街角の真実
平伏したケーネハスルから目を逸らし、他の二人の大臣に向かってリオネンデが続ける。
「サーベルゴカからは『ベルグ軍は到着したものの、すぐにベルグに帰還』と連絡が来ている。プリラエダ側も軍をマーデリカに集めたものの待機させるだけで動きはないとのことだ。少なくとも今のところ、何の問題も起きてはいない」
リオネンデの説明に、やはり一筋縄ではいかないのはマジェルダーナだ。
「それにしても、やはり解せない行動――リヒャンデルは何を目的に軍を動かしたのでしょう? 夜中に、しかもかなりの強行軍。リヒャンデルと連絡はとれないのですか?」
「さぁな。軍人の考えは俺には判らん。ベルグに到着するまでリヒャンデルは捕まらないと思ったほうがよさそうだ。おおかた何かの軍規違反を罰しでもしたのではないか? でなければ、盗賊討伐の予行演習とか」
「なるほど――それにしても随分と偶然が重なるものですな。昨日、休暇を取るとのことで王の謁見と閣議はしばらく中止と沙汰され、その昨日から、サシーニャさまは魔術師の塔にもご自身の館にもいらっしゃらない。そして、深夜のベルグ軍の不可思議な動き……」
コイツ! とリオネンデが心の中で叫ぶ。まさかサシーニャの不在を街館まで確認するとは思わなかった。サシーニャがいないと騒いだら、私館にでもいるのだろう、と誤魔化すつもりでいたリオネンデだ。
「サシーニャさまはご婦人に会いに行かれたと聞いております」
突然、口を出したのはスイテアだった。
「恥ずかしいからリオネンデには内緒と仰って、こっそりわたしに打ち明けてくださったのです――リオネンデさま、知らないことにしておいてくださいね」
「お、あ、そうか……そうか、判った。知らないふりだな――できるかな?」
「できないなんて言わないでくださいませ。でないとスイテアがサシーニャさまに恨まれます」
「そうか、そうだな。おまえがサシーニャに恨まれては、おまえが可哀想だ」
リオネンデとスイテアが見つめ合い微笑みあえば、マジェルダーナが咳払いで水を差す。
「それで片割れさま、そのご婦人は何処のおかたか?」
「そこまでは……でも、マジェルダーナさま、ご心配は無用でしょう。奥方にお迎えになる決心が付けば、すぐにでもサシーニャさまは王にご報告さなるはず。ご自分から打ち明けないうちに、聞き出そうとは無粋というものかと」
黙るしかないマジェルダーナ、他に追求できる点はないかと考え込むクッシャラデンジ、すっかり意気消沈しているケーネハスル、内心ニヤニヤ笑いが止められないリオネンデ、どうなることかと見守っていたジャッシフがほっとする。が、それも束の間、事態がまたも急変する。何も知らないジャルスジャズナが王の執務室に案内も請わずに入ってきた。
「おっ?」
並み居る面々に、驚くジャルスジャズナ、
「ジャルスジャズナさま、なぜここに?」
入ってきたのが守り人と知って大臣たちが不思議がる。用事がなければ守り人が来るはずもない。しかもこんな事態だ、不審に思うのも無理はない。
「もうそんな時刻でしたか?」
と、ここでもスイテアが機転を利かせ、ジャルスジャズナに微笑みかけた。
「あぁ、もうそんな時刻だよ。で、スイテアさま、わたしを呼び出したご用件はなんでしょう?」
「後宮の女たちに、王宮の外の話をゆっくり聞かせていただけるとのお約束をお忘れですか? 奥にお茶菓子の用意もございます。みな、楽しみにお待ちしていたのですよ」
「そうだった――後宮の女たちは街に出られないからね。フェニカリデに新しくできた菓子屋の乾き菓子が美味しいって話で、そうだ、誰かに買いに行って貰うって言ってたっけ?」
「はい、ジャッシフさまにお願いしました。一緒にいただきましょう……今日は可愛い生地で出来た袋物の店の話をしていただけるんでしたか?」
後宮の女たちにも聞かせてやってくださいませ、スイテアがジャルスジャズナを伴って後宮に消える。女性のジャルスジャズナは入れても、男の立ち入りは禁じられている。マジェルダーナたちは入っていけない。怪しいと思っていても追っていけない後宮に逃げこまれた。すぐに後宮から、女たちの小波めくような笑い声が聞こえ始める。
スイテアは後宮に下がる際、あえてリオネンデを見もしなかった。リオネンデはいつも通り、スイテアの姿を目で追っている。マジェルダーナはそんな二人を観察していたが、スイテアを疑うか信じるかの決め手にはならなかった。
「さてと……」
リオネンデが大臣たちに向き合う。
「もう用はないだろう? 謁見や閣議を中止するのは少し休養を取るためと、昨日も言ったはずだ。しかし、まさか、この休暇を利用してサシーニャが女に会いに行くとはな……」
笑いを堪えるリオネンデ、この笑い、スイテアの嘘を面白がってだが、マジェルダーナたちにはサシーニャの含羞を笑ったと映る。
「どんな女なのだろうなぁ、マジェルダーナ。サシーニャのことだから貧しい庶民の娘かも知れない。だから言い出せないとしたら、充分あり得る話だ」
「わたしが知る由もありません――では、これで失礼を」
おまえの娘より、身分などない女のほうがいいそうだ、そんな皮肉をリオネンデが込めたと判っているマジェルダーナだ。何か言い返したいがこの件は、言い返せば返すほど、娘と自分が惨めになる。退散するしかない。
