近付く悪意
松見草の花房が爽やかな風に微かに揺れる。清々しく晴れたその日、グランデジア王宮の庭・南園の四阿で、こぢんまりしたお茶会が開かれていた。談笑しているのは王家の守り人と筆頭魔術師、その補佐役、そしてバチルデア王妃と王女の五人だ。
四阿の天井は松見草の棚、屋根があるわけではないから雨天の時には使えない。だが晴天の今日、陽光は花房を輝かせ、花房は陽光を程よく遮っている。長く房を垂らした松見草は花だけでなく香りも今が最盛期、この花が終わるころ、フェニカリデは雨期に入るだろう。
周囲にはこの季節の花がさまざまに咲き、お茶の用意に配された二人の魔術師が片付ける時を待ちながら、それらを鑑賞している。その二人とは四阿を挟み、物陰に隠れるように一人のバチルデア将校が茶会の様子を窺っていた。
バチルデアの宿舎に迎えに行ったのは約束通りの時刻、サシーニャとチュジャンエラは玄関の間で待ち、ジャルスジャズナがバチルデアの将校に伴われ、王妃と王女の部屋に出向いた。
グランデジア王宮は広い敷地の中に、王宮本館、王個人の住処となる王館、重臣たちに与えた王宮内館のほか、予備の館がいくつか立ち並んでいる。その予備館のひとつがバチルデアの宿舎に当てられているのは言うまでもない。下使いや料理人も配され、快適な居心地となっているはずだ。
軍の詰め所、兵士たちの鍛錬場、厩舎などが幾つか点在し、さらに魔術師に与えられた敷地内には魔術師の塔や魔術師の街に墓地など、魔術師に付随する施設がある。相当な広さになるが〝王宮〟と言えば、そのすべてを示していた。そして全体をぐるりと塀が囲み、いくつかの門や通用口があり、そこには昼夜を問わず守番が置かれている。
玄関の間で、ジャルスジャズナが今日の先導役としてチュジャンエラを紹介している。じろりと見て『随分とお若いのね』と言っただけで、ララミリュースは不服を言わなかった。チュジャンエラの童顔に警戒を感じなかったこともあるし、文句を言えば娘にまた窘められるだろう。
本日は王宮内をご案内いたします……と、玄関を出た時、騒ぎが起こった。バチルデアの若い将校が立ちはだかったのだ。
『ハルヒムンド、あなたはさっさと国にお帰りなさい!』
『王妃さまと王女さま、お二人をグランデジアの魔法使いになんかお任せできません』
『あなたたち! この男を追いやって!』
三人の魔術師に向かってララミリュースは金切り声を上げたが、将校が危害を加えるような事はしないと見て、魔術師は関わろうとしない。
『貴国内部の問題。我々には如何ともしがたき事でございます』
ララミリュースと若い将校は暫く揉めていたが、ルリシアレヤの言葉で将校が諦める。
『わたしが信じられませんか? リオネンデ王を疑うという事は、わたしを疑う事と同じですよ』
将校が黙るのを見て、『では、まいりましょう』とサシーニャが歩を進めた。
バチルデア一行の宿舎としている館から庭を通って王宮本館に向かう。途中、建設中の王妃宮を眺めてもいる。のんびりとした足取り、もっぱら話すのはチュジャンエラだ。
サシーニャとジャルスジャズナの三人で打ち合わせたとおりの順路を辿り、王宮内の施設を案内するとともに歴史や由来を説明する。ともすれば小難しくなりがちなのを、持ち前の人懐こさと明朗さでチュジャンエラが語れば、二人の客人が飽きることもない。
楽し気なチュジャンエラの話に耳を傾ければ、時折、道端に咲く花々や、木の枝にとまる小鳥の解説が入っている。打ち合わせたものばかりでは間が持たなくて、チュジャンエラが機転を利かせてのことだ。適度に冗談も交え、ララミリュースさえ笑わせている。
王宮本館からは中を通り抜け、王館の横をすり抜け魔術師の塔へと進む。王宮本館は政治の場とだけ、王館に至っては内部に入ることもせず、王の住まいとだけで終わらせた。
チュジャンエラに伴われたララミリュースとルリシアレヤを先頭に、ジャルスジャズナとサシーニャは少し距離を取って歩いていた。王館を後ろに見るころ、ララミリュースがわざと歩を遅らせジャルスジャズナと並ぶ。そしてこっそり訊いてきた。
『チュジャンエラはどんな立場の者なのかしら?』
すれ違った者はほぼ皆、チュジャンエラに親し気に話しかけている。チュジャンと呼ぶ者もいるにはいたが『チュジャンエラ〝さま〟』と呼ぶほうが多かった。ララミリュースが自国で渡された資料にチュジャンエラの名はなかった。
しかも後ろにサシーニャがいるのに気が付くと『失礼しました』と、途端に態度を改める。その様子からララミリュースは思った。チュジャンエラはそれなりの身分と推測したが、軽んじられているように見えなくもない。『さま』をつけているのは、上役のサシーニャの手前、取り繕っているのではないか?
