摘み取られる芽
馬車の籠にはララミリュースとルリシアレヤ、ジャルスジャズナが乗り込み、サシーニャとチュジャンエラはそれぞれ馬で随行した。御者席の後ろには一等魔術師が一人、他に騎乗したバチルデアの警護兵とグランデジアの衛兵が二人ずつ護衛についている。馬車は王宮の門を出て、ブドウ園に向かっていた。王宮に隣接しているとはいえ、王のブドウ園正門に行くには王宮の門を出て、フェニカリデの街を回り込まなければならなかった。
「その荒馬を、上手に手懐けましたね」
チュジャンエラが乗っているのはこの春、魔術師の塔が購入した馬の中で唯一誰も乗りこなせなかった馬だ。なんとかするから僕にください……チュジャンエラの申し出に、やってみなさいとサシーニャが許した。
「ワダの手下のツリフにコツを教わったんです」
「チュジャンは誰とでも、すぐ仲良くなるね」
「はい、それが僕の持ち味ですから」
籠の中ではララミリュースが、平然と馬で行くサシーニャを窓から覗いてホッとしている。
「魔法とはすごいものですね……どんな怪我や病気も治せるのですか?」
ジャルスジャズナが苦笑して答える。
「あいにく魔法は全能ではありません。生死を分けるほどの重症ともなれば苦痛を取り除くのがやっと、治癒は筆頭でも難しいかと思います」
「そうなのですね……それでも痛みを除ければ、大きな救いとなることでしょう」
ルリシアレヤはララミリュースとは反対側の窓で、過ぎて行く街並みを眺めている。歩道を行く街人と目が合うとニッコリと微笑みかけ、場合によっては手を振っている。それに気づいたサシーニャが馬を寄せてきた。
「軽々しい行いはお控えください」
「あら、バチルカではいつもこうしているわ」
「ここは貴国の王都バチルカ・バチルデアナではありません。街の者は姫ぎみがルリシアレヤ王女とは知らないのです」
「だったら覚えて貰ういい機会だわ」
「誰もルリシアレヤさまの顔を知りません。あの馬車の貴族は誰だ、軽々しく微笑んで無意味に手を振っているのは誰だ、と悪い噂が立つだけでございます――民たちへの正式なお披露目が済むまで、温和しくなさってください」
そう言うとサシーニャは定位置に戻ってしまった。ララミリュースまで『筆頭さまの仰る通りよ』と窘めてくれば、面白くないのはルリシアレヤだ。
「お披露目って、いつしてくれるのかしら?」
ルリシアレヤの呟きに
「なんでしたら、このご滞在中にでも民への披露目をするようリオネンデ王に進言しますか?」
と言ったのはジャルスジャズナだ。
「王とバチルデア国王女さまとの婚約は既に皆の知るところ、その王女さまが母ぎみとフェニカリデにご滞在中のことも周知されております。ルリシアレヤさまのご尊顔を拝見したいと望んでいる民人も多い事でしょう」
「あら、それはいいわね」
乗り気なのはララミリュースだ。リオネンデに、国民に対してルリシアレヤの存在を明確に宣言させることになる。
「貴国のご都合もおありでしょう。お任せしますが、なるべく早いほうがよろしいかと」
当の本人ルリシアレヤは、母親ほど乗り気ではない。どうでもいいわ、と言わないだけマシか。
リオネンデがルリシアレヤの立場を民人の前で公言すれば、サシーニャが思いを吹っ切る一助になる、そう考えたジャルスジャズナだ。サシーニャだって承知していることを、これでもかと見せつける。残酷なようだが、それがサシーニャのためだ。
ルリシアレヤとリオネンデの婚約は、国と国の約束、何があっても覆せない。万が一にもサシーニャとルリシアレヤが通じるようなことになれば、グランデジアのみならず、バチルデア・バイガスラさえも揺るがす事態となる。
サシーニャの〝準王子〟という身分が裏目となり、グランジデアの意思だろうと捻じ込まれかねない。サシーニャを罰しないわけにはいかなくなるだろうし、下手をすればバチルデア・バイガスラ二国を相手の戦になりかねない。
ブドウ園に到着し、馬車から降りる王妃と王女に手を貸したのはサシーニャだ。チュジャンエラは乗ってきた馬を厩舎に牽いていき居なかった。
続いて降りてきたジャルスジャズナにも手を差し伸べれば、
「今日はわたしも女扱いしてくれるんだね」
と嬉しそうな顔をした。
「はい、時どき忘れそうになりますが、姉上は女性ですから」
サシーニャも冗談で返す。
「ジャルスジャズナさまとサシーニャさまは姉弟なのですか?」
不思議そうに問うルリシアレヤにジャルスジャズナが
「わたしの父が筆頭の養い親なのです」
説明すると『ふーーーん』と、すでに先に行ってしまったサシーニャの後ろ姿を眺めるルリシアレヤだった。
いつも通りの作業をお見せしろとの通達通り、ブドウ園では管理人以外は芽掻き作業に勤しんでいた。
「不要な枝ができないようにする作業です」
葉が多過ぎると後々、結実した実に日差しが届かなくなる。そうならないようにするためのものだ。
また、実も多ければよいというわけでもない。花が咲けばその時にも、よい実ができるよう、葉の枚数や日当たりを考慮して摘花し、結実してからも粒が大きくなるよう一房に着く実の数を調整する作業がある。
管理人の説明にララミリュースが社交辞令を口にする。為政者が視察の時によく使う言葉だ。
