好物は 先か? 後か?
塔を出たところでサシーニャが振り返り、塔を見上げる。
「どうかしましたか?」
チュジャンエラも歩みを止めてサシーニャを見る。
「念のため、落雷防止術を塔に掛けました……塔が持つ力で守られているから、不要だとは思いますがね」
すぐに向き直って嵐の中を駆けだした。
庭を抜け、王館まで最短の道を行く。いくら防雨術を使っているとはいえ、土砂降りの中を進むのだから気持ちのいいものではない。
「それにしてもリオネンデさま、雷が苦手って、意外でした」
「理由を訊けば無理もない事です。まぁ、誰にでも苦手はありますよ」
「サシーニャさまはお酒が苦手ですものね」
ムッとしたサシーニャがチュジャンエラを睨みつけたかと思うと、とたんにチュジャンエラの防雨術が破られる。
「ちょっ! サシーニャさま、酷いって!」
慌てて防雨術を再施術するチュジャンエラを置き去りに、サシーニャは王館へと急ぐ。
王の執務室の立ち番が『王は今、誰ともお会いになりません!』と制止するのを無視して中に入れば、
「なにをしに来た、サシーニャ」
リオネンデが睨みつけた。奥の長椅子で肘掛けと背凭れに身を投げ出して、ぐったりしている。不機嫌を隠しもしない顔で足を組んでいるが、組んでいなければ震えているのが見えそうだ。サシーニャを止めようと追いかけてきた立ち番はリオネンデが頷くのを見て退出していくが、すれ違いざまにチュジャンエラを不安そうに見た。それにチュジャンエラが笑んで会釈すれば、安心した顔で持ち場に戻っていった。国王と筆頭魔術師が喧嘩でも始めるのではないかと危ぶんだのだろう。
「塔の蔵書庫にスイテアさまがいらしたので――」
打ち合わせ用のテーブル席に着きながらサシーニャが話し始める。リオネンデが小首を傾げたのは、スイテアの名が出たからか、それとも煩いくらいだった雨音が静まったからか?
「後宮を経由してルリシアレヤさまたちに帰っていただこうと思いまして――スイテアさまをお使い立てしたこと、後宮を通ること、お許しください」
ふん、と詰まらなさそうにリオネンデが鼻を鳴らす。
「俺が許さないと言ったらどうするつもりだった?」
「寛容なるリオネンデ王が、この程度の事を咎めたりしないと信じております」
「口の減らないヤツだ」
幾分顔つきが柔らかくなったリオネンデがサシーニャの隣に移る。
「おまえ、魔法を使っただろう?」
「いつも通り外聞防止と……あまりに激しい嵐なので話の邪魔になると思い、外の音が届きにくくなる魔法を使いました」
「巧い言い訳だな。本当は俺が心配で来たか? スイテアの事も口実だ」
「おや? なぜわたしがリオネンデの心配を?」
「ならば俺の弱みを面白がりに来たか?」
「リオネンデに弱みなどありましたか? 弱みがあるかどうか、見て差し上げましょう」
「ほう、どうやって?」
「手をお貸しください。手を握ればその人の弱みが判ります。弱みが見つかれば、そこに修復術を流し込みます」」
「本当か?」
「はい。弱みがないと言い張るのなら、素直に差し出されればよろしいかと」
ムッとしたリオネンデだが、それでも黙って手を差し出す。それをサシーニャが両手で包み込んだ。
「どうだ? 俺の弱みが判るか?」
「いいえ、弱みなど見当たりません。でも少しお疲れのようなので、軽い回復術を施術いたしましょう」
実のところ、不安で震える心が丸見えだが、そうは言わないサシーニャだ。
「……サシーニャ、おまえの手はいつも温かいな」
「魔法を送り込んでいるからですよ。楽になって来たでしょう?」
「うん――ふと思ったんだが、おまえが女だったら、確実に俺はおまえに惚れていただろうな。子どものころから俺はおまえが大好きだった」
「そうですね、子どものころから色々と構われたのを覚えていますよ……男に生まれてよかったです。ちなみに、たとえリオネンデが女だったとしても、わたしがリオネンデに惚れることはありません」
「なんだ、おまえ、俺が嫌いか?」
「いいえ、好きに決まってます。大事な従弟で我が王で、かけがえのない友です。でも異性だったらと考えたら、あなたの強さにわたしはついて行けません」
「なんだ、強い女は嫌いか?」
「リオネンデの強さは筋金入りですから」
軽く笑ってサシーニャがリオネンデの手を離す。
「顔色が戻ってきました。気分の悪さも収まったでしょう?――チュジャン、後宮にお茶を頼んでください」
少し離れて見守っていたチュジャンエラが後宮の入り口に向かい、外から中に声を掛ける。その間に、リオネンデとサシーニャは敷物に移動して、膳を挟んで腰を降ろした。戻ったチュジャンエラはサシーニャの隣に座をとる。
後宮から女たちが出てきて、茶の用意を終えて戻っていく。それを待ってサシーニャが、
「雨期はあと五日ほどで終わるようです」
と言ってから、茶がたてる湯気を吹く。フフン、とリオネンデが面白そうな顔をする。
「メルデカに聞いたか?」
「えぇ、ただしジャルスジャズナ経由ですけれど」
「なんだ、未だにメルデカとは折り合いが悪いのか?」
「触らなければ諍いも起きません。そんなところです――栗の糖衣掛けですね。まだ残っていたのですか?」
「秋に作らせたものがほとんど手つかずに残っているそうだ」
「栗はスイテアさまの好物ではありませんでしたか?」
