かからぬ罠
執務室に戻るとレナリムがすぐに姿を現した。リオネンデがマントを外すとそれを受け取り、スイテアを後宮へと誘おうとする。
「いや、スイテアはそこに控えていろ」
「装束をお取替えしなくてよろしいのですか?」
リオネンデの命にレナリムが疑問を投げる。答えたのはサシーニャだ。
「それよりも、なにか飲み物の用意を」
「御酒でよろしいのでしょうか?」
「いや、酒は要らない」
控室に詰める王の護衛兵に、廊下に出るよう指示を出すジャッシフの声が廊下から聞こえる。
「いいか、何者も通すな。ここで足止めをしろ。王の許しがなければ通せぬと突っぱねろ」
リオネンデはそれを気にする様子もなく額飾りを外すと、大テーブルに無造作に放り投げる。そこには王の剣も乗せられていた。
「どうした、ボケッと突っ立ってないで、長椅子にでも掛けていろ」
スイテアを見もせずに声を掛ける。
サシーニャは小テーブルの前の椅子に腰を掛け、レナリムが用意した茶を飲んでいる。リオネンデは左手首のバングルを外すと先に外した額飾りとともに、レナリムが掲げ持つ柔らかな布を張った盆箱に収めた。さらに襟飾りも外し、同じ箱に入れる。レナリムが後宮に箱を運んで行った。
「スイテア、まだ立ちっぱなしか? 疲れているだろう? 遠慮なく座れ」
今度はスイテアを見てリオネンデが言った。
「剣をどうしてよいか判らぬのでしょう」
クスリと笑ったサシーニャが、スイテアに助け舟を出せば、リオネンデがムッとする。
「貸せ」
リオネンデがスイテアに手を差し出した。
スイテアから剣を受け取ると、鞘から抜いて刀身を検める。まじまじと見たあと腕を伸ばし、再び刀身を確かめる。さらに一振り二振りする。
「いいデキだ、サシーニャ。よくぞここまで刀身を細くした。これなら切り捨てる力がなくても相手に突き刺せばよい。スイテアに持たせるのに打って付けだ」
鞘に納めながらリオネンデがサシーニャに微笑む。サシーニャは『当然』といった顔でニヤリとしたが何も言わない。
「しかも程よく撓る。突き刺せなかったときに折れる心配が減るうえ、振った際に起きる波動が震音を呼んで低く鈍い音を出す。相手はその音だけでもで怖気づく」
さらに褒めたリオネンデ、大テーブルに乗せていた自分の剣も手にすると、王の座へと向かう。見ると王の座の左後ろに少し小ぶりだが、豪奢な椅子が置かれている。
「スイテア、執務室でおまえの座は俺の後ろのこの椅子だ。公務をこの部屋で執る際は、ここがおまえの位置となる――右利きで間違いないな?」
スイテアが頷くのを見て、
「座の右側面に剣を差し込めるようになっている。この部屋にいるときはここに剣を置け」
スイテアの剣をそこに差し込み、自分の剣は王の座の右に回り込んで同じように収めた。
「寝所にも同じように剣立てを用意する。眠る時はそこに置け。そして剣は常に携行し王を守る任に備えよ」
そしてクスッと笑い、
「寝台には持ち込むなよ。どうせ今のおまえでは、子どもを斬るのも無理だが面倒だ」
と言った。
リオネンデがサシーニャと同じテーブルに着くとレナリムが奥から出てきて、リオネンデの前に杯を置く。リオネンデが頷くと、レナリムは長椅子に腰を降ろしたスイテアにも杯を持っていく。
「煮詰めたザクロ果汁を水で割ったものでございます」
杯を覗き込むと真っ赤な液体が入っている。口に含むと甘酸っぱい味がした。
廊下は先ほどから騒がしく、ともすればジャッシフが大声を張り上げているのが聞こえた。
「王と王家の守り人は墓廟に参拝とのことでございます。王の許しがない限り、執務室へのお通しは相成りません」
「ならば片割れさまを出せ!」
「これは異なことを……片割れさまが王に随行しないとお思いか?」
杯を小テーブルに置いてリオネンデが苦笑する。
「ジャッシフのヤツ、頑張っているじゃないか」
するとサシーニャが
「本命は来ていないようですね、声が聞こえません」
と、答えれば、
「ふむ……」
リオネンデが唸った。
リオネンデは腕を組んで黙り込む、サシーニャはすまし顔で茶を楽しんでいる。だがサシーニャの杯もとうに空になっている。静かに二人は何かを待っていた。
