罠は罠を呼ぶ
雨期が終わったら始めたいというサシーニャに、リオネンデが難色を示す。
「万全の策とは言えないのだろう? だったら慌てるな」
「臆病になりましたね、リオネンデ」
キッとリオネンデがサシーニャを睨みつける。
「おまえこそ、何を焦っている? 以前のおまえは慌てるなと、俺を諫めていたじゃないか」
「諫めましたが、準備は進めていました。その準備もこれ以上はどうにもならないところまで来ています。だったら何かしら事を起こして事態を動かしたほうがいいのではありませんか?」
「ジッチモンデを丸め込んでいない。プリラエダも抑えきっていない。バチルデアだってまだまだ水もの。焦って動くな。危険だ」
「なにもすぐ戦に持ち込もうとは言っていません――始めるにしても口実が必要なのはお判りでしょう? その口実を作ろうと言っているだけです」
「せめてジッチモンデとの国交を開始してからにしろ、それ以上は譲歩しない」
言い切ったリオネンデに、フンとサシーニャが鼻を鳴らす。もちろん部屋には外聞防止の魔法をかけ、二人の会話が他に漏れることはない。
「では、わたしがジッチモンデに行きましょう」
「おまえが? ワダに行かせるはずでは?」
「ワダではジッチモンデ王ジロチーノモとの目通りは適いますまい。わたしならそれも可能かと」
「だが、おまえがジロチーノモ王に会ったなどとバイガスラが聞いたら黙っていないのでは?」
「ついでだからバイガスラ王宮にも出向いてきます。ジッチモンデに行く理由を追及されるでしょうから、貴国との諍いを仲裁したいとでも言います」
「ジョジシアスにはまだ返事をしていないのか?」
昨日、バイガスラ国王ジョジシアスからリオネンデに、サシーニャをバイガスラに招待したい旨の書簡が届いている。リオネンデ王の片腕と昵懇になりたいと書かれていて、リオネンデは断りの返書を出すようサシーニャに命じていた。
「昨日の今日です。これからですよ。断っても角が立たないようにとの仰せ、どうしたものかと後回しにしたのが幸いしました。ぜひ行きますと――」
「許さないぞ、サシーニャ!」
リオネンデが本気で声を荒らげる。
「おまえだって言ってたじゃないか。用心すべきはジョジシアスではなく、後ろにいるモフマルドという魔術師だと」
「えぇ、あの魔術師は侮れません。と言うより一連を企てたのはあの魔術師だとわたしは思っています」
「昵懇になりたいだと? そんなことでグランデジアの筆頭魔術師を呼び出しただけでも腹立たしいのに、そんなヤツのいるところに、俺がおまえを行かせると思っているのか!?」
「情けないことを仰る。向こうとて、いきなりわたしに危害を加えるほど愚かではないはず。わたしが簡単に隙を見せるとでも?」
「落とし穴ってのはな、思わぬところにあるものだ。自信過剰も大概にしろ。向こうが上手だったらどうする?」
「そんなことを言ってたら、この先なにもできませんよ? なんのためにゴルドントやニュダンガを手に入れたか、思い出してください」
「忘れるもんか! だからこそ、おまえを行かせられない。おまえを失えば、これまでの苦労が水の泡になる」
「ほう……」
サシーニャが声音を低くする。
「さては臆病風に吹かれたか」
「なにぃ?」
「それとも、ゴルドント、ニュダンガと手に入れて満足しましたか? 内政にもこれといった問題はない。カルダナ高原のダム工事も目途がついてきた。次は用水路に着工すればいい。国を治めるのが面白くなってきて、復讐などは忘れてしまったか?」
「黙れ、サシーニャ!」
「惚れた女もそばにいる。復讐など忘れて平穏に暮らして――」
「サシーニャ!」
ついにリオネンデが腰を浮かしサシーニャの胸座を掴んだ。
「黙れ! 俺が忘れたなどと本気で言うか!」
怒りを露にサシーニャを睨みつける。
今にも殴りかかってきそうなリオネンデ、サシーニャは怯むことなくリオネンデを見詰めている。が、抗う様子はない。ただ静かにリオネンデを見詰めている。
サシーニャの顔を睨みつけていたリオネンデが諦めたように掴んでいた手を放し、腰を落ち着かせた。
チッと舌打ちをし、
「昨日まで、おまえのほうこそ忘れているんじゃないかと俺は思っていたのに、なぜ急ぎ始めた? 何か理由があるだろう? それを言ってみろ」
呆れたと言わんばかりのリオネンデ、負けたと感じていた。殴ろうと掴んで睨みつけても、サシーニャは穏やかな眼差しを動かしもしない。
「理由など……もともとの計画を進めるべきと言ったまで」
そう答えるサシーニャをリオネンデが鼻で笑う。
「おまえが俺に逆らってまで何かを進めようとするときは、必ず俺に言っていないことがある。俺が気付いていないとでも?」
諦めるのはサシーニャの番だ。リオネンデが洞察力に優れているのはサシーニャも判っている。気が付いても、それを口にしないリオネンデに何度も救われてきた。
「早くリューデントに戻って欲しい、強くそう感じたのです」
ようやくサシーニャが本心を明かす。
「復讐を遂げれば、リューデントに戻ることが許される。だから事を急ぎたい」
「サシーニャ?」
「あなただっていつまでもリオネンデでいたいわけではないでしょう?」
