リオネンデの孤独
少し食べてはまた横になり、起きてはまた少しばかりを口にする。そのうち待ちくたびれて、座る場所をスイテアの足元に変えた。
「いつまで寝ている気だ?」
腕を取り、引寄せる。さすがにスイテアも目を覚ます。が、すぐには状況がつかめない。されるがまま、椅子から落ちた身体はリオネンデに抱きすくめられ、膝に座らされる形となった。
「腹が減っただろう? 好きなものを取って食べろ」
そう言われても首筋に這う唇と、胸を撫で回す手があれば、とても食事どころではない。
「どうした、嫌いなものばかりが並んでいるか? ほかに何か運ばせるか?」
「そうではなくて!」
「うん?」
「このような……このようなことをされていては食事などできません」
スイテアの言葉にリオネンデがキョトンとする。そして笑いだす。
「そうだな、済まなかったな」
と、スイテアを開放する。
「おまえが俺を焦らすからだ。まぁ、いい、ゆっくり食べろ。好きなものを好きなだけ食べろ」
「なにも焦らしてなど……」
「確かに。おまえは眠っていただけだった。勝手に俺が焦らされている気分になっただけだ」
リオネンデが、空いたままの杯にレモン水の壺を傾ける。
「ハチミツは自分で入れろ」
そして自分の杯にはビールを注ぎ足す。
「どうも俺は自分でも思っている以上に、おまえにご執心のようだ。おまえがこの王宮を離れていた四年で、どこかの男に抱かれたのではないかと考えた時、腸が煮えくり返りそうだった」
やはりあの時、リオネンデは怒っていたんだとスイテアが思う。
今日の夕食は、豆を煮込んだものと、串に刺して焼いた肉、油で揚げた芋、それに実芭蕉の葉で包んで蒸し焼きにした魚、茹でた卵、ブドウなどの果物、干したデーツや杏、ナッツ類、そして何種類かの瓜が、数皿に分けて盛られている。スイテアは煮豆を取り皿によそい、食べ始めた。
その横でリオネンデが瓜を齧り始める。スイテアが豆を食べ終え、串刺しの肉を手に取るころにはリオネンデも瓜を食べ終えて茹でた卵に手を伸ばす。
「食事は終わられたのではなかったのですか?」
スイテアが恐る恐る訊く。
「いや、一緒に食べようと思って、少し食べただけだ。俺と一緒の食事はいやか?」
「そのようなことは……」
リオネンデが殻を取り終えた卵をスイテアの皿に放り込む。
「食え。卵は栄養価が高い……らしい。魔法使いのサシーニャが言っていた。おまえは身体が細い、体力をつけなければな」
そして再び卵に手を伸ばす。
「そんな、一つで充分――」
「馬鹿め、これは俺が食う」
クスリとリオネンデが笑った。
それからも、リオネンデは自分も食べながら、スイテアを眺め続け、魚の身をほぐして骨を取り、スイテアの皿に入れたり、手を伸ばしてはスイテアの口元を拭ってみたり、髪を耳に掛けてやり、そのついでに頬を撫でたりと、なにかと構う。
とうとうスイテアが
「落ち着いて食べられません」
苦情を口にした。すると、面白くなさそうな顔をしたリオネンデが
「慣れろ。俺がおまえに何をしていても平気な顔で食えるようになれ」
無茶な事を言う。
「酔っていらっしゃるのですか?」
「ビールで酔うはずもなし。いつだったか牛の乳で作った酒には悪酔いしたな」
と、リオネンデが笑う。
「できれば俺は一時もおまえと離れていたくない。だが、そうもいかない。ともにいられるときは、俺の好きにさせろ」
「充分お好きになさっていると思われますが?」
「おまえがいない間、どれほど俺が辛かったか……」
リオネンデの言葉に『えっ?』とスイテアがリオネンデを見る。そして心の中で思う。
(わたしがいない間? 執務室にいてわたしと離れていた事を言う? それともわたしが眠ってしまった事を言う? それとも?)