「それがアイツ、食べ惜しんで大事に取っておいたらしくて……さっさと食べないと次の季節が来る、残ってたら新しい物は作らせないと脅したら、ようやく食べる気になったらしい」
「スイテアさまは好きなものは後に取っておく性格なのですね」
「日々の食事でも食べないものだと思って俺が食べたりすると、『あとで食べようと思ってたのに』って怒っているな」
「リオネンデは好きな物から食べるでしょう?」
「好きな物しか食べないんだよ」
リオネンデがチュジャンエラを見て、
「おまえは好きなものはさっさと食べるだろう?」
とクスリと笑う。
「えぇ、好きなものから食べますね」
「好きになったらすぐ食べちまいそうだな――そう言えば、チュジャン、最近、女遊びは飽きたのか?」
「リオネンデさままでそんな事を……僕はね、いつだって真剣ですよ」
「おまえにフラれたって何人もの娘が泣いてるって聞いたぞ?」
「他人は勝手なことを言いますから」
ニヤニヤ笑いのリオネンデ、次にはサシーニャに向かう。
「好きな物しか食べないのはサシーニャも同じだけど、おまえの場合は、今がいいか後がいいか吟味しそうだな」
「食べるときに、そんな面倒なこと考えてませんよ」
サシーニャが答えると、
「そもそもサシーニャさまは、沢山は召し上がらないから」
チュジャンエラが栗を口に入れながら言う。
「隠れて何か食べてるのかって疑いたくなる時があります」
「そんな疑いが掛けられているとは知りませんでした」
とサシーニャが笑い、
「さすがに盗み食いはないだろう」
リオネンデが呆れる。
他愛ない話をするうち、元気を取り戻したリオネンデ、機嫌も上々となる。スイテアがルリシアレヤたちを伴って、後宮から出てきた頃には笑顔も戻り、『やっと戻ったか』とニッコリした。
「サシーニャさま、どんな魔法をお使いになったのです?」
さっきはあれほど機嫌が悪かったのに、と言いはしないが、スイテアが不思議がるのも仕方ない。
「外の騒々しさに話の邪魔をされなくなる魔法を王の執務室と後宮に施術いたしました。明日の朝まで継続されます――外の気配が判り難くなるので、心配ないとは思いますが館の周囲に注意を怠らないよう、警護の者に言っておきますね」
とサシーニャが立ち上がる。
「出立は一日遅らせて八日後に変更します。諸所への連絡がまだ済んでいないし、さらにこの嵐で遅れそうです――それでは今日はこれで」
おう、と答えるリオネンデ、サシーニャの目混ぜにバーストラテが、『行きましょう』とルリシアレヤとエリザマリを部屋から出るよう誘った。
「頼んだぞ」
と、バーストラテに声を掛けたのはリオネンデだ。『お気をつけて』とスイテアがそれに続く。そんな二人に礼を述べ、ルリシアレヤが部屋を出る。
王館の出入り口までご一緒しますと一緒に出てきたサシーニャに、
「お二人はご夫婦なのね」
ポツリとルリシアレヤが言った。リオネンデとスイテアの様子を見ての感想だ。チラリとルリシアレヤを見たサシーニャが、
「焼きもちですか? それとも寂しくなっただけ?」
と静かに問う。
「少し不安になっただけよ。わたしは自分を信じているもの。いつか必ず……」
そこで言葉を止め、その先をルリシアレヤが声にすることはなかった。
「それよりサシーニャさま、出立って?」
話を変えたルリシアレヤ、だが、館の出入り口に着いてしまっている。
「暫くフェニカリデを留守にします。他国に用事があるんです――それではお気をつけて。バーストラテ、頼んだよ」
サッと雨の中へとサシーニャが出ていき、チュジャンエラが、
「それじゃあ、また!」
と続いた。
「引き留める隙もないのね」
悲しげに見送るルリシアレヤ、
「サシーニャさまはお忙しいのでしょう。ね、バーストラテさま?」
取り成すエリザマリ、バーストラテは、
「蔵書庫にご用事がおありなんだと思います。さぁ、渡り廊下に魔法を掛けました。行きましょう」
二人を促した――
誰もいなくなるとリオネンデはスイテアを伴って後宮に下がっている。
「ロクに本を読む時間はなかったようだな」
「えぇ、お茶をいただいただけで帰ってきました」
「それなのに、また茶か?」
茶差しに湯を注ぐスイテアをリオネンデが笑う。
「魔術師の塔のお茶菓子は干赤実果でしたから。栗の糖衣掛けを見たら食べたくなりました」
「だからって、そんなに山盛りにしなくても……夕食が食べられなくなるぞ?」
「ご心配なく」
茶を淹れ終わったスイテアがリオネンデの隣に腰を降ろし、すぐさま栗を口に入れる。『美味しい』と嬉しそうな顔で呟くスイテアに笑んだリオネンデも、小ぶりの皿に山盛りの栗に手を伸ばす。
「サシーニャさまはエリザマリさまに兄と思って頼りなさいと言ったそうです」
次の栗を手に取りながらスイテアが言った。
「舞踏会の時にそう言われたのですって。ルリシアレヤさまも心配してたけど、気になるのはエリザマリさまのお相手ですね。恋仲だと言うことを隠せとエリザマリさまに言っているそうです」
「ふぅん……」
ルリシアレヤの侍女の恋になど興味がないのか、リオネンデは生返事だ。
「サシーニャさまは、いずれ王妃になるかたの侍女を騙す度胸のある男などいないと楽観なさっているようですが……」
「サシーニャがそう言うのなら、心配ないのだろうよ」
そう言うと、リオネンデは二つ目の栗を口に入れニヤリと笑った。




