損得勘定
サシーニャ……輝く黄金の髪を持つ男。白い肌に青い瞳、呪いにでもかけられたように見える。それとも人に似ているだけで人ではないのか? 思い出すだけでも恐ろしい。
そう思ってもララミリュースの知性は別の答えを弾き出す。あの男の母親は前王の姉、人である女と子を儲けたのだからその夫も人のはず。ならばサシーニャは紛れもなく人の子。
「歓迎会のあとで言った『筆頭魔術師に近寄るな、口を利くな』ってのは……取り消すわ」
コホンとララミリュースが咳払いをする。『サシーニャはグランデジアの有力者、懇意になって損はない』そんなリオネンデの言葉を思い出す。
「あら、お母さま、どういう風の吹き回し?」
「それよりルリシアレヤ、なんで筆頭さまが手紙の相手だと思ったりしたの? 見ただけで判断したにしては奇怪しいわ」
「だから言ったじゃない、一目見てそう思ったのよ」
「手紙に『髪は黄金で出来ている』とでも書いてあった?」
「そんなこと、冗談でも仰っちゃダメ。相手を退けようとする匂いがするわ――容姿についてはあちらもわたしも何も書いてないわよ」
「それじゃ、なんであの人だと思ったのよ?」
「そうね、それはなんとなくとしか……手紙から受ける印象と同じ印象を、サシーニャさまから感じたの。お手紙を書いてくれたかたはサシーニャさまと同じ雰囲気なのかもね」
「ほかにも黄金の髪の人間がいるって言うの?」
「お母さま、サシーニャさまの髪の色に拘らないで――黄金で出来た髪なんてありえないし。色が違うだけに決まってるじゃない」
「金で出来ているのではなくて?」
「もしそうだったら重くてあんなに長くできないわ。それに身体から金が生えてくるなんて有り得ない」
「そりゃあそうだけど。それじゃあ、あんなでもわたしたちと同じ髪なのね」
「当り前じゃないの。サシーニャさまはちょっと極端だけど、目や髪は茶色味がかっている人もいるし、肌の色にしたって誰でも少しずつ違うわ。夏には日焼けで、色変わりしたりね。同じことよ」
そうなのかしらねぇ、と納得いかない様子のララミリュースだが、
「でも、ま、確かに悪い人物ではなさそうよね」
とサシーニャを擁護するようなことを言い始める。
「明日からはジャルスジャズナさまと同行されるようだけど、あのジャルスジャズナって女より、ずっと上品な感じだし」
「あらあら、今度は守り人さまの悪口?」
「だってあの女、やけに堂々としていて、まぁ、なんて言うのかしらね……ま、いいわ」
「何がいいのかしらね?」
呆れるルリシアレヤから目を逸らすララミリュース、ジャルスジャズナを『育ちは良いがそこから食み出た女』と見ている。だが、それをルリシアレヤに言うのは抵抗があった。どんなふうに食み出ているのかと問われたら、答えは『自由奔放で経験豊富』となり、なんの経験かを言えば〝男〟となる。初心な娘にそんなことは言えない。それに加え、今のララミリュースにとって『魅力的な女』はすべて娘の敵に思える。ジャルスジャズナとてその枠を出ない。
ルリシアレヤを見ると母の相手には疲れたようで、黒猫を膝に置いて撫でながら笑んでいる。
(素直で真っ直ぐで、いい子だとは思うのだけど……)
文通に夢中になっているルリシアレヤに、あなたの相手はリオネンデ王なのだと釘を刺したララミリュースだ。
『夢中になるなら、相手はリオネンデ王にしなさい』
そう言うララミリュースに
『会った事もない上に言葉もくれないリオネンデさまに、どうしたら夢中になれると言うの?』
言い返してきたルリシアレヤだ。
手紙を心待ちにするルリシアレヤは、ララミリュースには恋人を待っている乙女のように見えた。それを本人に言うと、クスクス擽ったそうに笑った。
『相手の性別も判らないのに、恋をするわけないじゃないの。でも、恋ってこんな感じなのね?』
恥ずかし気に頬を染める。
そんなルリシアレヤを見て、今の内だとララミリュースは思った。文通相手の素性をはっきりとさせ、王女が恋をするに相応しい相手ではないとルリシアレヤにしっかりと認識させなくてはならない。そのためにグランデジアに行こう。グランデジアに行けば、リオネンデにも会える。ついでにルリシアレヤの存在を婚約者に印象付けることもできる。
反対する夫を説き伏せて、娘と二人グランデジアに乗り込んできた。非公式でいいと言うララミリュースに、公式でなければ行かせないと夫であるバチルデア王エネシクルは退かなかった。王妃まで行かせるのに、非公式では見下されると考えたのだ。
公式の訪問となれば形式ばったものとなる。リオネンデとルリシアレヤを打ち解けさせたいララミリュースの妨げになりそうだ。だからと言って王の許しもなく国を出るわけにもいかない。仕方なく〝男の見栄〟に従ったララミリュースだ。
文通相手に会えることを単純に喜ぶルリシアレヤ、どうやって文通相手を遠ざけるかに考えを巡らせていたララミリュース、二人がグランデジアに入った途端、文通相手には会えないという報せが届き、がっかりさせ、ほっとさせている。
