糊口をしのぐ
フェニカリデを発つ挨拶にと、ワダが訪ねてきたのは翌日の朝早く、サシーニャが自分の居室で食事を始めようとしているところだった。案内してきたチュジャンエラは、まだ眠そうに目を擦っている。
「あれ? サシーニャさま、それ、プディング?」
テーブルの料理を覗き込むチュジャンエラ、サシーニャが溜息を吐いて
「ワダに椅子を……チュジャン、おまえも座りなさい。食事を済ませていないのだろう?」
と言えば、遠慮するチュジャンエラではない。ワダもよかったらどうぞ、とサシーニャに言われもしないのに、取り皿を出してくる。
「サシーニャさま、これは? プディングじゃないね」
取り分けた象牙色のプルプルとした塊を一口食べてチュジャンエラが問う。
「ピカンテアの料理でアガルと言うそうだ。豆の絞り汁と凝り藻を煮溶かした物を合わせて甘く調味する。熱いうちは液状だが、冷めると柔らかく固まる。材料の配分で口当たりや柔らかさが違ってくるらしい」
サシーニャが説明している間に、チュジャンエラは新しい皿にアガルを取り分けると、『美味しいよ』とワダに差し出す。サシーニャの説明をさっぱり聞いていない。
チュジャンエラから皿を受け取りながら、
「肉や魚は召し上がらないとは聞いていたけど……見たことのない料理ばかりだ」
テーブルを眺めてワダが感心する。
「調理係の魔術師が独自に作り上げた料理など、他では食べられないものも並んでいます」
「そうそう、だからさ、ワダ。どんどん食べちゃって」
今日も場を賑やかにするのはチュジャンエラだ。話しかければ答えてくれるワダがいるから尚更だ。それでも、
「あまりのんびりしていると、出立の時刻に間に合わないよ」
とサシーニャに言われば、慌てて自分の皿を空けると素直に自室に帰っていった。
「どうですか、チュジャンエラは? 現場でご迷惑を掛けているのでは?」
サシーニャの心配に、
「とんでもない――最初は魔術師と聞いて、チュジャンを敬遠していた連中も、なに、すぐですよ。なにしろチュジャンのほうが気にしないでどんどん近寄っていくからね。今じゃ現場一番の人気者だ」
ワダが笑う。
「工事を管理してるコネツが、現場がギスギスしないで済むのはチュジャンのお陰と言ってたね――サシーニャさま、それを見越してあの子を寄こしたんじゃ?」
「さあ、どうでしょう?」
サシーニャは曖昧な笑みで逸かす。
「例の件について、コネツに話してくれましたか?」
フェニカリデに帰ったコネツと話したことを、ワダは先日、サシーニャに報告している。そのさい出した要請をコネツは承諾したか、とサシーニャは訊いたのだ。
「残土の処分はコネツも頭を痛めてて、カルダナ高原にそのまま置いておけばいいなら簡単でいいって言ってたよ――サシーニャさま、残土を何に使うんだい?」
「まぁ、まだ先になるが……北部山地に点在する湿地、それを埋められないか検討しています」
「掘り起こした土を埋め立てに再利用できれば、処分に困らねぇってことですね」
「再利用できれば、の話です。まだ湿地を調査していないから、可能かどうかは未知数です」
「でもさ、サシーニャさま、湿地を埋め立ててどうするんで?」
サシーニャがニヤリと笑う。
「さぁて、どうするかな? 伐採して利用できる土地を広くするか、それともいっそベルグから北部山地経由でニュダンガに通じる街道を造設するか……」
ワダがハッと息を飲む。
「ニュダンガ攻めを始める?」
それにはサシーニャ、またも曖昧に笑うだけだ。
「ワダのお陰でグレリアウスは巧く村に入り込めた。工作も着々と進んでいるようです」
「あぁ、村長の娘を誑かして婿に収まった――しかし、いいんですか? 後々、娘や父親の恨みを買うんじゃ?」
「さぁ、それはどうかな? そのあたりはグレリアウス次第だと、わたしは思っているよ」
「グレリアウスさま次第?」
と、ここで支度を終えたチュジャンエラが戻り、話は打ち切られた――
朝の打ち合わせのために執務室に入ってきたサシーニャを見て、リオネンデがニヤリと笑った。
「フン、今日は何を企んでいるのです?」
嫌な予感にサシーニャが憎まれ口を叩く。
「おや、小煩いのがいなくなったと言うのに、機嫌が悪そうだ」
「うん? なぜチュジャンエラの出立をご存知か?」
「ここに来る途中、裏の出入り口でジャッシフが見掛けたそうだ――誰かと一緒にいたらしい。ワダか?」
「あぁ……そうです、あれがワダですよ、ジャッシフ」
ジャッシフはワダと会ったことがない。
「盗賊だと聞いていたから、どんな胡散臭い男だろうと思っていたら――割とまともですね。歳は三十くらい? 思っていたより若いし」
「父親は下級兵士、ピカンテア騒乱の折に戦死している。母親は調べたが判らなかった――王のブドウ園で育っている」
サシーニャの説明に
「王のブドウ園? それじゃあ、リオネンデと知り合いだった?」
ジャッシフがリオネンデを見る。
「向こうは覚えていたようだけど、俺は記憶になかった。ブドウ園に通ったのは九歳から二年くらいだったしな」
と、答えたのはリオネンデ、
「ブドウ園では読み書きも教えるが、優秀な子にはそれ以上も学ばせる。ワダはその一人、頭脳明晰と記録に残っていた」