執務室のざわめきが音色を変える。地位ある者の訪れに他が控えた……そんな気配だ。
「来たかな?」
リオネンデが呟く。
「どうでしょう?」
サシーニャが持っていた杯をテーブルに置いて耳を澄ませる。そして苦笑すると
「当てが外れたようです」
額に手を当てた。
「一の大臣マジェルダーナの使いの者が、王と片割れさまに祝いの品を届けに来ました。集っていた者どもは我先に散った。マジェルダーナに倣って、挙って同じことをするつもりなのでしょうね」
サシーニャが外の様子を説明すると、リオネンデがフンと鼻で笑った。
「まぁ、そう簡単に行くはずもなし。あちらとで、尻尾を掴まれぬよう慎重なことだろうよ――機会はまた訪れる」
「そうですね。こちらが焦れば、向こうの思う壺というもの。慎重を要するは我らも同じ。だがこれで余計に判らなくなりました」
「見えない敵とは厄介なものだな――こちらが気づいている事を、あちらが気づいているのかさえも判らない」
リオネンデの顔を見て、サシーニャが軽く息を吐き微笑んだ。
「さて、どうなさる? このままではジャッシフが音を上げますよ」
「ふむ……どうするのが一番だ? おまえに任せる」
チッとサシーニャが舌打ちし、それでも立ち上がって廊下への入り口へ向かう。手には魔法使いの杖を持っている。
部屋の外からサシーニャのよく通る声が聞こえてくる。
「王と片割れは、これより墓廟に籠られる。明日の朝、このサシーニャとともに現世に戻る。王に目通りを願う者は明日、太陽が中天を超えてより訪うがよい」
その声を聞いてリオネンデがレナリムを呼ぶ。
「食事の用意を。それとスイテアを後宮に連れて行って着替えさせろ。終えたらすぐ戻せ」
リオネンデが言い終わらないうちにサシーニャが部屋に戻り、さりげなく大テーブルに触れた。するとテーブルがするすると形を失い、毛織の敷物へと姿を変えて冷たく硬い床を覆った。
「ほう、魔法か。相変わらず不思議なものだな」
「簡単な魔法なら王もお使いになる。先ほど後宮への扉を開けたのは魔法ですよ」
「サシーニャ、手を翳して心内で『開け』と念じろと言ったのは、おまえではなかったか? 俺はその通りにしただけだ」
執務室と寝所を隔てる扉にはサシーニャが魔法をかけた。リオネンデ・スイテア・サシーニャの三人を権利者として、他者には開けられない魔法だ。
「王とその片割れの命に従うよう扉に魔法を施したのは確かにこのサシーニャ。ですが、見る者はそうは思いません」
「ハッタリも利用しろ、とな」
リオネンデは面白くなさそうだ。
「ところで、床に座する時、背もたれになるようなものはないか?」
「背もたれ? そうですね。考えて、後日お届けいたしましょう」
そこにジャッシフが入室してくる。すっかり疲れ切っているようだ。
「警護の兵は交代させたか?」
笑いながらリオネンデが問いかける。
「まぁ、座れ。食事の用意をさせている。少し待っていろ」
水を持って現れたレナリムから杯を受け取って、ごくごくと飲み干したジャッシフ、
「もちろん交代させましたとも!」
怒鳴るように答えた。
「いつもの倍に増員しておきました。サシーニャさまの言葉を疑う者がいるかもしれませんからね」
「サシーニャも今宵は王の執務室に詰めましょう」
微笑むサシーニャ、ジャッシフは
「俺も今夜はここに侍るぞ、リオネンデ」
ムッと不満そうだ。
するとリオネンデ、フンと鼻を鳴らし、
「俺は片割れと寝所に行くぞ」
と笑う。
「そんなに毎晩可愛がってたら、すぐに孕んで剣の鍛錬などできなくなるぞ」
危ぶむジャッシフ、リオネンデは片頬で笑っただけで答えない。
サシーニャが
「孕み難くなる薬ならご用意できますが……」
リオネンデを盗み見る。
「月のものを止める薬です。長く使えば、まぁ、孕み難い体質になってしまう難点がございます」
「不要だ。スイテアのことは俺が考える。ジャッシフもサシーニャも口を挟むな」
はいはい……サシーニャとジャッシフが顔を見合わせ肩を竦めた。




