死神の祝宴
王の寝室でリオネンデが苛々と待っている。今日は王の謁見の間に続く、大広間で宴を催す日だ。そろそろグランデジア国の王侯貴族たちが集まっているころだ。
宴の目的はまだ知らせていない。急な王の呼び出しに、何事かと訝っているに違いない。並べられた数々の料理、次々と運び込まれる酒瓶。既に楽士たちは耳に障らぬよう、優雅な曲を嫋々と奏でている。その様子から、佳きことだとは判る。
リオネンデはすでに身支度を終え、大広間に向かうばかりとなっている。だが傍らに、今日の主役となるスイテアの姿がない。その身支度が終わるのを待って、リオネンデは苛立っているのだ。
やがで後宮の奥へと続く出入り口から『お支度が整いました』とレナリムの声がして、仕切りの布が払われる。ほう、とリオネンデが息を吐き、一瞬で苛立ちが消えていく。
「うむ……これなら難癖のつけようがない」
と、笑みを見せる。
黒髪を飾る白金は、額にあたる部分に黒曜石が埋め込まれ、上品な輝きを見せている。襟飾りもやはり白金、だが、こちらに填め込まれ、複雑な模様を描くのは血の色を匂わすルビーだ。
白絹の衣装の腰は白金に染められた腰ひもで絞られ、下穿きも幅広の白絹のもの。
そしてその背と、下穿きの左前には、色糸で刺繍された死神の姿が浮かび上がっている。
両手に黄金の小刀を構え、こちらを横目で見詰める髑髏の目は洞となった今でも血の涙を流している。
そのおどろおどろしさに、初めてその衣裳を目にしたときスイテアは息を飲み、レナリムは目を背けた。先ほども、支度を整えるためレナリムに連れられてスイテアは後宮の奥に消えたが、その寸時のち、何人かの女が悲鳴を上げたのをリオネンデは聞いている。
だがリオネンデの興味は、今は衣裳よりもそれを身に纏うスイテアにある。満足げな笑みを浮かべスイテアの頬に手を伸ばす。
いつもより濃いめの化粧を施したスイテアの黒い瞳がリオネンデを見詰める。
「俺の死神はなんとも美しいな。おまえにならいつ殺されてもいいような気分になるぞ。宴になど行かず寝台に運び、衣装を剥いでしまいたいところだ……が、そうもいかない――ついて来い。大広間で皆が待っている」
王の剣を手に取ると、マントを翻してリオネンデが執務室に通じる扉に向かう。手を翳すと扉が向こう側へ開いていく。
執務室にはジャッシフとサシーニャが控えていた。ジャッシフは平服だが、サシーニャは魔術師の正装だ――リオネンデが頷くとジャッシフが執務室から出て行った。
「ふむ……」
サシーニャがスイテアを見て目を細める。
「思ったよりも似合っている。女ぶりが上りましたね」
「……」
サシーニャの言にリオネンデが答える声はない。どうもスイテアを褒めたサシーニャが面白くなかったようだ。少しばかり妬いたのだろう。
「スイテア、手順は昨日教えたとおりだ」
リオネンデがスイテアに向き直る。
「決して間違えるな。大臣どもに侮られるぞ」
そしてサシーニャに頷く。すると、
「参りましょう」
サシーニャが先導した。
もう少しで大広間と言う頃、行く先から聞こえていた騒めきが収まったのを感じる。ジャッシフが先触れをしたのだろう。楽士たちが奏でる音も聞こえなくなる。
サシーニャが広間に入り、リオネンデがそれに続く。サシーニャの姿を見ると広間に緊張が走ったが、リオネンデの姿がそれに拍車を掛けた。魔術師筆頭が正装で上座に現れた。さらに王まで正装だ。いったい何があった?
そこにスイテアが現れれば一転、広間はざわざわと混乱に包まれていく。『あの娘はいつぞやの踊り子ではないか?』と、ヒソヒソと囁き合う声もある。
「静まれ!」
ジャッシフが声を張り上げた。
リオネンデは数段高く設えられた王座に構え、凛と前を向く。サシーニャが二段下がった場に控え、並み居る諸侯に目を据える。スイテアはその場では一番の下座に、片膝をついて首を垂れた。
騒ぎが収まるのを待つ間、サシーニャを睨み付ける男がいた。一の大臣マジェルダーナ、その人である。
王の従兄にあたる魔術師が幅を利かせるのが気に入らない。あの若さで魔術師筆頭だと? 王のお気に入りのあの男、父親が暗殺されたとき、ともにこの世を去っていれば少しは同情もしただろうに、今となっては目障りなだけ。その美しい容姿も甚だ目障りだ。
それにしてもあの娘は何者だ? あの衣裳に施された刺繍はなんだ? あれは死神、なぜ死神が印されている?
王座に腰を掛けて腕を組むリオネンデを、別の男が盗み見ている。二の大臣クッシャラデンジだ。
王と呼ばれるあの若者は即位したときの頼りなさがすっかり消えて、最初から今と同じだったような顔でふんぞり返っている。そのうち鼻をへし折って、思い通りに動かしてやる。
そして次にはサシーニャを盗み見る。
王を陰で操るのはあの男で間違いない。魔術師だかなんだか知らないが、訳の判らぬ魔法とやらで、王の守りを固めている。あの男さえ失脚させれば、王の懐柔は容易いはずだ。
それにつけても気になるのはあの娘。死神をこれ見よがしに印した衣裳。いったいどんな茶番が始まる?
