命を賭して
スイテアにビールを注がせながらリオネンデが『それで?』と、サシーニャを促した。
「我らの復讐とおまえが妻を持たないと言い張るのはどう繋がる?」
さすがに忘れていなかったかと、サシーニャが苦笑する。そして、『そうですね』と少し沈んだ声になる。
「我らが考える復讐はバイガスラを滅亡させること、国を巻き込んでの戦です」
「国王夫妻と王太子の仇討、その真実を公にできないのは残念だが国を巻き込むのも仕方ない、そう言ったのはおまえだぞ」
「その考えに変わりはありません。ただ戦は水物、必ず勝利できる保証はどこにもございません」
「そんな判り切ったことを、なぜ今さら口にする?」
「判り切ったことだから、敗戦の時も考えていろいろと手配してきました。だから問題はそこではないのです」
「では何が問題だ?」
「リオネンデ……」
サシーニャが真っ直ぐにリオネンデを見据える。
「もし敗戦の兆しが見えたなら、その時は迷いなく退陣を……」
「うん?」
「わたしは残り、刺し違えてもモフマルドを討とうと考えています」
「なにっ!?」
響くリオネンデの怒声、見守っていた者たちがそれぞれに身動ぎ、サシーニャを見る。
「それを俺が許すと思うか、サシーニャ!」
怒鳴りつけるリオネンデをサシーニャが平然と見つめる。
「だいたい、なんでモフマルドなんだ?」
「わたしの両親を殺害したのはモフマルドで間違いない……これはわたしの個人的な復讐です、リオネンデ」
「おまえ、そんな話……俺は聞いていないぞ?」
サシーニャの言葉にリオネンデの怒りが削がれ、情けない顔でサシーニャを見る。
「どういうことだ? 俺に隠していたのか? 説明しろ、サシーニャ!」
「申しあげたとおり、わたし個人の問題、いちいち報告するには及ばないと判断しました。今まで言わなかった最大の理由は証拠が見付けられていないからです。でも、わたしは確信しています。間違いない」
「おまえ、それって……証拠がないってことは、おまえの勘違いってこともある話だよな?」
「それを言われれば、返す言葉がございません。が、リオネンデ、初めてモフマルドと遭遇した時、わたしを見るモフマルドの目にはわたしへの強い敵意がありました」
「敵意?」
「モフマルドは筆頭魔術師候補に上がるほどの魔術師だったそうです。それがグランデジアから追放された……聞いたことはありませんか? 王女レシニアナに乱暴しようとした魔法使いがグランデジアを追放された話」
「あっ……って、それがモフマルド?」
「王宮にあった記録は火事で一部消失しております。探りましたがそのあたりは見つかりませんでした。けれどもモフマルド本人がその魔術師だと認めています」
「おまえ、モフマルドと『初めて会った』と言ったな。いつ会ったのだ?」
「リオネンデもそれと知らずに顔を合わせていると思います。多分あの火事の時、ジョジシアスとともにグランデジアに来ていたでしょうから――わたしが会ったのはルリシアレヤの件でバイガスラの一団が王宮に来た時です」
「火事の時?」
リオネンデが記憶を辿る。
「思い出せないな、そんなヤツいたんだろうか?――ルリシアレヤと婚約を決めた時も使節団にモフマルドなんて名はなかったんじゃないのか?」
「名簿にも載らない端役の一人として潜り込んでいます。あの時、マジェルダーナに働いて貰ったことは覚えていますね? わたしがマジェルダーナの王宮館に出向いた帰りの事でした」
あっ! と声を上げたのはチュジャンエラだ。
「庭にいたあの男ですね? サシーニャさまが『おまえの手には負えない』って言った……」
だが、リオネンデとサシーニャに睨まれてすぐ縮こまった。今は口出ししてはいけない。傍聴人はいるけれど、リオネンデとサシーニャ、二人きりの対話なのだ。
チュジャンエラが引っ込んだところでサシーニャが気を取り直して話を続ける。
「モフマルドはわたしの両親を口汚く誹謗し、挑発してきました。なぜあの時、一矢報いることもなくモフマルドの前を去ったのか? 今思うと悔やまれてなりません」
あんな好機は二度とないだろう。だが、あの場でやりあえばバイガスラの使節団の一人なのだ、大事になるのは目に見えていた。やたらな事はできない。それに部下を二人連れていたことも大きかった。二人の部下を巻き込めない、それがサシーニャに冷静な判断を促した。その部下の一人がここにいるチュジャンエラだが、事情を明かしてはいない。
フン、とリオネンデが鼻を鳴らす。
「おまえの気持ちは判った。だがサシーニャ、おまえは思い違いをしている」
「思い違いと仰いますか?」
「確かにシャルレニとレシニアナはおまえの両親だ。が、同時にグランデジアの王女と大臣でもある。それを忘れるな。二人の仇を討つのはグランデジアにも意味のあることだ」
「そうだとしても、リオネンデ」
サシーニャが食い下がる。
「国を滅ぼしては元も子もない――だけどわたしはモフマルドを討ちたい。命を賭して! グランデジアを裏切ってでも!」
「おまえ……」
睨むように自分を見詰めるサシーニャをリオネンデがマジマジと見る。
「俺の命に逆らってでも、と言っているのか? いや、言っているのだな……」
溜息をつくリオネンデにサシーニャがなおも言い募る。
「わたしは今まで、グランデジア王家にもリオネンデにも逆らったことはないつもりです。サシーニャの初めてにして最後の我儘――」
「黙れ!」
リオネンデの大声が部屋に響き、サシーニャも押し黙る。王とその片腕が互いの思いを伝えようと見つめ合うが、今度は互いに相手を見付けられずにいる。部屋は静まり返り、時が流れる音さえ聞こえてきそうだ。
リオネンデが唸るのは何度目か?