それなのにフェニカリデに着いた早々、ルリシアレヤの関心が文通相手から別に移った。しかもあろうことか、今度は見紛うことなく男ときている。でも……
(いくらなんでも、あの男に恋心を抱くとは思えない)
偏見が、『サシーニャは娘の恋愛対象になり得ない』とララミリュースに思わせている。黒猫と戯れる娘を見ながらララミリュースが思う。誰にでも公平に接せよという言いつけに従っているだけ、たとえ好意を持ったとしても猫に対する感情と同じか、同情に過ぎない。
(ま、確かに同情はするわ)
あんな見てくれでは苦労も多いだろう。しかも五歳で孤児となったという。
(あぁ、だからなのね)
前国王が猶子とし準王子の身分を与えたのは、親を亡くした上にあんな容姿の甥を哀れみ、守ろうとしたからだと思った。成人した今、その身分は大いにサシーニャを裏支えしている。
リオネンデがサシーニャを信頼しているのは明白だ。グランデジアに関する資料にも最重要人物として名を連ねている。身分に加え、豊富な知識や機転の速さ、計画力に実行力、そして統率力。リオネンデ王の申し分ない片腕として、王宮内での支持も揺るぎないと資料には書かれていた。
(だとしたら、こちら側につけることができれば、他の女から守ってくれる力強い後ろ盾にできる……)
ルリシアレヤがサシーニャに近付くことを妨げるのは得策ではない。ルリシアレヤがサシーニャに恋愛感情を持つ心配がないのと同様、サシーニャがルリシアレヤを女と見ることもないだろう。
(魔術師の、王への忠誠は絶対だと聞いた。それにまして従兄でもある。王の婚約者に手を出すなんて有り得ない)
だけどわたしはあの男にはなるべく近づかずにいよう。だって恐怖が顔に出てしまう。サシーニャと近づきになるのはルリシアレヤに任せておけばいい。
(ま、今日はまだフェニカリデに着いたばかり。焦ることもないわ)
「扉を開けて欲しいの?」
ルリシアレヤの声が急に飛び込んできて、ララミリュースがハッとする。見ると部屋の扉の前でルリシアレヤが猫に話しかけている。
「どうしたの?」
「この猫ちゃん、部屋を出たがっているみたい」
「だったらさっさと出してあげなさい――そろそろ休みましょう。服に着いた猫の毛はよく掃うのよ」
扉を開けたルリシアレヤが『またね』と猫を見送ってから扉を閉める。
「それが、まったく抜け毛がないの。思ったほど猫って毛が抜けないのかな? それともヌバタムが特別なのかしらね?」
ルリシアレヤが自分の衣装や今まで座っていた長椅子に猫の毛を探す。
「おまえに貸すことを考えて、よほど丁寧にブラシをかけたのかもしれないわね」
欠伸を噛み殺しながら、ララミリュースはそう言った――
魔術師の塔、サシーニャの居室、部屋着に着替えたサシーニャが戻ってきたヌバタムを膝に乗せ、その体にブラシを掛けている。毛抜け防止の魔法は解いてある。今日一日、どんなにヌバタムが熱心に毛繕いしても、一本も舐め取れなかったはずだ。直ぐにその分をブラシで取ってやらなければ、ヌバタムは自分の毛を大量に飲み込んでしまう事になる。
「王女さまをしっかりお慰めしてきましたか?」
ブラシを動かしながらサシーニャがヌバタムに話しかける。
チュジャンエラを自室に戻し、ゲッコーの顎を掻いた後、いったん寝室に戻ったサシーニャだ。そこで部屋着に替えてから居室に戻り、ゲッコーの鳥籠には黒い覆い布をかけて目隠しした。
鳥類の眠りは浅い。ゲッコーはサシーニャが動けば気が付くし、きっとヌバタムが戻ったことも察知している。けれどゲッコーに動く気配はない。自分の籠の中は絶対に安全、普段と大きく変わった動きがない限り、ゲッコーは騒がない。
「王女さまは可愛がってくれましたか?」
ブラシに着いた抜け毛を取り除きながらサシーニャが呟く。
「魔術師の塔の誰よりも、ずっと優しい手だったでしょう? 魔法を使ったり、薬を調合するのに使う魔術師の手と違って、あの人の手は花を摘んだり、刺繍をしたりするためのものなんです」
サシーニャの膝から降りたヌバタムは、サシーニャの足元で髭の手入れを始めている。サシーニャが、ブラシを持った手を低く掲げて掌を上に向けるとブラシがふわりと浮いて、ゲッコーの籠を乗せたチェストに向かって宙を進んいく。するとチェストの引き出しが勝手に開き、ブラシを中に飲み込むと元通りに閉まった。
と、急にサシーニャの顔に緊張の色が走る。バチルデアの将校が宿舎の部屋を出て庭を歩いているのを察知したのだ。
男は庭に出ると、ある部屋の窓をじっと見つめている。その窓の明かりがふっと消え、見ていた男がハッと身動ぐ。そして迷うような素振りを見せてから、自分の部屋へと戻った。そこでサシーニャも緊張を解く。
ポンッとヌバタムがサシーニャの膝に乗り、ニャオンと鳴いた。
「うん? もう眠いのですか?」
サシーニャに答えるようにヌバタムがもう一度ニャオンと鳴く。
「そうですね、今日はわたしもそろそろ休むことにしましょう。王女さまもお休みになられたようですし」
トンと、ヌバタムがサシーニャの膝から降りて、壁際に置かれた自分の寝床で丸くなる。
「おやすみ」
サシーニャが寝室に入ると居室の灯りが消えた。




