのです。そんなこと判ってる。でも、その気遣いは彼らもまた、わたしを異質だと思っているからなのだと彼らは気づかない」
深く吸って呼吸を止めたサシーニャが、止めた息をゆっくりと吐き出した。
「けどね、ジロチーノモ、実際わたしは異質、同じ色の髪も瞳も肌も、父以外、わたしだって見たことがない。だから拒まれるのも同情されるのも無理のない事。辛く感じるわたしが可怪しい」
「おまえは可怪しくなんかないと言いたくなったが、それもまたおまえを苦しめるのだろうな? 同情なんかされたくないってね。わたしは同情されて嬉しかったがな」
「嬉しかった?」
「テスクンカに助けられたと言っただろう? わたしの話を聞いてアイツは『辛かったですね』と一緒に泣いてくれたんだ。理解してくれた、そう感じて心が救われた」
当時を思い出すのか、ジロチーノモが恥ずかし気な笑みを浮かべる。サシーニャが微笑んでジロチーノモを見詰める。
「それでテスクンカさまを王宮に呼んだのですか?」
「わたしを襲った男たちは街の実力者の息子たちだった。養子に入ることをわざわざ広めてはいなかったが、いずれ知られ養親に迷惑をかけるだろう。もう養子には行けない。住まいは知られている、報復を受けるはずだ。身を隠さなきゃならないって言うから、熱りが冷めるまで王宮に隠れてろって連れてきたんだ。で、王宮に帰ってから、二親は亡くなっている、兄弟はいないって聞いたんで、それならずっとここにいて、どうすれば兵力が手に入るかわたしに教えろって言った――テスクンカは街に出て使えそうな、身寄りのない男を探した。摂政に楯突くんだ。失敗すれば命はない、その事も男たちには話したさ。ジロチーノモの侍女と偽って、わたしが街に出向いて男と話をした。ジロチーノモは女だと噂が立てば伯父に知られる、だから侍女ってことにしろと、テスクンカが言ったんだ……誘いに乗った男たちを王宮に入れるため、ジロチーノモは男色の趣味があり、王宮に呼ばれればもう帰ってこれない、って噂を流した」
「その噂、伯父上の耳にも入ったのでは?」
「あぁ、血相変えて会いに来た。が、そんなこともあろうかと、集めた男たちはテスクンカが巧く隠してくれた。ま、テスクンカ本人も隠れる必要があったからな。当時のアイツは王宮に入ることさえ許されない身分だった」
「では、見つからずに済んだのですね」
微笑むサシーニャ、同時に、見つかっていないからこそ今、こうしてジロチーノモと話せているとこっそり苦笑する。
「話は変わりますが、伯父上を排除し、男でいる必要はもう無くなったのではありませんか?」
サシーニャの質問に、ジロチーノモが少し目を伏せた。
「サシーニャなら判ってくれると思うんだが、わたしは自分の女に自信がない」
「自分の女?」
「ずっと男として生きてきた。女だと言う自覚もある。着飾ってみたいとか、好ましい男と恋をしてみたいとか、そんな欲望はあるんだ。男に抱かれる夢を見ることもある……あの忌まわしい男を思い出して苦しむこともな――でも、世間では女として通用するか自信がない。十四の時、醜い顔を隠していると言われたことも忘れられずにいる」
「醜くなんかないでしょう? 美しい目をしてらっしゃいます。面紗を通してでも鼻筋が通っているのが判ります。それに、その眼元の黒子を艶めかしいと感じる男も少なからずいることでしょう」
ジロチーノモがジロリとサシーニャを睨みつけた。
「ふぅん……サシーニャ。おまえ、髪は金色だが眉と睫は栗色なのだな」
「えっ? あぁ、まぁ、そうですね」
雰囲気が急激に変わったジロチーノモにサシーニャが戸惑う。部屋に入ってきたときに戻ったようだ。
「へぇ……おまえの体毛は部位によって違う色なのか?」
ニヤニヤとサシーニャを見ながらジロチーノモが杯にブドウ酒を注ぎ足す。面紗の下から差し込むとクイっと引っ掛けるように飲んだ。そしてタンッと杯をテーブルに戻し、返す手をサシーニャの膝に置いた。
「それで? 下の毛は何色だ? 金か? 栗色か? 見せてみろ。見るのが一番早いし誤魔化されもしない」
「遊ぶつもりはないと言ったはずですよ」
