心の ざわめき
姿を現したリオネンデが真っ直ぐ上座へと進み、壇上の玉座に座る。装飾品はないが、王の正装だ。リヒャンデルがハルヒムンドに付き添って、リオネンデの正面に膝をつくよう促した。
ハルヒムンドとリヒャンデルから少し離れた後ろで見守るのはララミリュースとルリシアレヤ、サシーニャはチュジャンエラを伴って壇の下、少し左に逸れて立ち、二人の衛兵は罪人が暴れた時の用心にリヒャンデルのすぐ横に控えている。リオネンデが入室したあと扉を閉めたジャッシフはそのまま扉の前にいる。
「それで?」
詰まらなそうにリオネンデがリヒャンデルに尋ねた。
「俺を呼び出した用件は?」
何が起きたか大まかなことを知っているくせに白々しくリオネンデが言い放つ。リヒャンデルもすました顔でこう答えた。
「ここに跪くはバチルデアの警護隊長ハルヒムンド。この者、王宮庭、南園の四阿付近にて狼藉を働いたとして捕らえました」
「ふむ……」
リオネンデは頷いて立ち上がると、上座から降りてくる。ハルヒムンドに程よく近づくと自分を睨みつけるハルヒムンドの顔をまじまじと見た。
「まだ若いな。幾つだ? 直答を許す。ハルヒムンド、答えよ」
リヒャンデルが慌てるが意に介するリオネンデではない。とっさにサシーニャを見るが、こちらもこちらで知らん顔、リヒャンデルも諦める。
「あ……二十でございます」
ハルヒムンドにしてもまさかグランデジア国王とじかに口を利くことになるとは思っていなかったのだろう、答える声が辿々しい。
「そうか――で、ハルヒムンド、狼藉を働いたとリヒャンデルが言っているが、それは誰かに命じられたものか?」
「違います!」
俯き加減だったハルヒムンドがハッと顔を上げリオネンデに訴える。
「命じられたなどあり得ません。すべて俺……わたしの愚かさが招いたことです」
「そうか」
クスリとリオネンデが笑う。
「さて、困ったな」
呟くリオネンデ、ふと思い出したようにサシーニャに向き直る。
「サシーニャ、おまえ、現場に居合わせたのだろう?」
「その通りでございます」
「では、何が起きたか説明しろ――いや、待て。おまえ、顔色が悪い。真っ青だ」
「光の加減でそう見えるのでしょう。青い衣装を着ております」
納得いかない様子のリオネンデを無視し、説明を始めるサシーニャだ。
「ララミリュースさまとルリシアレヤさま、そしてわたしと守り人さま、さらにこれに居りますチュジャンエラの五人で松見草を眺めながらのお茶会を催していた時の事です」
お茶も茶菓子もそろそろ終わり雑談を楽しんでいたが、ルリシアレヤはそれにも飽きてしまった。そこで松見草以外の花も見たいと席を立った。
「お供をしたのはチュジャンエラでございます。王女さまは屈託のないおかた、チュジャンエラにも親し気に話しかけてくださいます」
冗談を言い合い笑う二人、通り掛かったハルヒムンドがそれを見て誤解した。
「チュジャンエラが王女さまに無礼を働くように見えたのでしょう。王女さまを守ろうとハルヒムンドさまは王女さまに駆け寄りました。が、急に視野に現れた男にチュジャンエラも驚き、王女さまを守るため、ハルヒムンドさまに攻撃を仕掛けたのです。幸いわたしがそれに気が付き、チュジャンエラの魔法を解除しました」
「ふぅん、それで?」
一息ついたサシーニャに、リオネンデが先を求める。膝をついたままのハルヒムンドは蒼褪めて微かに身体が震え始める。ララミリュースは手で口元を抑え、目を見開く。
「さらに給仕係として配していた魔術師二人もハルヒムンドさまを暴漢と間違え、攻撃魔法を投げました。それも解除が間に合い、何事もなかったのですが……魔法攻撃に慌てたハルヒムンドさまが体勢を崩し、手にしていた剣でわたしの背を掠めたのです」
「なるほど、血を見て大騒ぎになっただけだと?」
「仰る通りでございます」
「狼藉などは、元よりなかったと言いたいのだな?」
「はい、あったのは、王女さまを守ろうとするハルヒムンドさまと、やはり王女さまを守らんとする魔法使いたちの行き違い、責はその場にいながらこのような事態を止められなかったわたしにございます」
「なるほど。ではサシーニャ、おまえを罰せねばな」
ニヤリと笑うリオネンデ、
「違う!」
叫び声をあげ、異を唱えたのはハルヒムンドだ。
「違う、その人の話は違う!」
「違ってなどいない!」
ぴしゃりと言ったのはサシーニャ、
「ララミリュースさまも居合わせておいででした。わたしが申しあげたとおりですね?」
ハルヒムンドを無視してララミリュースに話しかける。
「え……」
急に話を振られたララミリュースがサシーニャを見詰める。そして
「えぇ、サシーニャさまの仰る通り……わたしは遠くてよく見えなかったけれど、だいたいあんな感じですわ」
サシーニャに話を合わせた。
「王妃さま!」
治まらないのはハルヒムンドだ。
「黙りなさい、ハルヒムンド!」
ララミリュースの叱責に呆然と口を開けたまま、ハルヒムンドが言葉を失くす。
「なんだ、何もないのに俺を呼び出したのか――リヒャンデル、どういうつもりだ?」
リオネンデにそう言われ、リヒャンデルが首を下げる。
「わたしも早とちりをしたようです。筆頭さまがご負傷され、慌ててしまいました」
