後宮の女あるじ
凝り藻って、どんなものでしょうね? 問うスイテアに
「俺も魔術師どもの料理はよく知らない」
リオネンデが面倒そうに答える。原因はスイテアだ。リオネンデに対し、どことなく棘のある言い方をする。それが面白くない。
「庭の松見草が見ごろなのだとか――南園の四阿の棚って仰ってました。見事な大房なのだとか……見応えがありそうですね」
「そうかもしれないな」
それがどうした、と言いたげなリオネンデ、
「サシーニャさまのお茶会、きっと素敵なものになるでしょうね」
皮肉を込めてスイテアが呟く。
後宮、王の寝室――ララミリュースとルリシアレヤを招待しての明日の夕食の打ち合わせをしていたリオネンデとスイテアだ。
リオネンデがじろりとスイテアを見て、
「凝り藻の菓子が食べたいなら、魔術師に命じて作らせよう――藻と言うからは水生植物、それにダーリャの花と言っていた。魔術師のヤツら、野菜ばかりか藻や花まで食うとはな。ほかにいくらでも食べ物はあるだろうに」
面白くなさそうに言う。
「花を食べてはいけないのですか? 花の奥には蜜もあるし、食べてみたら美味しいかもしれませんよ?」
「俺は草を食うくらいなら肉や魚のほうがいい。ま、瓜類は好きだがな……カニやエビもいいな。鳥の卵もいい……美味いものはいくらでもある」
「そう言えば、まだまだ高価だけれどフェニカリデの街でも海で獲れたカニやエビが手に入るようになったとか」
「うん? 守り人に聞いたか? だが、まだ品薄で、金持ち連中が競うように買い求めるって話だ」
「えぇ……ジャルスジャズナさまから伺いました」
最後を強調するスイテア、リオネンデが再びスイテアを見る。
「何が言いたい?」
「いえ……松見草の花が見事という事も、フェニカリデでカニやエビが売られていることも、全部誰かに聞いた事だと思って」
「ふむ……自由に外を出歩きたいか?」
「そう言う事ではないのです」
「では、どういう事だ?」
黙ってしまったスイテアに
「どうした? 言ってみろ」
リオネンデが答えを催促する。
「なんだか……」
仕方なく、おずおずとスイテアが切り出す。八つ当たりをしてしまった。それが後ろめたい。
「世の中から切り離されてしまったような――いいえ! ここでの暮らしに不満があるわけではないのです!」
何か言おうとしたリオネンデを、スイテアが先回りする。
「今のわたしには後宮とその庭、そしてリオネンデさまの執務室しかない。毎日、限られた人としか接していない――歓迎式のため、王宮本館謁見室の間に向かう途中、同じ王宮の庭でも、後宮の狭い庭とは違う風が吹いていて、謁見の間にはお会いしたことのないかたがたがいらした。世の中には大勢の、さまざまな人々が生きている。そして、それぞれに違う暮らしがあって……そのことを思い出してしまったのです」
「うむ。それで?」
「いえ、それだけです」
「ふぅん、自分でも、何が不満か判らないという事か」
「あ、いえ……」
「サシーニャの茶会に行ってみたかったか?」
戸惑うスイテアにリオネンデが微笑む。
「時間はあるのに忙しいと断った。それが不満だったか……」
考え込んだリオネンデに、スイテアが言い訳しようとするが、
「いや、いいんだ。確かに女が喜びそうな茶会だ」
リオネンデが笑う。
「俺に同伴するなら、おまえだってどこにでも行ける。チュジャンも『片割れさまもご一緒に』と言った。あれは……サシーニャの指示か?」
最後のほうは独り言だ。
「だがスイテア、あの席におまえを連れて行けば、ララミリュースがおまえに何を言い出すか、どんな態度をとるか? 俺はそれを危ぶんだんだ」
「リオネンデさま?」
「だから王の執務室での食事に招待することにした。ここにおまえがいるのは当たり前、文句は言えない。そしてここではおまえが女主だ。後宮の女たちを従えるおまえをララミリュースに見せつけようと考えたんだよ」
自分を見詰めるリオネンデの穏やかな目をスイテアも見詰め返す。
「おまえをもっと外に出せないのかと、ジャルスジャズナに相談されたとサシーニャも言っていた。古くからの慣習を覆すのは難しい。だが、サシーニャはなんとかしたいと言っていた」
「サシーニャさまが?」
「なんでも守り人が王廟に、おまえの魔術師の塔への出入りを打診したそうだ。答えは是、つまり現時点で、おまえは魔術師の塔への出入りを許されている」
驚いたスイテアの、リオネンデを見つめる目が大きく見開かされる。
「ただな、後宮から魔術師の塔へ、どう移動すればいいのかが判らないと言っていた。それが見つかれば、サシーニャが大臣たちを丸め込んでくれる。いつでも好きな時に、塔の蔵書庫へ行けるようになるぞ」
「そんな、嬉し過ぎて……わたしなどのために――」
「おまえは王の片割れ、卑下することはない。それにサシーニャが言っていた。王族以外が王の片割れと認められた前例はない。おまえが王の片割れとなったのは、何か意味があるはずだ、と」
「そんな……わたしなんぞに、何か成さねばならないことがあるのでしょうか?」
