春の息吹
〝花の都〟フェニカリデ・グランデジアは、マグノリア・アゼリア・フォースィシアなど色とりどりの花に飾られ、春本番を迎えていた。あと二月もすれば雨期が始まる。それが過ぎれば厳しい夏だ。秋冬の風情も悪いものではないけれど、なんと言ってもフェニカリデはこの季節が一番素晴らしい。
咲き誇る花々がフェニカリデを華やがせるのはその姿に因るものだけではない。街に漂う芳香もまた、人々を楽しませた。香りの強すぎる物は避け、誰もが心地よく感じるように計算された配置で植えられたフェニカリデの植栽は、その姿と香りで街を歩く人々の心を軽やかにしている。
喜びに満ちた春の日に、王宮・王の執務室で頭を抱えているのはサシーニャだ。隣にはチュジャンエラが申し訳なさそうに、だが不満を隠しきれずに座っている。その様子にニヤニヤ笑うのはリオネンデだ。
「娘を凌辱された気分だ」
サシーニャの怒りに、
「おまえ、娘どころか子もいないのに、娘を持つ父親の気持ちが判るのか?」
揶揄うリオネンデ、後ろでジャッシフが止めようとするが気付いていないようだ。
「えぇ! リオネンデには判らないでしょうとも! 何かを育てたことなんかないんだから!」
「おまえは昔から鳥だの猫だの草花だの、育てるのが好きだったなぁ」
「ヒナの時から大事に育てたのです。幾度、あの鋭い嘴で小突かれて痛い思いをした事か。それでも叱ることもせず、食事を与え、巣箱の掃除をし、寒さ熱さの対策をし、手を抜くことをせずに育てました。わたしとあの子の絆は強い。ハギだってわたしを親と思っていることでしょう」
「俺としてはペレグリンの親になるより、自分の子の親になって欲しいんだが――それで、いつまで使えないって?」
「抱卵で一月、さらに巣立つまで一月から一月半」
不貞腐れるサシーニャが、じろりとチュジャンエラを睨みつけ、そう答える。チュジャンエラが、さらに縮こまった。
サシーニャが大事にしているペレグリン『ハギ』がいつの間にやらチュジャンエラの『カイナ』と番っていたらしい。今朝、飼育部屋に卵が四つ転がっているのを見つけ、やっと気が付いた。
抱卵し始めたら、ヒナが巣立つまで〝カラス〟としては使えない。だから鳥たちはそうならないよう管理されていた。が、チュジャンエラがカイナをメスと誤認して、油断した結果だ。
「それで、その間はどうする?」
「急ぐ伝令にはシュワルベを使います。だがシュワルベは遠距離に向きません。リッチエンジェあたりまでとお考え下さい」
「ふむ……で、遠距離はどうする?」
「チナンキュレスを使います。ペレグリンと大差なく使えます。まぁ、なんとかします」
「ん? 今、嫌そうな顔をしたな。なぜだ?」
「いや、それは――チナンキュレスはペレグリンとほぼ同種、ハギとアギトは仲が悪い」
「アギトというのがチナンキュレスの名なのだな?」
「えぇ……わたしがアギトを構えばハギが、ハギを構えばアギトが、それぞれ相手を攻撃してしまうのです。でも、どうにかなります。ハギは子育てに忙しいだろうし」
最後のほうを誇張するサシーニャ、ここでもまたチュジャンエラを睨みつける。
呆れたリオネンデが、
「いい加減にしろ、サシーニャ。チュジャンがハギに卵を産ませたわけじゃない」
「えぇ、そうでしょうとも!」
リオネンデはさらにサシーニャを苛立たせたようだ。
「わたしの鳥たちの世話をチュジャンに任せたのは確かにわたしです。鳥たちが争う事がなければ、自分の鳥たちと一緒に世話していいとも言いました。でも、共用の鳥たちの世話係の魔術師の世話までするとは思いませんでした。一緒になっていいとも言っていません」
「サシーニャさまぁ……」
「なんだそれ?」
泣き出しそうなチュジャンエラ、不思議がるリオネンデ、
「コイツ、鳥の世話をしながら、世話係の女の子に手を出した」
サシーニャが吐き捨てるように言い放つ。その言い方にはチュジャンエラも気を悪くしたようだ。
「手を出しただなんて――」
それがサシーニャの怒りを煽った。
「あぁ、おまえが誰とくっ付こうが文句はない。一緒になりたければなればいい。けれど、おまえが女に夢中になっているうちに、ハギが使えなくなった。どうしてくれるんだ?」
「まぁまぁ待て、サシーニャ、ちょっと黙れ」
呆れるやら可笑しいやら、笑いを引っ込められないリオネンデが、
「で、その世話係の魔術師とやらは可愛いのか?」
とチュジャンエラに向かう。
「リオネンデ!」
言い募るサシーニャに、今度はリオネンデも怖い顔になる。
「黙れと言ったぞ、サシーニャ。俺はチュジャンと話している――で、どうなんだ、チュジャン?」
と、チュジャンエラには穏やかな顔を見せるリオネンデだ。
「え、いや、それは普通に――」
仕方なく黙ったサシーニャと、自分を見るリオネンデの間に視線を彷徨わせて、チュジャンエラがオドオドと答える。
「普通に、か?」
リオネンデが笑い、さらに続ける。
「おまえは幾つだったっけ? で、相手は幾つだ?」
「僕はもうすぐ二十。向こうは十七……です」
「そうか。十七なら婚姻もできるな――で、まだ孕ませてはいないのだな?」
「そ、そんな、そんな! 指一本触れてなんか――」
