舞い込む面倒ごと
ジャッシフが一緒にいるところを見るとジャッシフの妻だと推測できた。ならばなおさら心配することはない……ララミリュースはブドウ酒の杯を口元に運びながら、踊り手たちに目を戻した。
チラリとサシーニャを見たエリザマリがすぐにまた目を伏せ微笑みを浮かべる。
「どうかしましたか?」
尋ねるサシーニャに、
「今日の耳飾りはなんだろうと思ったの」
「これですか? これは黄玉石です。エリザマリの耳飾りは髪飾りとお揃いの月の雫ですね。とてもよくお似合いですよ」
恥ずかしそうにエリザマリがクスクス笑う。
穏やかな笑みを浮かべエリザマリを見ていたサシーニャの足がふと止まる。
「申し訳ありません。少しルリシアレヤさまとご一緒にいらしてください――チュジャンエラが守ります」
エリザマリをルリシアレヤたちのいる席に送り届け、チュジャンエラに目配せをする。そしてサシーニャはリオネンデとレナリムの影を追った。
ワズナリテが戻り、スクイジェントから解放されたジャルスジャズナが少し目を離した隙に、サシーニャは踊りの輪の中からいなくなっていた。ルリシアレヤのほうに目をやると、エリザマリはそこにいてチュジャンエラも交え談笑している……が、サシーニャはいない。
どこに行ったのだろうと見渡すと、すれ違う貴族たちとにこやかに挨拶を交わしながら大広間を少しずつ移動している。進む先を見てみるとリオネンデとレナリムがいた。どうやらリオネンデとレナリムのいる方へ行こうとしているらしい。ジャルスジャズナと目があうとサシーニャが意味深に目混ぜしてきた。
(まさか例の件?)
サシーニャがレナリムを心配するとしたら、息子ジャニアチナをリオネンデの猶子にする件だ。誰に聞かれるか判らないこんな場所で話し出したら、リオネンデもサシーニャも、レナリムを庇い切れなくなる。慌ててジャルスジャズナもリオネンデたちのほうへ向かった。
大広間の片隅で、レナリムがリオネンデに艶やかな微笑を見せる。
「お会いしとうございました」
レナリムの言葉に、『ふむ』と鷹揚に頷くリオネンデ、その隣でスイテアが
「久かたぶりでございます」
レナリムに声を掛けるがレナリムは聞こえないふり、いや、見えてもいないふりをする。
チラリとスイテアを見たリオネンデが、すぐにレナリムに向き直り、
「子どもたちは健やかか?」
と笑顔で尋ねるがレナリムは、
「他人の子どものことなどお気になさるリオネンデさまでしたか?」
冷ややかな笑みを浮かべる。レナリムの後ろでジャッシフが、『やめなさい』とレナリムに囁く。が、これもレナリムは聞こえないふりだ。
軽く溜息をついてリオネンデが、
「レナリム。俺はおまえを他人だとは思ってないぞ? 大切な従妹、家族だ」
「兄の事はそうお思いかもしれませんが、わたしは形ばかり。王家の一員だとて名ばかりのもの」
「レナリム……」
どう対処したらよいのか迷うリオネンデ、そこへ来たのがジャルスジャズナ、偶然を装ってレナリムに話しかけた。サシーニャは貴族たちに捕まっていて、まだこの場に到着できていない。
「あら? あなたがレナリムさま?」
見知らぬ女から声を掛けられ、無視するわけにいかず、レナリムがジャルスジャズナを見る。ジャルスジャズナが守り人になったのはレナリムがジャッシフの妻になってから、滅多に館を出ることのなかったレナリムはジャルスジャズナの顔を見たことがない。
「ごめんなさい、どなたでしたか?」
「リオネンデ王がお名を口にされたので、レナリムさまとお察しいたしました。不躾のほど、お許しください――魔術師ジャルスジャズナでございます。兄上さまには大変お世話になっております」
「これは……守り人さま、こちらこそ存じ上げず失礼いたしました。ジャッシフの妻レナリムでございます」
「お美しいとお聞きしていましたが、これほどとは思いませんでした。ジャッシフさまがつい惚気てしまうのも納得ですわ」
「いえ、とんでもございません」
ほっとするのはリオネンデだ。レナリムの様子から、何を言い出すかと危ぶんでいた。いつもと違うジャルスジャズナについニヤけそうになるのを堪え、
「ではな、レナリム」
と、その場を離れようとする。
ジャルスジャズナの話し上手に乗せられていたレナリムが慌ててリオネンデを引き留める。
「リオネンデさま! お話ししたい事があるのです」
「うん? そうか、では執務室で聞こう。舞踏会が終わってからだな……ジャッシフ、レナリムを連れて来てくれ」
「いえ、ジャッシフは――」
ジャッシフはいないところで、そう言おうとしたレナリムが途中で言葉を止める。リオネンデはスイテアを伴って振り向きもせずに行ってしまった。
「レナリムさま?」
ジャルスジャズナの声に、レナリムが向き直る。
「あぁ、ごめんなさい。えっと、なんでしたっけ?」
ジャルスジャズナが事情を知っているなどと思いもしないレナリムが、ジャルスジャズナに微笑む。
「ジャッシフさまのお子たちの話を聞かせていただいていたのですよ。お嬢ちゃんはジャッシフにべったりだとか……」
後ろめたい気持ちを押し隠してジャルスジャズナが微笑んだ。
