雪がふりつもる国
ところで、とリオネンデが話を変える。
「先日話した後宮の女たちの受け渡しの件だが……」
「はい、リストを作成して参りました」
ふむ、とジャッシフが差し出した数葉をリオネンデが受け取る。
「ふーーん……妾に欲しいと言うのが大半だな。養女はナシか」
「いかがいたします?」
「いや、即決はできない。レナリムと相談しておく――レナリムにも言われたよ、後宮が狭くなったとね」
ジャッシフが笑いを噛み殺す。
「初めて戦場を見たのは十三の時だった。後方に控えていればいいからと、初陣もまだなのに連れていかれた――その経験がなければ、初陣で殺されていたかもしれないな。戦場の恐ろしさを知って、心構えができたと思う」
ジャッシフは穏やかにリオネンデを見るだけで何も言わない。
「逃げ惑う女たち、乱暴される中には年端もいかない幼女もいた――男たちの争いごとに、なぜ女を巻き込むんだと思ったさ。まぁ、侵攻先で女を好きにしていいと言うのは古くからの慣習、それを変えるのは難しい。いい理由が思いつかない。後宮に入れるのは処女のみ、それを理由に僅かに拾えているだけだ」
「後宮の女たちはみな、リオネンデに感謝している。嬲り者にされず済んだ」
「さぁ、どうだろう? 戦場から連れてきた女だけではない。意を含められ、貢物として差し出された女もいる。中には本気で王の子を宿したいと願っている者もいるだろう」
「それでも、後宮の暮らしは悪くないと聞いております」
「レナリムから聞いたか?……まぁいい、用事が終わったなら下がれ。杯は飲み干して行けよ」
ジャッシフが退出すると、リオネンデが部屋を見渡す。面白くなさそうな顔だ。
寝台があった場所は一段高くされ、そこに王の座が設えられている。謁見の間にある王座より少々小振りだが、さして見劣りしない椅子が置いてある。その椅子に腰かけ、もう一度部屋を見渡した。そして立ち上がると後宮の入り口へと向かった。
中に入ればすかさずレムナムが姿を見せた。
「王の座の椅子は、部屋に向かって少し右に移しておけ。それで部屋全体が見渡せるようになる――それにしたって座り辛い椅子だ、他にもっと良いのはなかったのか?」
「お取替えいたしますか?」
「いや、それは無用――執務室の杯を片付けろ。大テーブルに置いてある数葉は、後宮の女を引き受けたいと願う者のリストだ、目を通して見合う女がいるか検討しろ。それから寝室に、そうだな、レモン水を。俺は少し休む。サシーニャが来たら呼べ」
まったく王には困ったものだ、難癖をつけるのがお好きで……笑いを隠しレナリムは『かしこまりました』とだけ口にする。
その声を後ろに聞いて、リオネンデは王の寝所の後宮側の出入り口とへ向かい、掛けられた布を払った。
中ではスイテアが長椅子に座っていて、リオネンデを見ると身を縮めた。
「なにをしていた?」
「……なにも。王のご用がない時は、何をしていればよいのでしょう?」
「うん……」
スイテアの向かいの椅子に腰を掛け、リオネンデが問う。
「おまえ、本を読むのは好きか?」
「王妃さまにお仕えしているときは、物語などを読んでおりました」
「そうか。では、読むのは苦痛と言うほどでもないな?――サシーニャに命じて、おまえが読むに相応しい書物を用意させよう。我が国の歴史や仕来り、風土や風習、そんなものを学んでおけ。王の片割れには必要なことだ」
スイテアは目を伏せて、表情を動かさない。
「あと、おまえは踊り子に扮して俺に近づいたが、身体を動かすことは苦痛ではないな? 先達てから言っているが、剣の稽古をして貰おう。四日後、おまえの披露目で剣を授ける。その翌日よりジャッシフから剣の扱いを学べ」
場所は王の執務室……おまえの稽古の様子、俺が見守っていてやろう。
「七日後、俺はベルグに行かねばならない。八日ほど留守にする。ベルグにはサシーニャを伴うが、ジャッシフは留守居する。困ったことがあったら、まずはレムナムに相談しろ。レムナムの手に追えなければレムナムがジャッシフに頼むはずだ。判ったな?」