ふっと、リオネンデがスイテアの顔を見直す。スイテアは『何か意味がある』という言葉を、自分が担うべき役目があると受け取った。利用される存在ではなく、自ら動く存在と見た。それだけでもスイテアが特別に思える。
特別なのは判っていた。スイテアの内股に隠された鳳凰の印がそれを物語る。グランデジアを守護する鳥、フェニカリデの象徴鳳凰は、意味なくスイテアに現れたわけではない。いつかきっとスイテアは、グランデジアかフェニカリデか、あるいは王と王家を守る必要不可欠な者となる。
「だが、まぁ、まだまだ先の話だ――それより今は明日の献立だ。アナナスはあるかな?」
「アナナスはサシーニャさまが何時いらしてもいいように、常備しています」
目を擦りながらスイテアが答える。
「サシーニャのために? いつから?」
「もうずいぶん経ちます。お許しが必要でしたか?」
「いいや、サシーニャはアナナスがあると機嫌がよくなる。難しい話がある時に出してくれると助かるぞ」
「良かった、怒られるかと思いました。高価な果物、しかも傷み易いのに常備だなどと、って。でも、明日はララミリュースさまとルリシアレヤさまのためにお出ししましょう」
「うん。明日は俺とおまえ、サシーニャとチュジャンエラ、それにリヒャンデル、ジャッシフも同席させるつもりだ。で、もちろん王妃と王女」
「リヒャンデルさまとジャッシフさまの事は伺いましたが、サシーニャさまとチュジャンエラさまの事は何も……ジャルスジャズナさまはよろしいのですか?」
「そう言えば、チュジャンにも言っていない気がする……判った、きっとサシーニャたちも呼ばれるとは思ってないな。明日の朝にでも使いを行かせる。ジャルスジャズナは出突っ張りだから、僅かだが休息を取らせる――食材はどうだ?」
「八名ですね。大丈夫、アナナスも充分にございます」
「そうか」
クスリと笑うスイテアにリオネンデもつられて笑う。
「ほかにキジ肉や、オーウエナリス産の甲殻類などございますが、いかがいたしましょう?」
「いかがする、とは?」
「フェニカリデで普段食しているようなものがいいのか、それともご馳走と言われるもののほうがいいのか?」
「そうだな……どちらもあったほうがよさそうだな」
「畏まりました。あとは食器をどうするか、です」
「うん」
と、リオネンデが大きく頷く。
「例の木の器も使え」
「器に合う料理を盛り付けてお出しします、取り分けて食べる用で。他はなるべく見栄えのする食器を選んで補いましょう」
「うん、それでいい。ほかに聞いておきたいことは?」
「先ほどのお話し通り、テーブルと椅子を運びこむのですよね? 誰がどこに座るかなど、お決めになっておいたほうがいいのでは?」
「あぁ、バチルデアでは床にじかに座ることがないそうだ。酔った時などすぐにゴロンと横になれて楽なのにな――おまえはどう座らせるのがいいと思う?」
「ララミリュースさまをリオネンデさまとリヒャンデルさまで挟む、これは動かせないでしょうね」
「それじゃ、ルリシアレヤをチュジャンエラとジャッシフで挟むか」
「あら、サシーニャさまをルリシアレヤさまの隣になさるおつもりかと思っていました」
「いいや、ここは少し引き離しておけ。でないとサシーニャが拒絶反応を起こしかねない」
「あぁ、ありそうですね。ルリシアレヤさまにどう思われるか、そして周囲はどう思うかを気になさりそうです」
「だろう? だからさ、サシーニャが、ルリシアレヤが近くにいる状況に慣れるまではあまり刺激しないほうがいい」
「サシーニャさまが慣れるなんてこと、あるのかしら?」
「さぁなぁ。ま、様子を見てまた考えるさ――あ、そうだ、円卓にしよう。俺の隣におまえ、サシーニャ、チュジャンエラ」
「さらにルリシアレヤさま、ジャッシフさま、リヒャンデルさま、ララミリュースさま……えぇ、ぐるりと丸く、お話も丸く収まりそうですね」
なんだか、明日が楽しみになってきました……微笑むスイテアをリオネンデが見詰める。どうやらスイテアの機嫌は直ったようだ――
機嫌が直らないのはララミリュースだ。歓迎式、そして宴と、ルリシアレヤの行動が腹立たしくて仕方ない。
「自分から話しかけてはいけないって教えたでしょう?」
「人は身分じゃないって教えてくださったのに、矛盾しているわ」
「人がどうのという話ではありません。身分持つ者には威厳が必要なのです。威厳を保つのも人の上に立つ者の勤めです。それに、知らない相手に駆け寄るなんて、どれほど危険か」
「知っている人だと思ったのよ。だいたいお母さま、グランデジアの王宮、しかも歓迎の場に、危険人物が紛れ込んでる思う?」
「そんなことはないでしょうけど――そもそも、ここにあなたの知っている人がいるはずないじゃないの」
「文通のお相手がいるじゃない……お父上のご容体、それほど悪くなければいいのだれけど」
「そんなありふれた口実を信じているの? やはりあなたは子どもだわ。会わなくてもいいように、フェニカリデから逃げたのよ――馬鹿にされたもんだわ、文通の担当者が、顔も見せられないような身分だなんて」
「嘘と決めつけないで。サシーニャさまも同じことをおっしゃったのだし」
サシーニャと聞いてララミリュースがぎょっとする。