「もう良いサシーニャ、その件はまた話し合おう。だいたい我が軍が勝利すればいい話だ」
リオネンデが肩から力を抜く。
「そうだろう、サシーニャ?」
「はい、仰る通りでございます」
サシーニャの声が震えているのは、悔しさからなのか? いいや、違うとリオネンデは思う。が、わざわざ訊くこともない。
「だがな、これだけは忘れるな。おまえは俺にとっても、グランデジアにとっても、掛け替えのない存在だ。勝手なことは許さない。俺はおまえを……」
リオネンデが口籠る。そして言い直す。
「俺はおまえが好きだ。忘れないで欲しい」
サシーニャの応えはない。震える身体を止めるのがやっとだった。
サシーニャが落ち着くのを待って、
「で、結局、復讐はおまえが婚姻を拒む理由にどう繋がるんだ?」
話を本筋に戻す。
「確か自分と心を通わせられる相手など見付かならいと、前は言っていた。それが復讐と繋がるのか?」
「いや……」
躊躇いがちにサシーニャが答える。
ここで下手なことを言えば墓穴を掘ると感じていた。それなのに寸前の心の揺れがまだ収まり切っていない。こう答えようと考えていたことがどこかに消えてしまっている。
「戦を控えていることを考えると、二の足を踏んでしまうと言うか……勝敗に関わらず、戦と言うものは命を落とす場合もあるわけですし」
「歯切れが悪いな……」
「えっと……万が一、わたしになにかあったら悲しませることになる、それで気が引けると言うか」
「それはおまえに限ったことじゃない。その理屈だと、軍人は誰一人として妻を持てなくなるぞ」
「いや、そんなことは――わたしの場合は、特に今回は復讐に巻き込むことになりそうだし、そんなことで悲しませるのはどうかと」
「ふーーん」
面白そうにサシーニャを見るリオネンデだ。
「おまえ、心を通わせられる相手など見付かるはずがないと言っておきながら、相手が自分の死を悲しむことを前提に話している。矛盾しているぞ」
「ですから、もし婚姻するならそんな相手をと考えているわけで」
「いるはずがないのだろう? だったら復讐に巻き込むとか悲しませるなんてことを持ち出さなくていいはずだ」
「確かに、言われてみれば――」
「開き直りは許さないぞ、サシーニャ」
『ご指摘通り、考えすぎでした』と言うつもりだったサシーニャ、それを見越したリオネンデが先制する。返す言葉を失し、黙り込むサシーニャをリオネンデが覗き込んだ。
「サシーニャ、おまえ、好きな女でもできたか?」
サシーニャの背中に冷たい汗が流れる。が、フッと失笑して見せる。
「何度も言っていますが、そんな殊勝な人はいませんよ」
「フン! 女がおまえをどう思うかを言っているんじゃない、おまえがその女をどう思っているのかを訊いているんだ」
「その女?」
「あぁ、おまえが惚れた女だ。いるんだろう? いろいろ言っていたが、早く復讐を終わらせたい最大の理由は、その女なんじゃないのか? そう考えると色々と合点がいく」
「何を勝手に合点してるんだか知りませんが、下衆の勘繰りと言うものだ」
「それじゃあなんで復讐を妻帯しない理由に挙げた? 相手の女もおまえに惹かれている、それが判っていながらおまえは心を告げてやらない、おまえに何かあればその女が悲しむからだ。が、復讐が終われば――」
不意にリオネンデが言葉を止めた。ビールを注ぐのに、リオネンデの隣に座していたスイテアがリオネンデの腕に手を置いたのだ。
驚いてスイテアを見るリオネンデにスイテアが首を振る。
「なぜそのようにサシーニャさまを追い詰めるようなことを仰るのです? サシーニャさまの言葉をそのままお受け取りにならないのはなぜでしょう?」
答えようとしたリオネンデが思い直して口を閉ざす。そしてサシーニャに向き直った。
「スイテアの言うとおりだな、サシーニャがそう言うのならその通りなのだろう」
そう言いながら、ただ、と続ける。
「おまえは自分を粗末にする傾向がある。もっと大切にして欲しい。よくチュジャンが嘆いているが、自分の事となるとすべて後回しにする。それが心配でつい余計な節介を焼いてしまった――許せよ、サシーニャ」
「いえ……至らぬわたしに非のあること、リオネンデ王が謝罪なさることではありません」
だから、そうやって責を自分に持って行くな、と言いたいが堪えたリオネンデだ。
その代わりというわけでもないが、少しばかり釘をさした。
「まぁ……好きな女ができたら、その時は相談しろ――そんな相手は現れないなんて言うなよ、聞き飽きた」
またも先制されたサシーニャが気まずげな顔を浮かべた。
「で、訊きたいことの二つ目だが」
リオネンデがサシーニャの耳飾りを眺めながら言った。またもサシーニャの背に冷たい汗が流れ始める。