リューデントと間違えられ、本物のリオネンデは命を奪われた。大火傷を負いながら辛うじて命を長らえたリューデントを、リオネンデと偽って即位さたいと王廟に願った。そして前王夫妻とリオネンデを殺めた者への復讐を誓った。復讐を遂げるまでリューデントに戻れないのは、その時、王廟が出した幾つかの条件の一つだった。
ふぅん、とリオネンデがサシーニャを見る。
「だがおまえ、リューデントに戻る方法が判らないと言っていたよな? 見つかったのか?」
「いや、それは……なるべく早く見つけ出します。見つけ出したところで復讐が終わっていなければどうにもならない事ですし」
ふぅん、と再びリオネンデがサシーニャを見る。
「俺をリューデントに戻したいと、なぜ急に思ったんだ?――前々から考えていたなど言うな。ここにきて、強く思った理由はなんだ?」
言わないわけにはいかなくなったサシーニャ、苦々しげに話し始める。実はジャッシフがわたしを訪ねて来て……
レナリムが自分の息子を次の王にしたがっていると聞いて、ポカンとリオネンデがサシーニャを見る。
「いつか俺とおまえがジャッシフを脅した話をレナリムは聞いたんだろうか?」
そう呟くと、次には笑い出した。
「笑い事ではありません」
「あぁ、そうだな。俺やおまえはともかく、大臣どもが聞いたらジャッシフの立場が危うくなるし、下手をすればレナリムを糾弾する声も上がる」
「そんなことも判らないのかと、我が妹ながら情けない」
「で? おまえはレナリムがそう言いだした理由は俺だと考えているのだろう?」
「レナリムはジャッシフに、リオネンデとわたしにはレナリムに負い目があると言ったようです」
「うん? ジャッシフを探らせた件か?」
「それくらいしか思いつかなくて……あと、わたしだけならほかにも」
「おまえ、レナリムに恨まれるようなことをしたのか?」
「大火傷で生死の境を彷徨っているあなたの付き添いをレナリムは望んだのに、わたしはそれを退けました。意識を取り戻した時、なにしろ真っ先にリオネンデになれと言わなくてはなりませんからね。レナリムにいて貰っては困ります……火事が起きてから、リオネンデは変わってしまったと、レナリムに言われたことがあります。兄上がリオネンデを盗った、とね」
「そう言えば、即位したら態度が変わったと、言われたことがある」
「やはり早く報復しましょう」
「なんだ、いきなり?」
「リオネンデとレナリムの思いを考えると、怒りが滾ってきました」
「そのリオネンデは俺じゃないほうだな」
「あんなことがなければ、レナリムはとっくにリオネンデと結ばれていたかもしれない」
「それにはサシーニャ、俺とアイツが七つの冬まで戻らなきゃならない――俺たちの恨みは二十年近くも前からのもの、確かに早く決着を付けなければな」
しかし、とリオネンデが続ける。
「もし、復讐を終え俺がリューデントに戻ったとして、レナリムは兎も角、大臣どもや民人、そして諸国になんと言い訳する?」
「それについては考えがあります」
サシーニャの提案に、なるほどとリオネンデが唸る。
「そうなると、冗談は抜きにして、俺はスイテアに殺されてやらねばな」
と笑うリオネンデ、が、すぐに真顔に戻る。
「それで? おまえは何を仕掛けるつもりなんだ? 万全とは言えないが、と前置きした策を話してみろ」
「できればあちらから戦を仕掛けさせたい。そのために追い詰める策、それをお話ししましょう」
サシーニャがニヤリとし、聞きもしないでリオネンデが一蹴した案を説明する。
話を聞き終わったリオネンデが、ニヤリと笑う。
「なるほど。『だとしたら』とか、『多分』とか、不確実な事ばかりだ」
笑われたサシーニャが顔を顰める。
「表立っては動けないのです。こちらに非があると諸国に思われれば、自滅するのが目に見えています。だから、向こうの出方次第で臨機応変に変更していく必要があります」
そう言いながら、『でも』と続けたサシーニャだ。
「リオネンデには怒られそうですが、わたし自身がジッチモンデ、そしてバイガスラに出向けば、一気に事が進むかと」
「またそれか、ダメだと言ったはずだ」
「リオネンデ、炎で焼かれる剣を掴んででも、戦わなければならない時だってあるものです」
「それが今だと?」
「このままでは、今の状態が続いていくだけです――バイガスラがわたしを招きたいのはリオネンデが言うとおり、何か企んでいるのでしょう。その企みを見定めると同時に、こちらも罠を仕掛けます」
サシーニャがリオネンデを真直ぐに見つめる。
溜息をつき、
「それで? どんな罠を仕掛けるつもりだ?」
とリオネンデが問うとサシーニャは
「判りません」
と、さらりと答え、リオネンデが呆れる。気にすることなく続けるサシーニャだ。
「向こうがどんな罠を仕掛けてくるか、それを見て決めようと思っています」
「うん?」
「向こうの罠を逆手に取るつもりです。向こうは自分が仕掛けた罠が自分に返ってきて、慌てることでしょうね」
「そんなことができるのか?」
「向こう次第としか言えないのが残念です。ですが、他にも考えていることがあります」
「ほかにも?」
「ジッチモンデ王ジロチーノモを利用します」
サシーニャが含みを持ってリオネンデを見詰めた。