「ふむ。そうだな、サシーニャが怪我をすれば慌てるな――サシーニャ!」
次には再びサシーニャに向き合ったリオネンデだ。
「部下の監督を行き届かせろよ。今回は負傷したのはおまえひとり、おまえも痛い思いをした事を考えて不問にする」
サシーニャも深く一礼する。
それを見て満足そうに笑み、今度はララミリュースに話しかけたリオネンデだ。
「随分と驚かれたことでしょう。こちらの不手際、お恥ずかしい限りです。これでご容赦願えますか?」
「とんでもない……」
恐縮するのはララミリュースだ。
「こちらこそ、その……誤解させるような振る舞いを警護隊長ともあろうものにさせたことを恥じております」
「ハルヒムンドさまをどうぞお連れください。あまり厳しくなさらないようお願いいたします」
リオネンデが身を翻し、玉座に戻る。
「この件に不服のある者はいるか?――いないようだな。以後、蒸し返すことは許さない」
見渡して念を押すと、再び上座から降りて扉に向かう。
すれ違いざまサシーニャに『執務室に来い』と言い、リヒャンデルに『ご苦労』と声を掛け、ララミリュースには『王館にてお待ちしております』と微笑んだ。ジャッシフが扉を開け、リオネンデが退出し、ジャッシフも出て行った。
チュジャンエラと二人の衛兵がララミリュースとルリシアレヤを宿舎に送るため退出すると、ふっとリヒャンデルが苦笑いした。残っているのはリヒャンデルとサシーニャの二人きりだ。
「とんだ茶番だったな」
「政治的配慮と言うヤツです。付き合わせてしまって申し訳ございません」
「その謝罪は本心かねぇ、サシーニャの素っ惚けは今に始まったことじゃないからな」
今度はサシーニャがうっすらと苦笑いした。
「さぁて、リオネンデに叱られに行ってきます」
「うん……王館まで送るか? リオネンデじゃないが、おまえ、顔色が悪いぞ?」
「繰り返しになりますが、この衣装のせいですよ。わたしには合わないのかな? もう着るのはやめた方がよさそうですね」
「前にも見たことあるような気がするが……」
思い出そうとするリヒャンデルを置き去りに、サシーニャは出て行った。
バチルデア一行の宿舎に向かうララミリュース、ハルヒムンドに文句を言いたいが、リオネンデに釘を刺されたこともありガミガミとは言えないでいた。
「もとはと言えばルリシアレヤがいけないのよ」
と、矛先を娘に向ける。
「おまえが勝手に動かなければ、こんなことにはならなかった。判ってる?」
だが、物思いに沈むルリシアレヤが『そうね、お母さま』と悄らしく答えれば、それ以上何も言えなくなる。さすがにチュジャンエラに文句も言えず、当たる相手をなくして悶々とするララミリュースだ。
宿舎に戻るとハルヒムンドはララミリュースから自室での謹慎を言い渡され、宛がわれた部屋に籠る。それを見届けたチュジャンエラが宿舎を後にする。
娘と二人きりになったララミリュースが
「リオネンデ王の食事会はどんなお料理を出してくれるのかしらね?」
と、沈んでいるルリシアレヤを引き立たせようと話しかけるが、『少し休みます』とルリシアレヤも寝室に籠ってしまった。溜息を吐くララミリュースだ。
(サシーニャさまはあんな話にしてしまったけれど、本当のところはどうだったのかしら?)
ハルヒムンドを呼び出して詳しく聞こうかとも思うが、何が出てくるのかと考えると怖くてそれもできなかった。
寝台に横たわり、溜息を吐いたり涙ぐんだりしているのはルリシアレヤだ。溜息はともかく、なぜだか涙が滲んでくる。
謁見の間に行くまではサシーニャの容態が心配でならなかった。ララミリュースの言うとおり、自分の軽率な行動がサシーニャに傷を負わせたのだと思っている。
謝らなくては、と勢い込んで赴いた謁見の間、サシーニャはそこにいた。それなのに、すぐに駆け寄って詫びるつもりだったルリシアレヤの足が止まる。脳裏に鮮明に甦えるのは、ハルヒムンドから庇ってくれたサシーニャの匂い……
抱え込んできた腕の力強さ、衣装を隔てても判る胸板の厚さ、筋肉の硬さ……それなのにふわりと優しく包み込まれたと感じ、父とも兄とも違う匂いに戸惑って見上げれば、サシーニャのなんと凛々しい事か。眩暈がしそうだった。
ずっとこのままでいたい、ルリシアレヤがそう感じるころにはハルヒムンドを捕らえ、サシーニャはルリシアレヤを見もしないで離れていった。
(サシーニャさま……)
リオネンデ王の食事会にはサシーニャも来ると聞いている。その時にはお礼を言わなきゃいけない。そう思うのに、ちゃんと言える自信がない。サシーニャを思えば胸が締め付けられるように切ない。サシーニャさまを嫌いになったわけじゃないのに、なぜこんなに苦しいの? 自分に問いかけるが答えは出ない。
「ルリシアレヤ」
寝室の扉の向こうからララミリュースの声が聞こえる。
「そろそろリオネンデ王の食事会の時間よ。リヒャンデルさまがお迎えにいらしたわ」
食事会でサシーニャに会える、それが嬉しい。なのに会うのが怖い。
(怖い? なんで怖い? わたし、どうかしてる……)
自分の気持ちを理解できないまま、寝台から降りたルリシアレヤが扉に向かった。




