見上げていたのは
なんと話しかけてきたと思う? と、リオネンデがイタズラな目をスイテアに向ける。
「サシーニャはまだ来ないのかって訊いてきたんだ」
「はい?」
「話しかけてこなかった理由が俺に隙がなかったからだとしても、その隙をついて話しかけてきたのはサシーニャの事だ。俺の事ではなく、な。ルリシアレヤの関心は、俺ではなくサシーニャに向いている。違うか?」
「なるほど、〝自覚がない〟で間違いないようですね」
少しだけスイテアの表情が明るくなる。
「なんだ、嬉しそうだな?」
「えぇ、もしルリシアレヤさまのお心がサシーニャさまに無かったらどうしようって思っていました」
フフン、とリオネンデが笑う。
「おまえも気が付いていたのだろう? 歓迎式の時のサシーニャに」
「ルリシアレヤさまに見惚れておいででした」
スイテアが少しだけ目を伏せる。
きっとサシーニャはルリシアレヤを見て、やはりプリムジュの花のようだと感じたことだろう――手紙に触れただけでも感情が真っ直ぐ流れ込んでくると言っていたサシーニャだ。本人を目の前にすれば、どれほどの思いがルリシアレヤから押し寄せられてきたことか。その二つでサシーニャは、ルリシアレヤに見惚れてしまったのだとスイテアは思った。
「なにしろ……なにしろリオネンデさま、サシーニャさまとルリシアレヤさまを結んであげてください」
スイテアの祈るような願いに応える声はないものの、思いは同じリオネンデだ――
魔術師の塔に戻ったサシーニャを待っていたのはジャルスジャズナだった。
塔の入り口で立ち番から、『守り人さまが、筆頭さまが帰ったら教えて欲しいと仰っていました』と聞いたサシーニャはチュジャンエラを迎えに行かせている。
「わざわざ塔の立ち番に伝言……なんだろう?」
サシーニャが不審がる。明日からのバチルデア対策の打ち合わせを今夜中に済ませておかなくてはならない。そのことはサシーニャだって承知していると判っているはずだ。伝言などなくても呼び出すつもりでいた。
素馨茶を淹れて待っていると、ほどなくチュジャンエラに伴われてジャルスジャズナが姿を見せた。
「あら、いい香り」
「宴での料理は揚げ物が多く見えました。それで、さっぱりした素馨茶がよろしいかと」
「お酒を出してこないのがアンタのいいところでもあり、面白くないところでもあるね」
サシーニャが苦笑いする横で『お茶なら僕が淹れたのに』とチュジャンエラが不平を漏らし、自分にも用意されていることに恐縮する。
「守り人さまはともかく、おまえは空腹だろう?」
と、サシーニャが焼き菓子の皿をチュジャンエラの前に出す。
「僕だけ?」
「守り人さまも召し上がりますか?」
「いいや、なんだか緊張して食べたもんだから、胃が変だ。満腹なのか空腹なのかもよく判らない」
「サシーニャさまだって、何も食べてらっしゃらないのに」
チュジャンエラの心配を無視し、サシーニャも席に着く。
「守り人さまのご用はなんでしょう?」
問い掛けに、お茶を口元に運んでいたジャルスジャズナが上目遣いにサシーニャを見た。
壁際の止まり木に戻ったゲッコーが自分の足を噛んだり羽繕いをしていて、時どきサシーニャを見てはクックと忍び笑いを漏らし、小さな声で何やらブツブツ言っている
「先に打ち合わせを終わらせようよ」
お茶を啜ってから、ジャルスジャズナが言った。
「明日の朝はゆっくりしたいって言うから、お迎えは正午にしたよ」
「旅路の疲れもあるでしょう。それで結構です――明日は街に出ず、王宮内をご案内するだけにしましょう」
「夕暮れまで、間が持つかなぁ?」
「庭で時間を多くとろうと考えています。松見草が見ごろを迎えています。棚の下に席を設けての茶会はいかがでしょう?」
「さすがサシーニャ、綺麗な花と甘い香り、溜まった疲れも吹っ飛びそうだ」
「お茶は青い香りのものを選び、甘さは松見草の蜜をお好みで。茶菓はダーリャの花の凝り藻寄せがよろしいかと」
「頭上には咲き誇る松見草、甘い匂いが漂う中、花を配った口当たりのいい菓子でお茶を楽しむ……サシーニャ、あんたがモテるのにも納得だ」
ジャルスジャズナが冷やかすが、いつも通りサシーニャは聞こえないふりで、
「チュジャン、厨房に行って準備を始めるよう伝えてください」
と、傍に控えるチュジャンエラに指示を出す。凝り藻の菓子は王宮の料理人の手には余る。
「はい、固める時間が必要ですものね――何人分、用意させますか?」
「そうですね、少し多めがいいかな。九人分で――あぁ、でも、先に王の執務室に寄って、庭での茶会をリオネンデに報告し、出席するか打診を。出るならその人数分も追加で」
「リオネンデが来るかね?」
とは、ジャルスジャズナ、
「九人分って、多過ぎませんか?」
と言ったのはチュジャンエラだ。
「リオネンデはララミリュースさまに用事があるのですよ。警護隊を先に帰還させる件で――王妃と王女、バチルデアの将校が一人、でもこのかたはララミリュースさまが嫌がる可能性が高いのでいらっしゃらないかもしれません。ですがいらした場合、足りないのは困ります。それに守り人、わたし、チュジャン。王妃が一つ追加、王女は二つ追加で召し上がると予測しました」