そんなスイテアに気が付かずリオネンデが続ける。
「二度と俺をひとりにするな、スイテア」
そして抱き寄せ唇を寄せてくる。
「二度と?」
「ん?」
聞き咎めたスイテアの顔を見るリオネンデは、僅かだが焦っているとスイテアが感じる。それなのにリオネンデは、そのままスイテアを抱き寄せ唇を重ねた。そして押し倒し、しつこいくらいに唇を味わう。
「四年前、王宮にいた者はほとんどが殺された。残ったのは自分の館に戻っていた大臣たちと、地方に行かされていたジャッシフとサシーニャくらいだった。慣れ親しんだ者を失うのは寂しいものだ」
唇を放し、潤んだ目でスイテアを見詰めると、リオネンデはそう言った。そして立ち上がると杯に残ったビールを飲み干し、
「食べ終わったら来い。テーブルの上はそのままでいい。長椅子で寝るなよ」
と、寝台に向かった。
それにしても、とスイテアが思う。
リオネンデはときどき不思議な事を言う。不思議と言うよりも、この男は本当にリオネンデなのかと疑いたくなるようなことを、と言った方がいい。今も『おまえがいない間』と言い、『二度と俺をひとりにするな』と言った。
『いない間』については考え方ひとつで受け止め方も変わってきそうだが、『二度と』についてはリオネンデ本人が苦しい言い訳をしなかったか? 取り巻く人々が世を去った寂しさを言い表すのに『二度とひとりにするな』と言うだろうか? それにジャッシフやサシーニャがいたのだから、決してひとりではなかったはずだ。
(わたしの不在を言った?)
そう思えて仕方ない。
だが、四年前のあの騒ぎが起こるまで、スイテアとリオネンデには交流がない。
スイテアが思い起こす。
明るく冗談好きなリューデントに対し、リオネンデは口数が少なく、ともすれば冷たさを感じると言われていた。伸び伸びと誰とでもすぐ打ち解けるリューデントと違って、リオネンデは取っ付きにくいと言われていた。
穏やかな色合いが好きだったリューデント、それに引き換えリオネンデは派手な色が好みだと聞いている。
(そうだ、わたしの衣裳を地味だと言い、ローゼルのような赤を入れろと言った。なんと派手なとあの時、思った)
リューデントならそんな色を選ばないはずだ。『おまえは桃花色の衣装が良く似合う。おまえ自体が桃の花のようだ』リューデントの声がスイテアの脳裏に蘇る。
(なんであの男をリューデントさまなのではと、一瞬でも疑ったのだろう。あの男はリオネンデで間違いない。リューデントを殺したと、あの男は自分で言った。なぜこんなバカなことを考えたのか……)
寝台に横たわるリオネンデを盗み見してスイテアはそう思う。リオネンデはいつものように右腕を目の上に乗せている。このまま眠るつもりなのだろうか。
寝台は高く、スイテアの位置からリオネンデの様子はよく見えない。見えるのは足の裏ぐらいだ。つい気になって、腰を浮かせてスイテアがリオネンデを窺う。
「食べ終えたならこちらに来い」
すぐにリオネンデの声がした。
「いえ、まだ……」
リオネンデの溜息が聞こえた。
「そうか、存分に食べろ ―― 」
寝返りを打ったようだ。
デーツを齧りながら、スイテアがリオネンデの気配に意識を向ける。
(そう言えば、隠していた剣は今も寝台の下にあるのだろうか……)
この部屋の壁に剣はない。ならば必ず隠し持っているはずだ。それにわたしにくれる剣はどこに置けばいいのだろう?
与えられた部屋は引き払われて、この部屋にいつでもいるように言われた。剣を隠す必要がないにしても、置き場は必要なはず……
とうとう待ち草臥れたのか、リオネンデが起きだしてきてスイテアの隣に座る。そしてスイテアを見るとデーツを手に取って齧りながら後ろの長椅子に寄りかかった。
「ふぅん、背もたれがあるとずいぶん楽だな」
「椅子の座が背にあたり、痛くはありませんか?」
するとリオネンデがまじまじとスイテアを見て、
「おまえの柔らかな身体ならそうかもしれないな」
と真面目な顔で言う。
「柔らかな、背もたれになるようなものを用意させよう――困っている事、欲しいものなど、なんでも言うように。できる限りのことはする」
そう言って齧っていたデーツを口に放り込み種を吐き出すと、ビールの瓶に手を伸ばす。だが、すでに空だ。
「ご用意いたしますか?」
「いや、いらない。それより水差しに水を。それと杯を二つ。レムナムに持ってこさせろ。部屋の中からレナリムを呼べ。仕切り越しに命じろ。命じたらすぐここに戻ってこい。いいな?」
スイテアの頬を撫でながらリオネンデが言った。