やはり思惑を持って王を見るのは三の大臣ジッダセサン。良い若者になったと、こちらは随分と好意的だ。火の手が上がった王宮から、己の兄を担ぎ出したと聞いている。重症の兄は助からず、己も生死の境を彷徨った。
どこでどう取り違えられたのか、父王や母王妃、兄王太子をその手に掛けたと言われるが、あの兄弟の仲の良さを考えれば、悪意ある噂としか思えない。
グランデジアを守ると言われる鳳凰の印を持った兄は失われたが、火の中から蘇ったリオネンデ王こそが鳳凰にほかならぬ。
だがあの娘はなんだ? 死神とは縁起の悪い。王に仇なす者でなければ良いのだが――
いつまでも騒めく大広間に、業を煮やしたサシーニャの声が響き渡る。
「静まれ!――これより、王家の一員に新たに加えられ、王の片割れとなったスイテアに、リオネンデ王が剣を授ける」
サシーニャの声に、広間に集まった者どもは一斉に息を飲み、驚きのあまり目を見張る。その呪縛から、最初に抜け出したのは二の大臣クッシャラデンジだ。
「そんな話は聞いていない!」
その声に我を取り戻した数名が『そうだ、そうだ』と騒ぎ始め、ざわざわと広間は再び喧騒に包まれそうだ。
そこでリオネンデが立ち上がり、
「黙れ!」
と、一喝する。
落ち着いてはいるが強い声音、刺すように鋭い眼光、そして彫像のように整った容貌が凄みを助長する。騒ぎ出した面々も、思わず縮こまり、口を噤んでしまう。
「厳粛な王家の儀式を邪魔する者は名を告げよ。名を告げた者の言葉には、このリオネンデ、耳を傾けようぞ」
険しい面持ちのまま広間を一舐めりし、言葉を発する者がいないことを確認したリオネンデが
「ではこれ以後、王家の守り人の許しが出るまで、声を含め余計な物音を立てる事を禁じる――では、サシーニャ、続けるが良い」
サシーニャに頷き、王座に着いた。
頷き返したサシーニャが広間に向き直る。
「王家の墓廟にて王家に迎える承認儀式は終えている。異を唱えるは王家に異を唱えると同じと心せよ」
サシーニャの声が響き渡った。
跪いて控えているスイテアにサシーニャが身体を向ければ、リオネンデが再び立ち上がり、段を降りてサシーニャの横に立ち、そして跪いた。
「是は王家の墓廟にて清めし剣、王家の一員・王の片割れスイテアを守り、武を与えんとする剣なり。現世の王と認められしリオネンデより片割れスイテアに与え、王の威光を知らしめよ」
跪いたリオネンデが捧げる両手に、手にした剣をサシーニャが静かに乗せる。リオネンデが一礼し立ち上がる。そして一歩下がってから、王座に向かう。
王座の前に立つとリオネンデが
「我が片割れスイテア」
と、声にする。スイテアが立ち上がり段を上る。王の前の進み出ると、一段下に再び跪いた。
「我が片割れスイテア、ここに王家の一員と世に知らしめ、我が片割れと世に知らしめる。その証として紋章を印した剣を与える」
跪いたままスイテアが顔をあげ、リオネンデを見詰めてから、更に上を向き、その首筋を露わにして目を閉じる。リオネンデが剣を鞘から抜き放ち、剣先をその首筋に向けた。
「片割れスイテアの覚悟と忠義を見届け、王の名リオネンデとともに心に刻め」
リオネンデが手にした剣をサッと横に振る。喉元すれすれに振られた刃はスイテアを傷付ける事はない。が、見守る人々は一瞬の出来事に息を飲む。
鞘に納めると、リオネンデは剣を持ち変え、首を元に戻したスイテアに、今度は柄を向ける。
「そなたの血を含んだこの剣をそなたに授ける」
スイテアが捧げ持つように剣を受け取り立ち上がり、リオネンデの左後ろに移動する。
「リオネンデ王の片割れスイテアは、王の影となり、いつも王の後ろに控え、王を守る者となりましょう」
スイテアの宣誓が広間に凛と響き渡った。
サシーニャが広間に向き直り、声をあげる。
「みなも目の当たりにしたであろう。王家の一員、王の片割れスイテアは王にその首を差し出した。王はその首を切り落とし、切り落とした剣をスイテアに授けた。これよりスイテアは王と一心同体。スイテアを王と同様、畏れ敬え――こののち、王と王の片割れ、そして王家の守り人は王家の墓廟にて二の儀式を執り行う。この佳き日を皆で祝い楽しめ。宴を始めよ」
楽士が音楽を奏で始め、喧騒が広間に戻る。その中をサシーニャに先導され、リオネンデとスイテアが退出する。そしてジャッシフが三人のあとを追った。向かったのは王の執務室だ――