「王女さまは大食らいなんだ?」
ジャルスジャズナがサシーニャに問う横で、チュジャンエラが『僕も数に入ってるんですね』と喜び、すぐに手配してくると部屋を出る。
「バチルデアにも似たような料理……肉や魚を使った煮凝りはあるようですが菓子はないし、凝り藻は使わないようです。花を食すこともないので、珍しがられるかなと思って」
「なるほどね――ところで警護隊の帰還って? それにチュジャンを同席させていいのか?」
「ララミリュースさまがバチルデアの警護隊を国に帰すようリヒャンデルに言ったのです。普段見慣れた顔がいたらグランデジア気分を味わえないのだとか――チュジャンはルリシアレヤさまと同じ年、話し相手に最適と思いました」
「ふん、自分で相手をするのが面倒だから? チュジャンに押し付けちゃうか?」
「そんなつもりはありませんよ」
揶揄うジャルスジャズナにサシーニャが鼻白む。そんなサシーニャをさらに揶揄うつもりか、ジャルスジャズナがニヤニヤと笑う
「でもいいのかね? チュジャンの女ったらし、王女さまに手を出さなきゃ――」
「ジャジャ!」
サシーニャが声を荒げてジャルスジャズナの口を塞ぐ。
「ルリシアレヤさまがそんな軽はずみなことをなさるとは思えません。それにチュジャンもそこまで見境がないわけじゃない」
「ふぅん、そうなんだ?」
サシーニャを面白そうに見るジャルスジャズナ、サシーニャはいたって真顔だ。
「チュジャンは自分に合う相手を探しているだけです。なかなか巡り合えない。ただそれだけです」
「へぇ、サシーニャはチュジャンの女遊びをそう見てたんだ? それが正しいかどうかはともかく、ルリシアレヤに手を出すなんて馬鹿な事、チュジャンがするなんていくらなんでも思っちゃいない、冗談さ」
「ジャルスジャズナさまがこんな質の悪い冗談をおっしゃるとは思っていませんでした」
声を荒げたことが気まずいのか、それとも別の何かが気まずいのか、サシーニャがジャルスジャズナから目を逸らす。そんなサシーニャの顔を見ながらジャルスジャズナが諭すように言った。
「王の婚約者と恋愛関係になるなんて、王への裏切りにほかならない。判っているよね?」
サシーニャが視線をジャルスジャズナに戻す。
「もちろんです。しっかり目を光らせておきます」
「そうだね、わたしも目を光らせておくよ」
ジャルスジャズナが『目を光らせる』相手に気付いているサシーニャ、誤解だと言いたいところだが言えば誤解でなくなるような危うさを感じ、敢えて触れずにいる。なぜ誤解するんだ、ジャジャ? ルリシアレヤを気遣うのは国賓だしリオネンデの婚約者だからだ。ルリシアレヤに冷たい態度を取るのは、ルリシアレヤに誤解させないためだ――そうしなければ誤解させる、そう思っているところに問題があると気が付いていないサシーニャだ。
ジャルスジャズナにしてもこんなことは言いたくなかった。黙って見守り、恋の成就を祈りたかった。だが、あり得ない。許されない恋ならば、蕾の内に摘んだほうがいい。実のならない徒花を咲かせてはいけない。苦しむサシーニャの顔を見たくはない。姉として接し、一時は男と意識したサシーニャへの、それが自分の務めだと感じていた。
チュジャンエラの話に置き換えたサシーニャは、既に話題を元に戻している。明日の朝食は世話係に任せ、王妃と王女、水入らずで過ごせるようにしましょうと、書面を見ながら言っている。それに同意するジャルスジャズナ、熟ついてない男だとサシーニャを眺めていた。
チュジャンエラが戻ってきて、『王は、明日は時間が取れないそうです』と報告する。茶会の件だ。
「代わりに夕食に招待したいと仰っていました」
「それならララミリュースさまに、王の食事会に出席いただくようお願いしましょう。リオネンデの用事は早く済ませたほうがいい」
「王の招待のこと、ララミリュースにはいつ伝えるんだい?」
ジャルスジャズナの質問に、
「それは明日の茶会でいいでしょう。詫びる必要もない王の欠席を、詫びるついでに言いますよ」
サシーニャが答える。
「明日は王宮内を案内して庭でお茶会、明後日は王のブドウ園と醸造所、ブドウ園隣接の果樹園にお連れして、桜桃・甜瓜などが生っているさまをご覧いただき、蘆橘を手捥ぎにてご試食、明後日以降は客人の要望も考慮して決めていくという事でよろしいですね?」
「あんたが立てた案に反対できるヤツがいたら会ってみたいもんだ。なぁ、チュジャン?」
「明後日も同行していいのでしょう? 甜瓜の生ってるのなんか、見たことないから楽しみ。でも、蘆橘の実に王妃さまと王女さまは手が届きますか?」
「果樹園の温室で育てている蘆橘は収穫しやすいように、枝が低く伸びるよう剪定しているので大丈夫だと思います」
「それってどれくらいの高さに実はあるのですか?」
「わたしの背より少し高い程度です」
サシーニャの返答に、チュジャンエラとジャルスジャズナが見かわす。
「王妃さまも王女さまも結構小柄だぞ、サシーニャ」
ジャルスジャズナがクスリと笑う。
「あんな近くで見たのに気が付かなかったか? 王女は見上げていたし、おまえは見下ろしてた」
サシーニャが、心の中でギョッとする。