『チュジャンエラは上級魔術師、魔術師の塔を支える役目を担う者の一人でございます』
ジャルスジャズナが簡単に魔術師の階級を解説し、
『現在、筆頭に次ぐ魔術師は僭越ながらわたしジャルスジャズナとされ、チュジャンエラは次の位置に居ります』
とチュジャンエラの立ち位置を告げた。
『魔術師の中でも上位という事ね? 随分お若いようだけれど……』
『魔術師は実力主義、年齢はさして考慮されません。見習いを終え正式な魔術師となればその力を買われ、責任ある立場になる者も多いのですよ』
『正式な魔術師っていくつでなれるの? あの子はまだ子どものようだけど?』
『十一で見習いとなり、十六の成人をもって、それなりの能力があれば正式に魔術師となります』
『ではチュジャンは十六になったばかり?』
『いえ……ああは見えてもルリシアレヤさまと同じ二十歳でございます』
慌ててチュジャンエラの値踏みをし直したララミリュースだ。
魔術師の塔は外から見学することにした。塔を昇ると聞いてララミリュースが難色を示したのだ。もう足がクタクタだと言う。王宮敷地内を馬車で案内する予定だったのに、それではゆっくり見物できないと言ったのはララミリュース、これほど広いと思っていなかったのだろう。
塔の周遊道に置かれた長椅子でララミリュースに休憩を取らせ、魔術師の塔の敷地内は終わらせて南園に向かうようチュジャンエラに指示を出しながらサシーニャは、そっとララミリュースの足に疲労回復魔法をかけていた。気が付いたのは魔術師たちだけだ。
ルリシアレヤは母親に付き添って長椅子に腰かけて塔を見上げている。それを見るともなしに見ながら、三人の魔術師が目配せをしあう。気が付いているな?……バチルデアの宿舎前で立ちふさがった将校が、密かに我らを尾けている。
王妃と王女を心配しての事だろうと魔術師たちも知らぬふりをしていたが、できれば魔術師の街には入れたくなかった。面倒を起こされでもしたら、先走った下位魔術師たちが何をするか? 魔法使いたちは、王に次ぎ筆頭魔術師と王家の守り人を最優先に守ろうとする。バチルデアの将校が怪しい動きをしたら問答無用で攻撃する。ララミリュースが疲労を訴えたのは魔術師たちにとっては好都合、塔の敷地から早々に出る、いい口実になった。
松見草の花房が爽やかな風に微かに揺れる――長椅子での休憩を終えた後は、花を見ながらのお茶会と聞いたララミリュースも元気を取り戻し、楽し気に足を運んだ。すっかりチュジャンエラに打ち解けたルリシアレヤは、自分からも話しかけてはチュジャンエラを笑わせたりしている。軽い心配がララミリュースを襲うが、ルリシアレヤは自国の若い貴族たちと同じように接しているだけ、そして魔術師の王への忠誠は絶対なはずと、その心配を打ち消している。ルリシアレヤとチュジャンエラが恋に落ちることはないだろう……
四阿で待機していた茶会世話係の魔術師が運んできたお茶請けを見て王妃と王女がそれぞれに感嘆の声を出す。
「ダーリャの花を凝り藻で閉じ込めた菓子でございます」
ジャルスジャズナが菓子を勧め、
「加熱で融け、冷えると固まる凝り藻の性質を利用したものです。貴国にも肉や魚の煮凝りがあるそうですね、要はそれと同じです」
チュジャンエラが説明する。
「本日はその凝り藻に、食用に適したダーリャの花を加え、甘酸っぱく調味しております。見た目が美しいだけでなく、味とつるりとした食感でお二人を楽しませることでしょう。お茶は茶ノ木の新芽で淹れたものです。摘み取っただけの生の新芽を使っています。少しの苦みと爽やかな香りが口中に広がる、清涼感が心地よいお茶です」
サシーニャの予測通り、ララミリュースが一皿、ルリシアレヤが二皿お茶請けを追加している。もう一皿あるよ、とジャルスジャズナに言われたチュジャンエラがサシーニャを盗み見ると、サシーニャが苦笑して頷いた。嬉しそうに世話係にお替りを頼むチュジャンエラをルリシアレヤが笑う。
「魔術師さまはいつもお花を食べているの?」
ルリシアレヤの質問に、
「花はたまに食べる程度です。サラダにしたり、砂糖漬けにしたり……その砂糖漬けを焼菓子やお茶に入れることもあります」
答えるのはチュジャンだ。
「そう言えば、昨日の宴には蒸餅やジャムが出てこなかったわ」
「グランデジアでは蒸餅やジャムなどは、あまり食べられていないのです。僕たち魔術師はよく食べますけどね」
「そうなのね……」
ふと考え込んだルリシアレヤ、
「どうかしましたか?」
チュジャンエラが心配する。
「いいえ、魔術師さまのお食事は特別なものが多いのかな、と思って」
「肉や魚などを食べない分、手の込んだ料理を作るだけですよ」
テーブルの反対側ではララミリュースがジャルスジャズナを相手に、熱心に凝り藻の調理法を聞いている。
「凝り藻とやらはどこで採れるのでしょう?」
「比較的暖かな海でよく採れるようです。乾燥させてから使うので、わたしも乾燥品しか見たことがないのですが……よろしかったらご帰国の際にお分けしますよ」
世話係たちは少し離れた場所で、お茶会が終わるのを待っている。うっすらと笑みを浮かべてお茶を楽しんでいるように見えるサシーニャは、心の中では周囲との距離を目算している。何かが起きた時、どう護衛するかを考えているのだ。そして世話係の一等魔術師二人が、早まった行動をしないかと警戒している。
先ほどから、僅かずつ背後から近寄る者がいた。判っている、あの将校だ。ジャルスジャズナもチュジャンエラも気が付いているが、まったく表情に出さない。だがすでに、三人の魔術師は緊張を強めている。宿舎を出た時と違い、将校から漂う気配は穏当とは言い難い――