サシーニャが情報を追加する。
頭脳明晰ねぇ、とジャッシフが嫌そうな顔をした。
「盗賊が賢かったら手に負えない。サシーニャの目を盗んで未だに続けてるってことはないのか?」
「ワダが自分の縄張りと主張した地域では大掛かりな窃盗被害は出ていない。掏摸とか置き引きなどは後を絶たないようだが、それでも減っている」
「いっそ、仲間を集めて一網打尽にしたら?」
「ワダの仲間を捕らえると? 我らの役に立っているのに?」
「盗賊の罪を咎めずにいたら示しがつかないだろう?」
「罪を悔いて善行する者を罰する必要を感じない」
「でもサシーニャ!」
なおも言い募ろうとするジャッシフを止めたのはリオネンデだ。
「それよりもジャッシフ。ワダ以外の盗賊を改心させるか捕らえるか、その算段をしたほうがいい。それに俺はワダが気に入っている」
「リオネンデまで? 国の治安を考えなくてはならない国王が言う事か? 国王ではなく、盗賊の親玉になりたかったとでも言い出す気か」
「言い過ぎだ、ジャッシフ。控えよ」
一喝したのはサシーニャだ。声に憤りが籠っている。
そう怒るなサシーニャ、とリオネンデが笑う。王が許したのだ、サシーニャもそれ以上は何も言わない。
「ニュダンガが一段落着いたら、ワダの持つ情報をもとに、グリニデ街道周辺を荒らし回っている盗賊団の討伐を考えている。せめてそれが終わるまでは待て」
「グリニデ街道? 情け容赦なく、時には人命まで奪うヤツ等がいるとか……サーベルゴカからフェニカリデにくるのに、最近はわざわざ遠回りしてベルグ街道を使う者が多いって聞いてます」
「放っておけないのはそんなヤツらだ。もっともワダが言うには、問題があるのはそこの首領だって話だがな。汚れ仕事を手下にやらせ、自分は上前を撥ねてるらしい。上前だけじゃなく、儲けは独り占め、だったかな?」
「うう……所詮、盗賊なんてそんな輩だってことです、リオネンデ」
「ふむ。人の物を奪うこと自体、ロクでもないが、例えば身体を壊して働けない親を抱えた子が、店先の食品を盗んで逃げたとしたら? ジャッシフ、おまえは容赦なく罰せるのか?」
「リオネンデ、盗賊は子どもでもないし、働けない訳じゃない」
何があろうと騙されないと言わんばかりに斜に構えるジャッシフだ。
「ワダはブドウ園が焼けたことで家と職を失った」
「とっくに成人していたはずだ。仕事を探せばいい」
「焼け出されたのはワダだけじゃない」
「だからってワダが盗賊になっていい理由に――」
「その子たちの面倒を見るにはどうしたらいい? 一人や二人じゃない」
「えっ?」
やっとここでジャッシフはリオネンデに向き直った。そんなジャッシフにリオネンデが頷く。
「本来ならば王家がしなくてはならないことをワダがしてくれた。おまえが言うとおり、どんな理由があろうと盗みは許されるべきじゃない。だがな、ジャッシフ、王家に代わって孤児たちの面倒をワダは見てくれた。手段が盗賊というのは確かに浅慮だが、人は時に過ちを犯すものだ」
「だが、いや、そうであってもだ、そんな男ならまた簡単に盗みを働くかもしれないじゃありませんか」
ジャッシフの声から勢いが削がれている。引っ込みがつかないのだ。
軽く息を吐き、困ってしまったリオネンデがサシーニャに視線を送る。見てないで助けろ、とその目が言っている。対するサシーニャ、『またわたしですか?』とうんざりしている。
少し考えてからサシーニャが言った。
「それではいろいろと片が付いたら、ワダが所有している宿屋や飯屋を接収することにしましょう」
「宿屋に飯屋?」
「サシーニャ!」
ジャッシフが怪訝な顔をし、リオネンデが慌てる。が、サシーニャの目配せにリオネンデは口を閉ざした。
「ジャッシフにはもう少しワダのことを話しておくべきでした――ワダは盗んだ金でいくつかの宿屋や飯屋を手に入れています。で、そこに、働かざるを得ない子どもや盗みをしたくない、させたくない手下を集めて働かせています。もちろん正規の報酬を支払ってです」
「それとて、盗んだ金で手に入れたんだろ? 威張って言えたことじゃない」
「はい、だからそこで働く者込みでワダから取り上げましょう。一番いいのはワダが盗み取った相手に返すことでしょうが、それは難しい。だから国有とし、国で管理するのです。結構繁盛していると聞いています。国庫の足しにもなるでしょう」
「国で?」
「えぇ、国で――でも、国有の宿屋や飯屋に客が来ますかね? どう思います?」
「どう思うって……って、サシーニャ、俺を煙に巻くつもりか?」
「そんなつもりはないですよ」
サシーニャが苦笑いする。
「王のブドウ園では、辞める者には働いていた期間に応じて慰労金を渡していた。けれどワダたち火事で離散した者にはそれもなかった――もしワダがその金を手にしていたらどう生かしていたことか……そう考えるとワダを盗賊にした一因、国にあると思えます」
「慰労金……でも、盗賊にならなかった者だっているだろう?」
自信なさげなジャッシフ、
「身寄りがあった者たちは、ね。子どもたちはすべてワダが連れていきました。孤児ばかりでしたから」
サシーニャの返答に反論が思い浮かばず、ジャッシフが黙り込んだ。