リオネンデがレナリムから離れていくのを見ていたサシーニャがルリシアレヤのところに戻る。まだ安心できないと思いながら雑談に加わっていると、ララミリュースが来て、一曲相手をして欲しいと言う。
「王妃さまのお誘いを断れる男はおりません」
社交辞令だと、互いに判っていると承知で、サシーニャとララミリュースが微笑みあう。
ララミリュースの手を取って、サシーニャが踊りの輪の中に入っていくのを見送ってチュジャンエラが
「やっぱりサシーニャさまには敵わない――僕にはあんな大人なことは言えないもん」
ボヤくと
「言えなくってもいいんじゃない?」
と言うルリシアレヤ、
「それぞれの持ち味ですよね」
エリザマリが賛同する。
「あら、エリザマリはサシーニャさまと踊りっぱなしで、てっきりサシーニャさまが好きなのかと思ったわ」
ルリシアレヤの指摘に
「違いますよ」
エリザマリが慌てて否定する。
「踊りたいけど知らない人とは怖いって言ったら、サシーニャさまがお相手をしてくれるって」
「あら、そうだったの? いつの間にそんな話を? それにエリザ、あなた、顔が赤いわよ?」
「だって、ルリシアレヤさまがサシーニャさまを好きでしょ、なんて聞くからよ」
女の子のおしゃべりをチュジャンエラは複雑な表情で聞いているだけだった。
踊りながらサシーニャが苦笑する。
「エリザマリさまではわたしにはお若過ぎませんか?」
「あら、八つ違いなら大丈夫よ」
ララミリュースがサシーニャに、エリザマリと一緒になってはどうだと言い出したのだ。
「エリザマリさまと踊っていたのは、下心があったわけではありませんよ」
エリザマリがルリシアレヤに言っていた話とほぼ同じことをサシーニャもララミリュースに言っている。
「それはそれ、これはこれ。それに踊っているうちに惹かれるところもあったんじゃない?――エリザマリはいい娘よ。少し気が弱いけど、素直だし、あれで結構気が利くの」
「そうですね、素敵なお嬢さんだと思いますよ。だからこそわたしには勿体ない」
「何を仰るやら。むしろエリザマリにとって玉の輿。ね、考えてみて」
「困りましたね……わたしは妻帯する気はないんです」
「そんなの、付き合っているうちに気が変わるかもしれないじゃないの。わたしだってね、エネシクルと初めて会った時はね――」
エネシクルはバチルデア国王、ララミリュースの夫だ。
そのあとはララミリュースが一方的に自分と夫との馴れ初めや、舞踏会で踊り明かした話が続き、サシーニャは生返事をするしかなかった。
一曲終わり、やっとララミリュースから離れ、ルリシアレヤたちのところに戻ったサシーニャに、今度はルリシアレヤが躍って欲しいと強請る。断るのも面倒で、
「仕方ありませんね」
溜息交じりのサシーニャだ。
「それじゃあ、チュジャン、エリザマリさまのお相手を――チュジャンなら大丈夫でしょう?」
自分に微笑むサシーニャに、エリザマリが頬を染めて頷いた。
席に戻ったララミリュースを待っていたのはリオネンデだ。
「やっと落ち着いてお相手できます――ララミリュースさまの華麗な足取りに見惚れておりました」
「グランデジアの男は誰も皆、お世辞が上手みたいね」
ララミリュースがオホホと笑う。
ところで、とララミリュースが切り出した話に思わずスイテアと見交わしたリオネンデだ。
「エリザマリさまとは、ルリシアレヤさまの侍女のエリザマリさまですよね?」
間抜けなことを聞いていると思いながら、念を押してしまったリオネンデだ。
「えぇ、先ほどサシーニャさまのお相手を勤めた娘でございます。サシーニャさまの奥方にいかがでしょう? なにか不足がありますか?」
リオネンデにもサシーニャの配偶者にエリザマリを推したララミリュースだ。
「いいえ、そう言うことではなくて――サシーニャ次第としかお答えできません」
「そんなことを仰らずに、サシーニャさまにもお勧めいただけないかしら?」
面倒なことになってきたと、サシーニャの居所を探れば、ルリシアレヤと踊っている。エリザマリとの時とは違って幾分遠慮がちなのはルリシアレヤがリオネンデの婚約者と言うことを考慮しているのだろうか? 話を進めたくて必死なララミリュースに曖昧に答えながら、リオネンデがサシーニャを観察する――
言葉を交わすことなくサシーニャとルリシアレヤが躍る。それでもルリシアレヤはサシーニャの瞳を捕らえようと不意を突いては見上げるが、サシーニャがルリシアレヤの顔を見ていることはなかった。
それでも何度目かに、慌てて視線を逸らすサシーニャを、
「何を見ていたの?」
と、ルリシアレヤが捕まえた。サシーニャが見ていたのはルリシアレヤの顔ではなかった。
「いえ……その髪飾りなのだなと思って」
無視もできず小さな声でサシーニャが答える。
「今日の衣装にはこれが似合うと思ったの――サシーニャさまも今日は黄玉石の耳飾りなのね。まるで示し合わせたみたい」
クスっと笑うルリシアレヤ、サシーニャは何も答えない。
「リオネンデさまに褒めていただいたわ」
「リオネンデに?」
「えぇ……モリジナルで買ったのよってお話ししたの」
ギョッとしたサシーニャだが
「そうですか」
と、ルリシアレヤに微笑んだ。真実を話されるよりよっぽどましだ。
それにしても面倒なことになったと、心の中では嘆くサシーニャだ。