「そんな努力があって、美味しいブドウができるのですね」
ルリシアレヤは物珍しそうに見ていたが、
「わたしにもやらせて貰えませんか?」
とサシーニャを見上げて言った。
「ルリシアレヤ、何を言い出すの?」
慌てるララミリュース、サシーニャは少しだけルリシアレヤの顔を見ていたが、視線を責任者に移し、
「クニラダ、王女さまに作業の指導はできるか?」
と尋ねた。
「できなくはありませんが……梯子に上らなくてはなりません」
クニラダが躊躇えば、ルリシアレヤが
「梯子くらい上れるわ。たった数段じゃないの」
と笑う。
そんなルリシアレヤをもう一度見てから
「梯子は上れるそうだ。手数をかけるが頼みます」
と、サシーニャが言えば、『それではこちらへ』とクニラダがルリシアレヤを畑の中に案内する。筆頭魔術師の依頼を、簡単に断れるものではない。
「チュジャン、王女さまの手助けを――くれぐれも怪我をさせないように」
サシーニャに頷いて、チュジャンエラはルリシアレヤについて行った。
冷や冷や眺めるララミリュース、
「まぁ、あの娘は小さい頃からお転婆で……もう! 恥ずかしいわ」
娘を心配していると言うよりは、周囲に与える印象を気にしている。
「ツンと澄ましたお姫さまより、ずっと好感が持てますよ」
ジャルスジャズナが宥めるが、ララミリュースには気に食わなかったようだ。ジャルスジャズナに好かれても、と内心思っている。
ルリシアレヤが梯子を上り始めると心配になったのか、動かなかったサシーニャも近寄っていく。クニラダが『それではなくその左の……』と掻く芽を指示しているがどうにも巧く伝わらない。
「今、左手で触っている枝から根元に向かって三つ目の節に小さな芽が出ているでしょう? それを取り除くのです」
サシーニャの声にルリシアレヤが振り返る。
「これですか?」
頷くサシーニャ、ルリシアレヤがブドウの木に向き直り、
「これでいいのね?」
と芽を取ってクニラダに尋ねる。
「はい、お上手ですよ」
お世辞とは言え褒められたルリシアレヤが嬉しそうにもう一度サシーニャを見るが、サシーニャは既に畑から出ていた。
チュジャンエラに手を借りて梯子を降り、クニラダに礼を言うと駆け戻ってくるルリシアレヤ、『転びますよ』と声を掛け、慌てて後を追うチュジャンエラ、
「花がら摘みみたいだったわ」
とサシーニャを見上げたルリシアレヤに、サシーニャが微笑む。
「要は同じです。種を作って株が弱らないようにするため花がらを摘みます。脇芽を摘むのも先ほどのクニラダの説明のほかに、余計な枝を出させて木の体力を使わせない目的もあるのですよ――そこに見えている建屋がブドウ酒の醸造所です」
最後はララミリュースに向けた言葉だ。
戻ってきたクニラダに会釈してサシーニャが歩き始め、それにララミリュースとジャルスジャズナが続く。
「サシーニャさまは草花にお詳しいの?」
小走りでサシーニャに追いついたルリシアレヤが問う。チラリとルリシアレヤを見たが
「チュジャンエラ。王女さまのお相手を」
と言っただけで、サシーニャは答えなかった。
チュジャンエラが、
「魔術師は薬草を扱いますから。どうしても詳しくなっちゃいます」
と慌てて言うと、
「そうなのね」
ルリシアレヤがうっすら笑う。
「バチルデア王宮の庭にもいろんな果樹が植えてあるし、わたしも花を育てたりしてるのよ。育てるって言っても水を撒くくらいなのだけど――どんどん伸びていくのを見ると楽しくって」
「鉢で育てたりはなさらないのですか?」
「部屋でってこと? 切ってしまって可哀想って思うけど、切り花は飾るわ……鉢だと、花が終わったら寂しくなりそうよね」
「葉が美しいものもありますよ」
「サシーニャさまもお部屋に鉢を置いていらっしゃるの?」
「えっ? えぇ……幾つも置いていますね――着きました。足元の段差にお気をつけて」
少しヒンヤリする建物に入り、チュジャンエラがほっとする。サシーニャを話題にしたくなかった――
果樹園では、桜桃・甜瓜と見学した後、蘆橘畑に回った。脇にテーブルと椅子を用意したのは、ララミリュースが座って食べたいと言い出すと予測してだ。どうせだからと、摘果した甜瓜の塩漬も皿に盛って供している。
「グランデジアの食べ物の美味しいこと……これほど甘い蘆橘は初めてですわ」
したたる果汁に苦戦しながらも、椅子に座って上機嫌のララミリュース、
「ご自分で木から捥ぐこともそうですが、皮をお剥きになることもないのでは?」
だからですよ、とジャルスジャズナが微笑む。
「小さいうちに実を摘んでしまうと畑で聞いた時はなんて勿体ないと思ったけど、こんな美味しい漬物にできるなら少しも惜しくありませんね。甜瓜は甘くなくちゃと思っていたけれど、これはこれで美味しいわ」
「ララミリュースさまは甜瓜がお好きなのですか?」
「えぇ、毎日食べたいくらい」
「今日の夕食にはお出ししましょう。食べごろのものを届けるよう、言っておきます」
「大きく育った物をってこと? 嬉しいわ――でも、この漬物も捨てがたい……」
ジャルスジャズナが『では漬物もご用意いたしましょう』と笑えば、ララミリュースが嬉しそうに一緒に笑った。




