褒めて 貶して
明日の閲兵式、明後日に帰還するバチルデア警護隊の送別、その後のフェニカリデ観光と、詳細を詰めた後、バチルデアの宿舎の縮小が議題となる。
「百人を超える人数がいたわけで、それが九人に減るんだから今のままでは広すぎるのは確かだよね」
サシーニャがバラ園に行っている間に、ララミリュースがジャルスジャズナに申し入れたことだ。
「規模としては貴族に貸し与えられている館が適切だとは思うのだけど……」
ジャルスジャズナが考え込み、それにサシーニャが、
「空きがないわけではありませんが、あの館群は王宮本館と渡り廊下で繋がっています。客人にお使いいただくのは、少なからず問題がありそうです」
と、答える。そうだよね、とジャルスジャズナも納得する。
「まぁ……リオネンデとも相談してみましょう。一月くらい我慢しろって言いそうですがね」
サシーニャがそう言って、この件は留保される。
モリジナルについては、細かい下調べをチュジャンエラが命じられた。宿が押さえられなければ話にならないと、バチルデアが滞在中に宿の都合がつかないときは王権を振り翳すことをサシーニャが許可している。が、
「面倒だから、最初から『王の命令だ』って、日程を押さえちゃえば?」
と言って、チュジャンエラはサシーニャに叱られている。
「王の権力は絶対です。無暗に使うと民の信用を失い、長い目で見れば国力を衰退させる。統治についてもっと勉強しなさい」
チュジャンエラが縮こまる横で
「即位直後のリオネンデは大臣たちのみならず、民衆からの支持も最悪だった」
ジャルスジャズナが呟く。
「それが今のように民衆から慕われる王になったのはリオネンデの資質もあるけれど、サシーニャも随分苦労したと思うよ」
わたしなど大したことはしていませんよと言いつつ、サシーニャは
「あの時はどこからどう広がったのか、リオネンデを悪人とする流言や誹謗が飛び交って――わたしがしたことと言えば、その打消し工作程度です」
当時を思い出して懐かしむ。
「それなのにリオネンデ本人はどこ吹く風、言いたいヤツには言わせておけと気にしない。それどころか、わざわざ自分が悪く言われるような噂を流せと言い出したり、そのあたりは苦労しましたね」
ジャルスジャズナとチュジャンエラが、リオネンデ王らしいと笑う。サシーニャがそんな二人を見て、
「両親や兄弟を手に掛けたと疑われて、リオネンデはどんなに悔しい思いをしたことか」
静かに言った。
「一番傷ついたのはリオネンデ。なのに、心を決めたリオネンデは強かった。選んだ道を突き進んでいる。その強さは羨ましくもあり、尊敬するに値するもので……わたしをも強くしてくれたと思っています――わたしがリオネンデに忠誠を誓った理由のひとつです。たとえ立場や身分が変わったとしても、わたしは生涯、リオネンデを守ると決めています」
リオネンデが選んだもの捨てたもの、それを知っているサシーニャだ。
バラ園に行ってしまったサシーニャの代わりに街館の食事会で、今後の希望をララミリュースに訊いたのはジャルスジャズナだ。
「肩透かしを食わされた気分だよ」
ジャルスジャズナが苦笑いする。宿舎でのんびりしていたいと、真面目な顔でララミリュースは言ったらしい。
のんびり庭を散策したり、美味しい菓子でお茶を楽しんだり、バチルデアでしていたように過ごせればそれでいい。
『でもね、ルリシアレヤについては、グランデジア、特に王宮内での認知度を上げておきたいの。サシーニャさまが後ろ盾というのも、早く公にして欲しいわ』
国民へのお披露目の件も、再度催促されたとジャルスジャズナが溜息をついた。
「ルリシアレヤからは、魔術師の塔の蔵書庫の本が読みたいと言われました」
そう言ったのはサシーニャだ。
「ちゃんと警護を付けて来るのならいつ来てもいいと、許可済みです」
「それってバラ園でそう言われたの?」
とチュジャンエラが尋ねる。
「そうですが、それがどうかしましたか?」
「ううん、いつの間に話したのかな、って思っただけ」
「ヘンなことが気になるのですね」
チクチクと、まるで棘で出来た草履を履いている気分だ、と内心思うサシーニャだが、仕方ないかとどこかで諦めている。
バチルデア側が言っていることだとしても、モリジナルへの小旅行以外、これと言って接待しないのはどうだろう? そしてララミリュースとルリシアレヤに、婚姻を終えてもいないのに王宮内を我が物顔で歩き回らせていいものか?