マジェルダーナが退出するとなれば、他の二人も慌ててそれに倣って王の執務室を後にした。
大臣たちが充分遠ざかってから、ジャッシフが愚痴る。
「あまり伯父を虐めないでくださいよ」
ニヤリと笑ったリオネンデ、
「マジェルダーナ、サシーニャの女の話では疲れ切った顔をしていたな」
ジャッシフに言いながら後宮の入口へ向かう。
「オルディカフトには冗談ではなく困っているようです――なんでもサシーニャから、レナリムを甥の妻にしただけじゃ足りないか、って言われたらしくて……」
もういいぞ、と後宮内部に声を掛けたリオネンデが、
「甥っておまえのことだな」
さらにニヤ付いた。
「権力の集中を嫌うって理由に持っていったか。あんたの娘は気に入らないとは、サシーニャもさすがに言えなかったんだろうね」
「でも、恨まれるのを恐れて、マジェルダーナはそれを娘に言えない。いっそ、どこかの養女にしようかって考えてるみたいで」
「そうなると、今度はサシーニャが困る番だな。実はオルディカフトが嫌いで、とは言い出せなくなる」
そこに戻ってきたジャルスジャズナが
「なんだ、サシーニャの縁談の話か?」
話に加わる。
マジェルダーナの娘がサシーニャにご執心だが、肝心のサシーニャは嫌ってるんだとリオネンデが説明すると、
「サシーニャを狙っているのは何もマジェルダーナの娘ばかりじゃないだろう?」
ジャルスジャズナがさらに面白がる。
「魔術師の塔にもひっきりなしに打診が来ている。サシーニャさまのお手隙の時間を教えていただきたいってね。あの男に手が空く時間などあるものか。それでも何人も執拗くくるものだから、魔術師に用があるとは思えない来客は躊躇うことなく追い返せってサシーニャが命じたんだって」
「なるほど、そいつらは娘の売り込みか?」
「そ、王の従兄で準王子、そして筆頭魔術師、お近づきになりたいヤツはゴマンといる。マジェルダーナやほかの大臣も一度は来たみたいだけど、個人的な用件は街館に来いって言われた。でも、サシーニャは魔術師の塔に入り浸り、街館に帰ったりしないからね。会う気がないってことさ」
マジェルダーナはオルディカフトの件を交渉しようと、サシーニャの街館へ行ったのかもしれない……リオネンデが密かに思う。
「ほかの大臣? ケーネハスルは娘がいるが、クッシャラデンジは息子だけだ」
「姪っ子を売り込みたいらしいよ――それにしても面白いよね。売り込みに必死な親もいれば、反面、自分の娘に白羽の矢が当たらないかビクビクしてるのもいるって。だけど、娘のほうは見染められないかって、王宮内を着飾ってウロウロしてるのもいるって話だ。サシーニャみたいな優男が好きな子も結構いるからね」
「ビクビクしてる?」
「んーーー、サシーニャに偏見持ってるのは多いからね……まぁ、サシーニャの嫁取りについては、いろいろ噂も飛び交っている。世間ってのは無責任だって、よく判るよ」
「なんで王宮に若い娘がウロウロしているんだろうと思ったら、サシーニャ狙いなのか」
変にジャッシフが納得する。
「そうさ、お陰で若い魔術師たちがそわそわしてる」
だがリオネンデは怖い顔でジロリとジャルスジャズナを睨みつける。
「いろいろな噂が飛び交ってる?」
訊かれたジャルスジャズナがクスクス笑う。
「なにが可笑しい?」
「いや、いや……サシーニャってヤツは面白いな、と。押しも押されもしない筆頭魔術師、王の補佐役として申し分ない、威風堂々、自信に満ちた佇まい、公人としてのサシーニャに、欠点を見つけるのは難しい。誰の助けも不要に見える。だけどさ、サシーニャと個人的に親しいヤツは、みんなサシーニャを心配する。面白いなぁと思ったのさ」
「あぁ、アイツは自分のこととなると後回しだ。それにどこか危なっかしい――それより、どんな噂が飛び交っている? それを聞かせろ」
少しムッとしたもののジャルスジャズナが諦めて打ち明ける。リオネンデの高飛車な言い方は気に食わないが、相手は王だ、大目に見るしかない。噂の内容は口にしたくもないと思ったが、王の耳に入れておくのもサシーニャの助けになるかもしれない。ジャルスジャズナが語り始める。
「ホント、いろいろさ。中には噴飯ものもある――サシーニャにムシャムシャ食われるとか、魔法の実験台にされるとか……」
一旦ジャルスジャズナが黙り込む。
「サシーニャの子を身籠れば、たとえ無事に出産できても待っているのは死だ。サシーニャの子は胎内で寄生虫のように母親を蝕んで育つ。そんな話がフェニカリデの街では噂ではなく真実として囁かれている――そんなのを噂って言うんだけど、それを忘れて街人は信じてるみたいだ」
「馬鹿げてる」
憤りを隠さないリオネンデの声が誰にともなく向けられる。
「レナリムを生んで母親が落命した話に尾ひれがついたってことだろうが、サシーニャがいてレナリムがいるのだから、それだけで事実無根だと判ることだ――サシーニャの耳には?」
「サシーニャは、うん、きっとサシーニャの耳にも届いていると思う。アイツは魔術師の塔に入り浸りでも、王宮での出来事や街での噂をなぜか知っている。誰かに命じて事細かに報告させてるんだと思うけど」
「仕事熱心なのもこうなると考え物だな。報告するほうもするほうだ」
「隠そうとしても無理、サシーニャに追及されて何もかも言わされる」
「サシーニャなら、そうしそうだな」
深い溜息を吐くリオネンデだった。