そこへレムナムが水差しと杯を盆に乗せて入ってくる。そして盆をリオネンデとスイテアを隔てるテーブルに乗せた。
「レナリム……」
「はい?」
「――いや、あとにしよう。女たちの身の振り方を話す時で良い。下がれ」
レナリムが寝所から出て行く。
(王の姉の娘。本来ならこの後宮にいるべきではない……)
サシーニャを魔術師に預けた前王は、サシーニャの妹レムナムを己の妻に預けた。前王の後宮の女とはいえ、時の王の姪にあたるレナリムは王の女ではなく、娘と言える立場だった。それをリオネンデは自分の後宮に入れた。レナリムはいやではなかったのか? ふとそれが気になったリオネンデだった。
スイテアを見ると、水差しから杯にレモン水を注いでいる。杯は縦長のものが二つと小ぶりなものが一つだ。小ぶりな杯にはハチミツが入れられている。そしてマドラーが差し込んであった。
「ハチミツはどれほどお入れしましょう?」
「いや、いらない。おまえは好きなだけ入れろ」
レモン水が注がれた杯を手に取ると席を立ったリオネンデ、庭に面した帳を払うと庭を眺めた。
「この冬は寒波が来るそうだ」
「カンパ?」
リオネンデの呟きにスイテアが問いかける。
「うん、北方より吹いてくる冷たい風だ。冬の冷えが強いものになるという事だ」
「どれほどの寒さなのでしょう……」
「心配は要らない、おまえは俺が温めてやる――そうだ、おまえ、雪を見たことはあるか?」
「ありません。物語で読んだくらいです。白い物が空から落ちてくる、と」
「わが国では滅多なことでは降らない。百年に一度降るかと言ったところだ――雲が上空で冷やされ、水が氷の結晶となって降ってくる。それが雪だ」
「雨と同じということですか?」
「まぁ、そう言う事だな。結晶のままで降ってくることもあるし、結晶が一塊となって降ってくることもある。結晶は複雑で美しい形をしているが、塊となったら一つずつを見る事はできない」
「塊で? あたったら大変なことになりそうですね。農作物は?」
リオネンデが楽しそうに笑う。
「塊と言っても、雪の塊は柔らかい。それに降るのは冬だ。農作物への影響はそこまでではない。雪にあたって味が良くなるものもある――吹雪と言って、雨で言うなら嵐だな、それでも当たって怪我をすることはない。冷たさを痛みと感じる事はあるかも知れない。雪は地に落ちて融けるが、多く降れば融けずに積もる。冷たくて、でも柔らかくてふかふかしている。積もった雪は、時には水っ気が多くなり、再び凍って氷となり硬くなる事もある。そうなるとつるつる滑って歩き辛くなる」
「雪とは不思議なものなのですね」
「北方の国では冬の間、雪に包まれて身動きできなくなるところもあるらしい――そこまでの雪は見たことはないが、バイガスラ国……母の故郷では雪が降るし積もりもする。子どもの頃、まだ祖父が存命の時、母に連れられて行ったことがある。一面が雪に覆われ、世界が静まり返る。白い世界が広がっている……美しい景色だった」
ここでリオネンデはスイテアの様子を窺う。ぽかんとしたスイテアの顔を見てリオネンデが苦笑する。想像もつかいないのだろう。
「いつか雪景色を見せてやる。俺を殺すのはそれからにしろ」
リオネンデが戻ってきて空いた杯をテーブルに置き、スイテアに囁く。
「誰にも漏らすな、バイガスラ現国王は我が父と母の仇、俺は必ずヤツを討つ。そのためにバイガスラへ行く。あの国に攻め込む。おまえもついて来い」
えっ? と驚くスイテアの答えも聞かず離れると、リオネンデはゴロッと寝台に横になった。
「それまでには剣の腕をあげ、死神と呼ばれるようになっていろ。俺の死神は俺を守り、最後には俺を殺せ。それがおまえの役目だ」
そう言って、寝てしまうのかと思うと急に起き上がり、
「そうだ、紋章が決まった。披露目までにはおまえの正装をサシーニャが誂て、清めた上で持ってくる。楽しみにしていろ。見事な死神に仕上がりそうだぞ」
それから再び横になると、右手を目の上に乗せた。やはり少し眠るようだ――