「魔術師の塔の事はここでも決められますが、王宮内や庭となると、やはりリオネンデにお伺いを立てたほうがよさそうです」
承認が取れてから協議する、とサシーニャが話を打ち切る気配を見せる。
「明日、正午からの閲兵式が終わったら、この続きをするので来てください。リオネンデのところには午前中に行ってきます――チュジャン、今日は夕食も終わっています。終いにしていいですよ」
さっさと帰れと言いたげなサシーニャに、苦笑するのはジャルスジャズナだ。チュジャンエラは不服そうだがそれでも帰ろうとした。が、
「あ、待って。そう言えばゲッコーはなんで昨日、あんなに騒いでたんですか?」
と思い出せば、ジャルスジャズナも、忘れてた、とサシーニャの顔を見る。
「あれはなんでも、母娘喧嘩にゲッコーが驚いて逃げ帰ったようです」
テーブルに出していた書類を執務机に運びながらサシーニャが答える。
「派手に遣り合ったのでしょうね。ゲッコーがびっくりするくらいだから」
クスクス笑うサシーニャ、
「いったい何が原因だったんだろう?」
とチュジャンエラがゲッコーを見、
「女同士の親子喧嘩ね。激しい罵りあいになりそうだ」
とジャルスジャズナが肩を竦めた。
「原因はゲッコーにも判らないそうですよ――罵りあいですか、その場に居合わせたくありませんね。ゲッコーの気持ちが判ります」
返事はするものの、サシーニャは執務机に投げ出されていた本を手に取り、パラパラと頁を捲る。
「また読書ですか? 結構もう遅い時刻ですよ」
「本当にチュジャン、おまえってサシーニャの女房みたいだね。世話女房? おまえがいたんじゃサシーニャが結婚する気になりそうもないや」
笑いながら立ち上がるジャルスジャズナ、
「なんですか、それ!」
真っ赤になって怒るチュジャンエラ、オヤスミ、と逃げるようにジャルスジャズナが退出する。
チュジャンエラがサシーニャを見ると、笑いを噛み殺している。
「サシーニャさままで笑ってるし……」
「いやいや、わたしが結婚できないのは、チュジャンのせいだったとは驚きです」
クスクス笑うサシーニャに、チュジャンエラが拗ねる。
「そんなこと言って! 僕に世話を焼かせたくなかったら、もっとしっかりしてくださいよ!」
「チュジャンには感謝してるよ。確かにわたしは食事や睡眠を怠りがちですから」
と真面目な顔で言うサシーニャに、チュジャンエラも声音を和らげる。
「感謝だなんて言葉で誤魔化されません。できれば今日はもうお休みください」
手にしていた本をサシーニャが書架に戻す。
「そうだね、そうしようか。チュジャンが本気で怒りだす前に」
「もう! またそんなこと言って!」
苦情を口にするが、休むというサシーニャにホッとしているチュジャンエラだ。
「ゲッコー、おいで、部屋に戻るよ」
止まり木からゲッコーがサシーニャの肩に飛び移る。
「そこまで一緒に行きましょう」
チュジャンエラを部屋から出し、自分も部屋を出ると、サシーニャはチュジャンエラと連れ立って居室階に向かった――
部屋着に替えたサシーニャが長椅子に座ってヌバタムにブラシを掛けている。ゲッコーは鳥籠の中で眠っているか、寝たふりをしているかだ。
いつもはヌバタムに話しかけるサシーニャが、今日は黙ったままだ。そのうえ、途中で動きが止まり、宙を見詰めていたりする。訝るヌバタムがニャアと鳴けば、ハッとしてまた手を動かす。何度目かにはヌバタムも、サシーニャの注意を引くのを諦めて膝から降りてしまった。
さすがのサシーニャも気を取り戻し、手にしたブラシを見ると、
「これだけ取れればいいですね」
とブラシに着いた抜け毛を始末し始める。それにヌバタムがニャオンと答えた。
「昨夜は付ききりでルリシアレヤを慰めてくれたのでしょう? 助かったよ」
やっとサシーニャもヌバタムと話す気になったようだ。
「ゲッコーに、自分の代わりをヌバタムにさせたと、怒られてしまいました」
ブラシが部屋を飛んで、キャビネットに帰っていく。
「自分ではできない事なんです。ヌバタムがいてくれてよかった」
サシーニャが横たわるとヌバタムも長椅子に飛び乗って、サシーニャの胸元に横たわる。抱き寄せるようにヌバタムを撫でながら、サシーニャは視線を宙に彷徨わせていた――
バチルデアの宿舎では、早々に寝室に引き上げたルリシアレヤがやはり寝台に横たわっている。上機嫌の母親の相手をさっきまでしていた。
『ブルッカシンさまのところのディアコンスさまなんかどうかしら? 美人で少し気位が高いところがあるけれど、それくらいのほうがサシーニャさまには釣り合うのではなくて?』
サシーニャに紹介する娘をあれこれ考えているララミリュースだ。
『ディアコンスさまはワリスレクレヤさまと婚約なさったわ』
『あら、残念……だったらアステマリカさまは? 聡明過ぎて、どことなく冷たい印象もあるけど、サシーニャさまにもそんなところがありそうだし、ちょうどいいんじゃない?』
『確かにサシーニャさまは英明なおかたと思うけど、冷たいかしら?――なんだか疲れたわ。先に失礼しますね』
ララミリュースが候補に挙げる女性たちを褒めては貶す言葉が、そのまま母親のサシーニャ評なのがルリシアレヤには不快だった。褒めるのは良いとして、貶されるのはイヤだった。
(サシーニャさま……)
バラ園での出来事をルリシアレヤが思い返す。
サシーニャは、ルリシアレヤに怪我をさせまいと、痛い思いをさせまいと、またも身を挺して守ってくれた。笑い出したのには驚いたし、わけが判らず怒りも感じた……けれど、それ以上に、こんなふうに笑うのだと、なぜだか胸が締め付けられた。
どうして接吻てしまったのだろう? 自分からサシーニャの肩に腕を回し抱き着いただけでなく、唇を重ねてしまった。誰ともしたことのない接吻を、躊躇いもなくしてしまった。薄闇が大胆にさせたのか? だけどきっと、暗くなくてもしていた。だって、そうしたかったのだから。それに……
ルリシアレヤが、そっと溜息を吐いた。




