母の値踏み
謁見の間に集められた貴族は全部で三十人余り、広い領地や王家に対する発言力の強い者ばかり、部屋の広さからすると少し寂しい人数だが、さらに集めるとなると選ぶのが難しく、身分や立場から不満が出ないようと考えれば多くなり過ぎる。バチルデアからの申し出もあることから、有力者だけとした。
扉の前は広く開けてあるが、上座に向かって真っすぐ進めるよう、貴族たちは左右に分かれて談笑している。これから来る客人の噂話をする声が上座にも届いている。
上座は数段高く作られ、最上段に置かれた玉座に足を組んで腰かけるのは、もちろん国王リオネンデだ。装束は盛装、光沢のある藍色の地に金糸銀糸が織り込まれたもの、モールは銀糸、腰帯は幅広で、咆哮する獅子の紋章が配われている。様々な色石が使われた額飾り、こちらも獅子の紋章だ。
王の傍ら、若干後ろに立つのは王の片割れスイテア、僅かに抜けた濃紫の衣装で飾りのないものだ。が、腰紐には金糸を編んだ物を使い、端は房にして垂らしている。体の線を浮き立たせた衣装と濃い化粧で美しさに凄みを加えているうえ、首から下げた金の徽章は真っ赤な紅玉を涙に模した死神の紋章、王の片割れの貫禄は充分だ。
上座に設えられた階段の、最下段の前に立つのは筆頭魔術師サシーニャ、淡い若草色の衣装は魔術師の盛装、生地全体に広がる細い線で描かれた銀糸の刺繍は大柄な蔦模様、ところどころに金糸で幾重かの円が小さく描かれている。
腰帯は銀色の織物、ギュッと結んだだけだが共布の襟飾りが長く垂らされ、華やかさを添えている。前髪を耳の後ろから左右で編み、衣装と同じ布で作った細帯を使って残りの髪と背中で一纏にしている。
額を飾るのは蒼玉、左耳で輝いているのも蒼玉だ。隣に立つチュジャンエラとともに、近衛将校と何やら話し込んでいる。
乳白色の地に、薄茶、薄橙、薄鼠、薄緑の細い線で草花を書き込んだ生地で仕立てた衣装もやはり魔術師の盛装、チュジャンエラは艶やかな煉瓦色の帯で腰を締めている。額飾りはないが左耳に輝くのは月の雫、海に眠る貝の中から見つけ出される柔らかな光沢を持った玉だ。
耳朶に開けた小さな穴に金具を通して止める耳飾りは見習いを終えた魔術師に許され、普段は金剛石を使うことが多い。どの宝石よりも金剛石が一番魔力を強めるからだ。だが盛装を命じられた今日、二人の魔術師は金剛石以外を選んでいる。謁見の間に魔術師は、今はこの二人しかいない。
扉の向こうから近づく気配に、魔術師と話していた将校が決められた立ち位置へと戻っていく。談笑していた、集まった者たちも姿勢を正して口を噤む。
サシーニャが頷き、立ち上がったリオネンデがスイテアを伴い上座から降りる。正面に立つリオネンデ、半ばリオネンデに隠れる位置にスイテア、人垣の先頭にサシーニャが立ち、その隣にチュジャンエラが立った。
「バチルデア国王妃ララミリュースさま、王女ルリシアレヤさま、ご到着です」
声とともに大きく開かれた扉、入ってきたのはリヒャンデルに先導されたララミリュース、続いて王家の守り人ジャルスジャズナに付き添われたルリシアレヤ、ベルグ総裁カカロテレズ、バチルデアの将校とグランデジアの近衛兵が続き、近衛兵は扉が閉ざされるとその場に待機した。
賢妻の誉れ高きララミリュース、真直ぐに前を向き、堂々とした足取りで進む。それに引き換えルリシアレヤはふわふわと、部屋の様子や立ち並んだグランデジアの貴族たちに目を泳がせている。
充分な間を取って、リヒャンデルがリオネンデの前で立ち止まる。徐に頷くリオネンデ、リヒャンデルはララミリュースに向き直り、三歩ほど後退してから
「グランデジア国王でございます」
と告げた。終始笑顔でまっすぐ前を向いていたララミリュースがリヒャンデルに向き直り、やはり笑顔のまま会釈する。そして再度前を向き、さも今気が付いたと言いたげに、
「ほう……」
と、リオネンデを見て呟いた。
リオネンデとて、そんな猿芝居に合わせるつもりはないが、
「遠路はるばる、ようお越しくださいました。グランデジア国王リオネンデ・グランデジアでございます」
と、白々しい口上をいとも本心と言いたげに始める。社交とは面倒なものだ。それを聞くララミリュースも笑顔を絶やしはしない。
(なるほど、噂に聞く美丈夫。逞しく均整の取れた体躯、母親譲りの美形――身の熟しに隙もなく、口上を聞く限り弁舌爽やか、知性と理性も充分)
口上を聞きつつ、ララミリュースがリオネンデを値踏みする。
(母親はナナフスカヤさまの娘マレアチナ……美形なのも納得。そう言えば、どことなくナナフスカヤさまの面影が見える)
〝見てくれ〟には文句のつけようがない。もっとも、文句をつける気などサラサラない。
(そしてあれが……)
ララミリュースがチラリと盗み見るのは、リオネンデの後ろに控えるスイテアだ。
(リオネンデの愛妾――齢のころは二十を少し超えたくらい。化粧できつい顔に見せているが、素顔はきっと愛らしい。それに男を虜にしそうなあの姿態……)
あの女はきっと強敵だ。温和しげに男に従い、自尊心を擽って男の心を捉え、肉欲を唆る身体で男の情念を滾らせるだろう。
(ルリシアレヤがあの女からリオネンデを奪うには……)
容姿はあの女にも負けない。姿態は? あの女には負けそうだけど、近頃は青臭さが抜けて、母親のわたしでさえも溜息が出そうなほど美しくなった。でも、それだけではルリシアレヤに勝ちはない。
(ルリシアレヤの強みは真っ直ぐに突き進むところ)
ルリシアレヤが必死な面持ちで縋れば、リオネンデとて情に絆される。
(でも、それが通用するのは最初だけ。すぐに飽きられてしまう。ではどうしたら? それに一番問題なのは……)
一番問題なのは、ルリシアレヤがそんな気持ちになるかどうか。
(まぁいいわ。ルリシアレヤがそんな気持ちになるよう、この滞在で仕向けるしかない。そのために、わざわざここに来たのだから)
笑顔を貼り付けたままリオネンデを見詰めるララミリュース、そんなことを考えている。
時どき視線を逸らし、ララミリュースの後方を見るリオネンデ、ルリシアレヤを気にしている。微かに笑顔の種類が変わるのは、いい兆候かもしれない。ルリシアレヤを嫌っていはいなさそうだ。これでルリシアレヤのほうも、自分を見て微笑むリオネンデに笑みを返していれば上出来なのだけど……振り返るわけにいかないララミリュースが少しばかり不安になる。まさか無視なんかしてないわよね?
