現れるもの 表すもの
睨みつけるリオネンデからサシーニャが目を逸らす。
「たかが伝承、気にすることもありますまい」
「ならばなぜ誤魔化そうとしたのだ?」
「それに、リューデントの鳳凰は失われました。そしてスイテアさまの痣も鳳凰の印なら、まだ二羽。伝承は三羽です」
「だから! なぜ誤魔化した? おまえ、何か知っていて、それを俺に話していないな?」
ウンザリした表情で、サシーニャがリオネンデに視線を戻す。
「名もなき山……麓がバイガスラとジッチモンデに広がるあの山は休火山、忘れた頃に噴火を繰り返しております」
「あぁ、そんな事なら俺だって知っている」
「噴火に対する警戒を促すため、鳳凰伝説と結びつけられたのでしょう。噴火を、火口の奥で眠ると伝えられる『赤い鳳凰』の仕業と考えたのです」
「そして白い鳳凰はあの山の万年雪だと? そんな子ども騙しを俺に聞かせるな」
「子ども騙しと仰るが伝承などそのようなものです。鳳凰の印の集い、一般的に言われる『鳳凰の集い』の伝説だってそうです」
「可怪しな話だ。リューデントの腕に現れた鳳凰をグランデジア繁栄の証と持て囃したのに、三羽の鳳凰は気にするな? 片や伝承を信じ、片や否定する。納得できるものではない」
「リオネンデこそどうしたというのです? 鳳凰の集いの伝説は前々から知っていたのでしょう? それをなぜ急にそんなに気にするのです? スイテアさまが現れた時点で気にするなら話も判ります」
「鳳凰としか知らなかったからだ。鳳凰の印とは聞いてなかった」
「似たようなものでしょう? 鳳凰だろうが印だろうが、どの道どちらも伝説です」
「俺は鳳凰を見たことがない。だが印なら見たことがある。これは大きな違いだ。違うか、サシーニャ?」
「わたしが鳳凰の印の集いを知っていて話さなかったとリオネンデは言うけれど、わざわざ話すほどのものではないから話さなかっただけだし、話せばほら、こんなふうにあなたが気にするではないですか」
「うぬぅ……」
悔しげにリオネンデがいったん黙る。そして、
「スイテアを見つけた時は夫婦の鳳凰の話しか思い浮かばなかった」
と静かに言った。
「夫婦鳳凰――賢君の治世では、空に夫婦の鳳凰が舞い飛び、喜びの歌を謳う、というものですね」
「ふん! なにを思い上がったことを、と笑いたければ笑え。自身を賢君と言うかとな。まぁ、目指してはいるが俺などまだまだ、自分がそんなところに達していないと知っている」
「リオネンデにはその素養があると、わたしは信じております」
真面目に言うサシーニャに、リオネンデが複雑な表情を見せる。
「一度だけ、どれほどの違いがあるかと、リューデントの二の腕とスイテアの内腿を並べて見比べてみたことがあるんだ。まだ男女の繋がりなど、遠く朧げな頃だ」
何を言い出すのかと、サシーニャが再びリオネンデを見る。
「いくら見比べてみても、大きさも形も色も、寸分たがわぬ。だがそんな事よりも、俺を驚かせたのは二つの印が並んだ瞬間、頭上に鳥の鳴き声が響いた事だ」
「鳥の鳴き声?」
「たぶん鳥だ。聞いたことのない鳴き声だ。見上げても姿を見ることはできなかった。だけど俺はそれを鳳凰の鳴き声と信じた。今も信じている」
「ならばなおのこと、スイテアさまは鳳凰の集いからは遠くなる。鳳凰の集いは青白赤の三羽が揃うことを意味しているのはご存知のはず」
「なぁ、サシーニャ。俺の腕に封印された鳳凰は、今はどんな色なのだろう?」
リオネンデの問いにサシーニャが怪訝な顔をする。
「火傷を負う前、痣は青かった。だが、火に焼かれた鳳凰は色変わりしていなかったか?」
「焼け爛れた皮膚は赤くなるものです」
「鳳凰伝説に出てくる赤い鳳凰は、勇猛果敢に戦いに挑み、幾つも口から火を噴いていた。だがある時、己の火を自身に移し燃え上がる。そして赤い鳳凰となった。元は青い鳳凰……」
「名もなき山の伝説です。大昔はあの山にも雪はなく青い山だった。それが噴火により赤、さらに雪が降りつもり万年雪となり白となった。そんな話です」
納得しきれていないが、随分と落ち着いてきたリオネンデがサシーニャから目を逸らす。
「なぁ、サシーニャ……リューデントとスイテアに鳳凰は現れた。他にも鳳凰が現れた者がいても可怪しくないと思わないか?」
「それは……」
サシーニャが緊張を、考え込むような顔で隠そうとする。リオネンデが目を逸らしていてくれて助かったと思っている。
「いないとは断言できません。記録には歴代の王たちの中に鳳凰の印は何度か現れて、その王たちはグランデジアに大きく貢献しています。書かれているのは王たちのみ、庶民に印が現れたかどうかは記録を見ても判りません。だが、もし出たならばそれも伝承として残るでしょう。しかしそんな伝承は聞いたことがない。やはり鳳凰は王家だけに現れると考えるのが妥当――スイテアさまは前王の再従兄の姪、薄くなってはおりますが、王家に繋がっています」
フン、とリオネンデが鼻で笑う。
「薄くていいなら貴族は全員王家に繋がるぞ」
その様子にサシーニャがほっとする。とりあえずリオネンデの不安は解消された。そしてサシーニャに秘密があると気取られるのも回避できた。