「もういい!」
真っ赤になって焦るチュジャンエラを止めたのはサシーニャだ。
「もういい。判った、わたしが悪かった」
「えっ?」
突然のサシーニャの謝罪、驚くチュジャンエラ、リオネンデが、
「ふん、やっと気が付いたか」
と、サシーニャを見る。
「魔術師の塔の内部で起きること、魔術師の管理はわたしの責任――監督不行き届きの責任を問われるのはわたしという事です」
「だいたい、チュジャンエラにそんな相手ができたと、気づいてなかったのか?」
「いいえ、少し前から気が付いていましたよ。鳥の世話に行く時間になるとそわそわするようになりましたから。でも、確認することでもないし、必要なら本人から言ってくるだろうと考えていました」
サシーニャの言葉にチュジャンエラが顔を赤くする。
「春先に発情する鳥もいると、注意しておくべきでした――言おうと思ったんだけど、チュジャンを皮肉ったと思われそうで言えませんでした」
ふぅん、とリオネンデがサシーニャの顔を覗き込む。
「自分にはいないのに、と僻んでいると思われたくなかったか?」
「それは違う!」
抗議するサシーニャ、横でチュジャンエラが
「サシーニャさまには決まった人がいるじゃないですか」
と、さらりと言った。
「えっ?」
「あぁ?」
驚くのはリオネンデ、そして当の本人サシーニャだ。言ったチュジャンエラは驚く二人にきょとんとしている。
「いったいいつの間に?」
「チュジャン、何を言い出す?」
「あれ? 内緒だったんだ?」
「サシーニャ、俺に隠し事か?」
「いや、いや、身に覚えが……」
「ごめんなさい、サシーニャさま」
「嘘を吐くな、その顔は――」
「違う!」
「あぁ、どうしよう。僕ったらなんてこと」
「三人ともいい加減にしろ!」
とうとうジャッシフが大声をあげる。ジャッシフが珍しく怒鳴ったことに、驚いた三人が瞬時に黙る。
「三人とも、それぞれ言いたいことを言っていては話にならない。順番に言い分を言ったらどうですか?」
ジャッシフとしては取り成したつもりだろう。が、少々的外れだ。話し合いをするつもりなんかない。それでも面白がってリオネンデがその提案に乗る。
「じゃあ、まずチュジャンの話から聞こう」
「リオネ――」
「黙れ、サシーニャ」
渋々でもサシーニャが黙るのを確認してリオネンデが続ける。
「ではチュジャン、サシーニャに女がいると、本人が言ったのか?」
「え、いえ。サシーニャさまはご自分のことはまずお話しなさらないので」
「ふぅん、たまには話すんだ?」
「えぇ、たまぁにですけど。先日はお名前の由来を教えてくださいました」
チュジャンエラを止めようとするサシーニャをリオネンデが制する。
「名前の由来? 俺も知らないな。〝サシーニャ〟というのはグランデジアじゃ聞かない名だ。なんて言ってた?」
「いや、その……」
「気にせず話せ。知られて困る話じゃなかろう」
サシーニャの顔色を窺うチュジャンにリオネンデが催促する。
「まぁ、そうですよね? えっと、サシーニャさまのお祖母さまのお名前をいただいたのだそうです」
「祖母? 父方の祖母か?」
「はい。なんでも生まれたてのサシーニャさまを見て、レシニアナさまが『白い花の蕾のよう』と仰ったのだとか。で、シャルレニさまがお祖母さまのお名前を貰おうと、思いついたそうです。意味は向こうの言葉で『白い蕾』なんだとか」
レシニアナは前王の姉、シャルレニはその夫、サシーニャの両親だ。サシーニャの祖父母は未知の大陸から流れついた異民族、向こうの言葉とはその大陸で使われている言葉をさしている。
大して面白い話じゃなかったな、とリオネンデがぽつりと言う。サシーニャが抵抗を見せたのは女性名だと知られたくなかったのだろうと思った。
「気軽に雑談で話すくらいだから大した話のはずもないか――で、本人から聞いたのでなければ、なぜサシーニャに決まった相手がいると思ったんだ?」
舌なめずりしそうなリオネンデ、チュジャンエラが首をすくめる。
と、ここでサシーニャが
「それはわたしも知りたいな」
口出しをする。
「なぜそう思ったのか、どこで誤解されたのか是非とも聞きたい」
「そんなこと言ってサシーニャ、圧力をかけてチュジャンを黙らせようって言うんじゃないだろうな?」
「違いますよ――チュジャン、わたしを気にせず、思った通りに遠慮なく話しなさい」
とサシーニャがチュジャンエラを見る。
「あぁれ? 僕の思い違いだったのかなぁ……」
と言いつつも、チュジャンエラが思い出し、思い出し、話し始める。
「最初はお疲れなのかと思ったんです。気が付くとボーっとしてて。何か思いつめられているようなご様子でした」
「ほう、それはいつから?」
聞いたのはリオネンデだ。
「随分前ですよ……うん、ニュダンガ攻めが終わった頃かな? 僕がいない間に何かあったのかって思ったのを覚えてます」
チュジャンエラがサシーニャ直属となったのはニュダンガ侵攻後のことだ。それから毎日チュジャンエラは、サシーニャの傍で様々な仕事を任されている。いつでも一緒にいると言っていい。
「だけど疲れが原因じゃないって気が付いたのはダンガシクに視察に行った時、ベルグで一泊した時でした」