膝を撫でるジロチーノモの手を払うサシーニャ、フン! とジロチーノモが鼻を鳴らす。
「女は嫌いか? それともわたしに女を感じないか?――身体が燃えて遣る瀬無くなると、女の服を着て街に出る。わたしを抱いた男の中には色気がないと言ったヤツもいた」
「色気をどこに感じるかは人それぞれ――清純さに欲情する者もいれば妖艶さに唆られる者もいる。そんな事をジロチーノモさまに言った男の好みには、たまたま合わなかっただけです」
「ふぅん……ならばサシーニャの好みは? わたしではダメか?」
「だから、遊ぶつもりはないと再三――」
「そんな堅苦しいことを言わず、わたしを満たせ、サシーニャ。わたしはおまえを気に入っている。おまえに抱かれたいと望んでいるのだ」
今度はサシーニャの手を取ると自分の胸に当てさせる。
「今は布で緊く巻いてあって判らないかもしれないが、わりと豊かに膨らんでいるぞ。嫌いではなかろう? 脱がせて確かめてみろ」
ジロチーノモの胸から離した手で、自分の手を押さえていたジロチーノモの手をサシーニャが握った。そして静かに、悲しげな顔で言う。
「わたしではジロチーノモさまは満たされません」
「ふぅん、小心者は自分の男にも自信がないか? わたしも女に自信がない。自信のない者同士――」
「そうではありません」
男を疑われたサシーニャ、一瞬鼻白んだがすぐ気を取り直し、ジロチーノモに反論する。
「ジロチーノモさまが満たしたいのは、肉欲ではなく孤独でしょう? その孤独、癒せるのはテスクンカさまだけです」
「何を言いだす?」
「テスクンカさまを愛しているのでしょう? テスクンカさまもあなたを愛していらっしゃいます――身分の違いを気になさいますか? そんなもの、王であるあなたならどうにでもできる。女性であることも公になさい。王家に生まれた女を生贄にするのも今後は認めないと宣言するといい。それで全てが解決する。それが出来るのは王であるあなただけです」
「そんな事が出来るものか!」
「いいえ、できます。ジロチーノモさまは国政をお一人で取り決めている。それはみながジロチーノモさまを恐れ、みながジロチーノモさまを信頼しているからに他ならない。あなたが政権を取り返して二十年近くが経つ。これまで造反が起きていないのがその証し――テスクンカさまに拒まれるのではと恐れますか? そうですね……思いを告げるのは勇気のいるものです。でも、心のどこかで相手も自分を慕ってくれていると気が付いている。出会った時からあなたたちはお互いに惹かれ合っていた。救われたあなたはその後も彼に救いを求め続け、彼もあなたを助け続けた……この部屋に案内される途中、仕官した理由をお訪ねしました。彼は『拾われた』とお答えになった。なぜ卑下するようなことを言ったのか? 自分を卑下することで、彼は自分を抑えているのだと思いました」
「拾われたなどと言ったのか、テスクンカが?」
「どう思われますか?」
「拾ったなどと……むしろ拾われたのはわたしのほうだ」
「身分が邪魔をして彼の方から想いを告げることはないでしょう。身分など関係ないと言えるのは上の者のみ、下の者が言えば負け惜しみになってします」
「……テスクンカはわたしを愛してくれるだろうか?」
「すでに愛していますよ。ただ、愛し合うにはジロチーノモさまが手を差し伸べる必要があるだけです」
「愛し合う……サシーニャにもそんな相手がいそうだな」
「この人、と心に決めた相手はいます。その人がいなければ、あるいはジロチーノモさまの誘惑に負けていたかもしれません――ところで、もう一方の杯を使ってみませんか?」
「こっちの無色透明のほうか?」
新しいブドウ酒の瓶を開けながらサシーニャが頷く。
「ほう……美しい」
透明な杯に鮮やかに赤いブドウ酒が注がれる。
「ジロチーノモさまは偽りを生きていると仰った。その偽りを消し去って無色になられるといい。それから好きな色で染めてください。テスクンカさまが喜んでそれをお助けするでしょう」
もう一つの透明な杯にもブドウ酒を注いだサシーニャ、ジロチーノモの杯と軽く叩き合わせると口元に運んだ。