「どちらにしろ、名もなき山が噴火したとしてもグランデジアにまで害は及びません。あったとしても些少のもの。バイガスラとジッチモンデは大打撃でしょうね」
「ふむ……もしそのようなことがあれば我が国としても何らかの支援を考えなければならん。王侯貴族はともかく、民は救わなくてはならない――備えはあるな?」
「もちろんでございます」
「ところで、チュジャンが言っていたが、俺に承認して欲しいことがあると?」
リオネンデが話題を変え、本心からサシーニャが安堵する。鳳凰伝説には触れて欲しくないサシーニャだ。
「はい、以前にも少しお話しましたが、チュジャンエラを正式に次席魔術師にしたいと考えております」
すると再びリオネンデが怖い顔になる。
「それはあれか、おまえのバイガスラ・ジッチモンデ両国行きに備えて、か?」
それをサシーニャがフンと笑う。
「そんな直近でチュジャンエラが使えるようになるとお思いですか? それよりもっと先を見据えてのこと――責ある立場につければ、チュジャンエラも自覚と覚悟が備わってまいりましょう」
「大臣どもは納得するかな?」
「チュジャンエラの人誑しは大臣たちも丸め込んでいます。むしろわたしなどより扱いやすいと歓迎されるかもしれませんね」
「なるほど……大臣どもめ、蓋を開けたらびっくりするだろうな。おまえが言うにはチュジャンはおまえより手厳しいのだろう? まぁ、〝いずれは〟が〝今〟になっただけだ。承認しよう。王廟には?」
「明日、お伺いを立てるよう、守り人に依頼してあります。許しが出れば、なるべく早いうちに儀式を執り行う予定です。お心にお留めおきください」
「判った。日程が決まったらすぐに教えろ」
立ち上がったリオネンデがテーブルの本を手に取り、少し考え込む。
「スイテアに返す時、なんと言ったらいい? 何事かと案じているだろう……」
「それなら、鳳凰伝説については禁書が多い、とでも仰れば? なぜこの本は禁書でないのか不思議だったとでも……絵本ですら禁書になっているのに不思議だと言えばスイテアさまも納得なさるでしょう」
「絵本でさえも禁書?」
「はい、チュジャンエラが見付けました。わたしも気になって調べてみようとは思うのですが、なかなか時間が見つけられず……何か判ればご報告しますよ」
「そう言えば、ルリシアレヤは魔術師の塔に通っているそうだな」
「えぇ、バチルデアにはない本が蔵書庫にはありますからね。もとより読書がお好きだとか、そこに物珍しさが相まって日参されているようです」
「そうか……」
リオネンデが探るような目でサシーニャを見る。
「まぁ、せいぜいルリシアレヤとは仲良くすることだな。後見を引き受けたのだ、王宮内の誰よりもルリシアレヤを知っておかねばな」
「はい、抜かりなきよう勤めさせていただきます」
サシーニャの答えに満足したのかしないのか、『そうか』と、どことなく気の抜けた返事をしてからリオネンデは帰っていった。
しばらくたって戻ってきたチュジャンエラから、ルリシアレヤが『夕飯を一緒に』と言っていると聞かされたサシーニャ、
「今日はリオネンデに二度も絞られた。されに加えてお嬢さんがたのお相手? ご免こうむりたい」
イライラとチュジャンエラに答えている。
「では、守り人さまにお相手して貰いましょうか?」
チュジャンエラの提案に、
「ジャルスジャズナもララミリュースの話し相手で疲れているだろう。あっちも毎日呼び出されるらしい。バチルデアのご婦人方はお国でも暇を持て余していそうだな」
と、これもサシーニャは気に入らない。
言葉遣いから、相当サシーニャが憤懣を溜め込んでいると察するものの、
「かと言って、お断りしたところで『では明日は?』と言われるのがオチですよ」
とチュジャンエラ、どうしますかとサシーニャに問う。
チッと舌打ちしたサシーニャ、少し考えてからチュジャンエラを見る。
「ならばおまえに接待係を任せよう」
「えっ?」
「魔術師の塔にいらしたら、おまえが持て成せ。で、わたしの執務室にはもう二度と連れてくるな」
「無理言わないでくださいよ。エリザマリはともかく、ルリシアレヤさまは何かというとサシーニャさまって言うんだから」
「なんでわたし?」
「そりゃあ、サシーニャさまが後見を引き受けたからでしょう?」
「あ……そうだった」
「とにかく、今日は遠慮して貰いましょう。サシーニャさま、かなぁりお疲れですよね」
「明日もダメだ。ワダと綿密な打ち合わせをする予定」
「判りました、暫く忙しいと言っておきます。で、サシーニャさま、今日は早めに終いにしましょう。泣きたいくらい疲れているんじゃ?」
「泣く? わたしが?」
「今、こっそり目を擦りませんでした?」
「あぁ……なんだか目がしょぼしょぼするので少し仮眠をとったほうがいいかな。日没には起こしてください――ルリシアレヤたちの事は任せます。チュジャン以外の誰かを専任につけてもいいですよ」
サシーニャが、書類に目を通していた執務机から長椅子に移動し横たわる。
チュジャンエラが退出するのを待ってサシーニャが目を擦る。チュジャンエラの指摘通り、サシーニャの目に涙が滲む。でもそれは疲労のせいではなかった。