それにしても、とララミリュースが思う。
(婚約者の来訪を迎える場に愛妾を列席させるなんて、何を考えているの?)
愛妾に強請られて連れてきた? それだとあの女の性格を読み間違えたことになる。温和しく従うだけの女ではない?
いいや、そんなはずはない。あるとすれば、巧くリオネンデを誘導して、嫌がるふりをしてついてきた、そんなところだ。でも、それも納得いかない。リオネンデが望んで連れてきたように思える。
ついスイテアを睨みつけたララミリュースにリオネンデが声を掛ける。
「グランデジアの歴史など、ご興味がおありのはずもございませんね」
はっとしたララミリュースがリオネンデに視線を戻せば、リオネンデは穏やかな笑みを浮かべたままだ。
(この男……)
ララミリュースの視線の先にリオネンデが気が付いていないはずはない。なのに僅かにも表情を動かしていない。
(この男こそ食わせ者。油断できないのはリオネンデ――)
「大臣から、一通り王宮での禁止事項などのご説明を差し上げるよう言われていたのですが、お疲れでしょう?」
リオネンデはこの馬鹿馬鹿しい歓迎式を終えるようだ。
「最後に我が王宮の重臣をご紹介いたします。そののち、お部屋にご案内いたしましょう。茶菓の用意などもございますのでお寛ぎください――晩餐の用意が整いましたら、お出まし願います」
リヒャンデルはご存知ですね、と始まり、軍人、大臣と進め、
「これよりは臣下というには憚りのある、王家に繋がる者――そちらにいるのは王家の守り人ジャルスジャズナ」
と、リオネンデが言った。
この時はまだルリシアレヤに付き添っていたジャルスジャズナは、その場でララミリュースに会釈した。
「馬車までのお出迎え、ありがたき事です」
ララミリュースが笑顔で答える。
次に
「こちらに居りますは王家の一員、王の片割れ、わたしが不在の時、王に代わって王宮を仕切るものでございます」
と、リオネンデが軽く振り返った。スイテアが頷き、リオネンデの横に立ち、深く膝を折り、首を下げた。
そう言う事か……と、ララミリュースが思う。ただの愛妾ではないとはっきり宣言し、立場のある女だと知らしめるため、リオネンデはこの女を連れてきた。それにしても王の片割れ? グランデジアは独特の風習があると聞いているが……
「王の片割れとは何でしょう?」
ついララミリュースが疑問を口にした。
「お判りにならないのも無理はございません。グランデジア王家独特、しかも永らくその立場に就く者はおりませんでした――グランデジアは謎と魔法の国、ここで説明するのも吝かではありませんが、何分、歴史も長ければ話も長くなる。後ほどゆっくり、魔術師筆頭からでもご説明差し上げましょう」
ふん、やっぱりこの男は侮れない。ここまでは事前の打ち合わせで仕込むこともできた。だが、突発的な質問への答えは自分で考えたはず。すらすらと流れるような受け答えは、この男が賢いからに他ならない。頷きながら値踏みを続けるララミリュースだ。
「そして最後の一人……」
リオネンデが人垣の端を見る。男が一人進み出るのを見て、ララミリュースが息を飲む。
「筆頭魔術師、そして準王子サシーニャ・グランデジアでございます」
リオネンデの言葉に合わせてララミリュースに会釈を寄こす男、その姿は……
(これか! 話に聞くグランデジアの魔法使い……確かに人ならざる者のようにも見える)
表情を変えまいと平静を装うとするララミリュースの耳に
「あらっ!?」
小さく叫ぶ、ルリシアレヤの声が聞こえ、さすがに慌てて振り返る。
「ルリシアレヤ!」
自分を追い越して、リオネンデの正面へと駆け寄るルリシアレヤに、さしものララミリュースも声をあげる。だが……
「あなたね? ご生家に帰ったのではなかったの?」
周囲を気にすることもなくルリシアレヤが話しかけた相手は、サシーニャだった。




